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〜はじまり〜
 
 
あの時、あんなモノを見なかったら、わたしは今もこうやって、彼に抱かれていなかったと思う。
高校3年生夏、国立大を目指すわたしは、クラスでもマジメな委員長という存在だった。
 
眼鏡に三つ編み、学校指定通りの制服に持ち物。
成績優秀、マジメ、品行方正で優秀な委員長だったわたし。ただのつまらない真面目学生。
女の魅力はゼロ。
だけど、わたしの本性がそのままかどうかなんて、誰も知らない。
 
昔から特別見栄えもしない顔立ち、ぽっちゃりめの体型。自慢と言えば白い肌とちょっとばっかり大きめの胸ぐらい。その胸だって本当は嫌い。誰も胸を見る前に顔見て相手にしないし、邪魔だし。
誰にでも愛想よく接するのは苦手。派手な子も、五月蝿い子も嫌い。友達は地味な子達が頼って集まってるって感じ。男子とは滅多に話さないけれども、同性のように接すればさほど怖いものでもない。
 
片親というハンデと、母が再婚した後も、必要以上に真面目に見せたほうが都合が良かったので、中学の時から三つ編み眼鏡だった。それこそ本の読み過ぎ、勉強のしすぎで目が悪くなってからの黒い縁の眼鏡は既に小学校からのトレードマークだった。一人暮らしをする上で、それは非常に便利で、周りからも真面目に見られるし、変なのも全く寄ってこないから安心だし、親の信用も得られる。
元々そうだから敢えて苦労しない、まったく疑うことのない、見たままの真面目さ。
将来のことを考えて、自立出来るようにしっかり勉強して安定した職業に就いて、穏やかに暮らしたいだけだった。
母のようになりたくなかったから……
 
 
「船橋、おまえクラス委員だったな?今日使った問題集資料室に持って行ってくれ。オレはこの後職員会議なんだ」
学校での追加補習のあと、日本史の多田先生に呼び止められた。国公立受験者は5教科制覇のために土曜日もわざわざ学校まで出てきてるのだ。10月になっても続いてるのは、授業数が圧倒的に足らなかったからで、受験学年には恒例のことだった。
「え……これ一人でですか?」
目の前には貸し出されてた問題集が、生徒分X3種類。
こんな時、真っ先に名指しされるほど、委員長なんていうのはただの便利屋。面接や推薦の時はとっても有利だけれども。
社会科資料室は校舎の一番端の塔の一階の奥。ココは反対側の塔の4階だったりする。さすがにいい子の振りしてるわたしでも思わず顔が渋る。
「一人では多すぎるか?おまえならいけると思ったがな……」
いくらしっかり目の体格だからってそれは失礼だ。社会科教師は、まばらになった教室内を見回した。最終の補講で、お昼前だったのでほとんどの生徒が速攻で飛び出していた。おまけに手伝いを言いつけられてるのを見て、残っていた生徒もさっさと教室を出てしまった。
この学校で、国公立受験しようなんて人間はほとんどがそうだ。わたしの友人達は、短大や私立の女子大に決めているから今日の補講にも出てきていない。クラスも3年になって進学別に分かれた。
「おい、甲斐、寝てないでおまえ手伝えよ」
むっくりと机から顔を上げたのは、同じクラスでも有名な甲斐史仁。女にモテて、遊び歩いてるって言うのに不思議と成績がいい。まあ、元々の出来がいいんだろうけれども、その為に3年から同じクラス、国公立志願組だった。
そのせいで、彼も今までの友人達とクラスが別れた。派手で、騒がしい遊び人達の多いグループだったのだが、半分は就職、その半分は私立文系組に散った。
「あー、多田ちゃん、オレ寝てた?」
「ああ、いい度胸してるな。補習だから成績にも影響せんが、マジでセンター受ける気だったらヤバいぞ、甲斐」
甲斐くんは、ちっと舌を鳴らしながら立ち上がるとこっちに向かって歩いてきた。
多田先生は若い方で、みんなから『ちゃん』付で呼ばれても怒らないけれども、甲斐くんの態度はいつだってどの先生に対してもそんな感じ。怖くないのかなと思う。嫌われたり、態度が悪いヤツだと思われたりすること、ちっとも怖がってない。ううん、それだけじゃなくて、かっこよく思われたり、好かれたり目の敵にされたり、そんなのも気にしてないみたいだった。そんな甲斐くんが羨ましいときがある。わたしは自分に硬い鎧を着込んで、周りの視線を気にして、まじめな振りばかりしているのだから。
打算的なんだと思う。人の目を気にせず何かをしたり出来ない。
「委員長、持ってくから今日やったとこ教えてよ」
「いいけど、口頭でしか無理よ」
「それでいい。委員長の頭の中に残ってる分で十分だから」
「よかったな、甲斐。おまえんとこは親切な委員長で。鍵はそのままでいいから、オレが帰る前に閉めに行くからな」
多田先生は笑いながら職員室の方に歩いていった。
 
