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社会人編

48
〜甲斐・13〜

「最後に、食事だけ……なら」
諦めた様にため息をついて志奈子は承知してくれた。

何度も何度も待ち伏せて、迷惑をかけない様に声もかけず通い詰めた。
学校、アパートの前……下手に通報されたらアウトだったと思う。おかげで下校中の生徒の一部に顔を覚えられて、女子中学生に逆ナンされたりもした。さすがに女の子相手じゃヤバいから、男子中学生に声かけたら腹一杯のファーストフードのハンバーガーで情報を流してくれた。
「付き合ってるのは日高圭一、28歳の体育教師。今まで彼女無しの超真面目なので有名だったんだ。船橋先生が赴任してきて半年ぐらいからモーションかけてて、付き合いだしたのは今年に入ってからだと思うよ。他に聞きたいことは?」
「船橋先生の評判は?」
「まあ、特に良くも悪くもないんじゃない?あんまり冗談通じないのわかってるから、オレたちもあんまりからかったりしなかったしなぁ。でも女子生徒は結構懐いてるかな?話し聞いてくれるって喜んでた。オレのカノジョ」
飯田翔平という中3の少年は、部活も引退してヒマだからという理由でこうやって付き合ってくれてる。声かけたのも偶然で、ここで判らない問題を他の生徒と付き合ってたのを見つけて教えたのがきっかけだった。
「噂じゃ来年の春には結婚するんじゃないかって話。でもまだ指輪はしてきたこと無いよ」
「そっか……」
「おにーさんさぁ、そんだけオトコマエだったら別に志奈子先生じゃなくてもいいんじゃないの?」
「女は見かけじゃないんだよ。中3じゃまだわからないだろうけど……オレも気が付いたのだいぶ後だったしな」
昔の自分と少し似たところのある少年。だから声をかけやすかった。自分の容姿が、どれほど人に影響を与えているか知っていて振る舞える。人のことを斜めから見てる、あの頃のオレそっくり……
「へえ、それじゃ……カラダとか?そんなにイイ、志奈子先生」
オレは乗り出してきた少年の頭を思いっきり叩いてやった。
「カラダだけじゃねーよ!オレが……あいつじゃなきゃ、ダメなんだ」
バカみたいに中坊の前で本音を吐いていた。そう……容姿やスタイルでも、カラダでもない。相性がいいのは確かだけれども、そんなの心が伴わないとなんの意味もないことはもう判っている。
心も体も充足する相手……それが志奈子なんだ。
彼女の気持ちが手に入らないと思っていたから幾ら抱いても満足出来なかった。カラダだけじゃなく心も欲しいと思った。彼女を本当に欲しいと思っていたから……
『愛している』その言葉を今なら素直に言える。今言っても受け入れてもらえないだろうから言わないけれども。
志奈子がこのまま教師を続けるのなら、こっちの営業所に飛ばされても構わないとすら考えてきた。ソレも無理ならこっちで再就職するとか……
オレが本当に欲しかったのは志奈子自身だ。彼女がずっとオレの側に居てくれるなら今の生活を無くしてもいいと考えていた。今度こそちゃんと思いを伝えてやり直したい……以前は見せてくれなかった、志奈子が我が儘言ったり怒ったり、一緒に住んでる間に見せてくれなかった表情を見てみたいから。
「オレもそんな相手できるんかなぁ……最初の彼女は年上でさ、誘われていい気になってえっちしたけど、結局は遊ばれてんのはオレの方だったし、今付き合ってる彼女だって向こうから言ってきたからで……そりゃ可愛いと思うしえっちもさせてくれるからいいんだけど、本当に好きなのかって聞かれたらなんて答えていいかわかんないよ。なんとなく付き合ってるって感じだし」
「ああ、それは判るよ……オレもそうだったからな。男だからヤリたいっていうのはどうしようもないしな。けど……本当に好きな相手が出来たら、その相手とするのが一番気持ちいいんだ」
「志奈子先生とも……そういうの、した?」
「おい、あいつをそんな目で見るなよな?」
「わかってるけど……興味あってさ」
