2014サイト開設記念作品

番外編 3 同窓会〜志奈子〜
〜志奈子〜

「ねえ、いつ別れるの」
 鏡越しにわたしを睨みつけていた彼女は、いきなりそう聞いてきた。
「別れる……って?」
 たぶん甲斐くんとってことだろうけど、やだな。宮下さん、すごく怖い顔をしている。酔ってるの?
「別れたらすぐに教えてよね。前にわたしと付き合ってのは知ってるわよね?」
 確かに甲斐くんはいろんな女性と付き合っていた。だけど彼女と付き合っていたかどうかなんて、知らない聞いてたことがなかった。高校時代に付き合っていたのなら、噂になっていたはずだ。3年の時は他校の子だったし、その子もわたしとああなってからは……すぐに別れたって。それじゃ、もしかして大学に入ってからとか、卒業してからとか? さすがに離れてる間に付き合ってた人のことは知らされていない。何人も付き合ったけど全部短い期間でカラダだけの関係がほとんどで、一回限りの子はもう名前も顔も覚えていない、なんて言ってたけど。
「甲斐くんのことが忘れられないのよ。すごくよかったから……ねえ、あいつはまだ浮気しまくりなの? 女遊びは昔から激しかったものね。委員長なら許してくれるからって、結婚したんじゃないの?」
「そんなわけ、ないでしょ」
 何、言ってるの? 浮気するのがわかっているのに結婚するなんて、わたしには考えられないけど。するのがわかっている人との結婚生活もうまくいくはずがないどれほど想い合っていても、言葉ひとつ伝えないだけで上手くいかなくなったりするのに、信用出来ない相手となんて無理に決まっている。最初は自分が浮気相手でセフレだと思っていたけど……それも最初のほうが重なってただけで、途中から誰もいなかったって。他にいる振りをしていただけだって言ってくれた。実際、帰りが遅かったり電話やメールが頻繁だったりしたのは、お父さんのお店を手伝ってホストをしていたためで、浮気とか他に付き合ってた女(ひと)はいなかったって。
「少しぐらい綺麗になったからって、そのレベルでしょ。今のわたしと委員長比べたらどっちが綺麗かなんて見ればわかるわよね? 成績だってわたしのほうが良かったのに……委員長なんて相変わらずあの人にぜんぜん釣り合ってないくせに!」
 そんなこと、今言われてもどうしようもないというか、わかりきっていることなのに……
 確かに宮下さんはわたしよりも成績がよかった。高校時代は同じように眼鏡をかけて髪をひっつめていたけど、わたしみたいに壁を作ったりしてなかったし、普通に派手な子たちとも仲良くしてたはず。今だって彼女はわたしが太刀打ち出来ないほど綺麗になっている。華やかで、スタイリッシュで、自分に自信があって……でも、甲斐くんはそういう女の人はあまり好きじゃなかったはずだ。
「なんで……なんで委員長なのよ! モデルのシュリが相手だって言うから、彼女ならすごくお似合いで敵わないからって、あの時は諦めていたのに!」
「あの……どうして朱里さんが出てくるの? 彼女は彼の父親の奥さまよ」
「知ってるわよ、そのぐらい!! それにくらべて委員長じゃ見劣りするって言ってるのよ! そんな似合いもしない服着て、でかい面しないで! 趣味悪いわ!!」
 なんだか言ってることが支離滅裂気味すぎて、まるでヒステリーを起こしてるみたいだ。だけど、わたしはともかく朱里さんの選んだこの服のことを言われて、さすがにカチンときた。
「そう? これ朱理さんが貸してくれた服だけど。わたしに似合ってないのはしかたがないとしても、彼女が持っている服の趣味が悪いとでも言うの?」
「嘘っ!」
 彼女がわたしの服のタグを覗きこもうとして襟首を掴んで引っ張り、首が絞まった。
「ゲホッ……苦しっ」
「やだ、これブランド物じゃない! まさか……シュリとも、仲がいいっていうの?」
「ええ。ゴホッ……だって身内だし、大学も一緒だったのよ」
「自分は、特別だって言いたいの?」
 呆れてため息が出そうになった。特別もなにも、考えればわかるはずだ。朱理さんと甲斐くんはモデル仲間で、わたしも何度かその関係を疑ったことはあった。実際噂も立っていたけれど、朱里さんは同じ大学で仲良くしてくれて……わたしにおしゃれのアドバイスもしてくれたのだ。今では義理の母親で、家族のひとりである。もっとも義母とかそういう感覚はなくて、甲斐くんのお父さんの奥さんって感じだけど、大切な友人のひとりでもある。
 いったい……彼女はなぜこんなにも怒っているの? 理由はわからないけれど、過去に何があっても答えは同じだ。迷ったりしない。今の甲斐くんはわたしの夫で、愛梨のパパに変わりはない。別れるなんて、ありえない!
