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社会人編

47
〜甲斐・12〜

オレの掴んだ腕を振り払い、志奈子は店を出て行く。
せっかく志奈子の側に来れたというのに、オレは完全に拒絶されてしまった。

その日以来、逢ってももらえない。もちろんメールもケータイも変わってしまってるので連絡の取りようもなかった。ただ、校門の前とアパートの前で待ち伏せるしか方法がなかった。
だけど、志奈子はオレの方を見ようともしない……前みたいに歩いて校門から出てくることも無くなった。毎日オレの目の前を、あの体育教師の運転する車に乗って通りすぎていく。オレはその姿を指を銜えて見ていることしかできなかった。アパートの前で待っていると、ヤツの車で帰ってきては部屋まで送られていく志奈子の姿を、何度も唇を噛みしめて見送った。
オレとやり直す気なんて全く残っていないのか?
もう話したくないほど……オレは、嫌われていたのか?
それとも……もう、そいつのモノになったのか?
その白い肌をヤツに晒して、そのカラダを抱かせたのか?
触れると敏感で、感じるとよくしなるカラダ……
オレしか知らなかったはずの志奈子が、そのナカに……あいつを迎え入れたのか?
オレにしか見せたことのない、あの淫らで可愛らしい表情をあいつにも見せたのか?
考えるだけで、苦しい……息をしなくちゃと意識すると余計に出来なくて、胸が締め付けられる。
「はぁ……はぁ……っ」
最後まで、志奈子からはオレに対する憎悪や嫌悪は感じられなかった。オレは嫌われてはいない、憎まれてもいない、彼女から憐憫と暖かい愛情を感じたのは気のせいだったのか?
『お願い、行かないで……』
幼い頃、手を伸ばして泣き叫んでも、誰もずっと側に居てくれはしなかった。
目を覚ませば添い寝してくれていた女性は部屋に居なくて、他の部屋で親父の上に乗っかって仰け反って喘いでいる。
いくら欲しがっても手に入らないのなら、最初から求めなければいいはずだった。甘えて、手の中に堕ちてくる甘い蜜だけを啜ればいい。その時だけ抱きしめてくれる腕があればよかった。去っていくモノ、手に入らないモノは最初から諦めていればいいだけだった……
「でも、もう無理なんだ……諦め切れない、離れていられない!おまえがいないと、オレは……」
こんなにも苦しくて、息も出来ないなんて!
もう一度、この手に抱きたい……ずっと側に居て欲しい。
志奈子が……彼女がいなければこれからのオレの人生なんて何の意味もない。オレはまたこの2年間過ごしたように、ただ働いて、食って、寝てを繰り返すのか?
仕事から帰った時、あの部屋に志奈子が居てくれたらどんなに幸せだろう?
オレは急いで仕事から帰って志奈子の作った飯を食って、彼女を抱いて腕の中に閉じこめたまま朝を迎えるのに。おはようのキスをして、仕事に出掛けて、また、志奈子がいる部屋に戻ってくる……
志奈子が出て行くまでの間、ずっと繰り返してきたことだった。あのまま続くものだと、何故あの時は思い込んでいたんだろう?そのうちいつか子供が出来て、志奈子が嫌がっても籍を入れて、家族として暮らす。
夢……だよな。あれだけ長い間一緒に住んでいても、ダメだったんだから……
ああ……志奈子の作った飯が食いたい。あいつを……抱きたい。
それはオレだけの特権だと、信じていたのに……
今は、他の男に抱かれてるのか?他の男の為に料理しているのか?
もう……オレのモノにはなってくれないのか?
誰のモノにもならないと……言ったのに!
だったら……オレは、この先どうやって生きていけばいい?
いや、生きては行ける。今迄みたいに仕事だけこなして、部屋に帰って毎晩志奈子を想って、こんな酸欠のような状態を繰り返すだけだ。
ずっと……待っていた。
志奈子が仕事に慣れて、オレのことを考え直してくれるように時間を空けたのに!