「……してない。あいつは最後まで、オレのこと好きだって言わなかった」
「じゃあ、おにーさんは言ったの?」
「え?」
「好きだって」
言ってなかったか?いや、何度か言った……だけど志奈子の意識に届いてなかったのかもしれない。
怖かったから……オレが本気だとわかったら、すぐにでもその執着を切る為に出て行ってしまいそうだったから。
「言ってない……そういう約束だったんだ」
「なんか、わかんないけど……志奈子先生ってさ、好きでもない男に抱かれるようなタイプじゃないと思うけどな」
「ああ……」
嫌われていないと思っていた。だからずっとあの部屋に居てくれると……でも実際は違った。志奈子は遠く離れてこんな街までオレを避けて来たんだ。
わかってる……オレは、まずは許してもらうところからはじめなきゃいけないんだと。

「学校から離れたところにして」
「わかった」
相手の男に知られたらヤバいんだろうな。真面目な教師だと思ってた志奈子にオレみたいな男が居たってわかったら……けれども、抱けば判るはずだ。感じやすいあのカラダも、イイ声で鳴くとこも、入り込んだら最後、そこから出たくなくなる、ナカ。何よりも抱かれている時の顔……泣きそうで、くしゃくしゃで、イッた後とか時々無意識に笑ったりとか。
それら全てあの男のモノだと思うと胸が苦しくなる。
――――欲しい……
目の前にいる志奈子を今すぐにでも抱きしめて、滅茶苦茶に抱いてしまいたい気持ちを理性で抑えつける。ダメだ、絶対に無理強いしてはいけない。それをしたら、あの日別れたことも、これまでの日々も全て無駄にしてしまうから……
日をおいて、約束の日にアパートの前まで迎えに行き、車を停めてしばらく外で待っていると志奈子が落ち着いた普段着のコートを羽織って出てくる。
「何処に行くの?」
少し不機嫌そうな声……胸が苦しくなるほど緊張してるのはオレだけなんだな。
「少し離れたところに美味しいイタリアンのお店があるって聞いたから」
そういってエンジンをかける頃にはシートベルトの装着が済んでいた。もう、何事にも慣れなかったあの頃の志奈子とは違う。教師として、社会人として立派にやっているのだ。学生時代のオレとのことなんか、もう……忘れてしまったのだろうか?あの濃密な夜も、熱いセックスも、甘いキスも……
「…………」
志奈子は終始無言だった。余分なことは話さない。そこは相変わらず……いや、以前はもう少し話してくれていたのに。
「ワインのお代わりは?」
「もう、いいわ……元々そんなに飲めないの知っているでしょう?」
「そう……だったな」
オレは運転があるので飲めない。ここは結構郊外の一軒家なのでどこかに泊まると言うことも出来ないし、それが判っていて飲むと彼女に警戒されてしまう。
「ごちそうさま、とても美味しかったわ」
他人行儀なお愛想笑いの志奈子がそういって席を立つ。奢られることにも当然慣れたのだろうか?ご馳走させてくれと言ったのはオレだ。だけど、その動作のひとつひとつに男の影が見えて、無性にイラついた。
壁は消えない。志奈子からのシャッターは降りたまま。昔よりも……ずっと分が悪かった。

「少しだけ、話したい」
そういって車を大きな公園の駐車場に停めた。他に車はなく、街灯だけがオレたちを照らしていた。
「何を話すというの?」
「どうして……そんな言い方をするんだ?怒ってるのか?まだ……」
「怒るもなにも……」
志奈子は口ごもる。なにか、言いたいことを隠してる時の彼女だ。
「やり直すことは出来ないのか?」
「決まってるでしょ。結婚するんだから!」
やっぱり、もうあいつとの結婚まで決まってるんだ。
「だから、今更なコト言わないで……」
ハンドルを握ったままじゃ志奈子の顔が見えない。
「志奈子……?」
街灯に半分照らされた頬に涙が見えた。まさか……
「な……泣いてるのか?」
「どうして……今頃になって来るの?どうして!!」
いきなりそう叫んで俯く。肩が小さく震えているのが判る。嗚咽が喉の奥で燻っているのも聞こえていた。
