風花〜かざはな〜

わたしが進学することは意外だったようで、クラスのみなさまが驚いていた。
高等部に進学するのは良家の子女が多く、この学園は西洋の教えを取り入れて男女共学なのだけれども、普通は女学校がいいところだった。けれどもこの学園は間違いなく進学を視野に入れた学園で、遠くの生徒は寮に入ってまで通ってるところだ。
「ふん、何かあったのか?まあ、オレとしては女が一人でも多い方が楽しみだけどな」
藤沢力也だけがニヤニヤと笑って近づいてきた。おもしろがっている彼とは別に、他の人たちは迷惑そうな表情だ。
高校にも定員というのがあるのだから……外部から受験してくるモノも多く、そうなると金と権力だけで胡座を書いていた生徒は学力に泣かされる。そこで学力を優先するからこそこの学園が進学率も高く、有名校として名をはせている証だろう。

わたしの場合、急ぎ受験を目指したところで、今までの勉強とは変わりはしない。相変わらず仕事はある。
けれども、多少なりとも不安はあった。
「ゆき乃、僕が教えてあげるよ。だから、夜にこっそり僕の部屋においで」
恭祐様はそうおっしゃったけれども、わたしはそれをお断りした。今まで通り、判らない問題は夜のお紅茶の時か、メモで聞ければそれでいい。だって、もう、男と女なんだって、いくら二人がそう見てなくても、周りから見ればそうなんだと、ひしひしと感じていた。
周りの目……他の男子生徒も、わたし自身をそんな目で見ていることには気がついていた。
下働きの女など相手に何をしたって許されると思っているらしく、未だに身分や家柄が重視されるこの世界。権力、金、いずれにしても自分の力で得たものではない、親の力ですべて無かったことにしてしまってるのだろう。年頃になれば興味のある男子達はメイドや茶屋女に手を出してもいるらしい。中にはそういった店に息子を連れて行く親までいる。
反対に女生徒は、貞節を重んじ、家柄が女の価値であるかのように振る舞う。私などは『ふしだらな女』と言われるばかりで……

「は?三原はまだ生娘だろう?そんなもの見てわかんねえのか?」
いつだったか、他の男子生徒にからかわれて居たときに、力也がまるで助け船のようにそう言い出した。
「な、何を……」
「オイオイ、本当か?じゃあ、おまえは誰が生娘で、誰がそうじゃないかなんて判るのか?」
「ああ、判るね」
にやりとふてぶてしい笑いをこちらに向けてくる。
『自分の母親は、オヤジに金で買われた名家の娘だった。』
力也はそう言ってわたしの前で寂しそうに笑ったことがある。オヤジに妾は山ほど居るから、それを片っ端から落としていくのがおもしろいと……
金と権力があれば、皆お館様と同じなのだろうか?お館様にも綺麗な奥様がいるのに、そこらにいる女性の噂は事欠かない。ただ、すべてお金で始末のつくモノらしいと貴恵さんから聞いている。
それに比べると、恭祐様はたとえ下働きの女でもそんな目では見たりしない。皆が恭祐様は召使いにも優しい方だと話していた。女性に興味がないのかと思うほど潔癖でいらっしゃるし……
だから、奥様が気をもんでいらっしゃるのだろうか?
度々館で催される奥様主催のお茶会には、高等部の名家の皆様や、その中に混じって折原家の鈴音様もお呼ばれしている。必ずと言っていいほど恭祐様が呼ばれて、得意のピアノを弾かれたりしている。うっとりと聞き惚れていらっしゃるお嬢様方の中に未来の奥方様がいらっしゃるのだ。
そういえば、恭祐様が思われる人ってどんな方なんだろう?折原家の鈴音様もそうだけど、同学年の菱田家の波留子さまもよく噂されている。
恭祐様もいつか、誰かをお嫁に貰われて……
こんなこと、わたしが考えたって考えたってしょうがないのにね。
自分の行く末なんて、自分でも決められない。うまく高等部、大学と進学したとして、その後お館様の会社に入って、わたしは何をすればいいのだろう?今の自分では想像も出来ない。

