24
今朝は早くから隣が騒がしかった。
だけど、その音で目を覚ました甲斐くんにそのまま抱かれてしまい、声を殺すのに必死だったから確めてはいないけれども、どうやら隣が荷物を運び出してるらしかった。
いったいどんな話をつけたのかよくわからないけれども、あのあと隣からは物音ひとつしなかった。
それに……今日まで甲斐くんがこの部屋から帰ろうとしない。
いつもなら、呼び出しのケータイやメールが頻繁で、それにバイトもあるから、満足したらそれなりに帰っていくのに。だけど、それはそれで心強かったし、安心して眠ることが出来た。何も考えられないほど抱かれ続けて、クタクタになって眠らされていたから。
大学が休みに入っていてよかったと思った。とてもじゃないけれども講義なんて受けられる状態じゃなかったし……
でも、隣が引っ越したなら、もう甲斐くんがここに居る必要もない。
そんなに甘えられないよね?カノジョがいるのにもう3日も甲斐くんをここに引き止めてしまっている。
ずっと一緒にいると頻繁にかかってくる電話が鳴らなかったのは、どうやら隣が引っ越すまで電源を切ってたみたいだった。だけど入れたら途端に鳴っていた。わたしなんか、電源入れててもかかってくる電話もメールもないのにね。
「何?今……ダチんとこ」
嘘つき……女の隣で何も着ていなくて、さっきまで散々シテたくせに。
うつ伏せになって寝転んだまま携帯掴んでダルそうに話す甲斐くん。相手は彼の言ってることをそのまま信じるんだろうか?漏れ聞こえる甲高い女の声。どうやら怒っているらしい。これじゃ機嫌を取るために甲斐くんはすぐさま出かけるだろう。
わたしはそっと隣から抜け出て下着をつけた。彼女との会話を邪魔する気も、隣で聞き耳立てる趣味もない。
「今からかよ?」
あ、帰るんだ……
そう考えると途端に寂しさが込み上げてくる。なによ、こんなにもわたしは甲斐くんに依存してたの?
だめだなぁ……一人で生きていけるようになるって決めてたのに。男に襲われかけたぐらいでこんなに弱々しい女に成り下がったりするのだろうか?
もし、甲斐君になんて出会わず一人でこっそり生きてたら、きっとわたしなんか誰も相手にしないだろう。だったら、誰かを怖がる必要もなかったかもしれない、なんて……本末転倒。
「無理だよ、こっちだって他に用があるんだよ」
離れてても向こうで女の人のわめく声が聞こえてきそうなほど……言い争いってわけじゃないよね?だって甲斐くんは少し眉をしかめるだけで、どうでもいいって顔してる。たぶん、相手は隣の大学生が言ってたモデル系のキレイな彼女なのだろう。
「いいよ、別に。わかった、じゃあな、バイバイ」
そう言った後、再び携帯の電源を落としてしまった。
バイバイって、あれは別れの挨拶?それとも本当に別れたんだろうか?甲斐くんは簡単に別れてしまう方だけれども、まさかあんなに簡単に別れたりしないよね?
「いいの?」
どちらかわからないまま聞いてみた。
「ああ、ちょっとうざかったから」
うざかったから?連絡取れなくて心配してた相手に?その原因が自分だから言えないけれども。
わたしも逢えないときにああやって連絡入れたらウザがられるんだろうな……わたしのところは来たい時に来れるからいいだけなんだろう。とりあえずうざがられる様なことは言わないようにしようと心に決めた。もうしばらく、甲斐くん無しでいられるようになるまで嫌われたくない。あのいやな感触を思い出さないよう、思い出して眠れなくなる前に甲斐くんの体温が欲しい。甲斐くんに快楽を与えられて、感覚を麻痺させて何も考えずに眠りたい。
そう、この身体は甲斐くんにだけ開いて、甲斐くんにだけ乱れる自分を見せるのだから……
落ち着くまでだから、それまでだから、もうしばらくの間甲斐くんを独り占めさせて欲しい。
大丈夫になったら、ちゃんとその時のカノジョに返すから。
だけど、空いた隣の部屋はすぐに入居者が決まったらしく、昨日挨拶された。
また男性だ。定職についてるのかどうかは判らないけれども、独身の男性には違いなかった。
