風花〜かざはな〜


48

玄蔵はわずか1ヶ月で現場復帰し、周りの声を抑えながら恭祐にあとを任せるがために動いた。
それがせめても贖罪であったのだろうか?
玄蔵と恭祐の血の繋がりの有無はわからぬままでであったが、恭祐の手腕に皆『父親譲り』だと皮肉にも絶賛の声が集まった。野本も忠実さを発揮し、新しく据えた重役達の間を飛び回って調整を図ってくれた。
竹村も館と会社を往復し、裏に回り色々と情報処理や手を回してくれたのだった。



一年後、恭祐が大学卒業すると共に、正式に社長へと就任した。
「妙、卒業したよ。そして明日から僕が正式に社長だよ。せっかく館に父も帰ってきたのに、妙が居ないと寂しいじゃないか?」
妙の実家にある墓地の前に恭祐とゆき乃は佇んでいた。側には竹村の姿があった。
妙は、あの後、程なくしてこの世を去った。

玄蔵の罪を知り、苑子の壊れた心を嘆き、館の行く末をゆき乃に任せ、ゆき乃と館の者達に看取られた最後だった。
急ぎ戻った竹村も、恭祐も玄蔵も間に合わなかった。
「妙さん、妙さんっ!そんな...早すぎます!!あたしが幸せになるのを見届けるって言ってくださったじゃないですか?竹村さんと二人親代わりになってくださるって...」
泣き崩れるゆき乃に反応するかのように、苑子も妙の名を呼ぶ。妙が返事をしなくなったので、苑子は大声で赤ん坊のように泣き続けた。壊れたままの苑子が唯一心を許したのが妙の存在だったから、苑子は妙の存在をよりどころとしていたのだ。
『妙、すまなかった...』
遅れて到着した玄蔵は、妙のその手を取って深く詫びた。その姿に、妙は玄蔵にとっても信頼の置ける存在であったことが見取られた。
竹村も涙を堪えているのが傍目にもわかった。50を過ぎても独り身で、生涯妻を持たなかったこの男の心が誰にあったのかは、口に出さなくともわかっていた。妙のお骨を自分が護っている実家の墓に入れたいとの申し出を宮之原は断る事が出来なかった。

