風花〜かざはな〜

12

「あっ……」
恭祐様の指が背中をなぞっていく。
「さっきより腫れてきたよ」
そういって、濡れたタオルを背中に置いてくださった。
「どう?」
「はい、きもちいいです……」
ふかふかのクッションに埋まり、わたしはうつぶせの恰好で背中を冷やされていた。
「他に辛いところは……ない?」
「…………」
あってもそれは言えなかった。その場所は本来なら許した相手にしか触れられたくない場所だったから……
だめ、思い出しちゃ……
とっさに何かがこみ上げてくる。思い出しちゃダメ、思い出しちゃ……気が狂いそうになるから、忘れなきゃ、何されたかなんて……
思い出すだけでその部分をこそげ落としたいほどの嫌悪感につつまれてくる。
背中が震えたのが恭祐様にも判ってしまったかもしれない……
「ゆき乃?」
「…….ぅく……ゃぁ……」
わたしは自分の身体を抱きしめて震えた。丸めた身体から濡れたタオルがずり落ちる。恭祐様が拾い上げてサイドボードに置くと、ぎしり、背中を向けた側のベットの端に座られたのがわかる。
「なぜ我慢するの?ゆき乃はいつもそうだ。何でも我慢して……泣かないんだ。泣けば、少しでも楽になれるのに……泣かずに全部自分の中にため込んでしまう。許せないのはあいつらで、ゆき乃の身体じゃない」
でもわたしは自分の身体が許せない……触れられた感触の残るこのからだが許せない!
「馬鹿だな、ゆき乃はこんなにも綺麗なのに……全然汚れちゃいない。ほら、ゆき乃の瞳が綺麗だって、証明してるよ?」
恭祐様の指がわたしの目からこぼれ落ちる涙をすくう。
「ゆき乃、おいで……」
恭祐様の手が触れて、わたしを引き起こそうとする。

今だけ……いいですか?
今だけ甘えてもいいですか?ぼっちゃまだから、甘えてはイケナイと判っていながら、幼い頃から、辛いときに差し伸べてくださった手に縋ったように、泣いてるところを見つけられて、黙って頭を撫でてくださったように……あの頃のように、その腕に、胸に縋ってもいいですか?
たとえ血が繋がっていたとしても……その手で慰められてもいいですか?今のわたしには必要な優しさ、温もりだから……

その胸に納められて、ふれあった部分が暖かくって、まるで溶けるような気がした。
「でも……消えない……あのいやな感触が消えない……」
「っ……ゆき乃、こんな思いをさせられても、おまえは……あいつらを放っておくのか?」
「我慢すればいいんです……でも、でもっ、今夜だけは……消えなくて……辛い……」
酷くされた部分が傷になって疼く。汚らわしくて、擦った分だけ傷になっている。その傷の痛みは、身体を休めようとすればするほど蘇ってくる。
もし、ここがいつもの屋根裏部屋なら……わたしは狂ったように自分の身体を傷つけていただろう。そして、泣き叫ぶことも出来ずに枕に顔を押しつけて一晩中声を殺して泣いていただろう。
だけど、ここには恭祐様が居る。昔のように側にいて、怖がるわたしを抱きしめてくれるその腕がある。
なのに、直接与えられた傷は消えてはくれない……
「辛いなら……僕が消毒してあげるよ」


