風花〜かざはな〜
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中等部へ進むと、嘘のようにわたしへの表だったいじめは影を潜めた。
鈴音様は毎日恭祐様を追いかけるのに必死だったし、コチラにまで手が回らないようで、それはそれで助かったのだけど……
もし、鈴音様が恭祐様のお気持ちを得られたらどうしようなどと考えてしまう。あの方がお館に来られることになったら、その時わたしは……きっと居られないだろう。
できれば、恭祐様の側にはもっとお優しい方が並んで欲しい。誰でも同じかもしれないけれども、それでもせめて……鈴音様以外がいいなと思ってしまう。
もっとも掃除は一人でが当たり前だったけど……
それでも恭祐様のいらっしゃる2年間はまだ大人しいもので、嫌がらせ程度のものは相変わらずだったけれども、恭祐様が高等部に進まれてからは、あっという間にいじめが再開した。
それも鈴音様以外にも、男子生徒がいろいろと言いがかりを付けてきたりするのだ。けれどもそれは表だってわたしをいじめられない鈴音様の差し金だというはすぐに判った。さすがに考えられたようだ。自分が手を下すことのリスクを……
中学にはいると身体の成長がはっきりしてきた。
ふくらむ胸、変わっていく身体の線……鏡を見つめて思う。もしかしたら、益々母に似てきたんじゃないだろうかと……
『いやらしい身体をした、あの志乃って女!』
奥様のあの言葉が未だに耳に残っている。女になっていくのが嫌だとすら思った。
しばらくして初潮を迎えたとき、妙さんに色々と注意された。
もう子供が産める身体になったのだから……男の人に気を付けるようにと。
金持ちの中に未だに女中になら何をしても構わないと思っている男性も少なくないこと、お金や暴力で女性を抱こうとする男性もいること……
決して、男性と同じ部屋に二人だけになったりしないことなど、やけに真剣に話してくる妙さんの言葉の裏にも、『おまえはあの志乃の娘だから、ふしだらな血が流れているのだから、なおのこと気を付けるように』と言われている気がした。
「なあ、おまえ、卒業したら、妾にでもなるのか?」
「え?」
音楽室に向かう途中に不意に後ろから声をかけられる。
「噂されてるぜ、おまえみたいなキレイな顔をした娘を子どもの時から引き取って、教育を施したあと、自分のモノにするって、宮之原の御当主も粋なことをするって評判じゃないか?」
「そんな……わたしは、卒業したあとはお館で働かせて頂くことになってます。そんなことは……あ、ありません」
失礼なことを面と向かって言ってくるのは、クラスでも有名な成り上がりの藤沢建設の一人息子、藤沢力也だった。
中等部からの編入生で、どちらかというと乱暴者だった。上品な他の生徒達とも相容れないモノがあるらしいけれども、それでもそのずば抜けた体格と、父親の持つ財政力には誰も逆らわない。毛色の変わったわたしをかまいには来るけれども、それは優しさでも何でもない。自分より下の者に対する気安さだけだ。今となってはわたしに話しかけてくる唯一の級友だった。
「ふうん、この間オレのオヤジがおまえのトコに行っただろう?おまえを見てさ、譲ってくれって言ったらしいんだよ。オレのオヤジは若い生娘が好きだからよ。けど断られたって言ってたぜ。きっと自分のモノにする気だってよ」
それは噂でなく、力也自身が流してる噂だった。離れたところに居たはずの力也がすぐ側まで寄ってきている。
「なあ、もう経験してるのか?」
耳元でぼそりと囁いて、その拍子に飛び退こうとしたわたしの腕をがっしりと掴んでいた。
「は、離して!!」
藻掻いてみるけれども、クラスでも一番のからだつきの腕力は強く逃げられる訳もない。始業の合図が聞こえてきても、一向に離す気はなさそうだった。
自分が、そんな風に見られはじめてるコトには気がついていた。
「おまえ、絶対にいい女になるよ……その目、脅えてるようだけれども、いい目してるもんな。誰にも媚びない、誰にも自分を安売りしたりしない……けど、どっかで自分の運命に見限り付けてるんじゃねえのか?」
「………….」
「なあ、いつかあの家から出たくなったら、オレのモンになれよ?無理矢理はいまはしねえ。今のおまえだったら舌でもかみ切りそうで怖いからな」
そう言い残して、わたしを捕らえていた手を離してスタスタと音楽室に向かっていってしまう。
何を言い出すんだか……
けれども、もしかしたら、自分の運命はあっけなく、一番ひどい形で自分を苦しめるかもしれない。
もし、お館様の情婦になったら、恭祐様はどんな顔をされるんだろう……
同じ館で、そんな目にあったらわたしはきっと生きていけない。でも今までの恩が足枷になってしまうだろう。わたしはその時がきたらどうすればいいんだろう?