「妙さん...亡くなる前に、最後にお館様の名前を呼ばれたの。『玄蔵様』ってそれはもう愛しげな声で...妙さんは、お館様をずっと想ってらっしゃったのね。」
ゆき乃は墓石の前でそっと口にした。
「そうですね。私が何度も宮之原からお連れしようとしても、妙様は頑として頷いてはくださいませんでした。ずっと、私の片思いだったのですよ。最後に、ここに入ることだけは承知してくれたんですけどね。」
寂しそうに笑う竹村の無骨な姿があった。彼もこれを機に新崎へ戻ることをやめ、妙の跡を引き継いで館に残りたいと申し出ていたのだ。
そこまで世話にはなれないと言う恭祐とゆき乃に、自分は妙と同じ場所に居たいのだと訴えた。
『私には、護るべき家族もありません。しかし、妙様が残されたお二人がいらっしゃる。実の子同様慈しんで来られたあなた方のお側に置いていただけるのなら、これ以上の幸せはありません。ずっと、妙様と一緒に見守らせていただいてきました。私は生来不器用で、他の生き方を知りません。どうか、これから先もおふたりの為に、そしてこれから増えていくだろう御家族のために、この身を使わせてください。妙様の代わりにと言っては何ですが、最後まで見届けたいのです。ゆき乃様もいずれは宮之原の奥方として動かれるお方です。この館にばかり縛り付けておられるわけには行きませんでしょう?館のことは私にお任せ頂いて、どうか恭祐様の元へ行かれてはどうかと思います。』
恭祐の社長就任と共に、玄蔵が館に帰ってくるのだ。苑子も相変わらずだが、幾分落ち着いた様子を見せている。二人がどのように過ごすのかはわからないが、恭祐は無論ゆき乃を手元に置きたかった。ゆき乃の大学も休学したままであるし、出来れば卒業させてやりたかった。今年なら力也と一緒に卒業できるはずだ。復学し、卒業した後恭祐の花嫁に迎えられるだろう。
又、以前のように二人で暮らす生活がはじまる...その喜びを二人隠せなかった。
「ありがとう、竹村さん。妙もきっと喜んでくれるよね?」
「はい、妙様の願いは『恭祐坊ちゃまとゆき乃』様の幸せでしたから。」
墓地からの小道を3人の影が並んで続いた。
「僕たちは少し寄り道をして帰りますが、竹村さんはどうされますか?」
「実家によって、それから館に戻ります。恭祐様はどちらに?」
「ゆき乃のね、育った街を見に行こうって。随分前に約束していたのに行けなかったから...この近くだし、今から行ってくるよ。夜には戻ると思います。」
「今日は晴れているのに風が冷とうございます。暖かい夕食を用意してお帰りをお待ちしていますよ。」
「そうか、ありがとう。じゃあ、行ってくるよ。」
竹村に見送られ、二人で車に乗り込みしばらく車を走らせた。妙の実家から程なく鄙びた漁師街に着いた。
堤防の向こうから磯の香りが車の中にまで入り込んでくる。
春、三月うららかな日射しに包まれて、二人は車を降りた。風だけは頬を刺すように冷たかった。
「ゆき乃の家はどの辺りだったの?」
「あの当たりにあった長屋なんだけど...もう、ないのかしら?アパートみたいなのが建ってるわね。」
「聞いてみる?誰か知ってる人が残ってるかも知れないよ?」
「いえ、もういいです。幼い頃の記憶ではっきりと覚えてませんから...」
隣に住んでたおばちゃんはどうしてるだろう?仲の良かった男の子は、と思い返してみたけれども、もう10年以上昔のことだ。
「じゃあ、磯に行ってみようか?それとも、どこだっけ、ゆき乃が言ってった場所...」
「ああ、あの崖のことですか?」
たぶんこっちだとゆき乃はうろ覚えながら向かっていく。
「あの、上です。」
礒から山際に向かって張り出した崖は断崖絶壁と言ってよかった。下から昇るのはとてもじゃないけど無理そうで、波飛沫が激しく岩肌を削っていた。
恭祐の手を借りながら、比較的緩い山肌の斜面から昇っていく。その頂上には人が2人立つのが精一杯な広さしかなかった。
「昔は此処に立つのが怖くって、這いつくばって下の波を見ていたんですよ。雪の降る日は、あの波間に消えていく雪が綺麗で...波の勢いでもう一度舞い上がってくる雪がまるで花びらのようで、とても綺麗だったのを覚えています。」
ふらりとゆき乃の身体が傾いだように見えた。
「ゆき乃っ!」
吹き晒しの風に煽られて、恭祐はゆき乃を後ろから抱きしめた。
「どうかなさったのですか?恭祐様...」
「今、一瞬ゆき乃が飛んでいきそうに見えたんだ。」
「昔は...飛んでいきたいと思っていました。恭祐様と血の繋がりがあって、思うことすらも許されないとわかったあの日...此処まで逃げ出して、そのまま飛んでいきたいと...」
「ゆき乃、ダメだよ?僕はもうおまえを離さないと言っただろう?明日から僕の部屋に連れて行って当分出してあげないからね?」
「そんな、恭祐様は仕事がありますでしょう?あたしも大学に復帰しますし...」
「大学に戻るまでには動けるようにしてあげるよ。この1年、たまに館に戻っても、二人でゆっくりなんてできなかっただろう?ゆき乃は館の仕事だと言って朝も早いし夜も...だから、ね?」
「きょ、恭祐様っ??」
強く抱きしめられ、ゆき乃は驚愕していた。このような不安定な場所で恭祐の腕の中にいること自体が不思議な感覚だった。揺るぎない想いを伝えられても、使用人の感覚が抜けないゆき乃には時々現実がわからなくなるのだ。このまま自分がどうすべきなのか...そんな時、心はいつもこの場所に帰ってくるのだ。あの屋根裏から心を飛ばして。
「まだ、足りないんだよ...ゆき乃が。この1年間どれほど足りなくて飢えていたか...仕事が忙しくなかったら狂ってしまうほどだったんだよ?」
「そんな、これからももっと忙しくなられるのに...」
「忙しくても、ゆき乃が側にいてくれればどうにでもなるさ。」
恭祐の唇がゆき乃を捕らえようとしたとき
「あ、風花...」
晴れた空から贈り物の様に雪が舞い降りてきた。
「これがゆき乃が言っていた?」
「ええ、そうです。」
雪は海に舞い降りていく。崖の際では打ち付ける波に戻されて風花が下から舞い上がって来る。
「綺麗だね。」
「はい。」

