11.恋の兆しは何処??


「おお、痩せてる……」
 一旦下降を止めていた体重の目盛りが少しずつ動き始めた。それだけじゃない。体調もいい上に身体のあちこちが締まってきた感じもする。
「だからといって、無理しないでよね?」
 イッコにはあのあと散々叱られた。どうして直ぐに電話くれなかったのよと。
「体調崩すのが一番怖いんだよ? 意思が弱いとその前にダイエット止めてリバウンドするんだけど、今回はかなり思い込みが強かったから倒れるまでやらないかと心配してたのに……だから、あんなにたくさんのおくすり出してたんだよ?」
「ごめん……つい面倒で飲み忘れたりしてて」
「服用期間過ぎても注文してこないから、そんな事じゃないかと思ってたわ」
「ごめん、今はちゃんと飲んでるよ。運動がきつかった日には多めに飲んでるぐらい。そしたらちょっと楽になるね」
「よかった、それだったら安心だよ。じゃあ、今日は美味しい物食べて、たまには身体喜ばせてあげようよ」
 今夜は久しぶりにコータの店に来ていた。金曜の夜でもちろん明日は休み。もちろんジムに行く予定だけど。
「ほら、お前等にはコータ特製低カロリー御膳だ。デザートもたっぷり付けて400kcalだぞ」
「うわぁ、ありがとう! さすがコータだね。美味しそう!」
「だろ? もっと褒めろよ。だけど、もうちょいカロリー上げていいなら、もっと美味いもん食わしてやるのにさ。なあ、チャーコもそこそこ痩せたらダイエットやめるんだろ?」
「ん……わかんないな、わたしは。気を緩めて元に戻るようだったらもう少し続けるよ。でも今の調子で運動してたら、ちゃんと食べてもいいかなって気はするけど……それはまだまだ、もっと痩せてからだけどね」
 痩せても維持すること、それが目標だから。
「わたしはそろそろ食事は少しずつ戻そうかなって思ってる。運動しながらだけどね。コータの美味しい料理食べられなくなったら寂しいもん」
 さすがイッコ。愛があるよなぁ、コータの料理に対しても。
「お、さすがイッコはわかってるね。チャーコも無理ばっかしてないで、また俺の料理を食ってくれよな? おまえの『美味しい!』がないと張り合いないんだよ」
「んー、まだまだ先だよ、それは」
「チャーコは今が頑張りどころだものね。トレーニングも真面目にやってるみたいだけど……ね、いい男なんでしょ? そのチーフっていうのは」
「え、チーフって男なの?」
 コータはチーフの話を知らなかったから、わたし達二人の話にはついていけずに目を丸くしていた。確かに、わたしの周りには今まで男の影一つ見えなかったけど、そんなに驚かなくてもいいじゃない?
「もう、同情されてるだけなんだから、いい男でも関係ないよ」
「そうかしら? それだけで毎朝一緒に走ったりジムのトレーニングに付き合ったりしないと思うけどなぁ」
「ないって。これでも倒れたら困る優秀な部下だからだよ。でも感謝してるかな……ひとりだと、とっくにサボってると思う」
「俺が……俺も一緒に走ってやろうか?」
 いきなり何言い出すのよ? コータ。ああもう!イッコが泣きそうな顔してるじゃない。
「何言ってんのよ、出社前だから5時半には走ってるんだよ? コータの店って2時まででしょ? 閉めて後片付けしてたら寝るのも5時前だって、いつも言ってるじゃない。無理しないの! だったら、イッコの休みの時にでも一緒に走れば? 休みの曜日あってたでしょ。どっちも仕事柄、土日は休めないもんね」
「そ、それはそうだけどさ……ほんとに大丈夫なのか? そのチーフっていうやつ。家に上げてなんかいないだろうな?」
「え、な、ないよ。もう、コータは何の心配してんのよ」
 コータは前からこうだ。別にわたしのことを女として見てるわけじゃないんだけど、身内として心配しすぎる。滅多にないんだけれど男の影が見え出すと途端に警戒してくるのだ。いや、わたしももう25過ぎてるんだから、そんな心配してもらわなくても大丈夫だと思うんだけど? わたしが騙されて傷ついたりしないようにとか、自分の眼鏡にかなった男がいいとか、保護者みたいなことを言い出すのだ。実際はとこで親戚になるから、わたしの後ろに親の顔も見えてるからなんだろうけど……そんな細かいこと気にかけるより、いい加減イッコの気持ちに気付かないかなぁ?