 
「なんだそこまで?じゃあラストだけ聞き損ねてたんだな、オレ」
「そうみたいだね。今日は体調悪かった?」
「いや、昨日数学やってたら止まんなくなって寝てないんだよな。だから今日も後半、我慢出来ずに寝ちまったみたい。多田ちゃんの声って眠気誘わないか?」
「確かにね。優しい声だけど、こう、抑揚がないって言うか、そんな感じ?それじゃあ、尾木先生の時は寝れなかったんじゃない?あのだみ声じゃ」
「ああ、全然寝れないな。だから数学の時間はばっちり起きてる。数学最初ヤバかったから、今必死だしな」
ちょっとだけ、ドキドキする。こんな勉強の話しでもないかぎり、甲斐くんみたいなタイプと話す話題はない。
すごく意識してるくせに、それをおくびにも出さないのは当たり前だけど。
表情を出さないのは昔から得意だったから。
 
恋愛する気は全くないけれども、まあ悪くない気分だと思った。甲斐くんは見かけで人を馬鹿にしたりしないのは、日頃の態度でよくわかっていたし、比較的まだ話す方だったからかも知れない。
クラスで上位の成績のわたしを敵視する男子生徒は数多くいたけれども、ぎりぎりの成績で国公立クラスに入ってきた彼は、委員長であるわたしに何度か質問してきてたし。まだ女のわたしの方が、聞きやすい方だと思ったのだろう。委員長なんてやってるのは成績だけでなく、品行方正も良くしようとした結果、誰に何を聞かれて親切に答え、頼まれると嫌とは言わなかった結果だ。勉強のために全ての評判を落とすよりもそちらを選んだのは家庭環境を悟られたくなかったからだ。
隣を歩く甲斐くんをちらりと見る。丁度目線は彼の肩先。背はわたしより頭一個分高い。わたしが160あるから、180ちかくあるんじゃないかな。そしてきれいな顔立ちはそんじょそこらのアイドルでも適わないんじゃないかなって思うほど。それに独特の雰囲気。ちょっと気怠そうで、でもってその声と視線がエッチっぽいらしい。やたらキスがうまいとか、舌が長いとか指が長いとか、えっちのテクが凄いとか、いろんなうわさは女子の間を駆け巡っている。だから、仲間の顔してつるんでる子達はそこそこ自分に自信のある容姿の子が多い。それ以外の子は、遠巻きに見てるだけのようだった。
そんな噂を思い出しながら、視線を下に移すと、問題集を抱えた手が目に入る。うーん、この手は確かに綺麗だな……大きいけれども、指が長い。見るだけならタダだなぁと思って、そんなとこ観察しながら資料室に向かっていた。
 
