18
その夜は、帰るとすぐにベッドに潜り込んで眠ってしまった。
自分の体からかすかに香る甲斐くんの香りに包まれて、わたしは気が付かないうちに安心して眠ってしまっていた。
甲斐くんの匂いに気が付いたのは、何度目かに抱かれた時。誰かの匂いを感じるほど他人を側に近づけたのも初めてだったし、その匂いが自分に移るなんてことは考えられなかった。母でさえ、長く抱きしめられたことはなかった……
そして最後のあの日初めて思い知らされた。抱かれて眠ることがどれほど自分を安心させていたかなんてことを。こんなにもわたしの身体はぬくもりを求めていたんだと……
けれどもそれ以上に、あの快感はわたしの身体をおかしくしていた。半年ぶりのセックスに身体はすぐに慣れ、そして貪欲になってしまった。
その次の夜も、その次も、体の疼きは止まらなかった。いくら自分で慰めても快感は得られても充足感は味わえない。
体が覚えてしまっていた。甲斐くんが与える快感の全てを。
だけど気になることがあった。昨日甲斐くんは避妊してくれたのだろうか?
再び蘇る女の不安。また次の生理が来るまで怯えて待つしかないのだろうか?
怖くなって翌日には婦人科を受診した。元々生理痛が酷かったのもあり、ピルを処方してもらった。また再び不安に襲われるのは怖いから……だって好きあった仲でもないから、出来ちゃったと相談してどうにかなるものでもない。堕胎のリスクを考えるとまだこっちのほうがいいと思えた。それに、甲斐くんだってセフレ相手に子供なんか出来たら困るだろう。本当はちゃんと避妊してくれてると信じたい。でも、昨日みたいにわけがわからなくなったり、わたしが暴れたりした時はちゃんと避妊できるかどうかわからないから、ルーズになって子供が出来るなんて困ってしまうもの。
それ以来ピルはわたしにとってお守りのようなものだ。不特定多数と相手をするわけでもないけれども、いつだって甲斐くんは突然で強引だ。だからと言っていつまでもこの関係を続けるつもりはない。
けれども、もし、再び求められたら……たとえ無理やりでも強引でも、わたしはきっと拒めない。そしてまた受け入れてしまうだろう。たとえどんなに最初は嫌がったとしてもそれは表面上の抵抗だって彼も気が付いている。自分はそんな女なのだ……甲斐くんもそのことに気づいてるからいつだってなし崩しに抱くのだろう。ただひたすら気持ちよくなるために繋がって、そのための優しさなら見せる彼。だけど、言葉なんて快感を生み出す道具で、感情を伝えてくることはない。
好きだと告げてくるのも、一番いいというのも、全部その場の雰囲気を盛り上げるもので、そう伝えられた瞬間わたしの身体が喜ぶのを知っているからだろう。
そのあと、やっぱり予想通り何度も何度も、甲斐くんに抱かれた。
甲斐くんは、家庭教師の日に駅で電車から降りてくるわたしを待っていた。それ以外にも不意に駅前や彼のアパートに呼び出されたりもした。
「来いよ」
わたしを見つけると、強引にその腕を引いていく。その度、誰もわたしを見ていないことを祈った。
甲斐くんは目立つから。綺麗な顔立ちに細身のジーンズも良く似合ってる。ストリート系のファッションじゃなくて、彼の顔立ちに良く似合うアクセも全部まるで雑誌から抜け出たようにスタイリッシュだ。後で聞いたけれども、モデルのバイトをしてるらしくて、衣装もたまに買い取ったりする。だから服やお金も困らなくなったらしい。
「んっ、やぁ……」
口では嫌だと言ってもやることは同じ。引きずられるようにして甲斐くんの部屋に入ったとたん玄関先でドアに押し付けられてされたり、押し倒されて靴を履いたまま後ろ向きに這わされて攻められたこともある。甲斐くんが中に出さないからと言って何もつけずにされるのは怖かった。だけど、ピルを飲み始めてからは不安に気が取られることもなく与えられる快感と行為に没頭していた。身体にかかる彼の体液がゴムをつけてない証拠だってわかっていても……
逃げられなくされた後、ベッドに移って今度は全部脱がされて、ゆっくりと攻め立てられたり激しく責められたり。嫌がってない時はすぐにベッドまで行くこともあるけれども、玄関先や廊下だったりとかの行為は高校時代のあの秘密めいた密着間を彷彿させた。壁や床に押し付けられるたび、当時の性急な関係をわたしに思い出させて、興奮した。彼も、わたしも……
「なんだよ、嫌がってもすぐにこうだ……すぐに濡れてぐちょぐちょになって」
どこで繋がっても同じだった。口で嫌がっても身体は正直で、甲斐くんが入ってくる前から濡れているし、かき回されるとすぐに洪水になる淫乱な自分の身体。
「志奈子のここ、最高だ……ちょっと言うだけでヒクヒクして、俺の締め付けて……っあぁ」
本当はわかっていてやっている。こうすれば甲斐くんが気持ちよくなって我慢できなくなる声を出すとか、止まってる時に捩ると中でぐんと大きくなったり……わたしが感じてる声を上げるたびに腰の動きが激しくなったりすることも。
反対に声を押し殺してると、我慢できなくなるまで焦らされたり、言葉で攻められたり、激しく奥まで突かれたり……結局は狂わされて、快感の虜になるまで鳴かされ続けてしまう。
最中に女性から電話がかかってきたこともあった。あんまりしつこい時は携帯片手にわたしを突き上げる。
きっとわたしは彼の脳内ではそのカノジョに摩り替わってるのだろう。
『今?ちょっと部屋の片付けしてるんだ。これ重くってさ……っ!』
ゆっくり引き抜かれ、打ち込まれる。声を殺すために必死で自分の腕で塞いでいた。
