風花〜かざはな〜

学校に通い始めてわかったことがいくつかあった。
宮之原家はかなり手広く事業をしていて、奥様は華族の流れをくむ家柄であり、この辺りでは知らぬ者はないほどの名家だったこと。ぼっちゃまは成績も大層優秀で先生にも一目置かれていることなど……
入学当初は、わたしが宮之原縁の者だと思いこんで、皆伺いを立てるかのようにちやほやと接してきた。けれどもわたしが宮之原で下働きをしてると知ると、手のひらを返したように冷たくなった。最初、気を使ったぼっちゃまが車で送り迎えをしようとしてくれたからで、それを見た周りが勘違いしたらしい。初等部から制服だったので、わたしが下働きなどとは一目でわからなかったらしい。
けれどもそれを知った奥様は、わたしが車に一緒に乗ることを禁止させ、わたしは毎朝、山道を駆けていく為に、学校にも遅れがちになり、行き帰りの汗で一着しかなかった制服はすぐに汗くさくなり、マメに洗濯するとすぐさま生地が傷み色がはげてしまった。手を見れば荒れてるし、手持ちの文房具も少なかったのでそれで一目でわかるようになった。
だけどぼっちゃまのおかげで成績はいつも首席だったし、毎日駆けてきていたので走りも、運動神経もそれなりに鍛えられていたみたいだったので、それほど馬鹿にされたこともない。たまに、ぼっちゃまが教室まで様子を見に来てくださったり、その時にクラスの子達に『ゆき乃をよろしくね』などとおっしゃるものだから、いじめたくてうずうずしていた人たちも表だっては何も出来なかったようだった。
影ではそれなりにされたけれども……
だからわたしには友人らしい友人も居なかった。そりゃ、下働きしてるような子と仲良くしようなんて良家の子女は居ないもの。けれども寂しくはなかった。いつだってわたしにはぼっちゃまが……心からお仕えすることの出来るぼっちゃまがいらしたから……

5年生の終わり頃、ぼっちゃまにお茶をお運びに行ったとき、ぼっちゃまは新しい中等部の制服を身につけたところを見せてくださった。詰め襟のその姿はとても凛々しかった。同学年の方よりもずいぶんと身長のある恭祐様は、それだけで大人のように見えた。
「ねえ、ゆき乃、もうぼっちゃまはやめてくれないか?いつも言ってるだろう、名前でいいって……おまえがそう呼ぶと、級友どもがからかうんだ。なんだか学園にまで使用人が居るようでいやなんだよ。それに、おまえはずっとここで一緒に育った妹みたいなものだから……本当にそんな呼び方はやめてくれないか」
「でも……では学園の中だけでも恭祐様とお呼び致します」
「ダメだよ、普段から呼んでないと癖がつくだろう?様もいやなんだけれども、他の皆もそう呼ぶからしかたないか」
わたしが、ぼっちゃまと呼ぶのは、それで自分とぼっちゃまとの身分差を明確にしたかったからだ。他の方と同じようになんて、畏れおおくて呼べなかった。だからなかなか慣れなくて……
それに、妹だなんてとんでもない。わたしと恭祐様では住む世界が違う。
歳の近い者が居なかったこの館の中で過ごした時間の長かった分だけ、ともにこの屋根裏から空を眺めた回数分だけ心が近づいてしまっただけ。それが同じ屋根の下で育ったがために起こる擬似的な感情だからこそ、区別を付けるためにもぼっちゃまと呼び続けていたかった……
わたしは使用人で、恭祐様はいずれこのお館の主となられる方。
だから、勘違いしちゃいけない、恭祐様の優しさを……
わたしの持ってるこの感情は、お優しいご主人様に持つ忠誠心のようなものだと。