それがどういう意味なのか、一瞬判らなかった。
けれどもわたしを抱き留める手が背中を降りていったときに気がついた。
それは……だめ!!
「他にはなにもしない……おまじないだよ?昔よくしただろう、怪我した所に……」
「ダメです……そんな……」
『痛いの痛いの遠いお山に飛んでいけ』そう言うおまじないを、わたしは幼いころ恭祐様にお教えしたことがあった。だけど恭祐様は『それはかっこわるいよ』といって、怪我をした部分を手で包み『早く治りますように……』そう唱えながらキスをしてくださった。そんな幼い日のおまじない……
「早く治りますように……」
そう言ってひっかき傷を残した額にキスをした。
「恭祐さまっ!」
「ここも……」
そして、殴られて紫色になった口の端……
「イケナイ……」
わたしたちは……その続きが言葉に出来ない。今は……
わたしをそっとベッドに横たわらせられると、何度も何度も優しく髪を梳かれ、わたしは昔に戻っていく。
優しく抱きしめられたあと、耳元に小さく聴かれる。
「どこをされたの?ここには?」
首筋を指されて頷く。
「ここは?」
胸の近くに降りてきた唇がなぞる輪郭……
わたしは何度も頷く。
パジャマの布地の上から優しいキスが順に降りてくるのを感じた。
胸、下着を着けていないその先は敏感に尖り、受けた傷と、自分で付けた傷がわずかに疼く。そこに、布きれ一枚を隔てて恭祐様の唇の暖かさを感じる。
「あ……」
暖かい、恭祐様の唇は……わたしを溶かすのには十分だった。溶けて、もう一度少しでも以前のわたしに近い形に再結晶させてくれる。不思議なおまじないのキス……
なぜだろう?こんなにも、身体が喜ぶのは……
これで癒されるのなら、男女がやるようなことなら、いっそ力也くんにでも頼んだ方がよかったかも知れない。カレなら……もし、わたしが望めば、きっと何も考える隙間の無いほど激しくわたしを慰めてくれただろう。
だけど、こんなにも安心できただろうか?身体が受け入れただろうか?
血のつながり……最大限のタブーに今は目を瞑る。
これが罪なら自分一人で受け入れればいい。一生、恭祐様に知られなければ、この方が思い悩むことはない。
こんな、ただのまじないの行為で……
恭祐様は手では全く触れずに、全身くまなく消毒しようとしてくれていた。それが布地の上からなのが幸いした。あいつらが触れたこの汚れた身体に恭祐様を触れさせるわけにはいかない。目を閉じて、触れられた部分が熱くなる。それを気づかれないように、わたしは身体の力を抜こうと、必死で息を整える。
「ここも……触られた?」
視界に入らないほど下に降りた恭祐様が小さな声で聞く。
布地を通しかかる吐息が暖かく、その部分がどこかは特定できた。脚の付け根の部分……あいつらに、開かれ、触れられることを許してしまった部分。
閉じた脚の上からそこにキスされる。
「もっと奥も?」
自然と開かれていく脚……膝から順に脚の付け根へとゆっくりと動いていく暖かさ。
最後に行き着いた布越しの部分に、再び吐息の熱さを感じた。
優しいキス
「はぁ……っ」
触れるだけ、きっと恭祐様が心から願ってくださっている。綺麗になるように、わたしが苦しまないように……
パジャマと2枚越しでよかった……

だって、一瞬じわりと奥が濡れたような気がしたから……



     
血の繋がってるかも知れない恭祐様にこんな気持ちを抱くなら、いっそのこと、あのまま汚れてしまった方がよかったのかも知れない……
自分がこんなにも醜悪な気持ちを持っていたなんて。
わたしは自分が信じられなかった。心と体がこれほど裏腹に反応していくものなのか?
口に出して『わたし達は兄妹かもしれない』とそう言えばすむのに、言えない自分が居る。
それがすべてだった。
わたしは……兄かもしれない男に、パジャマの上からキスされて感じてしまう、そんな女、なのだ……
ずっと黙っていればそれで済むかもしれない……わたしだけなのだから……
恭祐様がわたしに対してそんな思いを持たれるはずがない。なのにわたし一人で反応してしまって……

恥ずかしい。

だけど……コレで綺麗になれるかも知れない。だってもうあの嫌な感触は感触は残っていない。あるのは優しい温もりと、疼きだけ……
この禁断の甘い疼きに支配されている限り……きっとわたしに怖い物はない。
いつか、他の男に支配される日が来ても、わたしはきっと耐えられる。
今日という日を覚えていれば……
そして、わたしにふさわしい行為を望んで受け入れよう。
わたしが、『兄かもしれない男性を欲しがる最低の女』ならば、それなりに生きていけばいいのだ。そう思えばどれほど気が楽か。
もう、全部忘れよう……恭祐様の優しさだけ覚えていよう。
全身のキスを終えて身体を起こし、わたしの隣に潜り込み、わたしを抱き寄せた恭祐様にもう一度強く縋る。
温かい胸に収められて、聞こえるのは恭祐様の脈打つ音。急に縋ったのに驚かれたのか、少し鼓動が早い。
でも、安心する、あの嵐の夜のように……
恭祐様もわたしを抱きしめながら、何度も背中や肩を優しくさすってくれた。
その優しさに、安堵を覚え、わたしはいつしか眠りに落ちていった。



