風花〜かざはな〜

16


試験を終えた恭祐様は2日後、館に戻ってこられた。
わたしは試験中なのをいいことに、恭祐様の前に顔を出さなかった。
いつまでも避けているのは不自然だったかも知れない。
だけど辛かったから……
遠目に、恭祐様がわたしを見つめる目に、あの時と同じ情熱がともるのを何度も見た。
ダメなのに……あの夜のことは、もう忘れなきゃいけないのに。
あの手紙で恭祐様が納得してくれそうにないのは判っていた。試験のために、嘘の言葉で恭祐様を励ましたとおもってもらっても構わないのに……
恭祐様の目は真剣だった。あんな目で見つめられたら……それだけで身体が熱くなる。経験もないのに、勝手に身体が恭祐様を求めはじめてしまう。
イケナイに決まっている。血が繋がっている事実をいい加減受け入れなければイケナイのに……近親だと判っていて、その思いに身を焦がすなんて……
わたしって最低だ……判っていて、思いを止められないなんて。
次に求められたら、拒みきる自信がない。きっと全部告げてしまう。
そうしたらもう最後。恭祐様にまでこの苦しみを味合わせてしまうことになってしまう……恭祐様が他の方を思ってらっしゃったなら、このまま、わたしだけが思いを秘めていればよかったのに……
なのに
信じられなかった、恭祐様の、気持ち。ううん、嬉しかった。
だけど、決着は付けなければいけない。
どんな結果が待っていても、あの一線だけは越えてはならないのだから……


「ゆき乃、お茶を頼むよ。昨日みたいに、他のものに来させたりしないで。いいね、これは……命令だから」
断れない口調の強さでそう命じられた。
試験が終わった次の日は疲れを理由にお茶の役を他のメイドにまわしてしまった。他のメイドなら喜んで恭祐様の部屋へ向かう。それを嫌ってらっしゃると知っていて、そうしてしまった。
今日はもうダメ……命令されれば、使用人であるわたしには断れない。

