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社会人編

〜志奈子・8〜

卒業式の日、わたしは先日買ったばかりのお腹の目立たないフォーマルのスーツで、巣立つ生徒達を見送った。3年生を担任していた日高先生も紋付き袴姿で男泣きしていたので、シャメして正岡先生に送ってあげようかとも思ったけど、あんまりすごい泣き顔だったら普通の写真にしておいた。
一旦、教室でお別れをした生徒達は、後輩達に見送られ、並んで校門を出て行く。その後は写真撮影大会だ。田舎なので、小学校からずっと一緒の子達が多く、この度の高校進学で初めて今まで一緒だった友人達と離れ離れになる。彼らが遭遇する、最初の大きな別れの儀式だった。別れがたい女の子同士は抱き合って涙し、照れくさげな男の子達は母親にせかされて写真を撮る。今まで当たり前のように学校で顔を合わせていた同級生と、明日から気軽に会えなくなってしまうから……

「先生!」
駆けよってきたのは中嶋さんとそのカレシの飯田くんだった。
周りの人影はかなり少なくなっていた。部室に向かった生徒達もいたし、早々に両親と帰宅した子もいる。残った子たちは名残惜しげに話しており、教師達も3年の担任を残して職員室に戻ったようだ。
「どうしたの?二人で撮るならシャッター押そうか?」
「先生のシャメ撮ってイイ?」
「それなら一緒に撮りましょうよ」
そう言って中嶋さんと二人並んだところを飯田くんがケータイで撮ってくれた。
「先生、最後に聞いていい?」
隣にならんだ中嶋さんが上目遣いで問いかけてきた。
「何を?」
「嘘付かないで答えて」
それは、普段のんびりと話す彼女らしくない、真剣な声だった。
「どうしたの?」
「先生……日高先生とは結婚しないんだよね?」
「そうよ、するのは正岡先生だって言ったでしょ?」
「だったら、先生の好きな人は誰なの?」
「えっ……何を、言い出すの」
中嶋さんの手がわたしの腕を掴む。その強さで彼女が本気で聞いているのがわかる。
「先生はずっとわたしの話聞いてくれたよね?ショーヘイのこと相談したら、気持ちわかるよって……それって先生も好きな人が居たからだよね?」
彼女が本気で聞いてきているのなら、わたしもきちんと答えないといけないだろう。
「そうよ……好きな人、居たよ」
「それは日高先生じゃないよね?」
「もちろんよ」
「その人のことは、今でも好き?」
答えにくいけど決まっている答え。それを今更口にするのは躊躇われたけれども、この子達に嘘は付きたくなかった。
「好きよ。ずっと……」
「だってさ、甲斐さん。聞こえた?」
いつの間にか側に来ていた飯田くんが口にした名前……今、甲斐って言わなかった?
「……飯田くん?」
「結婚はしないんだよね?」
ケータイを掲げたまま、彼は再び聞いてきた。何?どうして彼がそんなこと言うの?
「しないけど……なんでそんなこと……」
「やっぱりしないって。今でもずっと好きな人の名前は?言ってよ、志奈子先生」
言いたいけど言えるわけ無いじゃない……
「先生、教えて!好きな人の名前」
中嶋さんもそう言ってしがみついて離れない。
「おい、おまえ達……そろそろ」
様子がおかしいわたしたちを心配した日高先生が、後ろの離れた場所からこちらへ向かってこようとする。その方向を振り返ると、その姿の向こうに見覚えある人影……
「か、甲斐くん……!」
「それが先生の好きな人の名前だよね?」
飯田くんが念を押してくる。わたしは……振り向いたままゆっくりと頷いた。もう嘘も偽りも言いたくない。
好きなのはたった一人、甲斐くんだけだから。
だけど……どうして目の前にいるの?これは、もしかして幻なの?
ケータイを耳に当てていた甲斐くんが、そっとその手を降ろしてケータイを閉じると、ゆっくりとわたしに向かって歩いてくる。止めようとした日高先生を、飯田くんが駆けよって止めた。
「志奈子……オレのこと、好きなんだよな?」
「甲斐……くん」
「結婚なんてしないんだろ?」
「……しないわ。でも、甲斐くんは朱理さんと……結婚したんでしょ?子供も出来たって……」
「はぁ?してないよ!何言ってるんだよ……オレが結婚したって思いこんでるみたいだけど、それ誰が言ったんだ?朱理が結婚したのはオレの親父、子供ももちろん親父の子だからな」
「嘘……おとうさんって、あの?」
「ああ、あのアホ親父、息子と同い年の女に手出して……本気になりやがった。ちなみに大学時代から付き合ってたから、あの二人。たまに仕事で迎えに行けない時に、オレが代わりに行かされたりもしたけどさ……なあ、マジで疑ってたのか?」
「だって……デートだってしてたし」
