ずっと一緒に...

「それじゃ、明日の日曜は午前練習だかね。朝9時から、遅れないように!」
うちの部は女監督だ。高校、大学とソフトボール経験者。結構練習はきつい方だと思う。日曜に試合や1日練習がないのは珍しい。ソフトも練習するとなるとメニューは山ほどある。なんか嬉しくなってしまう。遼哉も絶対に逢う時間作ろうって言ってたし...。
「ありがとうございました!」
暗くなりかけたグランドに声が響いた。


「紗弓、野球部が珍しく早く終わったみたいなんだ...明日試合だからかな?あはは、それでさ、今日...」
俯いてしゃべるなんてことのないよっしーが、はにかんだ顔をちらりと見せてくる。芳恵ちゃん、可愛いよぉ!ほんとに!あたしも芳恵ちゃんぎゅってしたくなる。
「いいよ、今村君と帰るんでしょ?あたしは大丈夫だよ、柔道部終わるの待ってるから。」
「ほんと?ごめんね〜柔道部まだ終わりそうにない?」
「みたいだね、なんか今日外から師範が来てるらしいわ。」
昼間に染谷君が言ってた。実は彼同じクラスなのよ。だから最近彼に会いに遼哉がちょくちょくうちのクラスに入り浸ってる。
「独りで大丈夫?」
「なにが?もう、心配しすぎ!よっしー早く行かなきゃ、今村君あそこで待ってるじゃない?」
「うん、じゃあ気をつけてね、ここんとこ来栖の親衛隊のお姉さま方静かだけど、あんた達ここんとこ一緒に帰ったりしてるじゃない?そろそろ気付かれてもおかしくないからね、柔道部でも知ってる奴いるしさ。」
「ありがと、よっしーも気をつけてね、今村君、もてるからね。」
やっぱ花の野球部、ファンはたくさんいるみたいだもの。今村君ショートで副キャプテンやってるの、守備がめちゃくちゃうまいのよ!やっかんで色々言う人もいるけど、あたしは芳恵ちゃんのよさの判る今村君て凄いと思うんだ。あの突っ走る彼女をあそこまで操縦できるのも彼しかいないしね。
あたしは芳恵ちゃんと別れると道場の方へ向かって独りで歩き始めた。周りはすっかり暗くなって、道場のある武道館や、全国大会目指してるバレー部のいる体育館なんかの明かりが校舎の間の暗闇をほの明るく照らしていた。
(師範て、たしか染谷君のお父さんじゃなかったかな?そういえば遼哉よく声かけられてたなぁ、こっちの道場に来いとか。あれ?それだったら道場移ればよかったんじゃない。)
遼哉が柔道をやめてしまったことに少なくとも責任を感じていたあたしは、ちょっと考えてしまった。まあいいや、あとで遼哉に聞いてみよう。そう思って武道館に向かって通路を出ようとしたその時、校舎の影からいくつもの人影が現れた。
「あんたなの、最近遼哉の周りちょろちょろしてるの!」
「えっ?」
たしか『藤代先輩』って遼哉が呼んでた。その後ろには前に体育館の影からあたしを睨んでた、『春香』さん?後何人か、見たことあるような、3年の先輩方みたい。
かなり気をつけてたけどやっぱり見られてたんだ。芳恵ちゃん、ビンゴ。
「いい気になるんじゃないわよ!ちょっと回りにいないタイプだから珍しがられてるだけなんだからね!すぐに飽きるんだから、あんたみたいな面白くもなんともない女なんか!」
「そうよ、遼哉にはもっと大人な女が似合うのよ!春香なんてずっと待ってて、やっと付き合ってもらえるようになったのに...」
肝心の春香さんて人は後ろでじっとあたしの方を睨んでるだけで何にも言わない。藤代先輩と、もう一人のショートカットのネコ目の二人が騒いでる感じだ。
多分何言ってもだめなんだろうな。
あたしはため息一つつくと、頭を下げた。
「ごめんなさい。」
きっと皆本気で遼哉のこと好きだったんだ。私にもわかるもの、好きでも振り向いてもらえない辛さ、別の人と付き合ってるのを見なきゃいけない辛さ。
「あ、謝ってどうするの!別れなさいよ!」
「そうよ、別れなさいよ!」
口々にそう繰り返す。だんだん腹が立ってきた。おなじことしか繰り返せないの?タイマンもはれない奴ら。
「それは、出来ません。遼哉がそうしたいって言うなら別ですけど、あたしも遼哉のことずっと好きだったから!この6年間ずっと好きで、やっと想いが通じたんだもの、そう簡単には諦められません。」
顔を上げて面と向かって言い放つ。あたしだって、我慢してきたんだよ?あなたたちの存在に、この2年間...