その為に、オレは……逢いに来たんだ。
好きだと……愛していると伝えて、もう一度やり直す為に来たというのに、もう遅すぎたのか?
「なんでオレじゃダメなんだ?」
だめだ!諦めきれない……どうして、そんな男を選ぶんだ?
オレとは正反対で誠実そうだから?それとも……オレに抱かれることで男に慣れた?欲しくなって我慢出来なくなった?
いや……志奈子はそんな女じゃない。
けれども、同僚と付き合っているってことは、恋愛も結婚もOKってことなんだよな?
だったら……その相手がオレじゃだめなのか?もう女がいる振りも、セフレじゃなきゃいけなかった理由もない。
それとも、オレみたいなヤツには愛想が尽きたのか?やっぱりあの教師のように実直そうなヤツの方がいいのか?
予想はしていたんだ。志奈子に新しい男出来て、オレのことなんか……忘れようとしているかもしれないってことも。
ダメだ……このままじゃ帰れない。なんの為にココまで来たんだ?もう一度、ちゃんと最後まで自分の気持ちをきちんと伝えなければ……


「こんな風に……逢って話すだけでもだめか?」
あれから何度も待ち伏せて、ようやく一人で校門を出るところを見つけて周りの生徒達の目も気にせず呼び止めていた。未練たっぷりな自分の口調が情けない。だけど、今は少しでもいいから話を聞いて貰いたかった。
「あと少しだけ……こっちにいられるのは来週までなんだ。その間、一緒にお茶したりご飯食べたりするだけでもいいんだ。もう一度、オレと……」
「話すことなんか何もないわ。もう、判ってるんだから……わたしを惑わす様なこと言わないで」
判ってるって……まさか、オレがずっと志奈子の事を本気だったってこと?もう一度やり直したくてココまで来てること?だけど志奈子が簡単に惑わされてくれるような女じゃないことは一番よく知っている。だけどほんの少しでいいからチャンスが欲しいんだ。オレが想っている様に、志奈子もオレのこと……少しでも好きだと思ってくれなかったか?今ではもうやり直す可能性はないのか?恋愛はたまに早い者勝ちもあるけれども、進路変更する可能性だってあるだろ?
「それじゃ……最後の日だけでもいい。オレがこの街を去る前の日までに、逢って……食事だけでも……だめか?そのあと……オレはもう、二度とこの街に来ないから」
本当は、このままどこかに攫っていきたい。すぐ側にいる志奈子を彼女の部屋に押し込んで朝までそのカラダを貪りたい……
力尽くでそうするのは簡単だけど、それをやっちゃいけないんだ。それをしたら、また昔と同じ繰り返しになるだけだから。
最後に……食事して、もう一度想いを伝えてみよう。それで、ダメだったら諦める……
もうそれしかなかった。


〜最後〜
出て行こうとする志奈子を、どうすれば引き止められるかなんて、もう考えるのも無駄だった。
部屋の中の荷物はキレイに片づけられ、何処に何があるか書いたノートがテーブルに置かれた。オレの好きだと言ったおかずのレシピも挟んであった。
もう、いつ出て行ってもおかしくない志奈子の部屋……段ボールは既に運び出されて、大きな家具はオレが何とかすると言って処分させなかった。
何もかも無くなってしまうのが耐えられなかった。何処にいても志奈子を思い出せる様に、最後の日まで部屋の至る所で抱いた。いっそのこと鎖に繋いでこの部屋で飼えればいいのに……だけど志奈子の夢のためにもオレは表面上は平気な振りをし続けた……今気持ちを打ち明けたところで、志奈子には迷惑なだけだから。

『ちょっと、史仁!どういう事よ!!』
「なんだよっ、いきなり……」
朱理からの電話だった。志奈子とセックスしている間は大抵電源を切っている。
今日も昼間どこかに出掛けていたらしい志奈子を、帰って来るなり抱いた。いくつもの買い物袋を下げた志奈子はどこか楽しそうで、腹が立った。そんなに、ここから出て行くのが嬉しいのかと……よく見ればいつもの志奈子の服じゃない……シンプルだけどオシャレで今までよりも少しだけ肌の露出が多い。そんな色っぽい格好で街を歩いていたのか?