そんなに遠い話しでないことはこの目で実際に見てしまっていたから……
あの夜……
わたしは、奥様がお留守の夜は、こっそりと階下に降りていた。
仲のいい貴恵さんの所に行ったりするのだ。
貴恵さんは16の時からここにお世話になっているのだという。多くの借金をこしらえた両親の変わりに、全額肩代わりなさったお館様に連れられてここに来たのだと。元はお館様仕事仲間の娘だそうだ。
貴恵さんには想い合う人がいた。板場にいる良太さんだ。優しくてとてもいい人で、良太さんは夫婦になろうと言っているのに貴恵さんがうんと言わないそうだ。
それがどうしてなのか、その夜わたしは知ってしまった。
いつも、奥様がお出かけの夜は、奥様付きのチヅさんがお館様の部屋に呼ばれる。これは奥様には内緒のことだけど、屋敷中の誰もが知っている。
夜、奥様はよく居間や寝室を行ったり来たりなさる。いつ出てこられるか判らないので、わたしは奥様のいらっしゃる夜は早めに部屋にあがれる。そんなときはゆっくり読書したり勉強したり出来るのだけれども、反対に奥様がいらっしゃらない夜しか屋敷内をうろつくことが出来なかった。わたしは、女中部屋のある方に行くためには、お館様の部屋の前を通るのが一番早いのだけれども、時々過ぎるときに聞こえてしまう。
おそらく、チヅさんのものであろう、苦しそうな悲鳴に似た声……
けれども時には『ああ、もっと』とか『いい、イクッ』といった、はしたない嬌声の数々が漏れ聞こえていた。
その夜はチヅさんも奥様について出掛けていたはずなのに、お館様のお部屋から、すすり泣くような女の声が漏れ聞こえていた。わたしは、思わず立ちどまってしまった。薄く開いたドアの隙間から、メイド用の服をはだけられて白い胸をさらけ出し、机にすがりついて泣いている貴恵さんの姿を……
まくり上げられたスカートの下、獣のように四つんばいの恰好をさせられた貴恵さんの滑らかな臀部に、お館様の腰が激しく打ち付けられているのが見えた……
泣き叫ぶ貴恵さんを揺らす獣のようなその行為が何を示すものかは、すぐに判った。
妙さんに教わった男女の交わり。でもあれはおややを授かるために、夫婦や、夫婦の契りを交わした者がすることだと初潮を迎えたその夜教わった。中にはそれでお金を得るいやしい女もいるが、それを買うのも男で、自分の欲望のためには、無理矢理おなごを襲う男衆もいるから気を付けるようにと……
子を成すことが出来る身体になったから十分に気を付けるように、操を守るようにと幼いわたしに真剣に言い聞かせる妙さんは、わたしに何を言いたかったのだろうか?それが何となく判った気がした。
ドアの影で呆然と佇むわたしの前に、泣きながら衣服を押さえて部屋を飛び出してきた貴恵さんは、悲しそうにわたしを見た。
「ここに来て、しばらくしてからよ……」
部屋に戻り、濡れたタオルで身体を清めた貴恵さんがそう話しはじめた。
「お館様は、奥様がいらっしゃらない日は、いつもならチヅさんをお呼びになるんだけれども、チヅさんのいらっしゃらないときは、誰かに声がかかるの……」
貴恵さんの他に、同じような立場でこの館に奉公に来ている人は何人かいた。貴恵さんよりも年上の貞美さん、律さん、みんなそうだという。館に来てすぐにお館様に手を付けられたのだと……
「チヅさんはいいのよ、贅沢できるって喜んでるから……でも、わたし達は……」
貞美さんはもう30近い、律さんもそろそろ20代の後半だ。みな、いい人なのだが、いつも表情が暗く悲しそうなのだ。
「だってね、お館様のお手付なんて、だれもお嫁に貰っちゃくれない……歳がいって、飽きたらようやく下働きの男の所に持参金付で嫁がされるくらいよ。逆らえないのよ、給金から借金返しても追いつかない……お相手していれば、そのうち飽きた時には全部返済したことにして下さるし、お金も……下さるし……」
「貴恵さん……でも、良太さんは……」
貴恵さんは辛そうに笑う。
「すごく……いい人よね。わたしのこと本気で思ってくれるの。でもね、言えないでしょう?こんな、娼婦のようなまねさせられてるなんて……わたしみたいなのをお嫁に貰っても、あの人が苦しむだけ、もっと、普通の、優しい人を貰えばいいんだわ」
