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「志奈子、乗って」

いきなり派手な車で甲斐くんがわたしのアパートまで迎えに来た。
「なんなの?その車……」
「親父の。いいんだよ、どうせ何台も持ってるから借りたって。これでも一番地味な車なんだから」
これで地味?信じられない……でも何台も持ってるって、やっぱりホストクラブのオーナーさんって儲かるの?それともお客さんにもらったりするんだろうか?
「とにかく乗れよ」
そういってシートに押し込まれるけれども、一体どこに行くつもり?まさか、デートとか……ありえないよね?わたしみたいなのが隣に居たら彼が恥をかくだけだし……
「アパート探しなんだけど、いい物件あったから」
なんだ、アパート引っ越せって言ってた件のことね。車で移動しなきゃならないほど遠いのかしら?それとも、電車やバスじゃ隣に居ると恥ずかしいから?車じゃ一緒に居るところだれにも見られずに済むものね。それにしてもわざわざ車借りてきて、第一本当に引っ越すかどうかもわからないのに……

「ここな」
地名からして一応大学の近くみたいだった。今までのアパートとは駅が遠くなる分大学をはさんで反対方向になるけれども、回りもごちゃごちゃしていないし、建物もきれいだった。
家賃、高そう……
ちらっと甲斐くんの方を見るけれども、そんなこと頓着している様子はない。
やっぱりある意味お坊ちゃんだったのかな?親の愛情には同じく恵まれてなかったかもしれないけれども、その分お金とか暮らしは裕福だったのだろう。
「ここならセキュリティもしっかりしてるし、すぐ近くにコンビニがあるし、少し離れた所には大型スーパーもあるから」
そう言って暗証番号を押すと案内もないのにどんどん中へ入っていった。
こういう場合って、管理人さんや不動産屋が案内するんじゃないの?
不思議に思っていると5階でエレベーターを降りて、ポケットから鍵を出して部屋に入ろうとする。
「ね、ちょっとまって……なんで鍵持ってるの?」
「ああ、それよりどう?この部屋」
どうって言われても申し分のない部屋だ。
小さなベランダが付いていて見晴らしがいい。台所も対面キッチンでリビング自体はそんなに広くないけれども部屋が二つ……え?なんで二部屋もあるの?必要ないじゃない……こんな分不相応な部屋は。
「ここ音大生とかがよく借りるんだってさ。防音で、特にこっちの部屋はピアノとか演奏用で完全防音らしいよ」
そんなの必要ないじゃない、そういいたかったけれども、なんだか甲斐くんが凄く嬉しそうに見えて、どう言いだしていいかわからなくなってしまった。
「家賃は?高いんでしょ、ここ……」
「まあな、前のトコよりはな。それより、気に入ったか?」
「そりゃ凄くいい部屋だけど、」
「じゃあここで決まりだな」
無理だって言おうとしたのに、さらっと決めてしまおうとする。そんなの無理なのに、決められるわけがないのに……だんだんと腹が立ってきた。
「なに言ってるのよ……こんなとこ無理に決まってるでしょ?」
「ああ、志奈子一人じゃな。だからオレも住むし、俺も家賃払うから」
「は?」
一緒に?住む……甲斐くんとわたしが?
「何、馬鹿なこと言ってるのよ……」
なんで?どういう意味で?まさか……
「なんだよ、どうせ前だってしょっちゅう出入りしてたし、今までの関係が変わることもないんだからさ。コレで思いっきりやれるんだから、俺は構わないけど?」
「わたしが構うわよっ!」
男と暮らせって言うの?せっかく自立して生きて行こうとしてる矢先に男と同居?この場合身体の関係があるんだから同棲になる?
やだ、そんなの、また、母のように、わたしは……
「志奈子?」
「あっ……だから、」
なんて言うつもりだった?いっそのことこんな関係止めたいって?口に出していえるものならとっくに言ってる。言えないのはいつもそのことを口にしても身体に言う事利かされて反論できなくさせられるから。逃げて、でもまた捕まって、それを喜んでる自分が居る。
身体が離れられない……
甲斐くんの言ってることも判ってる。抱かれ始めると拒めない。それを嬉しいと思ってるから、気持ちいいと知ってるから……
ただ、心が伴っていないことが辛いだけ。贅沢なのは判ってるけど、甲斐くんが身体だけ気に入ってくれてることも判ってる。なのに一緒に住むって……きっと期待してしまう。一緒に住んで、抱かれて……甲斐くんのご飯作って、洗濯して、甲斐くんの帰りを待って……帰ってこない彼に嫉妬するの?
きっと……そのうち我慢できなくなる。他の女のヒトみたいに彼を束縛したくなる。きっと『うざい』っていわれるような事をしてしまうだろう。
そんな資格ないって言うのに……
「どっちにしろ、もう決めた。親父に保証人になってもらったし、敷金も礼金ももう払ってるから」
甲斐くんが胸のポケットから封筒を取り出し書類を手渡してくる。
「これって……契約書?」
「そう、もう契約してきた。だからあとは志奈子の親の許可もらうだけだ。オレの口座から家賃落ちるから志奈子は気にしなくていい」
「そんなわけにはいかないわよ!!」
「じゃあ、払ってくれるんだ?」
「住むならあたりまえでしょ!」
「ここに住むんだ、じゃあ決定だな」
ニヤつく甲斐くん……しまった!家賃って一緒に住む前提の話だった?
「けど、向こうのアパート解約しても、今までの家賃が志奈子の手元に入るわけじゃないよな?」
確かに、義父の口座から落ちているだけで、アパートを解約してもわたしの手元には届かない。
「家賃や生活分を全部志奈子の口座に振り込んでもらえるようにしてもらえよ。家賃も、一々オレに渡すのが面倒だったら、食費を持ってくれればいいし。オレの食事とか身の回りの世話とかしてもらえれば助かるからな。志奈子が作る料理って、あれ家庭料理だろ?今までああいうの食ったことなかったから……あれ食わしてもらえればそれでいい」
「でも、一緒に住むなんて無理よ!わたしは……」
『男にだらしない女』『また男引き込んで』散々耳にしてきた母への悪評。それを繰り返したくない。ましてや男の部屋に転がり込むようなことなんて……
「じゃあ、こうしよう。オレがこの部屋に泊まりに来るだけで、ここは志奈子の部屋だってでかい顔してればいい。表札にも志奈子の名前だしとけよ。オレは……前の部屋も借りたままにしておくから、週末はそっちに帰るから平日だけしか来ないし。そのほうがお互い都合いいだろ?」
前の部屋を借りたまま?そんな不経済なことしちゃうの?
あ、そっか……一緒の部屋だと女性を連れ込めないから、だよね?わたしには空いた日のセックスの相手と食事の用意と身の回りの世話をさせたいんだ。
そりゃそうだよね、きれいな人は隣においても、街を歩いても恥ずかしくないだろうけど、わたしとは部屋の中だけで十分。だからここに囲うつもりなのだろうか?
「わたしは……勉強の邪魔さえしないなら、」
わたしの大学の講義やバイトの約束。それさえ守ってくれるのだったら、いいかもしれない。あの声を聞かれないのなら、わたしだって……あんな恥ずかしい思いも、怖い思いもしなくて済む。
隣だけじゃない、同じアパートの人たちにどんな目で見られてるかなんて、とっくに気が付いてた。
ただ、彼がわたしのカレシでもなんでもないことに気が付いたのが隣の大学生だけだったってこと。
でも……そのことをどう伝えればいいの?母と義父に。

