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先生とあたし
14.卒業
2月26日
卒業式予行演習の日。
「なんか久しぶりだね?」
亜美ちゃんがそう言って笑う。今日の予行演習では、数人がすすり泣きをしていた。
みんな色んな思いを抱いている。カレシが遠くの大学に決まった子は、これからのことを考えて涙する。部活を頑張って、送り出す後輩達の思いに感激する人もいる。在校生の席から聞こえるすすり泣きは、去っていく卒業生の中に思い人がいるからだろうか?
「亜美ちゃん、大学、遠野くんと同じとこ決まってよかったね。」
彼女の第一志望はカレシと同じ大学だったから。かなり頑張ったのを知ってるよ。
「うん。あのさ、たぶん一緒に住むと思うんだ。だけど、ナイショにしておくから、うちに遊びに来るって言って外泊ばんばんしちゃえ。」
「もう、亜美ちゃんったら...」
「だって、一番近い国公立狙ってるんでしょ?依里ちゃん、カレシと離れたくないから近く選んだんだろうけど、それじゃお泊まりとか出来ないじゃない。自宅通学じゃさ。」
その通りなんだけど...
実は、おねえちゃんが家を出るんだ。
袴田さんのとこに行くらしい。結婚式とかは、後になっちゃうけど、彼の所に転がり込んじゃうんだって。
『もう待ってられない』
って、袴田さんの所から、お正月過ぎに帰ってきた第一声がそれ。
『なに言ってるの?式場とかまだ決めてないじゃない。』と、そう責める母に
『あいつが暇になるのなんか待ってたら、一生結婚できないわよ!』
出張っていっても、ゲームソフトの開発チームに引っ張られて行ってのことだから、ほとんど宛われた部屋にも帰ってこないし、無茶苦茶だったんだって、部屋。
『もっとましな人だと思ってたんだよね。いつだって逢うときはきちっとして。でもそれって無理してただけで、仕事しだすと何にもしない人だったのよ!あたしが付いてなくっちゃダメなのよ。それに、あたしがいたら、無理してでも帰ってくるし、休んでくれるし...』
そう言った時のおねえちゃんの表情は照れくさそうだったけど、すごく可愛かった。
『依里子、自分の本音を出せて、その人の為に何かしたいって思えるって、いいね。あたし、はじめてそう思えたんだよ...』
あたしを必要としてくれるんだ、と付け加えて、ちらっと、Vネックのセーターの襟を引き下げて、あたしにだけ見せた...すごい、それって??
『仕事から切り離しちゃうと、あいつすごいんだ。これだけつけて、まだ足りないって...帰るなって、言われて本当に帰りたくなくなっちゃった。』
隙間なく出来たキスマーク、袴田さんの執着が見えるようだった。
今まで、おねえちゃんに対して恰好つけてたぶん、酷い部屋見られて、無精ヒゲボウボウの顔見られて、ぶち切れたらしい。
それがかえって良かったんだとおねえちゃんは言った。
『だから...もう、あたしに気を使ったり、比較したりしちゃダメだよ。あたしはもうあいつのコトなんて思い出す余裕もないほど、今は徹のことでいっぱいなんだから。』
そう言って、いつものおねえちゃんの顔を見せてくれた。
『あんたも卒業でしょ?受験終わったら来るって言ってたけど、当分辞めときなって伝えて。あたしがいなくなって、その上あんたまで先生に盗られたって判ったら、お父さん激怒しちゃうわよ。しばらくは、普通のカレシがいる振りでもしてなさい。』
くしゃってあたしの頭を撫でる。
『おねえちゃん...』
あたしはこれで本当の意味で卒業出来るような気がした。
そのことをせんせいに言ったら、『よかったな。』って言ってくれた。でも『いつでも挨拶には行くぞ』って...
お正月も一日だけ、初詣で逢えただけ。着物着て行けってお母さんが着せてくれるもんだから、せんせい困っちゃって。だって脱がせたら、着れないでしょう?だから、何にも出来なくて、ほんのちょっぴり、隙間からエッチなことされただけ。
その後はたっぷり受験勉強。
私立の滑り止めも受けたけど、やっぱり本命は国公立だったから...
