ずっと、離れない...

〜芳恵〜
帰りの電車の中、ずっと手を繋いでいた。
これってあたしたちにとってはとっても珍しいことで...今までになかったことで...降りるはずの駅についてもまだ離れ難くって、駅の外のベンチに腰掛けた。
「どうする?どっか入る?」
「ん、でもおなかすいてないよ...」
いつもなら何を食べるかあれこれ考える二人なのに、今は何も欲しくない。
「まだ3時だよ、どうする?いくらなんでも小畠さんと帰る時間差がありすぎるかな。」
「そうだね...」
「うちに来る?ねえちゃんいるかもしれないけど、涼むぐらいは出来るよ。」
「そ、そうだね...。」
なぜかドキドキしてしまう。あいつの家に行くのははじめてだもん。
「か、かばんどうしよう?」
あたしの手元には大きなスポーツバッグ。やっぱり...コインロッカーに押し込んだ。

「ただいま。」
あいつの家はちょっと日本式で玄関も引き戸で入ったすぐにも花が活けてあったりしてすごく落ち着いた雰囲気だった。こういう環境で育つと先輩やあいつみたいに落ち着いた性格に育つんだろうか?
「あれ?鍵は開いてるのにな...ねえちゃん?」
「だれもいないの?」
「おかしいな、ねえちゃん夏休みで帰ってきてるんだけどなぁ。」
「そう、せっかくだから逢いたかったなぁ...」
「部屋で待ってる?そのうち帰ってくるかもだし。」
「そ、そうだね...」
だめだ、また緊張してきた!!
通されたあいつの部屋は畳ですっごくシンプル。机といす以外には本棚に野球マンガや、バットとグローブ、トレーニング用の鉄アレイなんかがおいてある。
「ごめん座るとこないね、これにでも座ってて。」
出されたのは座布団。なんだかあいつらしくって笑ってしまう。
「何、どうかしたか?今ジュースでも持ってくるからっ。」
竜次くんも、ちょっぴり緊張してるのかな?この部屋に来たことある子なんているのかな?
「俺、女の子をさ、この部屋に入れるなんてはじめてで...」
「そ、そうなんだ...」
あ、あたしも緊張しちゃうよ...しばらくは二人黙り込んでジュースなんか飲んだりしてるけど、だめだ、この沈黙に耐えられないよ!
「あの、さ、竜次くん?」
「え、な何?」
どうして竜次くんがびくっとするのかな?結構真剣な顔してグラスの中に残った氷を見つめてる。
「いや、別になんでもないんだけど...」
また沈黙が始まる。やだよ、こういうのって...もともと無口なあいつだからしょうがないけど、いつもはもっと余裕もって話し聞いてくれる感じなのになぁ。それに昨日みたいにお互いに自然でいられたら...
だめっ、急に思い出しちゃって、顔が熱くなってきちゃったよ?きっと真っ赤になってるはず...だめだって!そう思っても思い起こされる昨夜のあいつの優しい囁き、触れてくる手、唇...そっと顔を上げてあいつの顔を見た。
「芳恵...」
ゆっくりと近づいてくる。低い体制のまま、四つんばいのような格好であたしのほうへ近づいてくる。あたしは足を伸ばして座ってたのでちょうどそれをまたぐような格好で、顔だけが間近くにやってくる。
「まだ怖い?」
怖くないって言ったら嘘だよね。感じる吐息や、触れそうな腕や膝からあいつの体温が伝わってくる。その触れてる部分から、身体が緊張してかちこちになっちゃうよ。
わかってる、あいつが何を考えてるのか、何がしたいのか...全部昨日経験してるから...でもまだ昨日なんだもん、やっぱ怖いよ...