「コンコン」
「……はい?」
「ゆき乃、勉強はどう?」
今夜は奥様も旦那様もお留守なので、使用人達も早々に部屋で休んでいた。
もちろんわたしも、恭祐様から戴いた問題集を解いている最中だった。
「今のところ判らないところはありませんので大丈夫ですよ?」
「そう……今夜は久しぶりに星が見たくなってね。入ってもいいかい?」
いつもとは違う恭祐様の言葉に、素直にドアを開けた。
「どうかなさったんですか?」
「いや……久しぶりにゆき乃も一緒に見ないか?勉強の、邪魔かもしれないが……」
本当に久しぶりなのだ。こんな静かな夜は……
恭祐様もふと寂しくなられたのだろうか?
「はい、それでは……」
わたしは肌寒いだろうと、ベッドから毛布を抜いてそれを手に窓から屋根の上に出た。
「屋根が抜けなければいいんだけどね」
くすくすと恭祐様が笑う。その笑顔は昔から見てきた笑顔で、ほんとうに久しぶりに屋根裏に出て、昔に戻ったような気持ちで並んで座る。
以前と違って屋根裏の座れるスペースは随分狭くなって、身体を寄せないとちゃんと座れない。側面が少し恭祐様に触れてしまってドキドキしてしまう。恭祐様はわたしが持っていた毛布をわたしの手から取ると、ふわりと二人の肩にかけた。そのまま毛布の前を寄せて隙間を塞ごうとするけれども、わたしが身体を強ばらせて隙間を空けるものだから、ついには恭祐様がわたしの肩をぐいっと抱いて寄せてしまった。そうするとわたしは必然的に身長差の分だけ恭祐様の胸の中に収まってしまう。
「あのっ、恭祐様??」
焦るわたしとは反対にいつもと変わらない彼は、しーっと指を1本唇に当てた。
「声が大きいよ?ゆき乃、この方がお互いに暖かいだろう?昔もこうやってたじゃないか」
そんな、5年も昔のコトを、そう思ったけれども、あまりにもその場所は居心地がよすぎた。昔とは少し違う大人の香りのする恭祐様の胸の中、今のところ自分だけの特権のような気がした。
だけど胸の鼓動だけは止まらない。恭祐様に触れる右側の腕が固まったように動かない。気がつかれないかと思うほどの激しい心臓の音、それが気になって、なかなか言葉がすぐに出てこない。
「綺麗だね」
「……キレイ、ですね……」
恭祐様は隣のわたしのことなど全然気にならないようなのんびりした口調でずっと空を見上げている。
やっぱり、妹的存在だったのね。と諦めに似たため息をついて心を落ち着かせる。
「もう見れないのか、なんて思っていたよ。ゆき乃が部屋に入れてくれないし……」
頭の上でぼそりとそんな愚痴が聞こえる。
「そ、そんな、やはり人目がありますし……よろしかったら、わたしが居なくても恭祐様はお好きなときに出られればいいのです。夜は……その通り道に私が居るだけで、お気になさられないんならですが。ここは恭祐様のお館なんですから、命令されればいいんですわ。ただ、奥様がお知りになられたらいい顔をなさらないだけです。そうだ、あの……もし、良ければ、わたし春から女中部屋の方に移りましょうか?相部屋ですが、ようやく部屋が空いたし……」
貞美さんが、先月お暇を出された。実家に帰るそうだ。来月には律さんも庭師の見習いに来ていた人と一緒になるためにここを出る。貴恵さんが、お役目が自分一人になると随分暗い顔をしていた。最近、貞美さんも律さんも声がかからなくて、貴恵さんが一人で辛い思いをしていたから。4月から、新しい人が1人入っては来るけれども、きちんとした雇用だから、貴恵さんの負担は軽くはならない。
「ゆき乃はこの部屋が好きだったんじゃないの?」
はっと考えに沈んでいた顔を上げる。
「え、ええ、もちろん好きですよ」
ここにいれば恭祐様が来てくださるから好きだった。この窓から眺める景色も、屋根の上で受ける風も、恭祐様と一緒だったから、すべてが特別なモノに思えていた。
「でもいつかは卒業しなければいけないことですし……」
いつまでもこんなこと……戯れでも恭祐様の胸の中にいるべきではない、わたしはそう思って身体を離そうとするけれども、恭祐様の腕は緩まなかった。
「ねえ、ゆき乃は、ずいぶんと大人びたことを言うようになったね。少し寂しいよ……」
恭祐様の中のわたしは未だに小学生なんだろうか?大人になりたいと思っていたけれども、今になってみれば大人になるのが怖いコトだと実感する。
あのまま、昔のまま、無邪気に笑いあえていたころに戻れるなら……
「ねえ、今日君と同じクラスだって言う男に声をかけられたよ。見たこと無いと思ったけれども、転入生だったんだね。藤沢と名乗ったから、よく見たら藤沢建設の社長によく似た鋭い目をしてたよ」
「藤沢くんが?なぜ……」
「高等部の下見だと言っていたがね、ゆき乃のことを聞かれたよ」
「え?な、なんて??」
「うちのオヤジがゆき乃のことを欲しいと言ったら断られたけれども、ゆき乃はおまえのオヤジのモノになるのか、それとも僕のモノになる予定なのかと聞かれた……」
なんてコトを!すごく失礼なコトをよくも堂々と聞いたものだわ。
「ゆき乃は誰のモノでもないけど、どちらかと言えば僕のモノだよね?小さいころからずっと一緒に居て、僕の可愛い妹だもの」
妹……やっぱり、それでもいいけれども、少し胸が痛んだ。
「なのに、自分にくれないかと言い出すんだ。可愛いゆき乃をやれないとちゃんと言っておいたからね。ゆき乃はあの男と仲がいいの?」
「いえ、、そんなことはありません。たまに話しかけられますが……」
「そう、見た目ほど悪いヤツじゃないように思えるんだけど、ゆき乃のことを渡せる相手じゃないよ。いくらあんな目で見てきても……」
「恭祐様?」
さっきの声、今まで聞いたことの無いような低い、恭祐様らしくないお声だった。
「なんでもないよ、試験もうすぐだね。ゆき乃頑張って僕の後を追いかけておいでね。ゆき乃が頑張るから、僕は手が抜けないんだよ?そこらのライバル達より強力だね」
いつもの調子に戻って、明るく優しい声で話しかけられた。不意に顔をのぞき込まれてわたしは再び打ち始めた動悸を押し隠しながらもはいと答えるのが精一杯だった。
「あの、恭祐様……」
「ん?」
優しい微笑み。今はこの笑顔を見れるだけで十分幸せだ。
だけど、もうこんなに距離を近くしてはダメだ。心も体も爆発してしまいそうになる。