ここはそこそこ家賃が安い分、建物も古くセキュリティなんてあったもんじゃない。女の子が入居しようとしたら両親とか身内が反対するだろうと、入るときにも不動産屋さんにそういわれた。だけどわたしにはそんな人いなかったから、安さと立地条件だけで決めた。近くにスーパーがあるし、古い割にはお風呂も広いしトイレも独立しているから。そこだけがオススメポイントだ。
甲斐くんから逃げるため、大学の近くに引越しをしたいと言い出した時母に言われた。
『通えるのに越したいって……せっかくあそこは家賃安かったのに』
『また安いところ探すから!通いで電車代とかバス代考えたらその方が負担かけずに済むと思うし……』
『そう、じゃあしかたないわね。あの人に頼んでみるわ。だけど高いお金出して行かせてもらうんだから贅沢するんじゃないよ』
学費のほとんどは奨学金でまかなっている。出してもらってるのはアパート代と光熱費。他の携帯代や食費なんかすべて自分のバイトでまかなっている。高校時代校則でバイトが出来なかったから、食費切り詰めて貯金しておいたのも今となっては助かってはいるけど、間違っても『足りない』なんていえる雰囲気じゃなかった。わたしはあくまで母のお荷物で、母の再婚相手だって成績がいいから世間の体裁考えて進学させてくれただけだ。そんな贅沢いえるような身分じゃないのに、甲斐くんがここを引っ越さないかと言い出した。
さすがにこれ以上休むとヤバイといってバイトに出かけた甲斐くんは数日空けて再びこの部屋に戻ってきた。食事の後遠慮なく手を出してくる彼に隣に男性が越してきた事を告げると、甲斐くんはわたしを抱こうとする手を止めて、それからしばらく黙り込んだ後そう言ったのだ。
「やっぱりさ、セキュリティよくないし、女一人住むには無用心だろ?それにもうちょい防音効果があったほうがいいし、な?」
それってえっちするのに困るから?また前の隣人みたいにならないように気を使ってくれてるの?
だからさっきも止めてくれたんだ。甲斐くんには他の人もいるかもだけど、わたしは久しぶりだったのに……
期待していた身体の芯が熱く疼く。
「それとも、今から俺のトコに来るか?」
甲斐くんの部屋?もう随分行ってない。そりゃえっちするだけして帰ってくるんならその方がいいかもしれない。でも、またあの重い身体を引きずって帰ってこなければならないのは辛い。それにそこかしこにあるカノジョの残したものや、いつ来るかも判らないカノジョの姿におびえながら抱かれるのはもうごめんだ。そこまでして抱かれようとは思わない。
わたしは首を振っていた。
「だったら、また隣に聞こえてもいいのか?志奈子が声我慢できるっていうのか?」
「それは……」
我慢すればいいだけのことだし、それに甲斐くんが抱かなければいい話だ。
そんなこと口には出来ないけれども……
「ここでいい。引っ越すお金もないし」
「なんだ、そのくらい俺が出してやるよ」
「えっ、な、なんで甲斐くんが……」
どうして甲斐くんが引越し費用を出すって言うの?
「マジでここは環境よくないだろ。おまえ気が付いてた?このアパート女はおまえ一人だぞ?あとは若いのから年寄りまで男の独り者ばっかりだ」
それらしきことは不動産屋さんと管理人さんから聞かされていた。家賃と立地でこの場所に決めた時も、不動産屋さんが本当にいいのかと何度も念をおしてた。もっとも未成年の娘が部屋選びするのに電話一本で『書類だけ送ってくれ』で、下見すら一緒にしないわたしの親の事に眉をよせたけれども。普通なら親が色々心配して動くものなのかな?だからこうやって、わたしが住む場所を面と向かって心配してくれたのは甲斐くんが初めてだ。だけど甘えるわけにはいかない。ここよりセキュリティのいいところなんて家賃が上がるに決まっているもの。
「家賃とか、これ以上出してもらえないし……このあたりでここよりいい条件のところは倍するのよ?無理だって」
「なんならこの間の事言ってやれば?隣の奴に襲われそうになった、そんな危ないアパートには居られないってさ」
そんなこと、甲斐くんの存在の説明抜きでどうやってしろというの?それで助けてもらったのが彼ですって紹介しろとでも?『カレシなのか』って聞かれても『ただのセフレです』って答えればいいのかしら?