「してねえよ。仕事の関係で一緒に飯食ったりはしていたけど。大抵、他に誰か一緒に居たぞ?」
「でも、ずっと香水の匂いとかしてたし……週末も帰ってこなかったから」
「ああ、おまえと暮らし始めてから……親父の店で働いて、ホストやってたんだよ。だけど、オレは客と寝てないぞ?」
「でも……」
「他に聞きたいことがないなら、今度はオレが聞きたいんだけど」
「……な、なに」
近づいてきた甲斐くんの視線が下へ降りていく。
「そこに……オレの子がいるのか?」
その視線はわたしのお腹の辺りで止まり、その手がそっとそこに宛われた。
「なっ……」
「ごめん……先生……」
後ろから謝ってくる中嶋さんの声。
「この間、先生がメルアドの登録の仕方がわからないって言ったから、わたしが代わりにやったでしょ?あの時、機種が違ってて赤外線のやり方がわからなかったから、先生のケータイから自分にメールして登録したんだ。そのときちらっとみたら正岡先生とのやりとりがあって、すごく気になってメールの内容見ちゃったの。だってずっとショーヘイから甲斐さんとの話を聞いてたから……その後も志奈子先生は、わたしにケータイ預けたまま日高先生としばらく話してたでしょ?わたし、その間に受信メールや送信メールを何通か自分宛てに転送したの、特に写真付きのを……勝手にごめんなさい!でも、その中に赤ちゃんの写真とか、先生がドレス着てるのとかあって……メールの中にも赤ちゃんとか産婦人科とか色々書いてあって、大変だって思ったから」
確かに、赤ちゃんのエコーの写真とか、ドレス着た写真のやりとりを正岡先生とメールでしていた。
「やれって言ったのオレだから。それを見てオレがこの人に連絡したんだ。だって、樹理から聞く先生の情報と、この人から聞く話しがやたらくい違ってて、おかしいと思ってさ」
飯田くんと中嶋さんが、甲斐くんと知り合いだったの?
「オレが前にこっちに来たとき知り合った翔平に、おまえの様子とか色々聞いてたんだ。ダメだとわかっていても、おまえのことが知りたくて……ごめんな、ストーカーみたいな真似して」
甲斐くんも謝ってくれるけど、どういうこと?知ってるの、全部……
「ごめんなさい、先生。でも、黙ってちゃだめだって言ったじゃない!こんな大事なこと……わたしだってショーヘイにはちゃんと思ってる事みんな話してるよ?おかあさんにも……そしたら色々話してくれて、少しはわかりあえたと思うもん。ちゃんと言わなきゃって、伝えなきゃダメだって言ったのは先生でしょ?だから……」
「……中嶋さん」
「好きなら好きって言うんでしょ、先生!」
「……ええ」
言っていいのなら……聞きたい。
「甲斐くんは、結婚しない?」
「ああ、志奈子以外とはするつもりはない」
「朱理さんの子供は……」
「親父の子供だから、産まれたら異母兄弟になるな。この歳でおにーちゃんとおとうさんに、いっぺんになるんだよな、オレ」
「じゃあ……」
「その子がオレの子なら、なんで言わなかった?」
「だって……朱理さんと」
「違うって言っただろ?」
「だから無理だって思って……」
「無理じゃない!オレが、ダメなんだ……志奈子じゃないと」
「……甲斐、くん……」
「言えよ、志奈子……オレは言ったぞ?何度も志奈子が好きだって。途中からは、志奈子のことセフレだなんて思ってなかったし、おまえ以外誰も抱いてない。志奈子だけが好きで大事にしたかったから、望むように手放した……その後酷く後悔したから、もう一度おまえを手に入れる為にここに来たんだ。まさか、もうピルを飲んでないなんて思っていなかったけど、オレは……いつ出来てもいい気持ちで抱いてんだ。一緒に住むまえから、ずっと」
「嘘……だって、甲斐くんは、わたしのことなんか……」
さっき止まったはずの涙が、再びぽろぽろとこぼれはじめた。
「最初が最初だったから、オレたちは互いに思ってることを口にしなかった。だから……遠回りしてしまったんだよな?」
その手が愛おしげにわたしの頬に触れその涙をすくった。
「甲斐くん……」
「愛してる、志奈子……もう一度やり直そう」
甲斐くんがわたしの身体を抱きしめる。強く……優しく。
「わ、わたしも……好き……だったの。ずっと……愛してた……」
自分の手を甲斐くんの背中に回して、ぎゅうっとしがみついた。甲斐くんから伝わってくる体温と鼓動が、これが現実だと教えてくれていた。
「おい、過去形にすんなよ……今も、だろ?」
「うん……今も」
嗚咽が込み上げてきて『愛してる』と言えない分、抱きつく強さで想いを伝えた。
「志奈子……もう、離さない。オレの子……産んでくれよ。オレたちで育てよう。オレたちがして欲しかったこといっぱいしてやるんだ」
「うん……うん……」
もう声にならなかった。頷いて答えるのが精一杯で……

