２６
それでも、少しずつだけど甲斐くんの荷物は増えていった。
着替えも男の人の割に衣装持ちで、きっとわたしより多いんじゃないかなって思う。今では甲斐くんの部屋のあちこちにかけられたりしている。それ以外にもCDだとか大学の教科書だとか本だとかが増えていく。洗面所にも甲斐くんが使うシェーバーやワックスが置いてあって、２本並んだ歯ブラシも照れくさく、そんな物でもそこに存在することが嬉しかった。
誰にも邪魔されない、二人だけの部屋……一瞬そう思えて、違うだろうと自分で首を振る。
だってそれは平日だけのことなのだから。
前よりむしろ頻繁にかかってくるケータイにメール。しょっちゅう変わる女性の名前。
その回数は一緒に居るときでも驚くほどだった。それにマメに返信したり、電話を受けたり……たまに話が長くなりそうだと自分の部屋に入ってしまったりもする。以前は平気で目の前で何十分も話してたのに……一緒にいる時間が多いほどそんなところを目の当たりに見なきゃいけなくなってしまった。
そして……週末はやっぱり帰ってこない。
たまに平日の夜でも呼び出されて、夜遅くに出て行く足音を、ドアの閉まる音を聞くたびに、ぎゅっと残された身体を自分できつく抱きしめるしかなかった。明け方帰ってきて、疲れてそのままリビングで寝てしまった甲斐くんからは、お酒や甘いコロンの匂い。時々変わるその香りの強さに辟易とするほどだった。今まで、そんなのは自分の部屋で洗い流してから来てたんだろうね。そんな気遣いもされなくなってしまった自分の存在。
いくら一緒に住んだとしても、やっぱり以前と同じ。
カノジョ優先で、わたしは何もないときだけ……
甲斐くんが居ない日は前よりいっそう考えてしまうようになった。
どんな風にカノジョと逢っているのだろうか？
どんな風にカノジョを抱いているのだろうか？
そんなことを想像するたびに胸が軋む。
だから……
見たくなかったから見ない振りをした。
知りたくなかったから聞かなかった。
うざい女だと思われないように、いつものように受け流すだけ。ただそれだけ……
「お届け物です」
引っ越しして２週間たった頃、いきなり大きな荷物が部屋に届いた。
「ああ、それこっちに運んで」
「え？」
そういって受け取るのは甲斐くん。まだ夏休み中だったから、甲斐くんはバイトの無い日はずっとわたしの部屋にいた。昨晩もやっぱり一晩中抱かれていたからわたしはぐったりとしてしまい、チャイムが鳴っても起きあがれなかったのに……甲斐くんは朝から元気だ。
一応わたしは一人暮らしと言うことになっていたから、彼は普段はチャイムが鳴っても出たことはなかったのに、自分からインターフォンに向かってたから何だろうと思っていた。
「何、それ……」
「これ？ダブルベッド」
それは見れば判る。なのに、何でそれが甲斐くんの部屋に運び込まれてるのかってこと。
「あ、そっちの壁にくっつけてください」
配送業者を誘導して、奥の窓のない完全防音部屋の彼の部屋に大きなベッドは設置された。作業が終わると業者はさっさと帰っていき、部屋にはどかんとでかいベットが居座るのを目の当たりにすることになる。
なんかすごい……迫力。ベッドパッドにシーツも一緒に買い込んであったのか、それもサービスでセットしてくれたようだった。
「狭いだろ？志奈子のベッドじゃ。だから買った」
確かに……二人で寝るには狭いだろう。でもそれは甲斐くんが別に寝れば済むだけなのに？
引っ越しの時もボストンバック一つ持ってきただけで、他に大きな荷物一つ持ってこなかったくせに……なんで？
「これで思う存分出来るし？二人でもゆっくり朝まで寝られるだろ」
だからって、買うかな？そりゃこの部屋は家具なんてほとんどないから置けるけれども、これじゃベッドだけのセックスするための部屋みたいじゃない！