「お茶を、お持ちしました」
少し遅くなったけれども、用事を全部すませてから恭祐様の部屋へ向かった。
今夜はお館様も既にお帰りになられて、部屋に入っておられる。チヅさんが呼ばれていそいそとお部屋に向かわれたのを確認してから、この部屋に来たのだ。
お館様に、知られたくなかった。恭祐様の気持ちを……わたしの気持ちも。
「ゆき乃、ずっと聞きたかったんだ。こっちへおいで」
お茶をいれて、テーブルに置いた途端ソファに座らされた。
「この手紙の意味なんだけれども、ゆき乃、本気なの?」
「はい……」
俯きがちなわたしをのぞき込むようにして、真剣な目で恭祐様は詰め寄ってくる。
「僕は言ったよね、本気だって。なのに、なぜ?妹だって?兄としてだって?そんな想いじゃないと僕は言ったはずだ!」
「…………」
わたしは答えられない。答えてしまえば、すべてを告げてしまうから……
「使用人とか、身分とか、そんなものに関係なく、ゆき乃が好きだと、幸せにするからと言っただろう?ゆき乃も応えてくれたはずだ。なのにこれからもずっと使用人として仕えるというのか?ゆき乃も僕のことが好きだと言ったじゃないか?!」
「わ、わたしは……恭祐様を兄のようにお慕いしています」
「僕はっ……ゆき乃を妹だなんて思っていない!!」
恭祐様はわたしの肩を強く掴んで揺すぶる。その手の力に、わたしへの苛立ちが伝わってくる。
そう、あの時とあまりにも違うわたしの態度に……
「錯覚ですわ、ずっと幼い頃から側にいたから。いつも側にいて、いつも恭祐様のコトを考えてきました。わたしは恭祐様の忠実な使用人ですから……その『好き』を、恭祐様は勘違いされているだけです。わたしはいつでも恭祐様にお仕えします」
わたしは、出来る限り落ち着いた素振りで静かにそう言った。
「確かに、僕にとってのゆき乃は、ずっと、可愛い妹のような存在だった。いつだって僕の側にいて、いつだって微笑んでくれて、いつも一生懸命で、人の為にばかり働いて……僕が守ってやらなければいけないと、幼い頃からずっとそう思ってきた。そんなゆき乃は、ずっと僕の側にいる存在だと思っていた。いつだって僕を見て、僕のことを考えてくれるおまえがいる……だからこそ、こんな温もりのかけらもない館で、笑っていい子の役をやってこれたんだ!」
恭祐様の腕が、わたしをキツく抱きしめる。わたしは動けずに、ただひたすら泣きそうになる感情を押し殺しながら、冷静を装った声で、ゆっくりと話すだけ。
「わたしも……恭祐様がいらっしゃったから、どんなに辛くても、笑っていることが出来ました」
恭祐様の右手がわたしの頬にそっと触れた。
「だけど……藤沢力也が現れた。その時に気がついたんだ。僕がゆき乃をどう思っていたかってことを……誰にも触れさせたくない、渡したくないって……なのに、おまえは会って間もないあいつを信用しただろう?それが怖かった。そのまま、ゆき乃を奪われるかと思った。おまえ達が想いを通じ合わせたら……そう考えただけでも気が狂いそうだったよ。奴はおまえに惹かれて、おまえを手に入れようと僕に真っ向から向かってきたからね。わずか1年の間にあいつは変わったよ、それも全部、ゆき乃、オマエを手に入れるために……手にれるに価する人間になろうと、成長していった。分が悪いと思ったよ。あいつは年も同じで、これから何年もおまえの隣に居ることが出来るし、居ようとするだろう。僕は、上京してしまえばゆき乃から離れてしまう。その1年の間に奪われてしまわないか、考えるだけで、僕は耐えられなかった。僕の側からゆき乃がいなくなるなんて考えられないんだ。だから、ゆき乃が奴を信用して、心を許していくのが怖かった。あいつにゆき乃を奪われる前に……そんなコトばかり考えている自分がいた。早く僕のものにして、どこにも行けないようにしてしまいたいと、そんなことばかり考える自分が嫌になったよ。だけど、僕がそんな態度に出れば、館でも、学園でもゆき乃が辛い思いをするのが判っていたから。ちゃんとゆき乃を守れるようになるまでは押さえていくつもりだった」
わたしは酔うような気分でその言葉を聞いていた。恭祐様の思いが、触れている部分からドンドンわたしに入り込んでくる。
嬉しい……でも、だからといって、どうにもならない思いは思考を止めてしまう。痺れて動かない思考、身体……表情。
「なのに、そう、自制の効くものでもなかったんだな……あの時、つい周りに目がいかず、藤沢にゆき乃を奪われまいと、僕は煽ってしまった。結果……ゆき乃を危険な目に遭わせてしまったから……」
恭祐様の拳が揺れる。わたしはびくりと我に返った。
「あ、あれは、恭祐様が悪いんじゃありません。わたしも、上手く対処できなかったんですから……」
「いや、そうじゃない……たとえそうであっても、僕は……ゆき乃を守れなかった。おまえを救ったのは藤沢力也だっただろう?悔しかったよ……暗闇ですぐに判らなかったけれども、帰ってきたゆき乃を見て驚いた。おまえがどれほどの目にあったか、いかに危ないところを藤沢に助けられたか……おまえが、奴の所に行こうとしたのも、そんな自分を僕に見せたくなかったからだよね?あの瞬間、僕は藤沢にゆき乃を持って行かれたと思った。だけども、僕は……どんなにゆき乃が嫌がっても、藤沢の所には行かせたくなかった。僕がゆき乃を呼んで、来てくれなかったらどうしようかと思ったけれども、伸ばした手に、おまえは僕の胸に飛び込んできてくれた。昔、辛いことがあったときのように、泣きじゃくって、震えているゆき乃を抱きしめて、アレが、あんなことの後じゃなかったら、あのまま抱いてしまおうかと思ったほどだ。あの夜も……パジャマの上からでなくどれほど直接触れたかったか……どれほど、自分の欲望を抑えていたか……襲われたばかりのおまえを怖がらせたくなくて、どれほどの激情を押さえて側にいたか……わかるか?」