 イッコもわたしと同じ……今まで自分に自信がなくて告白出来なかった。だって、今までのコータの彼女は可愛かったもの。だけど、コータは体格で人を判断するようなやつじゃない。いい奴なんだ。ただ、昔から一緒にいすぎたせいで、兄と同じく兄弟みたいな感覚が抜け切れないだけだ。
「とにかくね、運動はじめたら目覚めがいいっていうの? よく寝たって感じ。いままでは仕事で疲れて帰って来てもそんなの無かったからね」
「目覚めがいいってことは、いい睡眠ができたってことなのよ。良質の睡眠を取るためにも体力は必要だからね。夏の暑い時期に眠りが浅かったり、疲れすぎるとよく眠れないのも体力がないからなの。食べることで補充できなければ、こうやって滋養強壮剤やサプリメントを使わないと、疲れの悪循環になっていくからね」
「わかる……今までそうだったんだね」
 身体が何のために甘いものを欲しがっていたのか、実感することこの上ない。
「ちゃんと寝ることもダイエットの一つなんだからね。22時から2時のあいだに成長ホルモンが分泌されてるっていうから、その時間はできるだけ寝てたほうがいいのよ」
「なんだ、それでチャーコは最近来なくなったのか?」
 まあそう言うわけじゃないけど……確かにダイエットしてるといくら低カロリーのご飯食べさせてもらえるといっても、この時間に出歩くのは良くないよね?
「たまに週末にはこうやってストレス解消に来るから。ね、イッコ」
「そ、そうだよ。チャーコが忙しかったらわたし一人でも来るから、このメニューまた作ってよね?」
「あ、ああ。いいよ、また作ってやる。イッコは魚介類好きだったよな? マリネとか添えてやろうか?」
「うん、それ食べたい!」
「よし、じゃあ次な」
 イッコ、可愛くなったよなぁ……痩せてすっきりしたし、何よりも自信つけたって感じ。そのうち告白するんだって言ってたけど、友達付き合いが長いと言い出しにくいっていうのもわかる気がする。今こうやって3人で楽しくしていられるのは互いに恋愛感情が表に出てないから。もし、イッコがコータに振られてこの店に一緒に来ることがなくなったら……わたしも来づらいと思う。だけど、コータも最近は彼女いないみたいだ。申し込まれたらとりあえず付き合ってみる派だから、あんまり断らない方だけど……イッコが告ったらどうなんだろう? 付き合えばイッコの良さなんてもっとわかるはずだ。だって、わたしが男なら間違い無くイッコと付き合ってるんだからね。


「チーフ、また減ったんですよ!」
 ジムのプールで待ち合わせていたチーフに経過報告した。ちゃんと褒めてくれる人がいるっていうのも嬉しいことだ。
「そうか、よかったな。身体も締まってきてるのがわかるぞ? このあたりがな……」
「ひぇっ!」
  その手が腰に回り軽く撫でられ、わたしは色気のない声を上げて飛び上がって後退った。
「もう、チーフ!」
 彼はクスクスと笑って楽しんでいる。そっか、こういう意味で楽しいの? 職場ならセクハラですと訴えるところだけど場所はプールで、二人は毎週連れ立ってくるので誰も見咎めない。それに、触れられるのは恥ずかしいけど嫌悪感はない。きっとそれ以上してこないとか、本気でイヤラシイ目で見てるわけじゃないっていうのはチーフを見ていればわかるし。
 今日もプールを何往復か歩いたあとゆっくり泳いだ。何度かチェックしてもらって無駄のないフォームを目指す。ただ泳ぐだけじゃ無駄に力が入ってかえって疲れるだけになるからと、さすがに泳ぎのコーチになると本格的だった。何本か頑張って泳いでいるとこっちの体力が底をついて息があがってしまう。やっぱり体力はまだまだだなぁ。
「はぁはぁ」
「ちょっと無理させすぎたか? すまん」
「いえ……教えてもらってるのはこっちなんですから」
 必死で息を整える。さすがにこれだけ疲れていると、体型とか気にしている余裕もない。