それは、事実そうなったんだけど……
ダブルベッドが来てからはリビングで寝てしまうことも、自分のベッドで眠ることも少なくなった。
あの広いベッドの上で容赦なく抱かれるだけ……終わった後、動く気力も起きなくて自分のベッドにすら帰れないと、再び明け方から抱かれることもあったりする。
講義が始まってからはどうしようか悩んでいたんだけれども、ちゃんと目覚ましは鳴らしてくれるので、寝坊せずに済んだけれども……
甲斐くんが居ない夜、そっとダブルベッドに潜り込むと、シーツにわずかに残った甲斐くんの匂いがした。この匂いは甲斐くんの部屋のベッドで嗅いだのと同じ……あのベッドで、今も綺麗なカノジョを抱いているのだろうか？カノジョには甘い囁きが繰り返されているのだろうか？
わたしには与えられたことのない『好き』とか『愛してる』とか……
カラダだけの関係だとわかっていても、一緒に住み始めるとどんどん欲張りになっていくのはなぜなんだろう？今までは我慢できた言葉や時間がもっと欲しくなるのはどうしてだろう？
ケータイ越しに彼に甘い言葉をせがむ彼女たち。思ったまま強請れる彼女達の方がよっぽど素直なんだ。わたしは……黙って物わかりのいい顔をしてそれを聞き流し、その後気まぐれに伸ばされた腕に抱かれるだけ。本心を隠して何一つ強請らず、待ってない振りをして待ち続ける。
待ってる風情は微塵も見せない。ただ、無表情に彼を受け入れ、抱かれている時だけ女になる。乱れて、乞うて、カラダで心を解放するだけ。
甲斐くんが好き。
彼に抱かれるのが好き。
一緒に居たい、本当は心でもつながりたい。
だけど……求めたらそこで終わるのがわかっているから口には出さない。
ただ、全身で応えるだけ。
「あっ……いいっ、そこ……ああっん、甲斐くん」
「志奈子、すげえ、いい……志奈子のココ、俺のヒクヒク締め付けてる。たまんねえ……先にイッテいいか？後でたっぷりイカせてやるからさ」
甲斐くんに抱かれるのは久しぶりだった。先週はちょうど週頭から生理で、週末中毎日抱かれていたカラダが疼いていた。
甲斐くんが入ってきただけでわたしの中は戦慄き、欲しいと蠢き締め付けて強請る。口よりも表情よりも雄弁なわたしのカラダ。彼はただ淫乱になったと思うだけだろう。だけど、欲しくて、欲しくて、自分じゃ得られなかった快感を与えられて、腰を揺らがせて求め続ける。
「くっ……もう、出すぞ、溜まってるからな……たっぷりでるぞ！」
え？週末、カノジョとしてたんじゃなかったの？
「うっ……」
体内で熱いモノがドクドクと弾ける感覚。思わず一緒にカラダを震わせて達してしまう。それが余計に刺激になったのか止まらないその熱いモノに息が詰まるほどの快感で、頂点に達した瞬間から指先が痺れはじめる。
「しな、こ……」
甲斐くんもぐったりとその身体をわたしに預けてくる。
痙攣するように絶頂を迎えたわたしを、全て吐き出した甲斐くんが抱き寄せ、そのまま軽い痙攣を続けるわたしのカラダをさすりはじめる。優しく抱きしめるようにカラダを合わせ、その背中を腕を、何度も何度もさすりあげてくれた。
優しい……
セフレでもこうやって優しく抱いて貰えるのならなんの不満があるのだろう？
一緒に住んでいてもお互いの誕生日も知らなくても……
先週、紙袋に荷物を入れて持って帰ってきて、それが甲斐くんの誕生日プレゼントだと後で知らされた。
わたしの誕生日も教えてはいない。
そういえば……二人で出掛けたこともないままだった。
彼のポケットから出てきた映画の半券やランドのチケットを見つけてはため息がでた。彼の隣を歩く自分なんて想像も出来ないけれども、デートってどんな感じなんだろう？