「恭、祐様……」
わたしを抱きしめる手が動き始める。わたしを欲しいと、背中を、首筋を、ゆっくりと動いていく。
「東京で……熱にうなされながら、ゆき乃を待っていた。側にいて欲しいのはゆき乃だけだった。母でもない、妙でもない、ゆき乃だけだ。夢うつつでおまえがきたと判ってどんなに嬉しかったか……寒がる僕を、おまえはその素肌で温めてくれた。暖かかったんだ、ゆき乃……おまえの身体も、その存在も。だから……僕はもう押さえないって決めた。卒業式が終わったら、上京するし、1年間ゆき乃は藤沢と同じ時間を過ごすだろう?その前に……抱きたかった。おまけに、目が覚めたばかりの僕にゆき乃の綺麗な胸は目の毒だったから……熱が下がったばかりなのに、襲いかかるところだったんだよ?ゆき乃はあんな目に遭ってるし、初めてで怖いだろうから、無理せず、ゆっくりと慣らしていこうと思った。僕に触れられることにも、抱きしめられることにも、キスされることにも慣らしてしまおうと……そのすべての行為を当たり前にしてしまいたかった。ただ……無理矢理にだけはしたくなかったんだ。それをすれば僕は父とかわらない男になってしまうから」
無理矢理でも、平気で女性を自分のものにしてしまうお館様。恭祐様が、そんな父親を嫌っているのはよく知っている。だけども、それ以上に実業家としては、恐ろしいほど切れる方だと認めていらっしゃることも知っている。いつか、その父親を超えたいと、幼い頃から努力なさっていることも……全部、側で見てきたから。
「だけど、ゆき乃も同じ気持ちで居てくれるなら……いつでも僕のものに出来るって思っていたよ。ああやって、上京してきてくれたら、帰るまで離さないし、館に帰ってきても、遠慮するつもりはなかったからね。約束はしたけれども、ゆき乃をその気にさせて、全部貰ってしまうつもりだった。少しぐらい嫌がっても、もう遠慮するつもりはなかった。なのにあの気抜けするような手紙だ……一瞬目を疑ったよ。ゆき乃の気持ちは、僕が一番よくわかってるはずなのに、あんな、手紙……」
「あの通りです。わたしは恭祐様を兄のように……」
「兄なんかじゃない!!僕はゆき乃を愛してる。誰よりも大切な存在だ。誰よりも……」
「わたしは兄として恭祐様を……んっ!!」
目に怒りを溜めた恭祐様が、強い力でわたしの身体をソファに押しつけて唇をふさぎ、逃げれなくしてしまった。
「んっ、んんっ!!」
わたしは必死で恭祐様から離れようと、手を振りかざしてはもがき、暴れたけれども、男の力に敵うはずもなく、そのうち腕を固定していた手がわたしの顎を捕らえ、食いしばって閉じていた唇を無理矢理押し開いた。入り込んできた恭祐様の舌に口内を犯される。
ダメ……ダメ……ダメ……
こんなキス……ダメ!!
舌先が上あごや歯列を掠め、わたしの舌先を捕らえると絡め取り、吸い付き、思う存分蹂躙していた。腰から力が抜けていくのが判る。身体の奥までもが熱くなっていく。
だめ……力が抜けていく……
自然と涙が溢れて、わたしは嗚咽を漏らしていた。
「ううっ……ふぐっ……うぇ……えっ……」
恭祐様は、しゃくり上げて泣き始めたわたしに気がついて、ようやくその唇を解き放つ。
わたしの身体を起こし、ゆっくり抱きしめなおすと、その手がわたしの背中を優しくさすった。
「ごめん……ゆき乃、ごめん。そんなに僕がイヤなのか……?」
わたしは首を振る。
「それとも身分が違うとか、そんなコト考えてる?」
それだけならどれほどよかったか……
「じゃあ、なぜ??」
わたしには言えない。
「言えないなら、このままゆき乃を僕のものにしてしまうよ?身分だとかそんなものに捕らわれていられないほど愛してあげる。何もかも判らなくなるほど……」
「あ……だめ..」
再びソファに押し倒され、エプロンが緩められる……ファスナーが降ろされ、下着が露わになっていく。あまりの手早さに一瞬驚いてしまったけれども、このままではいけないのだ。
「ダ、ダメです、恭祐様……」
「もう、いくらダメだって言ってもやめないから……ゆき乃……」
胸に口づけられながら、恭祐様の手は性急にわたしを求めだす。スカートの下、下着に手がかかる。
「本当にやめてください、ダメなんです……わたしは……わたし達は……」
「やめられないんだ、ゆき乃が欲しい」
わたしは身体を捩るけれどもソファに固定された身体は動けない…….
「あっ……」
くちゅりと、あの日、あの男達に触れられた部分に恭祐様の指が滑り込む。あの時と違って、熱い泥濘が生まれていることに気がついた。
「ゆき乃……愛しているんだ、おまえが欲しい……」
「ダメです、わたし達はこんなことしてはイケナイ……」
「なぜ?こんなにも好きあってるのに?ゆき乃だって、ここ..こんなに僕を求めてる。違うのかい?」
「わたし達はダメなんです……」
「なにを言ってるんだ?」
「わたし達は……愛し合ってはいけないんです!!」
ぽろぽろとこぼれる涙。嗚咽が止まらなくなる。
そんなわたしを見て、恭祐様の指が一瞬止まる。わたしは身体を捩って恭祐様の腕から逃れて距離をおいた。
「わたし達は……血が繋がっているかもしれない……だから、ダメなんです!!」
「……ま、まさか?何を、冗談……」
さすがに恭祐様の動きが止まった。
言ってしまった……
真実を……言わずにいたかった真実を……
けれども、大きな過ちを犯してしまう前に、止めなければならなかった。
「本当なんです……わたしたちは……血が繋がっているかも知れないんです」
「嘘だ……」
「だって……お館様が、今までわたしにお手をつけられなかったのが、なによりの証拠……」
震えるわたしから身体を起こし、表情を失ったまま、わたしを見下ろす恭祐様がいた。