「幼馴染だってね、悔しいけど遼哉は本気って言った。けどあたしたちも本気なのよ。あなたのほうから別れるって言いなさいよ!でなきゃ別れなきゃならないようにするまでよ。」
「え?」
「谷、村井もう出てきていいよ!ちょっと痛めつけてやってよ!」
「おう、まあ奈美には借りがあるからな。、俺らが出るまでもないだろうけどな。」
暗くてよく判らなかったけど、うちの制服じゃない?出てきたのは学ラン着た他校の男子生徒が二人。嫌な顔つきしてる。
「ここじゃなんだから、ちょっと遠いところに連れて行ってね。――さあ、どうする?別れるって言いなさいよ。」
そんな汚い手まで用意してるの?ひどいよ...怒りで拳が震える。
「嫌、です。そんな卑怯な人たちに遼哉は渡せない!」
「なっ!おとなしく言うこと聞けば許してやったのに!いいよ、やっちゃいな!」
藤代先輩の冷たい怒りの篭った声、他の人たちは口々にやめようよとつぶやいてる。春香さんはまだじっとあたしの方を見てるだけ。
「やっちゃっていいのぉ。へへ、ラッキー!」
谷って奴が近づいてくる。やだ、来るな!あたしは持ってたかばんを武器に奴の手を払おうとする。村井って奴も反対から寄ってくる。逃げ出せないように挟み込むつもりらしい。
「さっきから言われてるだろ?別れますって言えば痛い思いしなくて済むんだよ。へへ、結構かわいいじゃないか。よくみると好みだな。どうだ、そいつと別れて俺と付き合えよ。」
「何を...嫌です、あなたたち関係ないでしょ、そこ、どいてください!」
「そいつがだめなんだなぁ、そこの女にえらく借りがあってな。」
下卑た視線が注がれるのが判る。捕まったら最後、力では敵わない。背筋がぞっとしてくる。後ろから村井って奴の荒い鼻息まで聞こえてくる。
「痛めつけるって、怪我させる以外でもいいのかな?」
村井の声が背後から聞こえる。
(嫌だ!絶対嫌だ!)
その言葉の意味が怖くなる。武道館への道は彼女達にふさがれてる。反対方向に逃げれば間違いなく追い込まれてしまう。出来る限り人のいるほうへ行くしかない。
「もう逃げられないぜ!」
後ろから羽交い絞めにしようとする村井の両腕をすり抜け、右腕を取ると大きく前へ屈む。この間遼哉が見せた1本背負いだ。
「ぐえっ!」
決まった、地面は土だからそんなに衝撃はないだろうけど、体が大きい分ダメージも大きいはずだ。空いた後方から大きく迂回して武道館を目指す。
「この女、舐めた真似を!」
谷って奴がタックルをかまして来る。
「きゃっ!」
スカートの裾をつかまれ凄い勢いで引きずられる。
「やだ!やめてっ!んっぐっ...」
復活してきた村井があたしの口を塞ぐ。暗い方へと二人がかりで連れ込もうとする。興奮した熱い息が顔にかかる。
(やだ、気持ち悪い、こんなのやだ!!)
ビリビリとブラウスの裂かれる音がする。女達は離れたところで見てるみたいで何か声がする。その時制服のポケットの中からいつのまにか転がり出てた、あたしの携帯が鳴った。
「紗弓っ、そこか!?」
「り、りょうやぁ...!」
遼哉の声に村井の手が緩んで声が漏れる。
「てめえら!紗弓に何してる!!」
あたしにかけた手を離さずにいた谷の顔に遼哉の蹴りが入った。
「いいとこなのに、邪魔すんなよ!」
立ち上がった村井の胸元を掴むと大きく足を払って投げて、そのまま体の上に自分を落として締めた。村井はもう動かない。
「何しやがる!」
口から血を流した谷は壮絶な表情で遼哉に対峙した。後ろの女たちが逃げようとするところを染谷君達柔道部の面々が取り囲んでいた。
「許せねぇ、よくも紗弓を!」
「うるせぇ!」
突っかかってくる谷の首をとって投げる、そして後ろ四方で締め上げる。
「ぐえっ、は、離せ...」
「誰がっ!このまま落ちろっ!」
谷の顔がだんだん紫になっていく。
「遼哉、もうやめろ、その辺にしてやれ、死んじまうぞ?」
染谷君の声も近づいてくる。
あたし、こんなとこ見られたくない...