オレは部屋に荷物を持って入る志奈子の後を追って、そのまま彼女の狭いシングルベッドに押し倒した。服がしわになるとか、汗かいてるから嫌だと逃げ腰の彼女を、美味しいと何度も言って体中を舐め回し、半脱ぎの状態の志奈子と強引に繋がった。
たっぷり2時間、買い物疲れの彼女を鳴かせ続けて、しまいには寝入ってしまった。ちょっと悪いコトをしたなと反省して服はちゃんと脱がせて畳んでおいたけど。
『彼女から聞いたけど、あの子引っ越すって……どういう事?やっぱり県外だったんでしょ!あなた達これからどうするのよ?別れるの?』
別れるという言葉にびくりとからだが震えた。そうだ……別れるって事になるのか?
そうだよな……だけど志奈子は付き合ってるという概念も無かっただろうけど。
「おまえには関係ないだろ」
『関係あるわよ!これからもっと仲良くできると思ってたのに!史仁の彼女ってことはわたしにとってある意味……娘みたいなものでしょ?」
それは飛びすぎた発想じゃないか?考えたくないが、親父と朱理が一緒になって、オレと志奈子もそうなれば……必然的にそういう関係になるだろうけど。同い年の母親なんて誰だって嫌だろう?
「今日の買い物だってわたしと一緒だったのよ。今までオシャレとかしなかったのに、ワンピースにあう小物が欲しいって必死で説明してくれるのが可愛くて……あの子が言ってるワンピースって、どう考えても史仁が昔買い取ったやつよね?もういじらしいったらありゃしない!デートって聞いてもうんって言わないし、誰と行くのかって聞いても答えないのよ。わたしにはさりげなく独りで住んでるみたいなこと言うし……あなたちゃんと彼女を大事にしてあげてるの?あの子はね、地味に見えるけどちゃんとすれば凄く可愛いのよ?もう、もったいなくって……わたしとしてはもっと構いたいのに!忠告したでしょ?他県に行っちゃう可能性あるわよって!!』
「仕方ないだろ……あいつが選んだんだから」
『それであんたはいいわけ?』
いいはずがない。だけど、志奈子の夢を邪魔は出来ない。暖かい家庭も、家族の暖かさも知らない志奈子が唯一夢見て目標にしてきた教師になるという事が実現したのだから。
「話しはそれだけか?切るぞ」
『待ってよ、デートなんでしょ?あさって』
「ああ……」
『泣かせたら承知しないから』
オレはそのまま返事せず通話を切った。
「泣きたいのは……こっちだ」
置いて行かれるのはオレの方なのだから。

志奈子が食事の前に映画か買い物に行きたいと言ってきた。もちろん食事は7時からのつもりで予約を取っていたし、そのあとバーラウンジで少し飲んでもイイかなと考えていた。もちろん部屋もダブルの部屋で少しいいところを取ってある。食事まで時間があるから、ショッピングでも映画でも、お茶でも、志奈子が望むところに連れて行ってやろうと思っていた。
今まで何度も女性と一緒に出掛けたコースはいくつもある。ホストの仕事をするようになってからは特にアフターや同伴で食事に付き合うことも多くなった。だけど、志奈子とは一度も、出掛けたことすらなかった事実……
何度か誘ってみたけれども、いつも軽くスルーされて来た。DVDをいくつか借りてきて一緒に観ては彼女の好きそうな映画の傾向を調べたりしたけれども、新作の話しをしても『DVDが出てからでいい。半年ぐらい待つから』そう言うので、志奈子は映画館で観るのはあまり好きじゃないのかなと思ったりもした。オレも映画館にわざわざ出掛けるより部屋でゆっくり観る方が好きだ。感動して震えてる志奈子を引き寄せて、映画の余韻に浸る彼女を優しく抱くと、いつも以上に敏感で甘えてくれたから……