「教師の仕事をしてる志奈子を邪魔したくなかった……一年目って慣れるまで随分大変だって、朱理も言ってたし」
「もうやめてっ!!聞きたくない!!別に、今じゃなくても同じよ!お願いだから……もう、わたしに構わないで!!わたしには日高さんがいるし、甲斐くんは……とにかく、もう何も始まらないの。とっくに終わったことよ?わたしもそのぐらい判ってるから……今更何を言ってこられても返事は一緒よ。お互いに、誠実になりましょう?もうセフレの関係は終わったんだから」
珍しく興奮した彼女が泣きながら叫んでいた。そんなつもりじゃない……泣かせるつもりも怒らせるつもりもない。だけど……こんなにも伝わって無かったのか?オレの想いは……
「オレは……志奈子のこと、セフレだなんて思ってなかった!」
彼女以上に大きな声を出したオレに驚いて、志奈子は言葉を途切れさせた。
「え……?」
「でも、教師になりたいおまえの邪魔はしたくなかった……だから最後まで本当の気持ちは言えなかった。もう遅いのは判ってる……だけど結婚してしまう前に、そのことだけケジメ付けておきたかったんだ。志奈子のこと、ちゃんと好きだったって伝えておきたかった……もう遅い、無理だってわかってるけど、オレは志奈子のことずっと好きだった。最初はカラダだけ、抱ければいいと思ってた……だけど離れていたくなくて、一緒に暮らし始めてからは他に女なんか居なかったんだ!おまえだけだった……」
「嘘……そんなこと、今更……」
言いたかったんだ、ずっと……この事が。
「付き合ってる相手がいても、まだ結婚したわけでもないんだから、最後にチャンスが欲しいんだ」
「最後に……?」
「本当にオレのこと、もう忘れたのか……」
あれだけ抱いたそのカラダがオレを忘れて他の男のモノになったのかどうか、確かめたい……
「甲斐……くん?」
助手席に身体を乗り出して半身で覆い被さる。触れるか触れないかの距離で、シートベルトをしているから逃げられない志奈子。計算してた訳じゃない。だけど、今日が最後のチャンスだから。
「志奈子、好きだ……愛してる」
許可があるまでは触れまいとしていたけれども、我慢しきれなくて彼女の身体を抱きしめていた。
「それを……今、言うの?」
『卑怯だわ』と、志奈子は腕の中でオレを責めた。シートと背中の間に滑り込ませた腕に力を入れてゆっくりと運転席側を向かせる。
「遅すぎるのは判ってる……でも、今言わないとオレは一生後悔する。もう……遅いって分かってるけど、それでもオレは……」
逃げないのをいいことに背中へまわした手をゆっくりと動かして、志奈子が感じるラインを撫で回した。それ以上のことは志奈子からちゃんと返事を貰うまではしないようにと心に決めて……
「あっ……」
不意に耳元に漏らされた声で全身が熱く滾り始める。
「志奈子……」
「……わたしも、好き……だったわ」
彼女の言葉は過去形だった。既に、もう終わったことだと宣言されたも同じだった。
志奈子を抱きしめていた腕の力が抜けてだらりと下がっていく。
その言葉が貰えただけでも幸せなはずなのに。だからこそ、過去形のその言葉に希望はないということだ。抱きしめても、その腕の行き先はない……今は、あの男を好きだと言われれば、これ以上志奈子を苦しめてはいけないんだ。この手を離して、再びあの男の元に帰してやらないといけないのだから。
「せっかく……せっかく忘れてたのに!!あなたはいつだって、わたしが一番したくないことをさせるんだわ」
感情を抑えた志奈子の叫び声だった。さっきまでみたいに怒っているんじゃない……眉を寄せて泣きそうな顔をしてオレを間近で見据えてくる。
「しな……」
彼女から伸びてきた手がオレの頭を抱え込んで、名前を呼びかけたオレの唇を塞いだ。
今のは何だ??唇を離されても、オレはまだ正常に思考出来ていなかった。
「今日だけは……全部忘れてくれる?」
「何……を?」
今日だけって……今だけあいつのことを忘れるって事なのか?