「おまえはちょっと休んでろ。俺は少し流してきていいか?」
「いいですよ、たっぷり泳いできてください」
 コーチをしているだけじゃ泳ぎ足りないらしく、わたしが休んでる間に何本も立て続けに泳ぐチーフのフォームは本当に綺麗だった。
 最初、チーフがひとりでいるとスタイルのいい女性たちが何人も声をかけてきた。だけどその度に『連れがいるから』と言ってわたしの方を見るものだから、すっかり今じゃわたしは彼の『連れ』なのだ。それは間違いないんだけど……カップルだと思われているかどうかは疑問が残る。釣り合いが取れてないのは歴然としているから。彼女たちは視線の先のわたしの体型を見てはクスっと笑うか呆れた顔をするかで立ち去っていく。少々痩せたぐらいではまだまだみっともない体型だった。水着だと誤魔化しようがないからよけいだ。必死でお腹を引っ込めてても限界があるから虚しくなるし。
 お陰様で女性達とはなかなか仲良くなれないというか、声すらかけてもらえない。わたしに話しかけてくるのは子どもと還暦に近いオバサマ方だけだった……
「あなたのお連れさん、本当に綺麗なフォームで泳ぐわね。おばさんながらにも思わずうっとりしちゃうわ」
「そう、ですね」
 遠目で見てもチーフのフォームは流れるようで、水から覗く肩や腕の筋肉も均整が取れて見える。激しい水しぶきが上がらないのは無駄のないフォームの証拠で、スピードがあるのは水が盛り上がって見えるのでよく分かる。水泳を本格的にやってたというのは本当らしい。どの種目でも完璧に泳ぎこなしているんだよね。あんなふうになれたら理想だけど、それはちょっと身の程知らずだ。だってチーフのあの泳ぎは、痩せるためじゃなく、今まで努力してきた結果なのだから。
「男前だし、いい身体してるし……あなたのカレシさんなんでしょう?」
「い、いえ、違います!」
 それはあまりにもチーフに申し訳ない。否定否定。
「コーチを受けてるんです! わたしこんな体型だから……痩せたくて」
「あら、あなたはまだ若いし、ふっくらしてて可愛らしいのに? なにもそんなに痩せなくてもいいと思うけれどもねぇ。まあ、運動はしたほうがいいと思うけど。わたしもここに来て泳ぎだしてから身体の調子がいいのよ」
「わたしもです。気持ちいですよね、泳ぐのって」
 泳ぐだけじゃない、走るのも慣れてくると気持ちがいい。だんだんと身体が自由に動くのが楽しくなる。夜は疲れるからバタンと寝てしまうけど、食事だけはきちんと取るようにしていた。コータから『また店に来いよ』ってメールがあったけど、なかなか行く間がない。
「わるい、待たせたな」
「いえ、大丈夫です」
 お話してたオバサマにご挨拶して立ち上がる。
 ただ、チーフの隣に立っているとやたら身体が緊張して困ってしまう。慣れろと言われても、なんか別の緊張。だっていきなり腰とかに手を回してくるし……自然と背筋を伸ばして下っ腹に力入れて立つようになる。
「今日はどうしますか?」
「そうだな、いつも食べさせてもらってばかりで悪いから、このあと買い出しに付き合うよ。車だからたっぷり買い物出来るぞ」
「うわぁ、助かります!」
 って、実は……コータにはチーフを家に上げてなんかないって言ったけれど、本当は嘘をついていた。
 最初はいつもトレーニングに付き合わせて申し訳ないと、ジムのあとうちで食事のお礼をした。もちろんわたしの食べてるメニューの確認も込めてだから、ごちそうというわけではない。わたしの作ったダイエット料理を一緒に食べるだけなんだけど……その時に、朝は最近機能性補助食品やゼリーになってしまったと聞いた。やっぱりわたしのトレーニングに付き合わせてるから、時間がなくなったんじゃないかと心配になった。お昼もチーフは外食や社食が多いのにも気が付いていた。全くやらないわけじゃないらしいけど、ひとりじゃつい手軽に済ませてしまうその気持はよく分かる。だからつい……