「あー、大変申し訳ないが……」
コホンと後ろから咳払いが聞こえて、そちらを見た甲斐くんの顔がちょっと怖くなる。
「中学校の校庭ではそこまでにしてくれないか?まだ生徒も保護者達も残ってるんだ」
ああ、そうだった。卒業式の後で、まだ在校生も校舎に残っている。何人か気付いてこっちを見ているような……
「続きは後で思う存分やってくれ。このあと職員会議があるから、それまではお預けだ。甲斐くん」
名前を呼ばれて、ますますムッとした顔になる。
「日高先生、でしたよね……おめでとうございます、ご結婚されるんですって?正岡先生って方と」
「ええ、ですから安心して校門の外で待っていてもらえませんか?」
甲斐くんは日高先生を威嚇しながらわたしの身体をそっと離した。
「待ってていいんだよな?」
「……うん」
少し不安げな顔して甲斐くんがわたしの顔を覗き込んでくる。
本当は、わたしも……離れたくない。だけど、今は最後まで職務を全うすることが最優先だ。
「後で……連絡するから」
「わかった。オレのアドレスあいつらに送らせるから」
耳元で囁く唇が微かに触れて、わたしは思わずびくりと震える。
『馬鹿……そんな顔するな。キスしたいの我慢してるのに』
ちょっと辛そうな顔してそう言った甲斐くんの手が、再び頬を撫でて離れていく。
「先生、よかったね!」
甲斐くんが離れたと同時に、中嶋さんが飛びついてきた。
「樹理、先生に無茶すんなって……よかったな、甲斐さん」
ひょいと中嶋さんの腕を取る飯田くん。ああ、そうだ。雰囲気が甲斐くんと似てたんだ、この子。
「ありがとうな、翔平。待ってるついでに飯、奢ってやるよ、彼女も一緒に」
「マジで?やった!うちは親来てないからOKだぜ。樹理は?」
「先に帰って貰ったから大丈夫だよ」
甲斐くんが日高先生に了解を取ろうとした時、何かしら告げられたようだった。彼は引きつった笑い顔を残して、急ぎ足で二人を連れて行ってしまった。


「よかったな……」
「はい」
卒業式でかなり泣いたと思っていたのに、またいっぱい泣いてしまった。本当はすぐにでも甲斐くんの元へ行きたかった。でも退職まで後わずか……最後まで仕事を果たさなければならない。
「いい男じゃないか?オレには劣るけど」
「……そうですね」
くすくすと、笑うわたしを見て安心したように日高先生も笑ってくれた。
「幸せに、な」
「先生も……あ、でもさっきは何を話してたんですか?甲斐くんに」
「ああ、あれね……船橋先生を泣かせた分と、そのせいで振られたオレの分も後で殴らせろって言っといた。あいつのいるところまでオレが送っていくから。一発ぐらい入れておかないと気がすまんだろ?どうせ、先生はヤツの事を黙って許してしまうだろうからね」
「いえ……今回はわたしだって黙ってませんよ?一発ぐらい殴っておきたいですね」
握り拳を見せると、日高先生は一瞬目を見開いた後、笑い出した。
「それはいい!思いっきりやっとくといいよ。あ……きっと智恵も殴るって言って聞かないぞ?可哀想に、あのきれいな顔がボコボコになりそうだな」
思いっきり甲斐くんを殴ろうとしている正岡先生と日高先生の姿を想像した。笑いをこらえながらわたしたちは職員室に向かう。その後の職員会議で、部外者が校内に入り込んだことを怒られてしまったけれども、日高先生が上手く取りなしてくれて本当に助かった。最後までわたしは日高先生には助けられっぱなしだ。