「委員長ってさ、意外と話しやすいよな。前から思ってたけど」
「そう?まじめでお堅い鋼鉄の女とか、色々言われてるんでしょう」
そういわれてるのは知っている。だからといって、自分で言ってもどうしようもないけれど。
「まあ、そんな事も言ってるヤツは居るみたいだけど、聞いたことはちゃんと答えてくれるしね。オレは助かってるよ。それに……なんか楽だな。オレの周りにいる女ってさ、恋愛の話や、あとドラマやおしゃれの話とかばっかりで、五月蝿いのなんのって。そんなもん、オレらは興味ないのになぁ。委員長って必要なことを簡潔に答えてくれるし、第一機嫌損ねないように変な気使わなくてすむのがいいよな。女って話してる内容聞いてなかったら拗ねるだろう?」
ああ、本当にそれっぽい子が多かったね。今わたしたちは、共通の大学受験って言う共通の話題があるから、甲斐くんは飽きないだろうけど、それ以外にはなんの話題も持っていないのがわたし。
「オレさ、こんなんだろ?噂もすごいし……っていってもほとんどが事実だけどさ。女って、すぐにこう恋愛方面に持って行こうとするんだよな。ちょっと話したりすると気があると思って、好きだとか付き合ってとか言い出すから、おちおち冗談も話してられねえ。一回でも寝ようもんなら、彼女気取りだし……なんか気を引こうって言うのが見え見えでヤダし、彼氏が居たって平気で寝ようっていうし……って、こんな話、委員長はいやだよな?」
「別に。人は人だし」
「へえ、意外とクールっていうかさばけてるの?」
「興味がない、かな?……わたしには恋愛なんて必要もないし、一生するつもりもないから」
「そんなこと今言い切っちゃっていいの?まだ若いし、今からでしょ?」
「んー、見た目もこんなだからできるとも思ってないしね。家庭環境がね、ちょっと特殊だから結婚とかにはなんの希望も持ってないわ。それに親の力借りたくないから意地でも国公立狙ってるのは、いい大学にはいって、いい職業について、一生独りで自立して生きていく為なのよ」
わたしは彼氏も欲しくないし、結婚するつもりもなかった。そう、身体も心も、生活までも誰かに依存するつもりはないのだ。並以下の地味な容姿と、生真面目で勉強以外取り柄のないわたしは今までも、これからもそのつもりだ。
何かに期待するほど甘くないことも知っている。自分の力で生きていくためには、自分しか頼りにならない。一時の恋愛感情やセックスの快楽に溺れたところでいつか終わりの来る、保証のない生活の糧に頼るつもりもない。
母のように……
父と熱烈な恋愛結婚した母は高校卒業してすぐに家庭に入ってわたしを産んだ。だけど、元々浮気癖のある父は浮気を繰り返し……生活に疲れ、愚痴ばかりこぼす母には見向きもしなくなった。程なく離婚して、母は働きだしたけれども、資格も特技も持ち合わせない、ただの女であった彼女の武器は女の涙と身体だけだった。
男を作り、依存しては捨てられを繰り返した挙げ句、再婚にこぎ着けた彼女にわたしは必要のない存在だった。
元々勉強も出来たし、地味な外見のわたしは、ただひたすら母のようになるまい、後ろ指をさされるような存在になるまいと、必死で勉強して、進学校を選び成績優秀者の奨学金も取り付けた。
自宅から遠かったのを理由に一人暮らしを望んで、義父からその資金だけは援助してもらった。無口で愛想のあまり良くない娘に家にいられるよりその方が良かったのだろう。金銭的に裕福な部類の養父が困らないだけの金額を口座に入れてくれるのを、わたしはありがたく受け取った。再婚相手の娘が成績優秀で、進学校へ通い、品行方正で、評判が良ければ義父もその親戚も悪い気はしなかったはずだ。
 
「その歳でもうそんなこと考えてるの?」
「うち、再婚でね。母親が男や恋愛問題で苦労してきたの見てきて、まっぴらって思ったの。早いとこ自立して、親の援助なく生活していきたいって思ってる」
そんなに内情を詳しく言えるわけもないから、簡単に説明しておいた。たぶんモテない女の負け惜しみだと取られるかも知れない。自分がどんな風に見られてるかぐらい知ってるし、可愛いとか、綺麗だとか、自分に自信のある子と違って、わたしは能力だけで生き抜いていかなければならない。わたしには勉強しかなかった。けれども、それは身を守る大きな武器になったから。
「さすが、まじめな委員長さんは将来考えてるんだな。オレなんか遊びすぎて、こんな際になって焦りまくってるよ」
ため息交じりの甲斐くんの言葉は、きっと本音だろう。進学校でそこそこ遊んでいたら、受験の時の大きな障害になる。それでも残っていられるのは、彼が元々頭が良かったからなのだろう。
 
 
社会科資料室の奥の本棚の中に、問題集を戻そうと高い棚に手を伸ばした。ちょっと高めでわたしは目一杯背伸びをしていたら、不意にそれがわたしの手から取り上げられた。
「無理するなって。こういうのは背の高い男にさせればいいんだ」
本棚二つが狭い通路を作っている空間で、背中に甲斐くんの体温を感じるほどの近さだった。人に何かをしてもらうことの少ないわたしは、一瞬焦った。
「あ、ありがとう」
お言葉に甘えて、彼の持っていた分を受け取って、下から渡して戻してもらっていた。
その時、ガラッと戸の開く音がした。
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