恭祐様が中等部に進まれたとたんに、一部の人たちから攻撃されるようになった。
今までは恭祐様に知られて問題を起こすのはまずいと裏でねちねちとしてきた人たち。一使用人のわたしがわたし立の学園に通うのも、そこで優秀な成績を納めてるのも気にくわないらしい。
物を隠されたり、用事を言いつけられたり。靴を隠されて、帰れなくなってしまい、必死で探して遅くに帰って、サボっていたのかと夕食を抜かれたこともある。そのうち慣れて、見つからないときは上履きで帰って、次の日探すようにしてした。靴も、靴箱に入れないようにしたらそれもなくなった。人間学習するモノなのだ。
「掃除、得意でしょう?あたくしたち、そんなことして手を荒らすとピアノのお稽古に差し支えますの。三原さん一人で出来るでしょ?」
そういって掃除当番はいつも一人で……
「あら、なあにそのお弁当?みずぼらしい……こんな豚のえさみたいなの食べなくても平気でしょう?」
そう言ってゴミ箱に捨てられたこともあった。それ以来人前では食べたことがない。朝の忙しい中、コック長のカメさんが詰めてくれたお弁当。おにぎりとか卵焼きだけど、これだって奥様に内緒で朝の忙しい中作ってくれてるのに……校舎の影に隠れてこっそり食べていた。
最近はお弁当も自分で作ることも増えてきた。料理など、少しずつ出来ることが増えてくると、色々習えて楽しかったりするけれども、お嬢様とかって、掃除はされてて当たり前、食べるものだって待ってれば出てくると思ってるようだった。平気で使えるものでも捨てるし、食べ物も、持ち物も粗末にする。もっともそれは成金と言われてる人たちで、元華族の家の皆さんは我関せずといった所……実際お金と権力を持ってる勢いのあるところには逆らわないようだった。
主に中心になって攻撃してくるのが折原家の娘の鈴音様。我が儘放題で、いつもとり巻きを従えている。どうやら、ぼっちゃま……恭祐様のことが好きらしく、何度か仕事の関係で館の方にも父君といらっしゃっては、恭祐様にべったりと側に寄られていた。その時にわたしを見つけて、ぼっちゃまが『ゆき乃と仲良くしてやってね』などと言われたものだから、それ以来目の敵にされてる。
それでもわたしは逆らうことなく、黙々と自分のすべきことをやるだけ。それがまた気にくわなかったようだった。
「なによ、たかだか使用人のくせに……お嬢様面してほんとに憎らしいわ!使用人なら、使用人らしく、はいつくばっていればいいのよっ!」
何を言われても、わたしは黙っていることしかできなかった。

ある日、とうとう体操服まで隠されてしまった。
誰かに借りようにも、誰も当てはないし、仕方なくわたしは制服のまま授業を受けた。
「今日はマット運動だぞ?いいのか、三原」
「構いません、なくなってしまったのですから……」
「しょうがない、今日だけだぞ、許可するのは……」
次はちゃんと着てこいと言われたけれども、使用人の分際で新しい体操服なんて言えなかった。
制服のまま堂々と授業を受けたのが気に入らなかったのか、返ってきた体操服はずたずたにされていた。これだからお金持ちは嫌なんだ……この体操服ですらお金を出さなきゃ買えないんだ。それを平気で無にしてしまえるなんて……
「三原さん、残念ね、せっかくの体操服がぼろぼろなんて、ねえ?」
「仕方ありません、持って返ってこれをお館様にお見せするしかありません。良家の子女様がされることではありませんが、このように物を粗末にするような教えがこの学園でされてるとお知りになればなんとおっしゃるかはわかりませんが」
怒る気にもなれないけれども、黙って返してくれれば言わなかったことを、口にしなければならなかった。使用人ではあるけれども、わたしは宮之原の名前を汚すわけにはいかなかったから……
「ふ、ふん、ご自分でされたんではありませんの?そうすれば新しい物が買ってもらえますものねっ!」
「……わたしは着た物を自分で洗ったり繕ったりしますの。自分の物は比較的大事にしてますわ。新しい物が買ってもらえるかどうかもわからないのに、そのようなことするわけがありませんでしょう?鈴音様」
相手はぐうと言葉を飲み込んだ。彼女はわたしをいじめることに喜びを感じているらしい。けれどもその本音はどうやら恭祐様らしい。わたしがぼっちゃまに構われるのが気に入らなかったらしいのだ。