「家族と仲良くするのはあたりまえのことでしょう? それとさっきの質問だけど、別れる予定はないわ。どんなに不釣り合いでも彼はわたしの夫だし、子供の父親でもあるの。わたしたちはこれまであまり家庭に恵まれてこなかったから、家族やお互いをすごく大事にしているの。親が別れるとかいう話は子供に聞かせたくないから、そういうこと言うのはやめてもらえるかしら」
「……っ、子供って、わかったわ。委員長わざと子供を作って結婚を迫ったんでしょ?」
「ちが……」
 違う、と言い切れるだろうか? 出来てしまったけどそのことを彼に黙って産もうとしたのは自分だ……
「違わないよね。だって委員長もセフレのひとりだって、あの時甲斐くんも言ってたんだから!」
 セフレ――――その言葉に一瞬身体が強張った。自分ではわかっていたけれど、人に言われるとズシンとその言葉が胸に突き刺さる。
 やり直しの効かない過去、ずっと後悔し続けているけれど、それでもどうにもならない事実。当時の想いが蘇ってきて胸を締め付ける。ほんの少し素直になっていれば、言葉にしていれば……その事実は誰にも知られたくなかったのに、彼女は知ってたんだ。
 知っているのは宮下さんだけなの? もしかして他にも知っている人がいるの? 
 思考がぐるぐると渦巻き、酔いが一層回ったような気がする。立ち眩みでそのまま座り込んでしまいたいのを必死で耐えていた。その時肩と背中に温かいぬくもりが添えられた。
「違うよ、宮下さん。結婚を迫ったのはオレの方。なかなかオレのモノになってくれないから、無理やり孕ませたんだ」
「かい……じゃなかった、史仁さん」
 返事を遮ったのは甲斐くんだった。彼はいつの間にかドアを開けてわたしの傍まで来ていた。倒れそうなわたしを後ろから支え、わたしの腰をぐいっと引き寄せ片腕で抱きしめてくる。安心したのか、身体から強張りが溶けていった。
「嘘よっ!!」
「ホント。コイツ以外と結婚したくなかったから。他の男に渡したくなくて、必死だったんだ」
 彼がどさくさ紛れて髪にキスしてきた。そんなことしたら、余計彼女のことを煽るからやめたほうがいいと思う。
「どうして……どうしてその女が奥さんなの? あの時は本気じゃないって……ただのセフレだって言ったじゃない!」
「ああ、宮下さん見てたんだっけ。オレが校内で志奈子に盛ってたトコ。あの頃はそう思わないとやっていけなかったからね。たしかにまるでセフレのようだったけど、オレは本気だったよ」
 み、見られてたの? そんな……恥ずかしくてその場から消えてしまいたかった。だけど甲斐くんが傍にいる。大丈夫、ひとりじゃない。彼がいてくれるから、怖くない。
「オレは好きだって言葉を志奈子にうまく伝えられなかった。だから高校卒業と同時に逃げられたけど、オレはずっと彼女を探してたんだ。見つけて手に入れて、また逃げられて追いかけて……ようやくこうして手に入れて、けっこう幸せにやってる。頼むからこれ以上よけいなことは言わないでほしいな」
 甲斐くんがわたしの腰に回した手にも力が入る。わかってる、こんなこと言われたぐらいで負けたりしない。
「わたしのほうが……わたしのほうが甲斐くんのことを、ずっと好きだったのよ! ねえ、思い出してよ。わたしたちあんなに愛し合ったじゃない!」
 愛し……あったの? 思わず息が止まり、体中から血の気が引いていくような気がした。急いで彼の方を見つめなおすと、その表情は苦々しく歪んでいた。
 ああ、本当なんだ。彼と関係した人がクラスの中にいるかもしれないとは思っていたけど、まさかこんなふうに聞かされるなんて……グラグラと足元が揺れ落ちそうになるのを再び彼に支えられていた。
『志奈子、オレを信じて……』
 小さく彼が耳元に告げてきた。だけどわたしの思考能力はぼやけて、遠くで聞こえている会話を聞いているようだった。
「なにそれ。こっちは脅されて無理やり寝ただけなのに、愛しあったってことになってるの? 宮下さん、頭がいいはずなのに、そういうとこだけ自分に都合良く出来てるんだね」
 苛立ちを交えた彼の声。脅された……の?