「り、りょうやぁ...りょうやっ!」
どさっと谷の体が落ちた。あたしの方に近寄ってくる遼哉の影。
「紗弓...」
遼哉のジャケットが肩に掛けられる。
「大丈夫?紗弓?」
「うえっ、えっ、り、りょうやぁっ!」
遼哉の腕に抱きとめられる。あたしは震えてた。怖くて、怖くて、気持悪くて...
「紗弓、ごめん、紗弓!」
遼哉が悪い訳じゃないのに謝り続けている。涙が止まらない。どこかで遼哉が誰かと話してる声が聞こえるけど何を言ってるか判らずにいた。
「紗弓、どうする?警察や学校に言ってもいいか?」
警察?学校?そしたら親達にも知られるんだよね、そしたらきっと遼哉が攻められてしまう。だめだよ、遼哉は悪くないんだから。
「いい、言わないで...もう二度と、こんな、ことしないなら...」
頭を振って、震える声を絞りだす。遼哉の腕がまた強くなる。
「染谷、部の奴らに口止めをたのむ。先輩達には俺からはっきりいいます。あいつらなんですが...」
あいつらって、あの男達...
「その件に関しては私に任してくれないか?」
「染谷先生...?」
「ここにいる唯一の大人としてこれを見過ごす訳にはいかない。しかし小畠くんの事を考えると公にも出来まい。いや、悪いようにはせんよ。これでも色んな方面に顔も利くしな。」
そう言うとあの男子生徒たちの方へ向かって言った。
後で聞いたのだが、染谷先生は警察署にも柔道を教えに行ってて、顔が利くらしく、彼らの免許書(原付)を取り上げて反省が終わるまで道場に通わさせたらしい。
「紗弓、帰れる?」
「遼哉...やだ...うち、帰りたくない...」
こんなカッコで帰ったりしたら両親に心配もかける。忙しい店を2人で遅くまで働いてるのだから。それでもいつも笑って、あたしのことを気に掛けてくれる。和兄がそのままで済ますわけもないし...
「わかった、ちょっとまってて。」
そういって、あたしを置いて立ち上がろうとする遼哉のシャツを離せずにいるあたし。遼哉は優しく笑うとあたしの身体をそっと起こした。
「立てる?」
遼哉の両腕に抱かれてそのまま武道館の下までよたよたと歩いていく。足腰にも力が入らない。その時藤代先輩達の前を通った。恐る恐る目を上げると、こっちを見てる目がびくりと跳ねて引きつり始める。そっと遼哉の顔を覗くと凄く冷たい、怖いくらい冷え切った目で彼女達を見ていた。一言も声もかけない。
「紗弓、大丈夫だから、ね?」
あたしが見てるのに気がついて、すぐに優しい顔に戻っていく。あたしに回した腕にも力が入る。心配するなって言ってるみたいだ...。
「染谷先生、先生たしか車はバンで来られてましたね?すみませんが、自転車ごと彼女を送ってやってもらえますか?」
「あぁ、構わんよ。車をまわしてこよう。」
それから遼哉は自分の携帯とあたしの携帯で一件ずつ電話した。

車には染谷くんは荷台に自転車と一緒に乗り込んでいた。あたしは遼哉にしっかりと抱きかかえられて助手席にいた。
「すみませんそこで止まって貰えますか?」
え、ここは...芳恵ちゃんちの前?ウインドウが開いて芳恵ちゃんが心配そうに覗き込んでくる。
「紗弓、大丈夫、ごめんね、あたしが一人にしたから...」
「笹野、お前が気にするな。元はといえば俺が甘く見すぎてたんだから...頼んでたものは?」
窓から紙袋が差し入れられる。あたしは何か言いたかったけれど、なんて言っていいのかわからず、ただ遼哉の胸の中に沈んでいた。
「ありがとな、さっき簡単に説明したけど、紗弓はちょっとショック受けてるから、明日クラブのほうは休ませてやってくれ。お前うまいこと監督に言えよな?」