「わたしも全部忘れるから……相手のことも、未来(さき)のことも……今だけ、わたしをみてくれる?」
志奈子の腕に力が入って、そのカラダをオレに寄り添わせる。
いいのか?このまま……抱きしめても。今だけ、あいつのことをおまえの中から追い出しても……
「みてるよ……志奈子しかみてない。今も、ずっと前から……」
「んっ……」
今だけでもいい!オレは志奈子を思いっきり強く抱きしめた。
『嘘でも嬉しい』と微かに聞こえたから、オレは『嘘じゃない』と返事して、そのまま車のシートを深く倒した。

「あっんっ……やぁ……」
言葉はもう必要なかった。触れると、昔よりもずっと敏感に反応する志奈子の身体。震えて……まるで初めての時の様に身体を硬くする。まさか……久しぶりなはず無いよな?あの男と……やってるのは容易に想像がついていた。遅くまで帰ってこない日だって何日かあった。
「痛いか?」
「んっ……」
涙目のまま、オレの愛撫に身を震わせながら首を振る。その度にビクビクと反応されてこっちは嬉しいを通り越してしまっていた。
オレは……久しぶりなんだ。こうやって女を愛撫するのも、女を抱くのも。
「抱いて……いいか?いますぐ、ここで。志奈子を……思いっきり抱きたい」
小さな車だったから、志奈子の身体の上に覆い被さるようにしているだけでも狭くて苦しかったけれども、場所を変える余裕なんてなかった。その間に気を変わられたらどうしようもない。だから、ここで、すぐにでも一つになりたかった。
「いい……よ。でも、約束して?向こうに帰る時には、ぜんぶ忘れるって」
「なに言って……」
「お願い……そうでないと、できない……」
あの男と別れる気は無いってわけか?だから、一時……無かったことにするつもりで抱かれると?
それじゃ最初の時と同じじゃないか!
「お願い……抱いて欲しいから……もう何も聞かないし、なにも望まないから!だから、帰るまで抱いて……壊れるぐらい抱いてよ!」
志奈子が少しだけ浮かしたオレの身体に手を伸ばして、ベルトをカチャカチャと外し始める。そして、下着の中から滾って硬直したオレのモノを取り出した。オレがゆっくりと運転席に戻ると、彼女は身を乗り出してオレの股間に顔を埋めて舌を這わせ、飲み込み唇と舌で扱き立ててきた。
オレは、こんなこと教えていない……今まで、自分からこんなことをしてくれたこともなかった。
いつもヤツにはこんな風にしてやってるのか?それじゃ、カーセックスは?志奈子の初めては全部自分だという自負があった。だけど、映画や普通のデートはオレが相手じゃない。他にも……オレ以外の男としたことが色々増えてるんだろうな。
くそ、そのことすら腹立たしい……こんなことで後悔するぐらいなら、2年も我慢するんじゃなかった。今更ながらに勇気の出せなかった自分を恨む。
「志奈子……車の中でしたことは?」
「……ない、わ」
オレ自身を口から離した志奈子は不思議そうな顔をしてオレを見上げる。その返事にオレはホッとして、志奈子の髪を優しく撫でてやった。
「おいで……逃げられなくしてやるから」
ぐいっと、志奈子の脇腹に手を入れて運転席側まで引き上げ、膝の上に跨がせて乗せた。
「やっ……」
腰を浮かしたままの志奈子の下着の中に手を突っ込むと、すでに十分なほど濡れていた。邪魔なストッキングをビリッと破り、下着を横に追いやると猛った自分自身を宛い、彼女の腰を一気に引き落とした。
「ひっ!!」
ぐんっと仰け反って、志奈子の肘が当たったのか、軽くクラクションの音が闇の中に響いた。
「やっ……甲斐くん」
「もう、逃げられないぞ……やっちまったから、な……オレが帰るまで、離さないから……」
そう言いながら突き上げた。懐かしい温もり、キツイ締め付け。志奈子の中だ……オレの、志奈子の……
「だめだ……我慢出来ない……もう」
「あっ……やぁ……ダメ、ダメェ……っ!」
志奈子がイクよりも先にオレは一番深いところで解き放っていた。
「ん……くぅっ……」
ドクドクと注ぐ快感に脳天が痺れる。本当に、久しぶりで……その快感に脳も下半身も溶けそうになる。志奈子もそうなのか、きゅんきゅんとナカも外も締め付けてくるのが判る。
「ダメって……言ったのに……」
いきなりの行為がキツかったのか、志奈子は熱に浮かされたような涙目でオレを睨む。
そんな顔、オレにとっては煽りにしかならない。すぐに志奈子のナカでオレ自身が復活していく。
「ごめん、まだだったよな?このままイカセてやるから」
そう言って、志奈子のナカで硬さを取り戻したソレを擦りつけて再び突き上げる。本当はもっと広い場所で思いっきり抱きたい。こんなやけっぱちのような抱き方じゃなく、ゆっくりとそのカラダを愛撫して、本当に愛し合う抱き方で……あの、最後の日のように。そうすれば、志奈子は最後だと言ってても、オレとのセックスを思い出したら考え直してくれないだろうか?これが最後だなんて……本当は嫌だ。
「なあ、オレ……このまま……ずっとおまえの側に……いたい」
好きだから、愛してるから……言い慣れないその言葉を口にするけれども、目の前の扇情的な表情の彼女はひたすら首を振るだけだった。
「逃げないで……わたしも、もう逃げないから……幸せに、なって、ね?」
何を言ってるんだ?