食事だってそうだ。奢るからと言っても『いい……材料買ってあるし』と言われてしまう。まあ、オレも外食より志奈子の作った飯の方がいいから、誘わなくなったんだけど。
一緒に暮らしてたから、無理して逢う必要もなかったし、雰囲気を作らなくても、その気になった時に引き寄せればそれで良かった。志奈子がオレに抱かれることを拒むことはほとんど無かった。特に一緒に住むようになってからは……元々志奈子は『イヤ』とか『ダメ』はデフォルトだったし、感じればなし崩しだったから……
映画館じゃ志奈子の顔が見れないので買い物にした。そうすれば、普段見たことのない彼女の素顔がもっと見れるかもしれない。何かを欲しがったりして、買い物してるところなんて見たこと無いものな。可愛いだろうな……と想像してちょっと楽しみにしていた。

約束の日、オレは朝から出掛けるつもりだったが、志奈子が何か用事があるらしく、午後から駅前で待ち合わせることにした。
「ごめんなさい、ちょっと遅れてしまって……」
駅の改札から出てきた彼女はまるで別人……いや、オレが知ってる中でも一番綺麗な志奈子の姿をしていた。ある意味抱いてる時の彼女に一番近い綺麗さだ。長い髪を全部下ろすのはもちろんオレに抱かれる時だけだったのに、あの乱れる様を彷彿させる緩いウェーブのかかった毛先を散らしてまとめた髪型、そしてオレがずいぶん前に彼女にやったワンピース。それに合わせたヒールにバックは完全に朱理のコーディネートだったが、それでも志奈子に似合う様、上品でシンプルシックなデザインの物が揃えられていた。電車の中は暑かったのか、コートは脱いで手に持ったままの無防備な姿。そんな格好で電車に乗ってきたのか?ちょっと心配になる。なにより、眼鏡をせずにメークしてる彼女を見るのは初めてかもしれない……
眼鏡を外した志奈子の顔はオレだけが知っていた。
無表情に近いけれども微妙に変化する彼女の感情の動きをオレは少しだけ読み取ることが出来た。照れたり嬉しかった時、隠す様に眇められた眉、何かを言いたくても呑み込む時の引き縛った口元、オレが欲しいと無言で強請る時の扇情的な瞳、一番可愛いのはもちろんオレに無茶苦茶にされて泣きながらイク瞬間の……
違う、一番可愛いのは、不意に笑った時の志奈子の笑顔だ。
滅多に見ることは出来なかったけれども、あの表情が一番無防備で可愛いかった。
「いや、そんなに待ってない」
そう伝えると、不意に不安そうだったその表情が緩んで笑った様に見えた。
「よかった……えっと、それじゃ」
この後どうしていいのか迷う志奈子の腕を掴んでオレは歩き出した。
嫌だ……こんな可愛くて無防備な志奈子の姿を、人通りの多い駅前にいつまでも晒しておけない。今日の志奈子はいつもの固い殻を破り捨てた無防備な蝶のようで、開ききらない柔らかな羽根はすぐに傷ついてしまいそうだ。身体の線の出ないはずのワンピースもモデル体型の女達と違って胸や腰がしっかり出てる志奈子が着ると肉感的に、やたら色っぽく見えてしまう。
誰も見るな!こんな彼女を見ていいのも触れてイイのもオレだけなんだ!