誰かと出掛けるなんて事、今までしてこなかった。出かけるためのお小遣いも貰えなかったし、高校からの友人ともそんな付き合い方はしなかった。生活を切りつめていたのも、一人暮らしなのも誰一人として言ってなかったから。レジャーランドだって、今まで遠足や修学旅行以外では行ったことがないし……食事でもショッピングでも、彼にふさわしくないわたしが彼と街中を歩いても、きっと恥ずかしい思いをさせてしまうだろうから、気軽にそれさえも望めなかった。
クリスマスやバレンタインのイベントも同じ。その日は数日前から甲斐くんも帰って来なかった。カノジョの部屋に泊まっているのか、それともホテルか旅行？この部屋にいたことが無いので、一緒になにかを祝うこともなかった。
元からそういったイベント事には興味はなかったけれども、甲斐くんと一緒に居るようになってから意識しはじめていた。だけど、それはカノジョとのイベントで、わたしには関係のないこと。そう割り切ってわたしからは何もしなかった。
どれだけ二人でイベントを楽しんでも、結局はここに来てわたしを抱くのだからと……
あと少しだからと逃げずに受け入れていくだけ。
今のぬくもりがあるだけで、いいのだからと。
「初めての女はあの男の客だったんだ。小学５年だぜ？背は１６０ｃｍ近くあったし早熟だったけどさ、オレの面倒見させられてたのに親父が他の客と寝てるのを聞いて切れた女がいきなり襲って来やがって……まあ、気持ちよかったからいいけど。それ以来女には不自由しなかったな。けど、あの男の客だと俺とあいつを重ねるから嫌だった……」
彼の父親は昔ホストで今はクラブオーナーらしく、女性関係の出入りは激しく、カノジョ達の中から世話好きそうな女に甲斐くんの面倒見させてたんだって。母親は甲斐くんを産んだ後しばらくして出て行ったらしい。写真も記憶も残ってなくて、結局どんな理由で出て行ったのかもわからず終いらしい。
時折聞かされる彼の過去。だから、ついわたしも釣られて口にしていた。
母親が男を連れ込んできた時は台所の床に寝かされたこと、大きくなったらそれにも耐えられなくなってアパートの部屋を出て公園で時間をつぶしたこと。昼間なら図書館やテレビを見て過ごしたとか、今まで誰にも言ったことのない過去を聞いても、甲斐くんは驚きもしなかった。『ふーん』と言って聞くだけ。だってそれはわたしたちの間では別段珍しい話でもなんでもなく、彼も同じような経験をしてきてたから。
ただ違ったのは母の男たちはわたしを愛想のない子供だと嫌ったけれども、甲斐くんのお父さんの彼女たちは彼に構いたがったこと。見かけで得したのか損したのか、どっちがよかったかなんて今となればどっちがいいとも言えないなと、二人でため息ついて笑った。
そんな話をした夜は、あまり無理に抱かれず、話しながら甲斐くんの腕の中で眠れることが嬉しかった。
だから勘違いする。
もしかして……とか、彼もわたしを……とか。
そんなはず無いのに。相変わらず週末は忙しそうだし、平日も時々お酒や香水の匂いをさせて帰ってくる。連絡はあるけれども、やっぱりそんな日は眠れなくて……彼の腕の中で眠る癖でもついたみたいだった。
こんな悪い癖、早く治さなきゃいけないのに……
卒業するまで、卒業して就職したら、そうしたらもう自分で生きていける。
幼い頃からの自分の目標。
『自立』
親からも、世間からも……そして甲斐くんからも自立しなきゃって思う。予想以上に初めて覚えた人肌は安心出来て、離れがたくも思える。
だけど……
大学もあと１年。年末が近づき、思わず自分にカウントダウンしたのは街にクリスマスソングが流れる頃だった。
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