「だから、今日は……もっと、もっとして……最後だから」
「……志奈子っ、おい、あっ……」
捩るようにしてオレのモノを締め上げる。すごい腰使いだ……前よりも、ずっと。
誰が教えたんだ?あの男か?それとも……他の男にその身体を抱かせたのか?
「くそっ!!」
突き上げる角度を変えると一気に志奈子が爆ぜた。
「あっ……もう……いくっ……んっ!」
ビクビクとオレの上で身体を震わせるのは相変わらずだ。
「志奈子……本気なんだ……オレは……」
その身体をさすりながらそう告げるけれども、彼女はひたすら首を振るだけだった。
「もっと……して……欲しいの、甲斐くんが……」
「志奈子……」
「連れてって……ホテルでも、何処でもいいから……忘れさせて、今日だけ、全部!」
一瞬泣いてるのかと思ったけれども、志奈子は肩を震わせているだけだった。何度もその背中を優しくさすり、そっとオレの上から彼女を降ろして、助手席に戻してやった。オレの股間は自分が出したモノと志奈子の愛液で染みを作るほど濡れていた。上着を掛けて志奈子を助手席に寝かせてやると、オレはエンジンをかけて車を出した。ここに来るまでにあった数件のラブホテル。その中でも駐車場と部屋が直結したタイプのラブホを選び、車を放り込んだ。助手席から志奈子を降ろすとそのまま抱き上げて、部屋の中に転がり込む様にして入っていった。
オレたちは朝まで……いや正確には翌日の夕方までその部屋から出ることなく繋がり続けていた。

濃い……濃密な空気が漂っていた。食事は注文すれば持ってきてくれたし、シーツも頼めば換えを用意してくれた。濡れて汚れた服や下着は浴室で洗って干した。その間バスローブ以外身にまとわず、ひたすらベッドの上で抱き合っていた。
あの頃の様に……
大学生という、時間と空間を持て余していたあの頃。幾らでも抱き合って、幾らでも愛し合えた。その時、想いを言葉にしなかった為に、無駄に過ごしてしまったのはオレたちだ。
間違いなく……志奈子もオレを好きだと言った。愛していたと、過去形だけど言ってくれた。
オレたちは両想いだったんだ。なのに……なぜ終わりにしようとするんだ?
「なあ、考え直さないか?オレたちもう一度……やり直せないか?」
「もう……無理よ。あの時、終わらせたんだから。これは……都合のいい夢なの。あの時、もしも、二人心を晒していたらって……でもそうしなかったんだもの。終わらせなきゃ。お互いの未来のために、ね?」
「オレは……」
「だめよ、仕事も人も……全部置いてきてるんでしょ?ここにはあなたの物は何もないの。帰らなきゃ……」
その後は口をつぐんで、微かに嗚咽が聞こえたような気がした。
「志奈子……」
「お互いに、幸せになりましょう?その為にも……これは、夢だと思わないと……ね?」
無理だ、そんなこと!今腕の中にいるのも、さっきまでオレを包んでいたのも志奈子だ。その中に何回放った?あいつよりも、より多くその中を満たしたくて、オレは無茶苦茶に吐き出していた。
「そんなに、あいつがいいのか?オレじゃ……だめか?」
「だめ……その理由はあなたが一番よく知ってるはずよ?」
「それは……」
今までオレがおまえにしてきたことか?思い返しても酷いとしか思えない様なことばかりだった。セフレ扱いにして、他に女がいたこともあった。抱き比べたことも何度だってあった……最後まで卑怯な手を使って抱くだけ抱いて、捨てた様なモノだった。いくら志奈子から出て行ったとしても、オレは責められないほど、酷いことばかりしてきた。許してなんかもらえないって……ことだよな?