周りの視線を避ける様に、オレは停めていた車まで急いで戻った。
今日の車は親父に借りたスポーツ車でも外車でもない。自分が働いて買った車だ。中古で年式もかなり古いけれども一応ミニだ。この車の助手席にはまだ誰も乗せたことがなかった。たぶん、どんな車を持ってきても志奈子は何も言わないだろう。もしこれがそこらの女なら『こんな車に乗るのやだー』とか言いそうなほどボロイんだけど。
何処に行ったらいいのかも判らない志奈子に行き先を聞くつもりはなかった。大きなショッピング街に連れて行き、そこをうろうろする。何か、志奈子に買ってやりたいと思っていた。彼女が迷惑じゃなければ身につけるものを……そう指輪とか?それがダメならペンダントとか、腕時計でもいい。彼女が使ってる腕時計もかなりの年代物だし、何度もベルトを換えてるだけの古いものだ。あれじゃ生徒達に何言われてもおかしくない。今の子たちはオシャレにも敏感だからな。それから服に靴、志奈子に似合いそうなモノは片っ端から買ってやりたかった。だから就職祝いを口実にオレが買うと強引に押し切った。
そう、今まで何もしてやれなかったから……こうやって一緒に出掛けることもなければ、志奈子がどんな好みなのかも知らなかったし知ろうともしなかった。最初は身体さえあればいいと思っていたから余計にそうだったし、外を出歩かないのは単に嫌いなんだと思っていた。だけど今、ショーウインドウを見詰める志奈子の唇はほんの少し開いて、あちこちに目移りしてる様が楽しそうだと告げている。志奈子に似合いそうなもの、志奈子が喜ぶもの、何だって買ってやりたい気分だった。
「あ、りがとう……」
買ってやると、遠慮がちにお礼を言う彼女。今までそんなことしたら嫌われるかもしれないなんて、なんでそんなこと思ってたかな?こういう風に出掛けるのを嫌ってるように見えたのは本心じゃなかったんだ……もしかしたら、志奈子は自分に自信がなかったから外に出なかっただけなのか?
だったら、なんでもっと強引に誘ってでも一緒に出掛けなかった?朱理に頼めばいつだってこの位のオシャレ志奈子にさせてくれただろうに……なんで最後に気が付くかな、オレは。
バカだ……そうだと思いこんで、誘わなかったのはオレの怠慢だ。
彼女もオレに何か買いたいと言ってくれたので、ショーケースにあったタイピンを指さした。引っ越しでこれから色々物いりだろう彼女に何か買って貰うのは気が引けたけれど、オレも欲しかったんだ。志奈子から貰った物、それをずっと身につけていたかったから。

今日は一日、食事が終わるまで、志奈子が言うところの普通のデートってやつをするつもりだった。どんなに志奈子が可愛い表情をしても、いつものように物陰に引き込んでその身体を味わいたくなってもひたすら我慢していた。
なのに……失敗した。
つい、志奈子の食ってるアイスが旨そうに見えて、横からちょっとだけもらった時の驚いた様なちょっと拗ねた様な顔が可愛くて、思わずキスしてしまった。
……バカだろ、オレ。
コレまで散々カラダを重ねてきて、キスだけで済むはず無いくせに。その先全てが想像できるからこそ、止められなくなる欲情を押さえ込むのにどれほど苦労しなければならなかったか。おかげで興奮したままホテルまで運転する羽目になった。
予約していたホテルのレストランで食事してる時も、いつも以上に色っぽい口元がオレを誘っている様でたまらなかった。一生懸命慣れないナイフフォークを使って食べてる表情はいつもより豊かで、落とさない様受けにいく口元とあの舌の動きはオレを誘ってるとしか思えなかった。食事が終わったあとすぐにでも部屋に連れ込みたかったけど、それはしない……今日だけは。