「おはよう、よく眠れた?」
「あ、はい……」
柔らかな朝の日差しの中、ぼーっとしたわたしをのぞき込む恭祐様の笑顔。心なしか翳って見えるのは逆光のせい?
「あの、もしかして、恭祐様、ずっと起きてらっしゃったんですか?」
「うん、だってゆき乃、やっぱり背中痛そうだったでしょ?それに、僕のシャツを握りしめて離してくれなかったから、ずっとこの体勢で、時々背中を冷やしてた」
そう言えば夜中に何度か、ひんやりとした気持ちよさがあったような……わたしは急いで握っていたシャツを離した。ほとんど無意識の動作だったみたいで……
「す、すみません!!恭祐様にそこまでしていただくなんて……」
「なんで?そのためにここに連れてきたのに?」
にっこりと微笑むその姿はいつもの恭祐様だった。
「あの、でも、早く部屋に戻らないと……また妙さんに叱られます……」
「ああ、昔は酷く怒られたっけね?でも今日はまだ母も父も帰ってこないし、ここでゆっくりすればいい」
「でも……いつまでもベッドに居るのは……」
「じゃあ、ソファに行くかい?食事を持ってくるよ」
そう言うと、恭祐様はまたわたしを抱き上げた。
「きゃっ、な、なにを……」
すこし華奢に見える彼からは想像できないほどの力強さで、わたしは横抱きにされてソファまで移動する。
「食事の間だけだよ?そのあとはベッドで、今日は一日安静にしておいで、いいね」
「あのっ…….」
優しく髪を撫でられたあと、離れようとする恭祐様を思わず呼び止めてしまった。
一晩で慣れてしまったんだろうか?側にいる恭祐様の温もりに……
離れた瞬間寂しいと思ってしまった自分が怖かった。そんなわたしを見て、ふっと柔らかく微笑むと、『フルーツぐらいなら食べられるだろう』と部屋を出て朝食を取りに出て行かれた。
わたしは、まるでいつもと違う自分の居場所には慣れずに、、昨晩優しくキスされた身体を愛おしく抱きしめて待っていた。


その日は一日、二人とも学校を休み恭祐様の部屋で過ごした。
食事もすべて部屋に運んで貰い、恭祐様と一緒に食べた。
午後は、わたしがまどろむ中、開け放した窓から入り込む風を感じながら、恭祐様は窓辺で読みたかった本だといって読書をはじめた。さらさらの前髪が風に揺れる。頬に添えられた手に身体を傾けて、いつも学園の中で見る『生徒会長』としてのきりっと作った恭祐様でなく、少し気の抜けた表情。わたししか知らない、無防備な表情。
優しい時間が穏やかに流れる。今日一日が、昨日の苦痛の代償だとしたら、辛くはないと思える。
「ん?どうした?」
「いいえ、何も……」
わたしは微笑みを返す。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに……