「お、脅してなんかないわ!」
「おかしいなぁ。校内でオレが彼女といいコトしてるのをケータイで撮って、それを盾に自分とも寝ろって言ったんだよね? その写真をばらまいて皆に言いふらすって。それが脅しじゃないとでも? 宮下さんは脅してもソノ気にならないオレのを、無理やり勃たせて上に乗っかって腰振ったんだよね。真面目そうなフリして、どこが志奈子といっしょだよ。どれだけ遊んでるかなんて入れたらすぐにわかるでしょ。それでもオレが逆らわなかったのは、宮下さんが志奈子に何するかわからなかったからだよ」
 そんな……それじゃ、彼女と寝たのはわたしのためだったというの? でも、そんなの……うれしくないよ。おもわずぎゅと彼のシャツの裾を握りしめていた。
「でも……あなたはその後も抱いてくれたじゃない! その時はすっごく激しくて、何度も何度もわたしの中に……朝まで離してくれなかったじゃない!」
 やめて! 嫌だ、聞きたくないそんな話……耳をふさいでしまおうとするわたしを胸元で抱きしめ、彼がゆっくり震えた息を吐く。これは呆れてるんじゃない。怒り出したい気持ちを抑えて必死で力を抜こうとしてるんだ。もし相手が男の人だったら……おそらく彼は殴りかかっていただろう。
「それって、宮下さんがオレになんか変なモノ使った時のこと? 志奈子に黙って逃げられて凹みまくって自棄になってた時、わざと昔の志奈子みたいにメガネかけて髪ひっつめて親父の店に来たんだよな。オレを指名して、たらふく飲ませて……志奈子だって思い込まされた。そりゃ彼女だと思い込んでたら激しくもなるよ。あの頃のオレは志奈子に飢えて狂いかけてから。ああ……あれはもしかしてリベンジのつもりだった? 前に『委員長と同じように抱け』って言われても到底無理だったから。だって見てたんだもんな、オレがどれほど志奈子を求めて、どれだけ激しく抱いてたか……その違いにあんたのプライドは耐えられなかったんだよね。まあ、何を使ったかなんてもうどうでもいい。当時荒れてたことは志奈子も知ってるから。だけどもうこれ以上、オレたちをかき回したり彼女を侮辱したりするような言動はやめてくれ」
 わたしだと思い込まされて、何かって……もしかしてクスリとか使われたの? わたしだと思って?