「馬鹿、そんな早速襲わないよ。」
すごく優しい顔で笑ってくれた。
「へ、ほ、ほんと?」
あたしは一気に身体の力を抜いた。
「これだけ。」
そういってあいつの顔が近づいて軽くキスだけされた。
「え?」
「キスぐらいいいだろ?身体きついのはわかってる。でも俺も男だから、自分の部屋に彼女が来てるならキスぐらいしたいよ。」
そういうと隣にすとんと腰をおとして、あたしの腕を引いて胸の中に沈める。
「りゅ、竜次くん...あの、えっと...」
「今朝からずっと...」
ちょうど耳の辺りにあいつの声と吐息を感じた。あたしは身体をひねった状態で抱きしめられ、上半身にあいつの熱を写し取っていた。
「ずっとこうしたかった。」
それだけいって、そのまま抱きしめられ続けてる。
「あの...」
「ん?」
すごく静かな時間が流れてる。さっきまでの何か話さなきゃって言う気持ちもなくなっていく。なにも話さなくてもいい、そんな気がした。無理に話さなくても伝わるんだ...こうやって抱き合うだけで。
「好きだよ、ほんとは2年間ずっとこうしたかった。」
「ん...竜次くん。」
あたしはそっと顔を上げる。あいつの顔がよく見えるように。
「馬鹿、そんな目で見るなよ...またキスしたくなるだろ?」
「あたしも...キスしたい...」
思わずそう答えていた。だってもっと近づきたいんだもの。
「芳恵...」
軽く触れるキスから、あいつの舌が入ってきてどんどん深くなっていくキスにあたしもおぼれていく。
「ん、ふ...んっ」
「その顔、めっちくちゃ可愛いよ。」
唇が離れた瞬間くすっと笑われて、そういわれた。
「やぁ、恥ずかしい...」
「どう考えても誘ってるようにしか見えないんだけどね。」
あいつの指があたしの唇をなぞる。
「そんな、あたし...」
「大丈夫、我慢するよ。怖がるなって。」
なんかすっごく余裕で言われてしまう。
「我慢は慣れてるから。けど、そのうちまたもらうから、な?」
ぎゅって抱きしめられたあいつの胸がすごく早く打っていた。なんだ、竜次くんもどきどきしてるんだ。あたしだけじゃないんだ...
そうおもうとなんだかもっとほっとした。
「ただいま!あれ、竜次帰ってるの?」
階下から声が聞こえた。
「先輩?」
「あぁ、ねえちゃんだ。帰ってきたみたいだな。」
部屋から出ると芙美先輩と、野球部の元主将のケンジ先輩が一緒にいた。二人まだ続いてたんだ...なんだかうれしいな。
「よっしー!!元気してた?仲良くしてるみたいね。」
あたしの肩をたたきながらくすくす笑ってる。え?竜次くん先輩にそんなこと言うのかな?
「噂はね、弟から聞かなくても耳に入るのよ。大会は残念だったわね、いいとこまで行ったのにね...」
「はい...すみません。結局一度も県大会にいけなくって、あたし偉そうなこと言ったのに...」
「いいのよ、それよりもよっしー、うちの大学に来ない?出来れば小畠さんも来て欲しいんだけどね。うちの大学は特殊だからその気がなきゃ辛いからあえて無理強いはしないけど...あたし結構よっしーのこと買ってるのよ。」
「先輩の大学ですか?」
○○女子体育大学、それが先輩の大学だ。
「そう、推薦試験受けに来ない?11月だから、監督にも話しておくけど...ただ、そうしたら竜次と大学はなれちゃうけどね...この子はこれでも六大学めざしてるから。」
そうなのと、振り向くとあいつの顔が少し歪んでいた。関東圏と関西圏、遠距離になってしまう...
「ねえちゃんもういいだろ?ケンジ先輩とは久しぶりなんだし、さっさと部屋行けば?」
「ば、馬鹿っ!」
照れる芙美先輩にニヤリと笑うケンジ先輩...二人も遠距離だったんだ。たしかケンジ先輩が夏休みだけこっちに帰ってきてるんだよね。
「あんたも、よっしーにおいたするんじゃないわよ?」
そういい残して部屋へと戻っていく。もうしちゃったよと小さな声であいつが言った。

「竜次くん東京の大学行くんだ...」
「受かったらだよ。ダメだったらこっちのリーグに入ってるR大とかK大目指すから。」
部屋に戻ってジュースのおかわりを飲んでいた。
やぁ、だめ...聞..ちゃうよ...
壁越しに小さく先輩の声?
...ねぇよ、とまらねえ...ふみっ
あ、もしかして...始まっちゃった??