「おいっ、どうなんだよ!」
わたしがうとうとしかけたとき、いきなりドアの外から大きな声が聞こえた。
「すみません、お止めしたんですが、この方、きいてくださらなくて……」
メイドが止めるのもきかずに部屋のドアを乱暴に開けて飛び込んできたのは藤沢力也だった。
「力也くん、なんで……」
「なんでって、心配だったからに決まってるだろっ!二人揃って学校にも来ないしよぉ……」
「それで押しかけてきたというわけか?全く君というヤツは真っ直ぐというか、強引と言うか……」
恭祐様は呆れて本を閉じた。メイドにお茶を頼むと座っていた椅子を力也くんに譲り、自分はベッドの端に移ってきた。
「性分なんだ、しょうがないだろう?で、あいつらちょっと脅しといたけど……」
「そう」
「折原は、来てなかったぞ」
「そうですか」
「あんた……何やったんだ?」
「何を、ですか?」
「しらばっくれやがって……あいつらも既に何も言い返さなかったぞ??黙って殴られやがった」
「よかったじゃないですか」
「ったく……しれっとした顔しやがって、抜かりのない生徒会長様だぜ」
どういうこと?恭祐様……
「大丈夫、なにも制裁は加えてませんよ。ただ、口外すると、ただではすまないと、釘を刺しただけです」
「恭祐様、約束が……」
「ゆき乃は許せても、僕は許せない。許すつもりもない……」
恭佑様から静かな怒りを感じた。
それは力也くんも同じだったのだろう。押し黙ると、運ばれてきたお茶に手も付けず、甲斐甲斐しくわたしの世話を焼く恭祐様を不思議そうに見ていた。彼は背中が痛んで動きにくそうなわたしを支えてティーカップを渡してくれていたから。
「あんたってさ……もっと、金持ちらしく威張ってるのかと思ってた」
ん?と振り返り恭祐様はくすっと笑うと、わたしの手から空になったカップを受け取ってテーブルに置いた。
「僕が7つの時にここにゆき乃が来たんだ。来たばかりのゆき乃は可愛くてね、今にも消えてしまいそうなほど儚げだった」
恭祐様の手がわたしの頬と、髪にそっと触れる。
「遠縁の娘だときいているのに、翌日から小さい手でせっせと働いてるのを見てるとね、守ってやりたくて……この子は一言も僕には泣き言を言わなかった。辛いとも、嫌だとも……そんなに頑張ってる子がずっと身近に居るのに、どうやって威張ることができるんだい?」
恭祐様の手がわたしの手に重ねられた。誰かの目の前でそんなことされたのは初めてだった……
「それにいつだって、ゆき乃は僕の側に居てくれた。それだけで十分だったんだ……僕を見つけると微笑んでくれる。いつも僕のことを気にかけてくれる人がいる、その存在がどれほど大きいか……君にも判るだろう?」
「なんだよ、そう言うことかよ……」
そう言うことって??
「わかった……邪魔したな、帰るよ」
「君には感謝している。ゆき乃を救ってくれてありがとう……」
「昨夜、俺が連れて帰っても、ゆき乃はそんなに穏やかな表情は出来なかっただろうな……悔しいけど、あんたのおかげなんだよな?」
それには答えず、恭祐様は穏やかな微笑みを力也くんに向けていた。
「ゆき乃、元気になって早く学校に来いよ。俺一人だとクラスで浮くんだよ、俺が……じゃあな」
後ろ向きに片手を上げて出て行く長身の力也くんの後ろ姿は少し寂しそうだった。
「僕も……悔しいけど、本当にあいつのおかげなんだよな。ゆき乃が無事だったのは。感謝してもしたりないんだけど……あいつも本気らしいから、隙は見せられないな」
「え?」
「いや、何でもない。どうする?ゆき乃、今夜もここで眠るかい?さすがに二晩も一緒は辛いから、僕はソファに行かせて貰うけど?」
「あの、も、もう大丈夫です。部屋に、帰ります」
そう、二晩も恭祐様を休ませないわけにはいかなかった。ましてやわたしがベッドで恭祐様をソファに追いやるなんて……昨夜のように恭祐様と同じベッドなんて、とてもじゃなけれどもわたしが恥ずかしい。それに、あんなことはもう決してあってはイケナイのだから。
「そうだね。じゃあ、今夜は僕がゆき乃の部屋についててあげるよ」
「だ、だめです!!そんな……」
「なぜ?まだ母は帰ってこないよ。夜、僕がおまえの部屋に行っても何の支障も無いはずだけれども?」
あるんです……だから……
「ゆき乃がちゃんと眠れるまで居るだけだから……ね?」


その夜、わたしが眠りにつくまで、恭祐様はわたしの手を握ってくれていた。飲みなさいと差し出されたのが、甘いホットミルクにブランデーを多めにたらしたものだったせいか、あの悪夢は、わたしを襲うことなく、ゆっくりとした眠りを朝まで味わうことができた。

      

甘いですか?
恭様ファン増えませんか?
力也も捨てがたいのですが、どんどん、禁断の道へ???(笑)
だんだんと乗って参りました。ペースアップ出来ればいいんですが、がんばりますね!