センターでなんとかA判定貰えて、その後の前期試験でなんとか合格が貰えそうだった。だけど、結果が出るのは3月に入ってから。だから、今日の登校日に逢えるのがすごく楽しみだった。
「どうなんだ、自信の程は?」
放課後、数学教官室に入ると、せんせいが笑って迎えてくれた。
「はい、って言いたいけど、時間がたつほどだんだんと自信なくなってきちゃって。」
「そうか。」
やさしく微笑んでくれるせんせいの側まで歩み寄る。
「せんせ?」
目の前まで来た、あたしの制服の裾をせんせいがつんと引いた。
「明日でコレを着るのも最後かな?」
そうなんだ、卒業したらこの制服を着ることも、学校に来ることもなくなる。こうやって、先生とこの部屋で逢うこともなくなるんだ。
そう思うと、今までの思い出が、一気に蘇ってくる。
何度も質問に足を運んだ。先生の声が聞けて、先生を見つめていられるだけでよかったあの頃。
いきなり、せんせいに押し倒されて、責められて、知ってしまったおねえちゃんとの昔の関係。だけど、そこから始まった新しい関係...
抱きしめられて、キスされて、誰にもいえないけれども、コイビト同士。
もう、見てるだけでいいなんて言えなくなってしまった。欲張りになっていく、あたしの心と体。この部屋でも何度も交わしたキス。せんせいの熱い思いを、体ごと伝えられたこともあった。
卒業したら、またもう一歩進んだ関係になれるのだから、うれしいはずなのに、すこし寂しい。
部屋を見回したあと、ちょっとふざけて、『着てほしいなら、また着ますよ』といったらすぐさま引き寄せられた。
暖かい、せんせいの腕の中。しばらくそのままでいた後、そっとひざの上に降ろされた。
そうだ、伝えておかないと、あたしの決意。。
「せんせい、明日、卒業式の後、御祝いしてください。」
驚いた顔のせんせいの首に手を回して耳元でそっと告げた。
『もう先生のせいとじゃなくなりますから』と...
「ま、まだ、結果が出てないんじゃないのか?」
「だめだったら、後期も受けますけど、最悪その時は私立受かってます。結果なんて、待ってても同じだもの。それより、今のあたしには生徒じゃなくなるって事の方が大事なの。それに、ダメだったら、その時は面倒見てくれるって、せんせい言ったよね?」
少し困ったようなせんせいの表情。
先生としては、合格してからのつもりだったんだろうけれども、あたしにとっては、卒業するその日がすごく重要なのだ。ほんとうの卒業記念になるって思えたから...
「卒業式のあと、亜美ちゃん達とお泊りパーティするって親には言ってあるの...」
オールナイトでカラオケルームって、実際何グループかはそのコースだし。だけど、あたしと亜美ちゃんは、カレシとお泊りを選んだ。
ぎゅっと抱きついて、お願いした。駄目だなんて言わないでほしい。すごく勇気がいることだもの、親に嘘をついてのお泊りなんて...
「わかった」
そういってもらえてうれしいのと同時に、少しだけ緊張してしまう。
明日、せんせいのモノになれるんだ。
だけど...痛いんだよね?
今まで、絶対にしないと言ってる先生を信じてたから、怖がらずにいられた。挑発するようなことを言っても、せんせいがしないといったら、絶対しないってわかっていたから。
だけど、明日は最後までしちゃうんだから...
「あー、もうここともお別れ、最後かぁ...」
亜美ちゃんが感慨深げに教室を見回した。
仰げば尊しの流れる中、今日は半数以上が泣いているか、涙を堪えてるように見えた。
もうこれっきり逢えない人もいる。3年間一言も話さなかった、顔だけしか知らない他のクラスの人、挨拶だけしてたクラスメイト。何度が委員会で一緒になった人、1年の時は同じクラスで何度も話してたのに、クラスが変わってから疎遠になっちゃった人、そして、いつの間にかいなくなっていた同級生。
選んで入ったこの高校で、偶然に知り合った人たち、その中でも仲良くなった友達、それから、いろんなことを教えられた先生方。その中で、たった一人、あたしが恋をした人
深山先生、数学教師で、あたしだけの、せんせい...
後者の至る所にある思い出をふたりでたぐった。亜美ちゃんも、2年の半ばから遠野くんとつきあい始めて、二人して授業に出てこなかった日もあった。その理由は、後になってわかったし、その気持ちも今なら判る。ふたりで居たかった時間。ふたりの思いでもいっぱいあるんだよね、この校舎の中に。
「ね、最後に聞いていい?」
「なぁに?」
「依里ちゃんの好きな人、カレシって...深山?」
「...えっ??」
う、嘘っ!気が付かれてたの??