 たしかに当時の彼は随分と荒れていたそうだ。それは逃げたわたしも悪かったから……再会するまでいろんな女の人と遊んでたのもしょうがないって思ってる自棄になってたから誰でも良かったって……言ってくれたから。
「どうしてよ! どうして委員長はよくて、わたしじゃダメだったの……どこが違うっていうのよ? わたしのほうが頭も良かったじゃない! 相手がシュリだったら、あんなきれいな人が相手だったら諦めもついたのに……」
「朱里はいいトモダチだったけど、別にキレイじゃなきゃダメだなんてオレは思わないけど? 頭がいいとかそういうのも関係ない。志奈子だから――――愛してるから追いかけて必死になって自分のものにしたんだ。いったい誰のどこと比べろっていうんだよ」
「甲斐くんが選んだ人がわたしよりきれいな人だったらこんな思いしなくてすんだわ! こんな惨めな思い、委員長だけが特別だなんて許せない! そうだ、カラダでしょ? そんなに委員長のカラダがよかったの?」
 その言葉に、思わず身体がこわばる。そんなふうに思われることが一番こわかった。最初はそのとおりだったのだから。
「まだ……志奈子の事をそんな風に言うんだ」
 甲斐くんの声は怒りをはらんでそろそろ限界みたいだった。もう、いつキレてもおかしくない状態だ。
「宮下さんにそんなこと言う権利も資格もないよな? どれだけ自分が立派だっていうんだよ!! あんたがその気なら、今何やって生活してるのか全部バラそうか? せっかく昔なじみだからって黙っていてあげたのに。前の仕事はとっくにクビになったんだよね。皆には調子いいこと言ってたけど、今の仕事は違うよね?」
 クビになったって、どういうこと? 彼女は確か国立大に行って有名企業に就職して仕事バリバリしてるって、さっきも他の子達と話してた。身につけてる物は全部ブランド物みたいだし、髪型も華やかで……確かにお固い仕事って感じはしないけど。
「まって、わたしは……約束は守ったわ! 彼女のことは誰にも言わなかったのよ?」
「どうぞ、いくらでも言いふらしてもらっても構わないよ。当時は彼女に夢中だったオレが学校の中で盛りまくってただけだから。今のオレは志奈子と再会出来て結婚もしてる。何を言われても平気だし、別れたりもしない。恥ずべきことはなにもない。だけど宮下さんはどう? やってること、誰に言われても恥ずかしくないって言えないよね。借金だらけで、キャバやって、今じゃソープか?」
 ソープって?? ……その言葉に宮下さんは真っ青になった。
「どうして、わたしだけ……こうなるのよ。今まで親の言うとおり塾にも通って、家庭教師について勉強ばっかりしてきた。だけど、なんにもいいことなんてなかった。わたしだって好きな人がよかった。だけど……あんな男に騙されて、ヤラれて、いろんな男ともヤラされて……どんどん自分が汚くなる気がした。だけどそのぶんキレイになれて、化粧して街に出ればいくらでも男の子が寄ってきたわ。委員長は……わたしと同じようでも、ダサくてモテないから勝ってるんだって思ってた。なのに、甲斐くんと校内であんなことしてて……脅したらわたしも同じように抱いてもらえると思ってたのに、一回目は全然相手にしてくれなくて、すごく惨めだったわ。どこが違うのって、腹がたった。それからずっと見てた……甲斐くんがどれだけ委員長のことを見てたか、大事にしてることも全部! だから、委員長のフリしたのよ。大丈夫だっていうハーブ使って……そしたら、余計欲しくなった。こんなに愛してくれる人、欲しくて欲しくて……でも、目が覚めたあとすごく怒って、二度と会ってくれなくなった。なんでわたしじゃダメなのよ! どうしてこんな……ううっ」
 宮下さんはトイレの床に泣き崩れた。
「いい加減にしろよ!」
 彼女の身勝手な言い分に、とうとう甲斐くんがキレた。