職員会議後日高先生に送られて、甲斐くんが待つ駐車場へと向かった。職員会議で遅くなってしまったので、中嶋さんたちは先に帰ったらしい。
「うっ!」
「えっ?」
予告通り、日高先生は出会い頭にビシッと一発甲斐くんを殴った。
「これは彼女を泣かせたぶんと、心配させたオレたちの怒りの一発だ。まあ、一発で済んだと思って喜べ。ここに智恵が……オレの婚約者がいたら、おまえのそのきれいな鼻が潰れてるぞ?」
酷い脅し様だったけれども、甲斐くんは甘んじてそれを受けていた。
「ありがとうございます。志奈子を……守ってくださって。翔平の彼女が見せてくれたメールでよく判りました。ただ、あの子達を叱らないでやってください。方法はどうであれ、オレはいくら感謝しても、したりないぐらいなんです。こうやって志奈子を迎えに来ることができたから……すっかり諦めて、半分ヤケになってました。夢も希望も未来も……志奈子と共に全部なくしてたことに気が付いてましたから。こいつがどれほどあなた達を頼りにしてるかも……わかりました。母親と上手くいってることも。ほっとしました。志奈子が人を頼るなんて、本当に今までなかったから……感謝してます」
殴られて吹き飛ばされた後、彼は立ち上がるとそう言って深く頭を下げた。
「わかってるなら、大事にしてやれよ。なんかあったら、おっかないのが飛んで行くからな?」
そのおっかないというのは間違いなく正岡先生のことだろう。
「こっちにもおっかないのがいます。志奈子のこと凄く心配してるよ、朱理のやつ」
「氷室さんが?」
「ああ、子供ももうすぐ産まれるんだ。会ってやってくれるか?あいつは自分じゃ志奈子の友達のつもりでいたんだぞ?まさか自分がオレと付き合ってる相手だと思われてたなんて知らないだろうから……たぶん帰ったらオレは殴られるな、あいつにも」
そう言って自嘲した。
「それは安心だ。すぐ側にそうやって見張ってくれる人が居るなら。そうでなきゃ心配で、あんたみたいなヤツのとこにやれないからな」
日高先生が凄んでそう言うけれども、甲斐くんは全く腹も立てずに笑っていた。
「志奈子が手に入るなら……戻ってくれるならば、どんな扱いを受けてもかまいません。そのぐらいの覚悟はしてます。一人で大きな決心をさせてしまったのだから……」
「判ってるなら、もう何も言わないけどな」
日高先生は、卒業生の担任同士での飲み会があるからと言って帰っていった。
残されたのは二人……陽が落ちて薄暗い駐車場。

「志奈子、ごめんな……勘違いとはいえ、長い間辛い想いをさせて」
「ううん、わたしもちゃんと聞けばよかったの。母とも……誰とだって、ちゃんと言葉にして理解し合うことが大切だったんだよね」
「ああ、オレも……ちゃんと言葉にしていればよかったんだよな」
「甲斐くん、来てくれて……ありがとう」
「オレのほうこそ……子供、守ってくれてありがとうな」
微笑む彼の差し出した手を取る。
わたしは……これ以上の幸せはないと思った。
『幸せだよ』と口にすると、甲斐くんは笑って違うと言った。
「これからは、もっともっと、幸せになるんだ。オレたち……」
彼の視線はわたしの下腹部に落ちる。
「そして、その子を幸せにしてやるんだ」
「うん」
そっと抱き寄せられて、甲斐くんの唇が寄せられる。
軽い、合わせるだけのキス。
「愛してる」
「わたしも、愛してます」
何度も繰り返すだろう。
その言葉で心が繋がるのなら……
口にせず、後悔するぐらいなら、ちゃんと気持ちを伝え合う方がいい。
「話さなきゃならないことが、ありすぎて怖いよ」
「……そうね、どこから?」
「最初から、だな」
「そうね、最初から……」
「その前に、手出したらごめん」
「……」
なんて答えよう?妊娠中は、ダメだよね?本当は……
「少し、だけなら……」
でも、わたしが欲しいと感じてしまう。だから、少しだけなら……ううん、わたしが満足する分だけ甲斐くんが欲しい。
もう、セフレじゃないから。
心と体、両方で抱きしめてほしい……
これから先も、ずっと。
END
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