あの母は……そら見たことかって顔するわ、きっと。『やっぱりわたしの娘なのね』って。そう思われたくないから今まで必死でやってきたっていうのに。
「いいから、放っておいて」
むっとした顔をこちらに向けてくる。そんなにセックスできないのが苛立つのだろうか?そうだよね、甲斐くんはそのためだけに来てるんだものね。カノジョが居ない時や、逢えない時の発散用だもの、わたしは……出来ないんだったら価値なし?来る必要もないんだよね。
「志奈子、おまえ……親とうまく行ってないのか?」
「そんなのどうでもいいでしょ?」
母のことは聞かれたくなかった。だけど、この間のことで少しだけ自信がもてるようになった。
わたしは母とは違う。男なら誰でもいいわけじゃない。甲斐くんだから欲しいだけだって。
ただ、わたしのカレじゃないけれども……
「高校の時から一人暮らししてたのは親が遠いところに住んでるからじゃなかったのか?」
「別に……校区内じゃないけど、他県に住んでるわけじゃないわ」
「だったらなんでだよ?こんな部屋じゃ心配するだろ、普通」
普通じゃないもの。
「心配なんかしないわ。母親は再婚相手に愛想するのだけで手一杯だし、血のつながりもない義父と一緒に住むなんて無理だから……まだアパート借りてもらえるだけマシよ。ここでもそんなに酷くはない方よ、昔母と住んでた部屋に比べたら……」
一人で住める分、布団にも困らない。台所で寝ることも外に追い出されることもないのだから。
「もしかして……おまえもオレみたいだったのか?前から聞きたかったんだ。志奈子はオレの父親のことみても、あんまり態度かわんなかったよな?もしかしておまえも親とうまくいってないのか?親なんてあんなモンだとか思って育ったのか……」
たしかに……親なんてあんなものだ。産んでもらっただけまだまし、殺されなかっただけまだまし、学校に行かせてもらえただけまだまし……ただ満足に育ててもらえなかっただけ。食事は時々抜けるし、出かけたら放って置かれる。自分でやらなきゃ家の中はゴミ屋敷、食いっぱぐれないために料理も覚えた。居たら居たで子供無視してセックスに耽るし、母親の男関係は散々見せ付けられてきて、何に対して夢も希望も持ってない。
「そうね、あんなもの……よね」
「こんな部屋に住んでても何も言わないのか?」
「いわないわ、興味ないもの。前の部屋もこの部屋も見に来たこともないし……家賃が安ければそれでいいのよ、あの人たちは」
「……」
「自分たちさえよければそれでいい人たちだから。だけど一応世間体は気になるらしいのよね。母親が再婚してくれたおかげで、成績がいいってだけで大学までやってもらえたし?まだラッキーな方よ。でも下手したら、もう少しで小学校もまともに行かせてもらえないところだったもの」
「酒?暴力?」
「ううん、育児放棄。男と居る方がいいんだって……似たくなかったんだけどな」
ちらっと甲斐くんの方をみたら気まずそうな顔してた。
「おまえは、似てないだろ?オレが無理言わなかったら男なんて相手してない。ちゃんと身の回りのことも、食事も自分でやってるじゃないか」
「……本当に?そう思う?」
「ああ」
嬉しかった。初めてそういってもらえて。
わたしは母とは違う。自分でもそうなるようにしてたし、そう思うようにもしていた。だけど、それを他人の目から言って貰える事がこんなに嬉しいなんて。一瞬自分の口元が緩んだのがわかった。
「甲斐くん?」
なんだか、ぼーっとした顔して……わたしを見てる?
「どうかしたの?」
「いや……それであの時、親は親でオレはオレだって言ってくれたのか……」
「お父さんのこと?だって親がそうだからって子供までそうって決めつけられたくないのは子供の方だもの。甲斐くんは、大学入ろうと一生懸命だったでしょ?父親と同じ仕事に就きたくないんだなって、納得した」
「そっか、わかってたのか……おまえ態度変えなかったのも、おまえの親も同じだったから……」
「うん」
同じだった。だからあの時ああ言えた。自分がそういって欲しかったから……
それに、甲斐くんはわたしのことをセフレとして抱くだけの相手にしてるけど、甲斐くんのお父さんみたいに4Pとか、そういう扱いはしなかった。薬使われたり、軽く縛られたこともあった。だけど、最終的には優しくて、終わったあと放ったらかしにされたこともないし、動けなかったら身体摩ってくれたりきれいにしてくれたり、最後まで優しい。だからこの関係を続けているのかもしれない。あの快楽よりも何よりも、わたしは終わったあとの甲斐くんの優しさが欲しいんだ……
「だったら余計にだろう?こんなところ危なすぎる。前から気になってたんだよ。だから、男いる方が変なの避けられると思ってたんだけど、裏目にでちまったし……なあ、親に言えないなら俺から言ってやろうか?」
「いいよ、そんなの!自分で、言うから……」
言えない、そんなの。セフレのカレがセックスするのに部屋の壁が薄いから引っ越したいって言うの?それとも、アノ時の声聞かれて、セフレだってばれて、誰とでも寝る女だと思われて襲われかけました、とか?
言えないよ、あの人には……
でも、確かに引っ越したいけど、先立つものもないし、どうしようもない。
わたしは自分で言うといっておきながら、言わずにそのまま済ませるつもりだった。
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