「どうして、どうして、どうして! 全部あんたの自業自得だろ? 真面目なフリして遊びまわってただけ! 親の金で塾行かせてもらってるのにサボって夜遊びして、そこで悪い男に引っかかったとしてもある程度は自己責任じゃないのか? 相手が悪かったとしても、最終的には他人にも迷惑かけまくったんだよ。オレが会わなくなってからも、カノジョ面してうちの店に来て、他の客に言いがかりつけてトラブル起こしまくって……あんまり酷いからうちの店は出入り禁止にしたよな? その時に朱理に彼女の振りしてもらったんだっけ。だけどその後も他の店で散々遊んで、ホストに貢いでたんだろ。親が金持ってるからって使い放題ってイイ身分だよな。だけど親も最終的には金を出さなくなった。働いても給料では足りなくって、それでもまだ裏金融で借金してもそういう生活を止めなかったんだよな。取り立てが職場にまで来てせっかく入った会社もクビになって。それが自分以外の誰のせいだって言うんだよ!」
「だって……甲斐くんが」
「オレのせいか? ああ、たしかオレにフラれたからそうなったって親に言ったんだよな。おまけにホスト遊びまで教えて弄んだって? あんたの親が責任取れって怒鳴りこんで言いがかりつけてきたよ。まあ、おまえの親も親だったけどな。自分の娘のやったことは無視して、娘は悪く無いから借金も返しませんって、ほんとタチ悪いよな。どうせ取り立てに来た借金取りにも同じように言ったんじゃないの? うちは同級生だからって親父も黙っててくれたけど、その筋の相手にはそんなの通用しなかったんだろうな、今の仕事見てると」
「そうよ……会社や親のところまで借金取りが来たわ。だけど親はもう知らないって……見捨てられたのよ! だから……だから身体で稼ぐしかなくなったんじゃない!」
「それ、全部あんたが選んだことだろ? 遊ばず、まじめに勉強して仕事してればよかったんだよ。今のあんたがそうなったこととオレたちのことは関係ないだろ? いい加減八つ当たりでこっちに因縁付けるのやめてくれないか。いくら言われても志奈子と別れることもなければ、あんたを好きになることもない。なぜなら……あんたは親父の客たちと同じだったんだよ。オレにセックスを強要してきたあいつらとな。オレも最初は無理やりで、誰かを好きになって経験するなんて恋愛に夢や希望を抱く前にオレの純真は肉欲で潰されたんだ。おかげで人間不信になりかけたよ。あいつらは誘ってくるときは自信満々なんだ。自分がキレイだったら絶対だって思ってるんだ。こっちがどれほど嫌がってるかもしらずに……金持ってて、それで男買って。あんたもあいつらと同じことしたんだ。脅して、オレの一番嫌いな方法で自分を抱かせたんだ」
「そんな……抱いてもらえばわかるはずだったのよ? わたしのほうが委員長よりずっといいって。見た目も変わらなかったでしょ? 勉強はわたしのほうが出来たでしょ? どうして、わたしを選んでくれなかったのよ!!」
 泣きながら宮下さんが彼の脚にしがみついて揺さぶってくる。
 やめてよ……彼にさわらないで!! そんなの、甲斐くんのせいじゃないじゃない……勝手なこと、言わないで!!
「人のせいにしないで」
「えっ?」
 わたしの言葉に、宮下さんが泣くのをやめて顔を上げた。
「あなたがそんなふうに考えるようになったのは、あなたのせいじゃないかもしれない。だからって、人のせいにしたってなんにも解決しないわ! 勝手なこと言わないで!」
 わたしは思わず叫びながら座り込み、床を叩いて彼女の顔を睨みつけた。驚いた彼女は甲斐くんの脚から手を離した。
「確かに、自分の娘がやったことを責任も取らず人のせいにするような親に育てられたらそうなるかもね。親だけは選べないから……でも、いくら人を頼ってもダメなのよ? わたしはずっと子供の頃から諦めて育ってきた。温かいご飯や寝床がなくても、人のせいにして駄々こねても手に入らないものははいらないってわかってたから。自分でどうやったらいいか、考えて動かないといけないの。どんな人生を選ぶか、そしてどう進むのか、責任を取るのも全部自分なの」
「えらそうに……いわないでよ」