「ったく、ねえちゃんも先輩も節操のない...」
竜次くんはMDのスイッチを入れて音楽をかけてくれた。男性ボーカルの切ない歌声が部屋に充満する。
「そ、そうだね、でも離れてるんだから、しょうがないよね?」
長かった現役時代、逢うのもままらなくて、辛い日もあった。先輩たちと同じ思い抱えて今日まで来た。先輩たちはあたし達より2年先を歩んでるんだ。遠距離でもしっかりと繋がりあえるそれがうらやましくも思えた。2年後あたし達は離れてても旨くやっていけるだろうか?そう考えるだけで胸の辺りが苦しくなる。酸素不足を起こしたように口をパクパクしてしまいそうになるほど苦しい。
「か、帰るか?送るよ...」
立ち上がりかけたあいつの服の裾をつかんだ。やだ、まだ一緒にいたい。この苦しさを救えるのは竜次くんだけなんだよ?
「あのっ、あ、あたしまだ、帰りたくない...」
恥ずかしくって小さな声で、あたしは言った。声がのどに絡み付いてしまう。
「そんなこといって、本当に帰れなくなったって知らないぞ?」
あいつの声も急に低く掠れた声になる。
あたしはその問いかけにそっと頷いてそのままあいつの胸の中に飛び込んだ。
〜紗弓〜
食事の間も会話は弾まなかった。
遼哉を想うあたしの気持ちは変わらない。なのにテーブルの距離の分だけ離れてしまってるように思える。
楡崎恭子さん、遼哉の最初の女、辛い思いってなに?負い目って何?知りたい、聞きたい、でも...怖い。
「紗弓、食欲ないの?」
「え、そんなことないよ。おいしいよ...」
一生懸命笑顔を作ってみせる。だけど苦しくて、張り付いたように止まってしまったあたしの表情はすぐに崩れて涙が溢れてきてしまう。
(やだっ、泣きたくない...こんなとこで、せっかく楽しい旅行の帰りに...)
なんでもないからって何度も言ってくれてるのに、目の前の遼哉は昨日と全然変わらないくらい優しいのに...
遼哉の昔の彼女なんて何人も知ってる。嫌味も言われた。嫌がらせもされた。だけどそんなことする人たちには負けないって思ったし、そんな人に遼哉が本気になるとも思えなかった。一度はとんでもないことになりかけたりしたけど、あれ以来みんなが守ってくれた。あたしに気づかれないようにだと思うけど、遼哉はもちろん芳恵ちゃんや今村くんも、染谷くんら柔道部の面々も気遣ってくれてたみたいで、何度か後輩君たちに助けられたこともあった。『遼哉先輩の彼女さんですから。』と、当たり前のように守ってもらって驚いたけど、その分強くならなきゃって思った。
だからずっと気にしないようにしてた。遼哉も女性関係に関しては不誠実だったことを認めて何度も謝ってくれた。身体だけの関係が大半で、一方的だったと。でも最初の先輩って女の人はちょっと違うみたいだった。ちゃんとは聞いたことなかったけど、噂だけは聞いていた。モデルのように綺麗だったその女には別に恋人がいたらしいけど、うまく行ってなくて遼哉は体よく遊ばれたって。
「紗弓、泣くなよ...」
急いでそのレストランを出たあたしたちはいつものラブホに来ていた。どうやっても止まらない涙、自分でもわからない。今は私だけ、そういってくれる気持ちも本当なのはわかってる。なのになぜ...