わたしには貴恵さんが心と正反対のことを言ってるようにしかみえなかった。だって、良太さんと話ししてるときの貴恵さんは嬉しそうで、すごくキレイで……
「ゆき乃ちゃんも気を付けるのよ。あなたも今まで子どもだったからお館様も目を向けなかっただろうけど、日に日にキレイになっていくんだもの。あなたのお母さんは綺麗な人だったって料理長の亀田さんも言ってたわ。あなたのお母さまを知ってる人は、あなたがここに来たときからあなたに優しかったでしょう?キレイで、それでいて優しい方だったって……奥様がいらっしゃるときは大丈夫だと思うけど、いらっしゃらないときは、お館様に呼ばれても行っちゃダメよ。わたしか、妙さんに必ず言うのよ。お館様は女中部屋なんかには来られないから、部屋に居れば大丈夫だけれども……とにかく、気を付けて行かないようにするのよ。もう15だもの。ゆき乃ちゃんすっかりキレイになって……幼いときから妙さんに礼儀作法を教わってるから、いつどこに出してもご令嬢で通るほど気品があるし、だから、心配なのよ。あなたがこれからどう扱われるか……」
自分がひどい目に遭ったというのに、わたしの心配ばかりしている貴恵さん。いつだって姉のように優しくて……
「貴恵さん、わたし、貴恵さんが大好きよ……いつかきっと良太さんと幸せになってね?」
そのために自分が出来ることがあればしようと思った。たとえ、どんなことでも……自分には良太さんのような人が現れることがないから。
たぶん……ううん、絶対に。だって、わたしに関する噂は、あながち嘘とは言い切れなかったから。
お館様は、昔自分の父親の妾の連れ子の娘に懸想していた。手に入れられなかったから、幼いその娘を引き取って育てていると……下働きの娘にはあり得ない行儀作法を身につけさせて、私学にまで通わせて、いったい、どうするつもりかと……決まっている、死んだ志乃さんの変わりにするんだろう、お館様はおなごがお好きであられるから、と
それならばそれでもしかたがない。自分はここに連れてこられたときから、どこにも行き場はないのだから。
ただ、もし、そうなって、ずっとこの屋敷に囲われたら、ずっとここにいられる。
ずっと、恭祐様の側に居られる。
恭祐様には嫌われるだろうけれども……
昔、父親の妾だった祖母を憎々しげに呼んだお館様。妙さんもお館様の最後の妾だったと言われている。祖母を追い出したあと、若い少女のような彼女を屋敷に連れてきたのだという。そのころには大奥様は既にいらっしゃらなくて、今のお館様も、もう成人していらしたそうだ。お館様のお父上が亡くなられたあと、この家の女中頭を任かされることになったのは、その出生が実は落ちぶれては居ても名家であって、行儀作法、教養共に秀でた方だったからだと教えてくれたのはコック長の亀田さん。
幼いころから厳しくしつけられたけれども、わたしはなぜか妙さんが嫌いじゃなかった。
だから、もし、そんな風になったら、妙さんのように、凛と背筋をはってこの家のために働きたい。お館様には嫌われているけれども、元の血筋の良い妙さんは奥様にも一目置かれている。彼女が居なければ館のことなんてこれっぽっちも出来ない方なのだから。
もし、あの人の奥様になられる方とうまくやっていければ……
妙さんが言ってた。おまえが成長したら、わたしの役目を譲ろうと。彼女のように女中頭として、館の役に立ちながらも、おそばにいられる……
たとえ恭祐様に嫌われても……だって、妙さんの視線は、いつだってお館様に優しく注がれている。どんなに無茶なお言いつけでも、はいはいと子どもの我が儘を聞くように従ってる姿を見ていて、わたしには妙さんがお館様を思ってらっしゃるコトは痛いほど判った。隠してはおられるけれども。妙さんのようになりたくて、ずっと見てれば判る。
私もああなれたらって思うから。
だって、卒業してしまったらわたしは……それを考えるとすごく怖かった。
鬱々としてますね、すみません。暗すぎて自分でも前が見えなくなりますよ〜〜(涙)
はてさて、自分の運命に逆らえるのか?志乃〜〜〜
恭祐出てきませんね?(笑)