「言うわよ! だって、自分が親になってわかったことがいっぱいあるもの。子育てってやり直しがきかなくて、すごく怖いのよ。自分の子がどんなふうに育つのか、育て方次第なの。でもね、どう育ててもどう育っても、結局自分の人生を決めるのはその子次第。まともに親に育ててもらえなかったわたし達が今、それを実感してるの。だから今はふたりで幸せな家庭築こうと必死に頑張ってる。わたしたちがどんなに望んでも手に入らなかった、あたたかな家庭ってものをやっとふたりで作りあげているの。だから――――邪魔しないで! この幸せは誰にも奪わせたりしない。わたしが守るんだから……どんなことをしてでも!」
 身体の震えは止まっていた。甲斐くんの肩を抱く手が少し緩む。わたしは大きく息を吸い込んで自分を落ち着かせた。
「ねえ、本当にいろんなことが全部初めてで幸せなのって、わかる? 毎日誰かがそばに居てくれること。ただいま、おかえりって言える相手がいること。それから……家族で誕生日を祝うのも、クリスマスや正月を迎えることも。その喜びがわかる? わたしも甲斐くんも、親がちゃんと揃ってる家庭があたりまえじゃなかった。大事にしたい人がいて、大事にしてくれる人がいる。あなたのご両親だって、やり方を間違えたとしても大事に育ててくれたんでしょ? わたしたちはようやく今それを手に入れたところなの。だから……あなたも人のせいにしたりしないで。人を羨んでばかりじゃなくて、自分の力で手に入れてよ! あなたがこれからどんな人生を選ぶのかもあなた次第なんだから。今が嫌ならやり直せばいいじゃない! 人のせいにしてたって何も変わらないわ」
「あなたに……わたしのなにがわかるのよ。こうなるまで、誰も助けてくれなかった……今までいっぱい勉強して我慢してきたのに、誰も……」
「結局あんたは甘えてるんだろ。甘えたり逆らったりできる相手がいるのは幸せな証拠なんだ。知ってたか? 高校時代、委員長がボロいアパートにひとりで住んでたこと。最初はオレも彼女は普通の厳しい家のお嬢さんだと思ってた。だけど本当はそうじゃなかった。親が構いに来ることもなく、全部一人でやって来たんだ。それが当たり前だったから。志奈子の母親は彼女のことを考える余裕がなくて、幼い頃から親に放置されて飯もまともに食えなかったんだ。夜中にひとり外に出されても必死に自分を守ってきた。将来のことを考えて安定した生活を手に入るためにと、必死で勉強して……これまで自分の力で一生懸命生きてたんだ」
 優しい彼の目がわたしを包みこんでくれていた。そんなわたしをわかってくれたのも甲斐くんだけだったよね。
「だから惹かれたんだ、こいつの強さに。頑ななところもあるけど、それが志奈子だったから。それに比べてあんたはどうだよ。親の愛情に、金に、甘えて溺れただけだよな。親に尻拭いしてもらって、人のせいにしてばっかりで、自分で何とかしようとしなかったよな? オレに何とかしてくれって縋られても困るんだ。寂しい気持ちをセックスで紛らわせることしか知らなかったオレを変えてくれたのは彼女なんだ。本当にオレのことをわかってくれるのは志奈子だけだった。一番欲しかった物を彼女はくれた。オレ達は家族に恵まれて育ったわけじゃない。誰かに愛されることも愛することも知らなかったから、互いのことを信じるのが怖くて、ずっと素直になれなかったんだ。だけど、志奈子がオレのすべてを救ってくれた。他の誰とも共有できない思いを彼女が持ってるからこそ、今も一緒にいるんだ。彼女とならあたたかい家庭を一から築ける。一緒に幸せになりたい。こんなに愛しい存在は他にないんだ」
 それはわたしも同じ思いだよ、甲斐くん。
「ねえ、宮下さんは今でも甲斐くんのことが好きってわけじゃないよね。昔、自分より下だと思ってたわたしが甲斐くんと幸せになってるのが腹ただしかっただけでしょ? そうじゃないなら、自分で手に入れればいいわ。彼のことを理解して、無理やりじゃなくて本当に好きにさせればいい。本気ならかかってきてよ。わたしももう逃げない。わたしだって……彼を、史仁さんを誰よりも愛してるの! だからあなたには絶対に渡さない……」
 ヒューっと口笛が後ろで鳴った。洗面所のドアの向こうに数名が顔をのぞかせていた。その先頭で口笛を吹いたのは風間くんだった。