二人、身体の凍えるのも忘れてしばらくは空を見上げていた。










      数十年後


「父親甲と子供乙、丙ですか?この3人の親子関係を調べたのですか?」
「そうだ。ようやく遺伝子レベルで親子鑑定ができるようになったのだからな。」
「スポンサーの宮之原財団のおかげですよね。こうやって日本でも破格の扱いで研究施設が維持出来たんですから。」
「ああ、そうだな...」
「教授の奥様が宮之原財閥の令嬢って本当なんですか?」
「まあな...」
「すごいですね、逆玉の輿ってやつですか?」
「しらん、遠縁になるらしいし、妻が幼い頃から知ってたんでね。妙に懐かれてて、そのままってヤツだよ。」
「お若いんですよね?奥様、たしか...まだ20ぐらいとか。教授とは10以上離れてるじゃないですか!!お子さんももうすぐ生まれるんでしょう?」
「ああ...出来ちまったからなぁ...」
そう言ったあと、無口な教授は黙り込んでしまった。
「でも...教授と宮之原様の会長ってよく似てらっしゃいますよね。あちらの方がかなり年上になられますが、遠縁だったとは...目元とか、雰囲気とかまるで歳の離れた兄弟みたいですね。」
「育ちが違うよ、俺とはね。九州のど田舎で育った俺だ。死んだ父親の親戚だっていうだけで大学卒業まで援助してもらった。確かに父と宮之原の会長の母親とが従兄弟同士でね、遠縁には間違いないが...その後も研究まで見てくれたんだ。父親といっても認知してくれただけで顔もまともに覚えてないんだ。俺が生まれてしばらくして、すぐに死んだらしくてな。未婚の母親に育てられて、親戚の厄介者だった俺が今じゃ教授だとよ。こうやって研究に没頭出来るのも、勿論宮乃原のおかげだが、な。確かに似すぎてるよな...たった一枚残された親父の写真があるんだが、まるで親父が生きてたのかと思ったぐらいだ。」
はっと気がついた助手が恐る恐る口にして聞いた。教授に心酔している自分は余計なことは外に言うつもりもない。無口だが物事隠すのが嫌いなこの無骨な研究者が本当に好きなのだ。
「あの...最初にやった二つの遺伝子の鑑定、あれってもしかして...これをやるためにこの研究を始めたと仰ってた、あの結果は?結構似通った遺伝子配列じゃなかったですか?今の技術では立証出来ないですけど、血縁関係の可能性があると判断されてましたよね?」
「あの結果は忘れろといったはずだな?」
「は、はい、すみません...あの、じゃあ、今回の結果はどこかに報告するのですか?」
「いや、調べただけだ。誰にも報告せんよ。もう、誰も知ってもしょうがないからな...」
手元にある二組の親子関係の検査結果は彼が思った通りの結果をはじき出していた。甲と乙の親子関係の有無と甲と丙の親子関係の有無。両方同じならば丙と乙は血縁関係にある。以前調べた遺伝子には親となる甲の細胞が残されていなかったのだ。だからちゃんとした結果は出なかった事になる。だがそんなことは、自分にとって何の意味もなさないことはとうに気がついていた。
「そうですか...あ、教授、お昼ですよ!そろそろ奥様がお昼を持って来られる時間ですね。いいなぁ、綺麗で若くって...」
「ああ、そろそろ時間だな。いいか、研究の話は彼女にはするなよ?でないとおまえに弁当喰わさんぞ?今日はおまえの分も作ると張り切っていたからな。」
「わかってますが...って、え?本当ですか??僕の分もあるんですか??」
はしゃぐ助手に視線を伏せた教授は小さく口にした。
「もういいんだ、結果がどうであっても...もう、遅い。」
「え?何か仰いましたか??」
助手の言葉に教授と呼ばれた男は苦笑した。
「啓祐さん、いらっしゃいますの?」
ドアの向こうから華やかな声がする。ドアが開いて、モノクロムな研究室の中に艶やかな女性の華が咲いた。
「本当に...まるで叔父と姪ほども離れてるだろう?俺と妻は。」
助手に向かって、にやりと笑ってみせるその顔は上品な顔立ちに似合わず苦労を繰り返し、砂を噛んできた男の顔だった。学者らしい知的な顔立ちに似合わないがさつな仕草と独特の雰囲気があった。
「美織、あまり重いものを持つなと言ってるだろう?」
仏頂面は若い妻を前にしても一緒だったが、すぐさまその手から大きな荷物を受け取った。身重な妻を案じる優しい声音を加えた彼に女性は嬉しそうに微笑む。若い母親だが、その表情から幸せがにじみ出ていた。嬉しくてしょうがないといった様子ではしゃぐ妻をたしなめる落ち着いた年上の夫、歳の離れた夫婦でも、愛情があふれているのが傍目にもわかる。
「そんなに重くなかったもの。あ、啓祐さん、お父様から手紙を預かって来てるの、はい。」
ニッコリと微笑むと快活そうなその少女にも見える若い妻は、バックから白い封筒を差し出した。
「ああ、ありがとう。」
教授はしばらくじっとその書面を見たまま動かなかった。
「そうか、知らなくてもいいか...じゃあ、ここで消しておけってことだな。」
そう言うと実験結果の書類をびりびりと破いてトレーの上で火を付けた。
「教授!?いいんですか!!」
「ああ、いいんだよ。前の結果を見た時点でそうなるだろうと思っていたんだ。俺たちは...」
小さく口の中で何かを呟いた。