『お弁当作りましょうか?』と、言ってしまったのだ。だって、朝ごはん作るときにお弁当も詰めてしまうから、それをチーフにどうですかって気軽な気持ちで。
『おい、無理してるんじゃないのか? ただでさえジョギングするのに早起きしてるだろ? それよりももっと早起きになるんじゃないのか?』
 さすがにチーフも最初は遠慮していたけれども。
『大丈夫ですよ。前の日から下ごしらえしてるし、自分の分を作るのと一緒なので、そんな手間でもないです』
 そう言って急いで詰めたお弁当を渡した。だけどよく考えたらジョギングして帰る人に持たせるのには無理があった。チーフのマンションまでそこそこ距離があって、走りながらだとお弁当は激しく揺さぶられて大変なことになってしまったらしい。
『申し訳ないが、ここで食べて帰ってもいいか?』
 次からはそう言われて、お昼用のお弁当をその場で食べようとするので、だったらと朝食を二人分作って一緒に食べるようになった。
 だけど食事して、そのあと走って帰るのはさすがに辛いと、次はうちまで車で来るようになった。来客専用駐車場に停めて、一緒にジョギングしてから朝ごはんを食べて……だけど朝ごはん作ってる間、チーフが手持ち無沙汰なので、シャワーでもどうぞと勧めて……そうすると、こんどはわたしの準備が間に合わなくなってしまう。電車に間に合わなかった日は、チーフの車に乗せてもらい一旦彼のマンションに寄って着替え、そのまま一緒に車で出勤した。それならばと、次回からは同じパターンになり、会社の近くで降ろしてもらい、その時に作ったお弁当を渡し、そのお弁当箱を翌朝洗って持って来てくれるので、それにお弁当を詰め直す毎日。
 そのぐらいお礼してもおかしくないと思ったんだけど……変かな?

「これだけ食べてたら大丈夫だな。それでも体重が落ちてるってことは、ちゃんと運動してる証拠だぞ」
 チーフに作ってる分、料理にあまり手抜きが出来ないのはちょっとだけ大変だけど、お陰様で力が入って相乗効果だ。自分だけに作るより、人のために作るっていうのもなかなかいいもんだよね。今日はたっぷり買い出し出来たし、二人分のつもりで食材を購入したら、支払いはチーフが全部してくれた。食べてる分だからと言って……
 朝食にお弁当、休日のランチや夕食。最初はチーフも遠慮がちだったけれども、外食よりは体調がいいと喜んでくれた。その代わりに週一の買い出しに付き合ってもらい、食材を提供してもらうことになったのだ。悪いなと言いながらも一緒にトレーニングした日は大抵わたしのアパートに寄ってご飯。
 だけどこれはコータの考えるようなのとは違うからね? トレーニングに付き合ってもらっているというお礼の意味を込めてなんだから! でも意外と功を奏しているのは、男性と食事するのに緊張して少し小食になることかな? だって、チーフと面と向かって食事だよ? 普段でも上司と食事だというと緊張するでしょ? それにチーフの食べ方は綺麗なんだよね。優雅な箸運びには偶に見入ってしまう。仕草や動作にもやたら余裕があって、オトナの男って感じがする。まあ、女性の部屋にいるって意識してないんだろうな。妹の部屋にでもいる感じなのだろうか? 一人っ子のはずだろうけど……とにかくコータが心配するようなことはないはずだ。
 ただ……コータや兄貴じゃ、一緒にいてもこんなにじっと見つめたり、緊張したりすることはない。今までこんなに男の人と一緒にいたことがないので、意識したことはなかったけれども。男の人と付き合ったこともないのに、自分の部屋に男性がいることに徐々に慣れてきてるような気がして……少し奇妙な気持ちだった。

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