二人で見上げる夜空はどこまでも高くて、ちりばめられた星々はどこまでも綺麗で……
わたしは、こんな小さな幸せでも大切にしたいと心から思った。
だけど、今夜で最後にしないといけないと、心に誓った。


試験にも無事好成績で合格し、わたしは春から高等部に通うこととなった。
3月の終わり、わたしは進学のお祝いだと言われて、夜、貴恵さんのところに行く約束をしていたので部屋に向かっていた。今夜は奥様もいらっしゃらないけれども、チヅさんもいるから、貴恵さんもほっとしていたのだ。
「ほら、これ、綺麗でしょう?」
貴恵さんは少ないお給金の中からわたしに綺麗なリボンを買ってくれたのだ。
「ゆき乃ちゃんの長い髪にとってもよく似合うわよ」
「ありがとう!貴恵さん」
鏡に映るわたし達はまるで姉妹のようだった。実際姉同然の彼女の存在は、家族のないわたしにとっても、心強くて暖かい存在だった。
「ねえ、ちょっと……」
ドアの向こうからチヅさんの声がした。
「貴恵さん、お館様がお呼びよ……今夜は、あんたがいいんだってさ」
一瞬にして曇る貴恵さんの優しい笑顔……
「貴恵さん……」
「ゆき乃ちゃん……い、行きたくない……」
真っ青になっていくその白い顔。
「諦めてたのよ、本当に……だけど、全部話しても良太さんはそれでも構わないから、旦那様にお願いしようって、昨日……その矢先にいきなり貞美さんと律さんがお館を出ることになって、今夜だってチヅさんが居るのに……お館様は、きっとわたし達を許してくださらないわ。嫌よ、わたし、昨日の夜、初めて良太さんに抱かれたの。無理矢理でなく、心から、抱かれたいと思ったのは初めてよ。それなのに……イヤ、イヤっ!」
「わかったわ、貴恵さんはここにいて。貴恵さんは急に気分が悪くなったの。いい?もしかしたら変な病気かもしれない。だから、明日もお部屋でおやすみしてて。良太さんにも上手く伝えて、明日お話しできるようにしてみるから……」
「だめよ、ゆき乃ちゃんが行ったら……」
「平気よ、チヅさんにうまく言ってみるわ」
わたしは貴恵さんの部屋をそっと出た。もう2度と、貴恵さんをお館様の所へはやれないと思った。好きな人と一緒になれる幸せがあるのなら……
わたしには決してないことだから。

        

恭祐様と藤沢くん出会ってたんですね。藤沢は何考えてるんでしょうね〜でもそんなのに怯んだりしないのが恭祐様です。そろそろ、見えてこないと、恭祐様〜〜〜〜♪