ホテルに入っても遼哉は欲望の影さえ見せずにあたしを優しく抱きしめていた。子供をあやすように何度も優しく髪を梳きながら、額のあたりに唇を落とす。
「全部聞きたい?」
耳元で遼哉が聞いてきた。あたしは黙って頷いた。聞いてどうなるものでもないのはわかってる。ただの嫉妬だから...でも、ずっと我慢してたものが溢れ出てきた気がした。
「恭子、さんは4つ上で、俺の初めての女の人だった。」
ぽつぽつと遼哉が語りだす。彼の腕は優しくあたしを捉えて離さなかった。
「中3年の夏休み、街を歩いてるときに逆ナンされて、興味半分でついて行った。セックスの全部手取り足取り教えてもらって、俺は夢中になった。身体の相性がよっぽどよかったんだろうな。そのときに彼女の友人だった舞さんやケンさんに出会ったんだ。彼女には恋人がいたけど、何度も浮気されてやけになってみたいだった。俺もずっと紗弓のことを引きずってたから本気じゃなかったんだけど、彼女は情緒不安定みたいなとこがあって、放っとけなかった。そういう時は男なしではいられないらしくって、俺と出会うまでは街で行きずりの関係を繰り返してたらしい。それなら俺が相手してやるって思った。」
ここまで言うとあたしの顔を心配そうに覗き込んだ。まだ聞くかって顔をして...あたしはもう一度頷いた。
「彼女は何度か手首切ったことがあるんだ。その度に彼氏が帰ってくる、そんな関係を繰り返してた。だけど俺が高校に入ったすぐに恭子さんが妊娠したんだ...。俺の子かもしれなかった。彼の子かも知れなかった。俺は高校を辞めて働くからって彼女に言ったけど、俺は要らないって言われたんだ。楡崎朗(あきら)の代わりでしかなかったって...その彼に会ってみてわかったよ。俺はよく似てたんだ、彼と。見た目って言うよりも雰囲気がね。楡崎さんはどっちの子でも俺の子だって言って二人は結婚したんだけど、子供は死産だったんだ。血液型から楡崎さんの子だったんだけど、それからは逢ってなかったんだ。二人は旨くいってるって思ってた。今日は3年ぶりに逢ったんだ。」
「今でも好き?」
「いや、過去の事だよ。でも今日の表情がおかしかったから心配してしまったんだ。あの顔は手首切る前のだから...けれども迎えに来た楡崎さん見て安心したんだ。彼は本当に恭子さんを心配してて、だけど恭子さんは一方的に浮気をしてるって思い込んでるらしくってね。なかなか次の子供が出来ないからちょっとノイローゼ気味らしかったんだ。恭子には、俺は紗弓がいるからもう慰められないから、ちゃんと楡崎さんと話しろって言ったんだ。」
覗き込んでくる遼哉の顔をよける。
「紗弓、俺はお前だけだ。それは変わらないって言っただろう?信じられる?」
「信じるよ。あたし、遼哉のこと、信じる、けど...」
だけど、だけど不安でいっぱいになるこの気持ち、力の入らない手足、涙はまだ止まらない。怖いよ...心の中でもしまだ遼哉の心の中に恭子さんがいたら...今日みたいにあたしを置いて行ってしまったら...そう考えると気が狂いそうになる。
こんなにも、心も、身体も、遼哉を失うことを恐れている。
「抱いて...遼哉...」
あたしは顔を上げて遼哉のほうを向くとその胸に再び飛び込んだ。。
「紗弓?俺は今日そんなつもりでここに連れてきたわけじゃない。」
「抱いてっ!不安なの、身体が震えるの!遼哉に抱きしめて欲しくって震えるの!あたし、あたし...」
遼哉の腕に力がこもったと思ったら、すぐさまそっと肩を押されて遼哉の胸から顔をあげさせられた。
「紗弓、そんなに辛い思いさせたか?彼女のことは終わってるのに...」
「違うの!多分違うの...あ、あたし、恭子さんだけじゃなくて、遼哉に抱かれた他の女の人たちにも嫉妬してるの!今まで気にしないでおこうって思って、必死で平気な振りしてきたけど、あたし、やっぱり嫌なの!遼哉が他の女の人に触れるのも、触れられるのも嫌っ!」
「紗弓...」
驚いた顔の彼がどうしていいか戸惑ったまま立ち尽くしていた。
これってきっとあたしの初めての我侭。初めて表に出した嫉妬という感情。
「こんなこといったら紗弓怒るかもしれないけど、俺いまめちゃくちゃうれしい...」
「え?」
「紗弓が俺に我侭言ってくれてる、今までの女に嫉妬してる。俺ばっかり感情ぶつけて、一方的に求めて抱いて...こんな俺だからいっぱい辛い思いもさせて、俺ばっかり想いが強すぎて紗弓には重荷なんじゃないかって思ってた。」
「遼哉...あたし...遼哉が好き。誰にも渡したくない...」
「俺も紗弓が好きだ、誰にも触れさせたくない。」
「ね、あたしが抱いていい?」
「紗弓が?俺を?」
「うん、遼哉を、抱きたいの...」
俺は思わず唾を飲み込んだ。
「出来るの?」
「そうしたいの...」
あたしの身体で、あたしの心で遼哉を愛したい。遼哉が欲しいの。
だから...
「してよ、紗弓が全部。」
熱っぽい視線を取り戻した彼の目線があたしをじっと見詰めた。

         

こんなことになるなんて...まっすぐ帰れないのか?お前達わ〜と突っ込みを入れてもしょうがない二組です。でも益々離れられなくなっていくカップル達。さて次回はハートマーク付きか!?