「志奈子の実家ってどこ?ここからどのくらいかかる?」
まさか……行くつもり?
「生活費を口座振込みにしてくれって頼みに行こうぜ。引っ越すあいさつと、それから……」
「いや……いやよ、行かない!」
「志奈子……?」
思わず声が荒立っていた。アノ母に男と会いに行くの?いやよ、そんなの行きたくない。
知られてしまう、あんな母親だってこと。
母のこと、ようやく口にはしたけれども、甲斐くんには絶対にあわせたくない。
「何言ってるんだよ。母親は家に居るんだろ?いきなり越したりアパートの契約きったりしちゃまずいかと思って……そのために車借りてきたんだからな」
甲斐くんも一緒に会うつもりなの?駄目だよ、絶対駄目!
「そんなの無理よ、うちは……言ったじゃない、わたしなんかにかけるお金はないって言われてるって。男と住むんだったら『抱かせる代わりに養ってもらえば』なんてこと平気で言うような女なんだから!わたしは、そんな女になりたくなくて、だから……」
「志奈子?」
「行かない、あの女とは会いたくない!もう何年も会ってないもの!向こうだって会いたくないはずよ、今まで構われたこともない……気にされたこともなかった、だから、」
「志奈子、わかったから、行かないから!落ち着けよ!」
ぎゅって抱きしめられていた。
甲斐くんの腕の中。わたしが唯一知ってる体温。
母に伸ばした手は、ことの如く振り払われてきた。この腕だけは、わたしをこうやって抱きしめてくれる。拒否されることなく、ずっとわたしを求めてくれる。目の前に居る限りは……
それでいい、たとえよそで他の人を抱いていたとしても、わたしに触れる手は優しいし暖かい。
それで十分、今は十分……これからも、ううん、卒業するまでなら……
「ごめん、取り乱して……わたし」
「いい、志奈子の気持ち考えずに会いに行こうとしたから。ごめん」
素直に謝る甲斐くん。たぶんどこの誰よりもわたしの気持ちをわかってくれるはずなのが彼だ。
「振込先ぐらい、電話やメールで頼めるんだろう?」
「うん、そうする……」
「じゃあ、ここに越してくるでいいんだな?」
わたしは声に出さず、頷くことで返事をした。
もう、いい。甲斐くんは逃げてもまた追ってくるだろうし、飽きるまで抱けばいい。そのうち……きっとそのうち見向きもしなくなる時が来る。それまでだけのことなのだから……
だから、覚悟はしていた。
だけど期待もしていた……馬鹿だよね、そんな甘い話あるはずないのに。
彼は別にここに越してくるわけじゃない。今までみたいに抱きに来るだけのこと、そのために部屋まで借りて……一応はわたしのこと心配はしてくれているんだろう。長いことこんな関係を続けていると情も沸くよね?貧富の差はあれども二人とも親の愛情をまともに受け取れなかった、その寂しさを体で埋めたいだけなんだ。今までの部屋はそのままってことは、カノジョが出来たらあの部屋に、戻ってしまうかも知れないのだから……