「わかった...あたしついてなくて大丈夫?」
「こんな時間から出られないだろ?なんとかする。どうしてものときはまた紗弓の携帯から電話するから、その時は無理してくれ。」
芳恵ちゃんはわかったと頷くといつでも電話してねと言ってくれた。

「紗弓、降りれる?今夜お袋は準夜出勤だから夜中まで帰ってこないし、親父は来月まで出張だから。誰もいないから安心して。」
遼哉の家の前で車が止まって、後ろで染谷君があたしの自転車を下ろしてくれてる。あたしは先に家の中に通された。外で遼哉がお礼を言ってるのが聞こえた。
まだ何を考えていいのか判らずにいた。
「紗弓...いま風呂用意してるから、入るだろ?泥だらけだぜ、服も、笹野にブラウス借りたから、これ着て帰れよな?」
「あ...」
そうだったんだ。あたしのブラウスはビリビリに裂かれてる。
「自分で入れるか?」
あたしは頷く。だけど身体がだるくて動く気にもなれないでいた。
遼哉はそっとため息をつくとあたしを抱き上げた。
「え、なに?お、降ろしてよ...遼哉?」
「今のお前一人にしとけないんだ、たとえ同じ家の中でも...お前動くのも億劫そうだし...紗弓さえ良ければ俺が全部やってもいい?俺が紗弓を、その、綺麗にしてもいい?」
「それって...一緒にお風呂に、入るってこと?」
「う〜ん、俺は服は脱がない。それだったらだめ?」
「そんなのやだよ...」
恥ずかしいよ、でも抵抗する言葉にすら力が入らない。脱衣所で服すらまともに脱げないほど...
「紗弓、悪いけどそんな時間ないから脱がすよ?染谷先生たちとご飯食べに行ってることにしてるから...10時が限界な?」
遼哉の指があたしの制服のボタンをはずし始める。意識してしまうのはあたしだけなんだろうか?遼哉の息のかかる髪にと指先の触れそうな肌に神経が集まってきてしまう。さっさと、まるで身内のように手早く、ブラのホックまではずすとそこで手は止まる。
「これ以上はお前も恥ずかしいだろう?俺も理性飛びそうだから後は自分で脱げるよな。」
そう言われて頷くしかなかった。さすがにそれはあたしも恥ずかしくて、遼哉に背を向けるように脱ぐと側にあったバスタオルを身体に巻きつけた。
立ち上がろうとしたあたしの気配をみて遼哉がまたあたしを抱きかかえる。そのまま浴室へ入っていく。たっぷりと張られたぬるめのお湯にそっと下ろされる。
「そのままにしてろよ、俺が髪洗ってやるから。」
そういってあたしの髪を洗い始める。頭の中に砂利や葉っぱがかなり入り込んでるみたいだった。
「身体、洗ってもいいか?」
俯いて返事出来ずにいると、ふいに浴槽から引きずりだされる。
「りょ、りょうやぁ?」
無言であたしの身体を大量の石鹸で洗い始めた。優しく、決していやらしくなく、ただ赤ちゃんの身体を洗うようにして。バスタオルも剥がされる。泡がたくさんで、すこしは隠れてるようにも思うけど...
「ごめんな、紗弓、ご、めん...」
背中越しの遼哉の声が微かに震えてる。そのまま彼の腕が前に回ってきて背中から抱きしめられた。
「遼哉、濡れちゃうよ?ね、りょうや?」
「うっ...」
「遼哉...?」
そっと振り向くと遼哉が泣いていた。低い嗚咽をもらして。
「紗弓、ごめん、俺のせいで、怖い思いして...もし、あのまま気がつかずにいたらとか考えると、俺、身体が震えてきてしまう。俺が甘く考えすぎてた、今までの俺のいい加減さが全部悪いのに!紗弓に、何かあったら多分、俺...」
あたしが遼哉を抱きしめていた。かっこうも何にも構わずに、泡まみれになりながらも、あたしの胸で泣く彼を抱きしめていた。