「あはっ、当たったか...水くさいんだもんな、最後まで言わないんだもん。」
「ごめんなさい...でも、こればっかりは誰にも言えなくて...」
「まあ、しょうがないよね。相手があの深山じゃさ...ほんとは依里ちゃんの口から聞きたかったんだ。さっきも、告られてたでしょう?」
「あ...見てたの?」
式が終わった後、クラス委員の黒崎くんに呼び出された。
『3年になってから、だんだんいいなって...けどお互い受験だから何も言えなかった。このまま卒業するのも寂しいから言ってみたんだけど、城野は、カレシ、いるんだよな?』
『う、うん』
『やっぱな、すごく綺麗になっていくんだもんな、遅かったか...気が付くのが。』
それは違うと思った。せんせいに恋して、女になっていくあたしを黒崎くんは見てたんだと思う。せんせいに可愛がられて、どんどんと、気恥ずかしいほど女になっていくあたしは、知らない間に自信をつけていた。愛される、自信みたいなもの。誰かに大切にされていると、女の子はいつだってその人だけのお姫様になれるんだと思う。亜美ちゃんも、あたしも、幸運にもその相手を見つけられた。だからきっと、黒崎くんにも、そんな相手が居るはずだもの。
そのことを告げて、『ありがとう』と『ごめんなさい』を伝えた。
「あの時言ってた、ずっと好きな人って、深山でしょう?依里ちゃん、よくせんせいのトコに行ってたし、『誰』って聞かれて、『ずっと好きだった人』って答えたときにさ、確信しちゃった。年齢的にも、タイプ的にも、あんたの言う社会人のカレシって、深山先生そのものなんだもの。」
「亜美ちゃん、そのこと...」
「大丈夫、誰にも言ってないよ、徹にも。」
「あ、ありがとう、亜美ちゃん!」
あたしは亜美ちゃんに抱きついて、いつの間にか泣いていた。言えば良かった、言ってもっと相談に乗ってもらえば良かった。亜美ちゃんは、こんなにもあたしのことを大事に思ってくれてたのに...遠野くんにも言わずに置いてくれるほど。
「今日のお泊まりの相手、そうなんでしょ?ほんとに今まで、なかったんだよね?」
「ん...今日、たぶん、最後まで...」
「そっか、がんばれ!あたしでも耐えられた痛みだし?深山なんだかんだ言って上手そうじゃん?うちなんてはじめて同志だから大変だったよ、血みどろで...」
「ええ??」
「大丈夫、好きな人に抱いて貰えるんだもん、身体の力抜いて、いい気持ちになっちゃえ!」
「亜美ちゃんったら」
二人して笑い合った。涙を流しながら笑い合って、それからもう一度抱き合った。
周りにはもうほとんど人はいない。親と帰った子も、卒業祝いに繰り出した子も、後輩達と名残を惜しんでる子達もいる。あたし達は、この後それぞれ好きな人と過ごすために残っていた。亜美ちゃんは、遠野くんがサッカー部に挨拶に行ってる間、あたしは先生の仕事が終わって数学教官室に戻れる時間まで。
「おいおい、いつまでレズってんだよ。」
あきれ顔の遠野くんが教室に顔を出す。
「あ、もういいの?」
「ああ、終わった。か、帰ろっか?」
ちょっと照れた顔の遠野くんに亜美ちゃんが駆けよる。いいのかって、あたしのこと気遣ってくれるけど、いいのよってあたしにウインク飛ばしてきた。口元が『が・ん・ば・れ』って、動くのが判る。
これっきりの仲じゃないけど、毎日何もしなくても学校に来れば逢えるのとはまた違う。
せんせいとも...毎日逢えなくなる。
その事を考えるだけで胸がきゅっと痛くなる。二人っきりで逢えなくても、学校にさえ来れば先生の顔を見ることは出来た、そんな日常生活ともお別れなんだ...
あたしは先生の待つ部屋に向かって歩き出した。卒業証書を手に持って。
小さなカバンにはお泊まりのセットと、着替え。
想像するだけで熱くなるような身体にしたのはせんせいなんだからね?
あたしはゆっくりと呼吸を整えて部屋のドアを開けた。
「卒業おめでとう、依里子。」
せんせいが待っていてくれた。あたしは、真っ直ぐにその腕の中に飛び込んでいく。
これからがあたしの本当の卒業式だから。
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