「亮平?」
「さすが、史仁を変えた嫁さんだけあるよな、委員長」
 言い争ってる声を聞いて、店の主である風間くんを誰かが呼びに行ってくれたのだろう。
「さて、ここは僕の出番かな?」
 その後ろから、にこにこと笑いながら小池くんが進み出てくる。
「僕は今こういうのやってます。よかったら相談においで。何とか出来るかもしれない」
 そう言って宮下さんに名刺を差し出していた。そこには彼が所属する弁護士事務所の名前が書いてあった。
「ああ。もちろん無料じゃないけど、安いよ。人の弱みにつけ込むヤクザな奴らは嫌いなんだ。僕も親が不法な借金取りに随分苦しめられてね、それが理由で弁護士になったようなものだから。今いる事務所もどちらかと言うとそういった支援に力入れてるところなんだ」
 笑ってそう言う小池くんがすごくかっこよく見えた。
「……はじめて、助けてあげるって言われた。誰も助けてくれなくて、苦しくて、そんな自分にすごく腹が立って……もうどうしようもなくて……わたし、わたし……」
 その言葉に安心したのか、宮下さんは名刺を抱きしめて大声で泣き崩れた。昔一緒にいた子達が傍に寄って宥めるように彼女の背中を撫でていた。
「自分の夢や希望を叶えた奴も、叶えれなかったやつも、色々あるさ。それひっくるめて同窓会だよな。頑張ってない奴は頑張ろうって思えばいい。困ってたら助けられる奴が助ければいい。だけど足の引っ張り合いや頑張ってるヤツをひがんで貶めるようなことはやめようぜ」
 風間くんの言葉に皆がウンウンと頷いている。
「俺も頑張るよ、安月給の社員だけど。いつか嫁さんもらって幸せにする!」
「その前に相手見つけろよ」
「カノジョ、欲しいよぉ!!」
「自分磨け! その前にちゃんと就職しろよ。イイトコあったら声かけるからさ」
「頼むよ! 今度はオレ、頑張る!」
 その場にいた人たちが皆、声を出して今の自分をさらけ出していた。
「わたしも女を磨くわ! 委員長、教えてよ。どうすればいい?」
「そんな、わたしが教わりたい……」
 女磨きってなんてわたしにはわからない。教えて欲しいのはこっちのほうだ。
「何を教わる必要があるんだよ。委員長はコイツを幸せにしてやればいいの。あんまりいい女になりすぎると、さっきみたいに史仁がずーっと目を見張らせてないいといけなくなるだろ? 心労を増やさないでいてやってくれ、ハゲるぞ」
「オレはハゲねえよ!」
 香川くんの言葉に甲斐くんがムキになって笑いを呼んだ。
「わたし……今日の委員長を見てて、羨まししくて悔しかった。今の自分とすごく差がありすぎて……もしあの時、わたしを選んでもらってたら、今彼の隣にいるのは自分かもしれないって。そう思い込まないとやっていけないぐらい、今の生活は酷くて逃げ出せなくて……でも、できることならもう一度……やり直したい」
 宮下さんの言葉に、回りにいた皆が頷く。頑張れって声も聞こえた。
 大変だとは思うけど、今よりはいい方に動くはずだ。小池くんもついてくれてるし。送って行くと言って、小池くんは宮下さんを店から連れて行った。
「さてと、飲み直そうぜ。史仁も嫁を信じて、この店の中でぐらい放し飼いにする器量を見せてやれよ」
「ああ」
 香川くんの言葉にそこにいた皆はぞろぞろと店の中に戻っていった。こっちで何があったかわからない子たちは不思議そうな顔をしてたけど。
「さて仕切りなおしだ。ここにいるみんなの前途を祝して乾杯だ!」
 風間くんの掛け声に一斉にグラスの鳴る音が店内に響いた。
「おまえも、飲んでいいぞ」
 そう言ってグラスを渡されたのは、さっきとは色の違うカクテル。
「じゃあ、お言葉にあまえて」
 そっと口にしたカクテルは甘くて酸っぱくて……少しだけ苦かった。
2014.11.29
11周年Thank you!
なんか長くなりすぎてすみません(汗)ふたりのらぶらぶはもう1話、次になります(汗)
同窓会のその夜、予定では両視点。来月には……(汗)
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