引っ越しで、自分の部屋から持ち出すものなんて知れていた。
大きな家具はベッドとテーブルと椅子が二脚。あとは衣装ケースが一つと本ばかり。元々荷物が少ない上に普段から自分の物もあまり買わないようにしていたから。子供の頃から引っ越しが多かったからだろうか、いつでもすぐに動けるように荷物はすぐにまとめられるほどの量だった。
わたしが持ってきたベッドは日当たりのいい部屋の方に置かれ、そこに他のわたしの荷物も納められた。作りつけのクローゼットには数少ないわたしの衣装だけが掛けられ、どうやらこちらがわたしの部屋になったらしい。
もう片方の防音効果の高い部屋が甲斐くんの部屋になった。と言ってもきっちり越してきた訳じゃないから家具も何も無いがらんとした部屋。窓もない、音大生の演奏用に防音効果の施されたその部屋には音響装置だけは揃っていて、その中で奏でられる音は外には漏れないらしい。
甲斐くんの部屋にはベッドもなにもなかった。ふとんを一組持ち込んでいるようだったけれども、それを使っているところはまだ見たことがない。だって、甲斐くんがここに泊まる日は、必ずわたしを抱くから……

平日は講義を受けて、たまにバイトだと言って遅くなる以外は甲斐くんは普通だった。
わたしの作ったご飯を一緒に食べたり、気が向いた甲斐くんに引き寄せられて抱かれる。
どんなに大声を出しても大丈夫だからと、以前にも増して激しくされる時もあったけれども、いつでも側にいて抱けるからなのか、無茶苦茶にされることは少なくなった。でも、翌朝の講義が1限目からじゃない時は朝からでもだし……わたしが家庭教師のバイトのない日はわざと早く帰ってきて、すぐにわたしを押し倒す。部屋中のどこでも構わずに……
「やぁ……ああぁっ」
もちろん無理矢理じゃない。自分の部屋に入れば鍵もかかるから、嫌なら部屋に閉じこもればいいだけだった。だけど部屋に戻る前に甲斐くんはわたしを引き寄せる。食事の後、お風呂から上がった後、お構いなしに出される手に反応して、部屋に戻る暇を与えられないほど、快感で逃げられなくさせられる。
何もないリビングの床に組み敷かれ、そのまま最後までされたり、拒否出来ないほど身体を溶かされてからベッドに運ばれそこで続きをされたりして朝を迎える。たまにリビングでそのまま寝てしまいそうになっても、朝までに甲斐くんはわたしをベッドに運んでそのまま一緒に寝たり……

これじゃまるで同棲みたい。それともやっぱり同居なの?
だけど、どうやらまた甲斐くんに新しくカノジョが出来たらしく、最初の週末はやっぱり帰ってこなかった。
他に彼女がいるヒトとの、誰にも言えない生活。
楽しいわけでもなんでもない、ただ性欲と食事と睡眠の人間の三大欲をともにするだけの原始的な関係。
それだけの彼との生活が始まった。
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