そうさ、オレはいつだって選ばれない……いくら顔がよくても、セックスがよくても、他の誠実な男と比べれば薄っぺらで、どうしようもない価値の無い人間だったから。
「ごめん……志奈子、それでも……オレはおまえが好きなんだ!愛してる……」
「その言葉だけで……もう、十分だから」
初めて、志奈子が泣きながらもオレに向けて笑ってくれた。そうなんだ、オレはこんな顔の彼女が見たかったんだ。今まで愚かだったオレを許して欲しい。
せめてこれからもこうやっておまえが笑っていられることを祈っているよ。本当は自分が幸せにしてやれたらよかったけど……

「最後にさ……」
「何?」
身支度をしてキレイに薄化粧した志奈子がオレの方を向き直った。
「もっと……笑ってよ。泣いてなくて幸せそうに笑ってる志奈子の顔が、みたい」
一瞬、笑い顔を作りかけて、すぐにくしゃりと崩れた。
「もう……何を言い出すのよ……バカ」
「だったら、泣くなよ……オレが見たいのは、おまえの笑った顔だ」
しばらく下を向いていた志奈子が、ぐっと堪えて顔を上げて、涙を顔に貼り付けたまま笑ってくれた。
あの男が、彼女に人間らしい感情を宿させたのだろうか?哀しげだけどその笑顔は、オレが下校中に時々見かけた屈託のないあの笑顔よりも、ずっと……綺麗に見えた。
最後に少しだけでもオレに向かって笑ってくれるところが見れてよかった。
オレの気持ち、受け取ってくれてありがとうな……志奈子。
「じゃあ、甲斐くんも笑ってよ?何泣いてるのよ……しっかりしないと、一人前の、えっ……甲斐くん?」
笑えなかった。笑えない分、子供みたいに大声で泣きながら志奈子を抱きしめて、縋り付いていた。
「志奈子……志奈子……うぐっ」
「か、甲斐くん……」
馬鹿みたいに嗚咽を繰り返して、情けなく泣き続けるオレを志奈子は受け止めてくれていた。
「ぐっ……くそ……とまんねぇ……ごめん……志奈子、ごめん……」
「いいの、もう……いいのよ」
赤ん坊のように泣きすがるオレを、最後まで志奈子は母親のように優しく抱きしめて、泣きやむまでずっとオレの頭を撫でてくれていた。



自分の部屋に戻っても、まだ夢をみているようだった。
この腕で志奈子を抱いたことも、愛してると囁いたことも……そして、最後までやり直すと言ってもらえなかったことも。
「……終わったんだ」
こんどこそ、本当に。
もう、志奈子は戻ってこない。アパートまで送っていくと、さっさと車から降りて、こっちを振り向きもせずに部屋に戻って行った。
女は強いって言うけれども、次の相手を見つけた女はさらに強いのか?
愛されてる自信があるから、怯むことも揺らぐこともないのか?
最後までオレとやり直すと言ってはくれなかった。
きっとこのことを報告すると、思いっきり朱理に詰られるだろう。親父にもバカにされるかもしれない。まあ、朱理はどうやら親父との間に子供が出来たみたいで、当分は酒も飲めないし、親を説得してうちの親父と一緒に暮らす準備を始めて忙しいみたいだから、暇そうな水嶋さんを誘って酒に溺れるのもいいかもしれない。
――――いつか……志奈子以上に愛する人を見つけられるだろうか?いや……その日はもう来ないだろう。志奈子はオレにとってたった一人の女だったから……この手を離れて気付いてしまった。他の誰でも無理だって事に。もし、そんな人が現れたとしたら……その時はすぐに手を出したりせず、ちゃんと心で繋がれるよう努力しよう。もう、身体からなんて始めちゃいけない。そうでなかったら志奈子とは付き合うことも無かったけれど、今度こそ……ちゃんと気持ちを伝えてから始めよう。それだけは肝に銘じて……

さよなら、志奈子。
本当に愛してた……
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