志奈子とはバーどころか居酒屋にすら飲みに行ったことがなかった。だから、せめてこのホテルの最上階にあるスカイラウンジからの夜景を見せて、美味しいカクテルを飲ませてやりたかった。部屋に行くのはその後でいい。
ホテルに到着すると、彼女はまさかこんなところで食事すると思ってなかったらしく、ちょっと吃驚していた。だけどココなら全てが一ヶ所で済む。美味しい食事も、美味しいお酒も、そして綺麗な部屋も、最高のサービスも……
あの部屋に戻っても、もう志奈子の荷物はほとんど残っていないから。今夜は、ここで……思いっきり愛し合いたかった。ここなら、志奈子の手を患わすことなく朝まで過ごすことが出来るだろうから。

「うわぁ……綺麗」
最近のホテルのラウンジは並んで座る席も用意されている。外の景色を一緒に見ながら飲めるって寸法だ。ライトアップされた観覧車にベイブリッジ。ベタなデートなんかバカにすると思っていたけれどもそんなことなかった。素直に綺麗なモノにはキレイだと感動している志奈子。飲み慣れない彼女には甘めでアルコール度数の低いロングのカクテルを、オレは無難にドライマティーニを頼んだ。
「今までありがとう」
志奈子から繰り返されるありがとうの数々……オレは、彼女からお礼を言われる様なこと、何かしたか?いつだって自分勝手に求めて、抱いて、何一つ言葉にしてこなかった。そのくせ、ずっとこの生活が続くと思ってたなんて、お気楽すぎたよな?志奈子にはオレが必要なはずだと勝手に思いこんで、彼女が去っていく事が判った瞬間、焦りもしたしどうやって引き止めようかとも考えた。だけど、説得するよりも先に全ての準備が終えられていて、どうやっても彼女の気が変わることは無いように思えた。まだ、何も言わずにいなくなるよりマシだったし……だから、心の内を告げることは諦めた。今更口にしたところで、彼女が残ってくれることはないだろう。志奈子が意志の強い女だって事はイヤと言っていいほど知っていた。何度も、オレの前から姿を消そうとしたし。
だったら……どうせ今夜が最後なら、目一杯楽しめばいい。オレの気持ちなんて今更聞いても、新しく旅立つ志奈子には迷惑なだけだろうから。だから、志奈子に最高の思い出をプレゼントしたかった。
並んで座って、どこからどう見ても仲のいいカップルに見えるオレたちは、明日の別れのことも口にせず、夜景を見詰めながらゆっくりと飲んでいた。
「今日のわたしは、甲斐くんと並んでも……変じゃなかった?甲斐くんは恥ずかしくなかった?」
不意に志奈子が聞いてくる。食事だって、もっと普通のところでよかったと、相変わらず貧乏くさいことを言う志奈子の声は、不安そうに震えていた。
「そんなはずないだろ?何言ってんだよ……」
なんでオレが恥ずかしい?今日の志奈子は一緒にいると落ち着かないほどキレイだし、他の男共に見せたくない位だ。綺麗だって、言ってやればいいのに、こういう時のオレは照れて何も言えなくなる。だけどそれだけの言葉で、志奈子は安心した様に背もたれにカラダを預けて深い安堵の息を吐いた。普段は……まあ、あんまりオシャレな格好はしていないけれどもそれがどうしたっていうんだ?ずっと気にしてたのか、やっぱり……だから一緒に出掛けなかったのか?
「志奈子、おまえさ」
どうしていつもそんな自分を卑下する様なことを口にするんだと言いかけて、すぐさま彼女の言葉を前に呑み込んだ。
「わたしね、甲斐くんとこうやって出かけるの一度やってみたかったの」
だったら何でもっと早くに言わない?思い残すことはないってどういうことだ?恋人同士みたいなことって……オレたちはそんな関係じゃなかったって、言いたいのか?