『俺たちが兄弟なら、俺と美織は叔父と姪になってしまう。そしてそうでなかったら、あの二人は兄と妹になってしまうのだから...』




叔父と姪の結婚は許されていない。
そして兄妹の婚姻はそれ以上に許されていない。



知らなくていい真実がある。
本当の幸せは、自分たちの心の中にあるのだから。


「兄さん...」



    宮之原会長室
「会長、どうかされましたか?」
「いや、なんでもない。」
「父さん、少し疲れてるんじゃないですか?さっき美織が来てから変ですよ。」
「そんなことはない。そうだ、慎祐も今夜早く帰れるのか?」
「ええ、龍祐の誕生日ですからね。母さんと沙那美がご馳走作って待ってるはずですからね。啓祐さんだって、いつも遠慮して顔出さないから今日は美織が迎えに行ったんでしょう?違うんですか?」
「ああ、啓祐は遠慮ばかりする...」
慎祐の妻の沙那美は藤沢力也と慶子の間に出来た娘だった。美織と同い年で、幼い頃から慎祐の許嫁でもあったが、途中婚約を解消したかと思ったら再びつきあい始め、沙那美が高校卒業と同時に妊娠が発覚し、二人を入籍させ慎祐は学生結婚となった。あの時は力也が随分怒り倒したものだと思い起こす。啓祐と恭祐が間に入らなければ、慎祐は顔の形が変わっていただろう。その力也も今日の孫の誕生日に顔を出す事になっている。今では本当の親戚になった。身内の居ないゆき乃にとって、力也の妻慶子や、学生時代の友人達は今でも親戚同様の付き合いをして助けてもらっている。
「もう、遠い親戚じゃなくて身内なんだから遠慮しなくてもいいのにね。あのお転婆の美織をもらってくれただけでも有難いのに...『大きくなったら、絶対啓祐さんと結婚するんだ』って言って本当にしてしまうんだから...啓祐さんも根負けしたかもしれないけど、あの気の強い妹を操縦できるのは、昔からあの人しか居なかったしね。」
「そうだったな。あの子は言い出したら聞かなかったからな。ああ、野本、おまえも一緒にな。静江さんも先に屋敷に来てるはずだ。」
「はい、お誘いありがとうございます。身内の席に私まで呼んでいただいて...藤沢様もご夫婦でいらっしゃるのですよね?」
「ああ、さすがのあいつも孫にはメロメロだしな。」
「初孫は可愛いと言いますからね。あちらのご子息はどなたも結婚されていませんから...ただ、あの豹変振りは知らないものが見たら驚きますけれどもねえ。」
孫にかしずいて、お馬さんごっっこの馬役をやっているなどと、天下の強面、藤沢建設の社長の評判を落としてしまうことだろう。アラクレどもをきっちり押さえながら業界最大手まで登り詰めたのだから。
「それはいえるね。」
その姿を思い出した3人の笑い声が交差して、会長室を後にして行く。
「さあ、屋敷に帰ろう。」
あの館には普段はもう帰ることがない。玄蔵も苑子もとうにこの世を去っていて、今では竹村が数人の使用人と館を守っているだけだった。
3人が帰るのは、恭祐とゆき乃が結婚してから東京に新しく建てた屋敷であった。玄蔵も恭祐たちと共に暮らすことを承知しなかった。己の罪を胸に館に引きこもり続け、そして苑子を看取った後、責務を果たしたと言わんばかりに、後を追うようにこの世を去ったのだった。