「嘘だろう?ゆき乃……」
真っ青な顔をした恭祐様の表情は、凍り付いたまま張り付いて、感情のすべてを失ったような声を絞り出した。
さっきまでの艶っぽさも、自信たっぷりな優しい微笑みも、すべて消え失せたまま……
「わたしの、父親が誰かなんて、知らなかった。知りたくもなかった……だけど、お館様は、母を……抱いたと……わたしが、ご自分の子だと…….」
「そんな、だからといってゆき乃が自分の娘とは限らないじゃないかっ!父には山ほど女がいる。だが、未だに僕に異母兄弟が居るとも聞いたことはないぞ?!」
「奥様に見つかって、しばらく通わない間にわたしが生まれ、母が亡くなったと……計算が合うと……お館様は確信されてるようでした」
「そんな……ゆき乃が……父の子……僕の異母妹……」
「そうでなければ……お館様は、あ、わたしを……もう、とっくに、手に入れていると……母によく似たわたしを……」
「嘘だ……そんな……」
「だから、ゆき乃は……恭祐様を、兄のようにしか愛せないのです……」
「そんなっ、無理だ!今更ゆき乃を妹のように思えだなんて……そんなの無理だ!」
「でも、恭祐様……」
「ゆき乃への自分の気持ちに気付いてしまった。ゆき乃が欲しくて、欲しくて……その気持ちを必死で押さえてきた。そして……知ってしまったんだ。ゆき乃の唇の甘さ……胸元からのぞく肌の白さも、胸の柔らかさも、ゆき乃の中の熱い泥濘も……僕は、もう、何度も、何度も夢の中でゆき乃を抱いている。何度も僕は……想像の中でゆき乃を汚して、ゆき乃を……っくそっおおおおおっ!!!!!!」
恭祐様が狂ったようにテーブルの上をなぎ払い、突っ伏した。その上にあったティーカップが床に落ちて、派手な音を立てて割れた。
「嘘だと言ってくれ……僕は、ゆき乃を……女性として愛してるんだ……なのに今更どうやって?どうやって思い直せと言うんだ???」
「お許し下さい…….ゆき乃は……ゆき乃もずっと、ずっと……言わずにいたかった。思うだけでも許されたかった」
「ゆき乃?」
「1年前にそう告げられてから、辛かった。わたしにとって恭祐様はすべてでした。恭祐様に一生お仕えして、妙さんのようにこの館をお守りしていければいいと……いずれ迎えられる恭祐様の奥様にも、お邪魔にならないよう、影ながらお仕えできればそれでよかったんです。想いを口にするのもおこがましいほど、なにもの望まなかったのに……お側にいられるだけでよかったのに……血の繋がりなんて……そんなもの欲しくなかった。想っていられればそれでよかったのに……なのに、お館様は……」
わたしは幼い頃から何も望んでいなかった。ただ、お優しい恭祐様の側に仕えられたら、それだけでよかった。一番欲しくなかったもの……思うことすら許されない血の絆なんて……
「ゆき乃?まさか……父上がおまえになにか言ったのか?」
「………….」
「あの男なら考えつきそうなことだ。自分が手の出せなくても、娘だったら……自分が思うように使おうとするはずだ。女性を、性処理の道具としか思っていないような男だからな……」
恭祐様にでも、容易に想像はつくのだろう。あのお館様が、わたしにこれほどの教育を施す理由は……政略結婚か、それとも……
「わたしは、ずっとこの館に居られれば……恭祐様のおそばに居られればよかっただけなのに……せめて卒業するまでの間、想うことだけでも許されたかった……だから、心だけは、恭祐様のモノです。たとえこの身体がどうなっても……この館に居られなくなっても……」
「そんな……嫌だ、ゆき乃が誰かのモノになるなんて……考えられない……たとえ、血のつながりがあっても……だめだ……」
恭祐様の腕がわたしの肩を強く掴んだ。ゆがめられた表情は何かを押さえ込もうと必死だったに違いない。
「くっ……」
わたしを振り離すと、くるりと背を向けた。その肩が震えている……
「恭祐……様……?」
「独りにしてくれ……」
絞り出されたその声の暗さに、わたしは驚いた。今まで聞いたことの無いような、声。
わたしは乱れた服装を直して、急いで部屋へと戻り、そのまま声を殺して朝まで泣き続けた。

      

とうとう、言ってしまいました。
二人の運命はどう転がっていくのか?