けれど実際にそれをお館様や恭祐様には見せたりはしなかった。
「でもどうしよう……」
「どうしたの、ゆきちゃん?」
「貴恵さん、やられちゃったんだけど……どうしよう?」
ぼろぼろになった体操服を取りあえず元の形に継ぎ合わせては見たけれども……
「あら、でもその体操服もう小さいんじゃないの?」
わたしはこの一年でずいぶんと背も伸びて、胸もふくらんできたので余計に窮屈そうだったのだ。
「そうだわ、恭祐ぼっちゃまのお古があるじゃないの?あれをいただけないかどうか妙さんに聞いてきたらどうかしら?」
「そう、ですね……」
出来れば恭祐様の着てらっしゃった物などは身には付けたくなかった。お古とかそう言うんじゃなくて、恭祐様が召されていたお洋服には、やはりいくら洗濯しても恭祐様の匂いがしている気がして恥ずかしかった。
何度か……洗濯前の恭祐様のシャツを胸に抱いたことがある。屋根裏に並んで座ることは恭祐様が中等部に上がられてからほとんど無いけれど、側にいらっしゃる時の温もりや、香りをわたしは覚えている。それを身につけるなんてわたしには出来ないと思っていた。けれども妙さんから渡されたソレは、間違いなく恭祐様の物で……
(よかった、これって、男子の物だから、全部は着れないんだ。)
女子の履くブルマーがあるわけでなく、トランクスタイプのその短パンは自分にははけない。ならば長袖長ズボンだけお借りすればいいのだと考えた。

「ゆき乃、いいかな?」
「え?あ、はい……」
鍵などあるはずもない屋根裏部屋に律儀にノックしてわたしが開けるまで待ってくださるのは恭祐様だけだ。けれども最近はお訪ねになることも少ない。奥様の目も益々厳しいし。今夜は奥様はお出かけだった思い出す。
「あの、恭祐様、何か?」
ドアを開けて用件だけ聞こうと思った。
最近は判らない問題の時は、夜お紅茶をお部屋にお運びするときに紙に書いて渡していると、翌朝までに部屋のドアに答えが挟まっていたり、誰もいなければその場で教えて貰ったり。この間もこれはおもしろかったよと言って、数冊本をお借りした。もう屋根の上に二人で出たのは随分前のような気がする。
「ゆき乃、悪いんだけれども部屋に入れてくれないか?少し聞きたいことがあるんだ」
わたしは、恭祐様のおっしゃることに逆らえない。部屋の中にお通しすると疲れた様子でわたしのベッドに腰掛けられた。
「悪かったね、休むところだったんだろう?」
「いえ、まだ……」
恭祐様は机の上の体操服を手に取られた。無惨に引き裂かれてそれを繕った方の物を。
「ひどいことをする……誰にやられたんだい?」
妙さんから聞いたんだろうなと思った。
「さあ、判りません。気がついたらそうなっておりました」
折原家のお嬢様のなされたことを告げる気にもならずわたしはそうとだ答えた。
「なぜ言わない?ゆき乃はココまでされて悔しくないのかい?」
恭祐様の怒ったような口調はわたしのために怒ってくださってる証拠で、それは嬉しかったけど、彼女の名前を口には出せない。使用人の間で噂になっている。今はまだ幼いけれども、いずれ、折原のお嬢様が恭祐様と婚約するのではないかと。実際親同士ではそんな話しが出来ているのかもしれない。
そんな彼女の名前を出すわけにも行かなかった。
「……それは……物を粗末になさることは口惜しいですが、わたしのような下働きのものが同じ教室にいることも腹立たしいのでしょう。しかたありません」
わたしの諦めたような口調恭祐様が眉をしかめられる。正義感が強くって、お優しい恭祐様はわたしの立場なんて、判っているようで判ってらっしゃらない。
「今度何かされたら、ちゃんと言うんだよ」
誰にやられたか、決して言わないわたしに、ふうとため息をつかれると、諦めたようにそう言い残して屋根裏部屋を出て行かれた。
いつものように屋根の上に出て夜空を一緒に見ることもなく……

そのあと、仕方なく着ていった大きなサイズの体操服のネームを見て、鈴音様が悔しそうな顔をなされたのが、一番の証拠だったけれども、彼女ももう何も言わなかった。

       

ゆき乃、まだ6年生です。う〜〜ん、先が長い…
3話目です。そろそろ中等部にでも行って貰わないと、出てくるネタは、高等部のネタばかりで、さすが18禁です(笑)今はまだ全然ですけれども…
そのために3回ほど書き直しました。3話以降…頑張ります〜