屋敷では内輪ながらにぎやかなパーティが始まっていた。
宮乃原を財閥にまでのし上げた現会長、宮乃原恭祐とその妻ゆき乃。
その息子、現社長の慎祐とその妻、藤沢建設の娘沙那美、そして誕生日を迎える息子龍祐、弟の康祐、妹の理麻。
同じく恭祐たちの娘、美織とその夫啓祐。彼は恭祐の母の従兄弟、亮祐の息子でもある。
そして藤沢力也・慶子夫妻、野本夫妻、竹村執事も館から駆けつけ、それぞれが久しぶりに顔をあわせていた。


「啓祐...」
それぞれが帰路に着き、屋敷に泊まる者は部屋に腰を落ち着けたころ、庭に立ち尽くす啓祐の元へ恭祐が現れた。
「あんたか...」
「結果、きちんと聞かなくてすまなかったな。」
「いや、それでいいと思う。どの結果を聞いてもゆき乃さん...義母さんは苦しむんだろう?あんたはそれを望まない。だから、俺も誰にも告げる気はないよ。今は...美織に元気な子を産んでもらいたい、それだけだからな。あんたがあの時言ってたことが今よくわかるよ。真実だけがすべてじゃない。学者がこんなこと言ってちゃいかんのだがね。俺も、美織を愛してる...大切にしたいんだ。あいつを傷つけたくない。」
「ありがとう、我侭な娘だがよろしく頼むよ。まったく、子供のころからおまえにべったりだったが...思う気持ちは本物だったんだ。いくら歳の差があっても、血の繋がりの可能性があっても止められなかった。」
「俺もですよ...ダメだって、わかっていながら、その手を取ってしまった。魅力的過ぎてね、あなたの娘は。」
啓祐は珍しくその仏頂面に微笑みを浮かべた。愛しげな優しさを含ませて...この男がこんな風に微笑むようになったのは、18の時大学進学と同時にこの屋敷に来て、美織や慎祐たちと触れ合うようになってからなのだから。以前は笑うことのない刃物のような男だった。
「10年以上、彼女の想いに答えないつもりで、ずっと見ない振りをしてきたのに、とうとう負けてしまって...それこそ、もうどうでも良いって思わされちゃいましてね。最初っからオレは美織には適わなかったから。」
未婚の母と認知しただけの父。親戚の白い目の中突っ張って生きてきた啓祐が、父の親戚で援助しようと声をかけてきたこの宮乃原に意気込んで乗り込んできたあの日。初対面でありながら、無邪気な笑顔で啓祐の胸の中に飛び込んできた少女が、今妻となり、新しい家族を自分に与えてくれようとしていた。自分がどういった繋がりがあるのかは目の前にいる自分とよく似た男から聞いた。反発して、そして、受け入れられて...長い年月をかけて美織に解きほぐされ包まれた心はようやく人らしく生まれ変われたのだと。
「誰に似たんだか、あの強引さは、ね。言わなくていいんだよ。一生知らなくて良いことだ。」
「そうだな...ああ、今日もまた言われたよ、あんたとよく似てるってさ。育ちが違うと言っておいたけどな。」
「そうか...確かに育ちは違うが、な。啓祐、これからも美織を頼む。」
頷く啓祐をみて、恭祐は相変わらず優しい顔で微笑むと屋敷の中に足を向けた。
「それじゃ私は愛しい妻のところへ行って来るとするかな。」
「相変わらずだね、あんたたち夫婦の仲のよさは。美織も呆れてるぜ?下手すれば父は母を外に一歩も出さないつもりじゃないかってね。まあ、その気持ち、わからないではないが...ゆき乃さんの、あの今にも消えてしまいそうなほどの儚い美しさは、腕の中から出したくないってのも。歳取らないよな、あの人は...」
「ああ、そのとおりだよ。この歳になって、未だにゆき乃を手放せない。べた惚れだな、私は。」
苦笑しながら、いってらっしゃいと言って見送る啓祐はため息をついた。
「俺でよかったんだ。あの二人じゃなくて...」
小さな呟きは夜風に消えた。