「なあ、やっぱり前に言ってた事は今も同じなのか?」
最初に聞いていた、あの恋愛も結婚も一生しないって言葉。一緒に暮らした日々も、あんなに抱き合ったことも、全部無かったことにしたいのか?おまえは……
「そうだね……あんな母親見てきたから、それは変わらないよ」
そっか……変わらなかったか。どんなに抱いても、毎日一緒に居ても、彼女の気持ちを変えることが出来なかった。それが現実。
「オレも、感謝してる」
いつだってオレの為に料理してくれたこと。身の回りのことも、家賃の分だと思ってしていたんだろうけど、それでも嬉しかった……誰かと毎日食事するなんて今までなかったことだったし、一緒に暮らして、出迎えてもらえる暖かさを知った。逃げない、オレだけの温もりを手に入れたと思っていた。
「抱いてくれてありがとう」
抱かれるのは好きだと言っていたから、それだけは聞かなくても判っていた。だから抱き続けてきた。感じやすくてすぐ反応する……オレを容易く受け入れてくれるから。だけどまさか、礼を言われるなんて思ってもいなかった。
「誰かに抱きしめられるなんて、甲斐くんが初めてだった……母親にさえもロクに抱きしめて貰えなかったから。毎晩温かかった。何も考えずに眠ることが出来たの……本当にありがとう」
ああ、そういうことだったのか……母親の腕の温もりを知らなかったから、だからオレに抱かれることで少しは温まれたのか?ただ抱きしめるだけが出来なくて御免。何もせずにいるなんてオレには無理だったから。オレも……志奈子のナカに潜り込んでその温もりを確かめていたんだ。
オレたちは……足りなかったモノを互いのカラダで埋めていただけだったんだな?
「泣くな」
必死で涙を堪える彼女の震える肩に手を回すと、くぐもった嗚咽が喉の奥で何度も堪えきれずに漏れている。泣かずにいようと必死で堪える志奈子を、思いっきり抱きしめてやりたかった……
「最後に……抱いて」
胸のシャツを震わせて伝わったその小さな囁きはオレのカラダの芯を揺さぶった。
志奈子が……自ら抱いて欲しいと、オレを……求めてくれるのか?
快感に狂わせたあげくのセリフじゃない。まだそんなに酔っぱらってるわけでもない。少しのアルコールのせいかもしれないが、こんなことは……初めてだった。
いつだってオレが求めるばかりで、オレだけが夢中な気がしてた。だから……いつ拒否されるかずっと不安だった……
オレは志奈子の肩を抱いたまま、取っていた部屋へと急いだ。
早く……早く、志奈子の気が変わらぬうちに抱きたかった。


何度も抱いた……
我慢しきれずにエレベーターの中で奪った唇。
部屋に入ってすぐに性急に繋がろうとはやる気持ちを抑えるのに必死だった。
自ら上に乗り腰を振る志奈子
獣の様に上げる喘ぎ声
感じて……奥までオレを呑み込んだまま何度も果てる
オレも……何度も、何度も、志奈子に注ぎ続ける。
気を失った志奈子のカラダに、まだ足りないと腰を振り続けたオレは……
離したくないくせに、そう言えない情けないオレは、ひたすら志奈子を突き上げ続けることでその気持ちを追い払おうと必死だった。
何度でもしたかった。
ずっと、抱き続けていたかった。
もう、最後だと思うと、離れられなかった……
カラダは怠く、もう打ち止めだと思うのに、もっと、もっと欲しくて……離れたくなくて……
「もう一回、したい」
「え?」
「もう一回、もっと……したい」
うわごとの様に繰り返して志奈子の中を、もうこれ以上無理なはずのソレで擦り上げる。
「本当は、離したくない……だけど、志奈子の夢だもんな……先生になるのは。だから……」
だから、オレは諦める。どんなに志奈子のことが好きでも、離したくなくても、オレは……ひとつぐらい彼女の為になることをしてやらないといけないと思っていた。
それが志奈子を送り出してやることだから……
志奈子……志奈子……志奈子
「愛してる」
隣で眠る愛しい存在に、オレはそっと告げた。
愛しているから、今は……この手を離そう。彼女の為に……

「それじゃ」
駅に向かう志奈子を送り、改札口に消えていくその背中に別れを告げた。
最後まで……面と向かって言えなかった。
好きだと……愛していた、ずっと一緒に居たかった、と。
手放したモノの大きさを知っていて、オレは……
拒否されるのが怖くて、それから2年近く再会するのを恐れて動けなくなる。
そのことで、酷く後悔することになるというのに……
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