「ゆき乃、やっぱりここだったのか?」
寝室に戻った恭祐はゆき乃が居ないことに気が付いた。多分そこだろうと、階段を上り館を模して作った屋根裏部屋を覗いた。そこにはベランダの窓から身を乗り出して星空を見上げるゆき乃の姿があった。
「ええ、やっぱり落ち着くから...」
側に寄り添ってゆき乃の肩を優しく抱いた。
「ゆき乃、啓祐が結果がわかったと言って来たが、聞くかい?」
「......」
しばらく返事はなかった。
「恭祐様は聞かれたのですか?」
「いや、聞かなかったよ。」
「そうですか...では私も聞きません。聞いて変わることもなければ、聞かずに変わることもないですもの。美織にはこのまま何も知らずに居て欲しいですから。」
「そうだな、だが、いつか...知ったとしても、啓祐も美織も変わらないよ。」
「そうですね。啓祐さんも、すっかり雰囲気が変わって...一時期はどう接していいのかわかりませんでしたもの。」
「ああ、あの頃は力也にもずいぶん世話になった。」
事実を知った啓祐は荒れた。そんな彼を見守って手を差し伸べてくれたのは力也だった。彼に諭され、啓祐は学部内受験で医学部に転向した。そう、真実を見極めるべく啓祐は遺伝子の研究に没頭したのだった。
だが、今の啓祐はその結果を重視しないことを決めていた。
ゆき乃と恭祐のように...
「ここから見る夜景は、館のとは少し違うな。今度ゆっくり戻ってみないか?」
「そうですね、でも、あなた、ゆっくり出来るんですか?」
「慎祐がいるしな、野本に無理を言ってみるかな?それに...」
ゆき乃の腰を引き寄せ甘い声で囁いた。
「たまにはゆっくりとゆき乃を堪能したいんだよ。ここでは、いつ慎祐の子供たちが飛び込んでくるかわからないからね。休日の朝までゆっくりゆき乃を愛せない...そうだろう?」
年齢と共に愛し方も少しずつ変わってきてはいても、恭祐のゆき乃を求める強さは変わってはいない。回数が減ってはいても、恭祐が本気になるとゆき乃は朝まで狂わされかねない。
「あなたったら...」
少女のように恥らう妻の頬を愛しげに抱え込み口付けを落とす。
「愛してるんだ、ゆき乃。この気持ちはちっとも変わらない。むしろどんどん深くなっていく...」
「わたしもですわ。あなたが居なければわたしの人生なんてとうの昔に終わっていました。」
「帰ろう、いつかあの館に...」
「はい。」


       二人が育ったあの館に...


風花〜Fin〜

      

曖昧なラストですみません。又謎解きができればいいのですが…
約一年間お付き合い頂いてありがとうございます。
補足のゆき乃、恭祐の振り返り視点であと2話追加致します。
よかったらぷちっと
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