『……っん』
『じゃあな』
携帯を放り出した後はひたすら激しく責められて、腕を縛られて声を塞げなくしてしまった。わたしは我慢しきれない嬌声をはしたなく上げながら達するしかない。
『他の女と話してる俺に攻められていっちゃうなんて、ホント志奈子の身体はヤラシく出来てるよな?』
その後何度も突き上げられてはイカされてしまうほどわたしの身体は慣らされていった。高校時代のように声を殺さないといけない理由もなく、身体を自由に出来ない場所でもない。開かれて、突き上げ揺らされて……きっとカノジョともしないような格好で甲斐くんを受け入れ続ける。
ただひたすら、何度も時間の許す限り繋がり続ける獣のように……
その後はもう覚えていない。でも今日は最初から避妊してくれてたみたいで、残骸が3つあったってことは間違いなく甲斐くんは3回、わたしはたぶんそれ以上……でもゴミ箱の下の方に、使用済みのものがいくつか捨てられてるのが見えてしまった。これも何度めかのこと。
その後は以前と同じだった。イキ過ぎて震えるわたしの身体を摩ってくれる手だけは変わりなく優しかった。
その手があまりに優しく、甲斐くんの身体の熱さがちょっと体温低めのわたしには心地よくて、思わず眠りに落ちそうになった瞬間、自分のではない携帯の着信音に目を覚まさせられた。
「なに?ああ……」
甲斐くんの肩甲骨が話すたびに少し揺れるのを綺麗だなって思いながらボーっと見てた。背中向けてても聞こえる携帯の向こうから華やかな女性の声。
「今から?わかった……じゃあ、そっちにいくから」
今からって……わたしは呆然としながら身体を起こす。
「悪い、俺出るわ」
「……」
「女が出て来いってうるさいから行って来る。ここに来させるわけにはいかないしな」
カノジョからの電話で呼び出されたってわけ。タフだね、さっきまでわたしを抱いていたその手で……思わず胸が苦しくなるけれども、そんなことおくびにも出さない。
わたしは無表情のままベッドから身体を起こして下着を探した。
やだな、今日はあんな向こう……そう思ってると、甲斐くんがベッドから降りてそれを取ってきてくれた。恥ずかしいけど、いつもなら嬉しいその気使いが、今は早く出て行けと言ってるように思えた。
「帰るわ」
「なんだよ、このままいてもいいぞ?今日は結構やったし、おまえ身体動かすのもきついだろう?あとでゆっくり風呂でも入って帰れよ。鍵、渡すし」
そういう気は回るんだ……おまけにセフレに鍵?そんなもの渡してどうする気なんだろう。甲斐くんの言動がおかしくて、思わず少しだけ笑ってしまった。
「志奈子?」
「鍵は要らない。お風呂もいい」
「そういえばおまえ、俺んちで風呂はいったことないな」
今時分気が付いたの?これでも自分の痕跡を残さないように努力してるのよ?使用済みのゴムだって持って帰って処分したいぐらいよ?さすがにそこまではしないけれども……でも最低限のものしか触らないし、使ったりもしない。タオルも使わないようにしているつもり。彼が手渡してくれた飲み物以外口にしたこともない。化粧が薄いほうだから、他の女の人みたいに口紅がグラスやペットボトルに残ることもない。
急いで身支度を済ませて、準備の終わった甲斐くんと一緒に部屋を出ることになった。
「俺急ぐからタクシーのとこまでいけないけど、これ」
手渡された数枚の千円札。
「気をつけて帰れよ」
そういって駆け出す彼の背中を呆然と見送る。
「なによ、これ……」
タクシー代のつもりだろうけれども、まるでお金の関係のような気がして気分が悪かった。それならまだ気持ちいいだけの関係のほうがいい。たった数枚の紙切れが、まるでわたしの価値の様な気がして酷く惨めに感じた。
わたしは帰り道、歩きながらそのお札を細かくちぎって、捨てた……
やっぱりやめたほうがいい、こんな関係。
これからも抱かれるたびにそう思い続けるくせに、そんな自分が情けなくて惨めで、力なく笑いながらアパートへ戻った。
家庭教師のバイトは辞めた。そうすれば駅で待ち伏せされることもないと思ったから。
いつの間にか登録してあった携帯ナンバーは着信拒否に登録したし、メルアドも変えて連絡が来てもわからないようにした。
それから1ヶ月、うまく鉢合わせずに済んでいたけれど、見かける時は見かけるものらしい。
徒歩で通える家庭教師のバイトを探して駅には寄り付かなかったけれども、その子のための参考書を探しに街に出たとき甲斐くんを見かけた。
隣には可愛いというよりも綺麗な女性。背も高くってモデルだろうか?前見かけた彼女とは違うのは確か。並ぶと凄くお似合いで、思わず自分を見直して急いで建物の陰に隠れた。
二人はレストランから出てくるとそのまま歩いていく。手には映画のパンフレットらしきものが見えた。
そっか、甲斐くんもカノジョとは普通にデートとかするんだね。映画見て、食事して、ホテル?部屋に連れて行かれて即セックスだけのわたしとは扱いが違う。また惨めな敗北感のようなものを味わう。人って不思議だ。わかっていて、諦めて受け入れていたはずなのに、現実が目の前に突きつけられると辛くなる。自分の扱いがあまりにも惨めなことに気づかされて……
一時の優しさも、暖かさも、それは全て抱きたいだけの為の嘘だって知ってたはずなのに、いつの間にか期待してしまっている。それほど何度も抱かれた……でも実際わたしがいなくなったとしても、こうやって綺麗な彼女がいるんだし、再会した時セフレはいないって言ってたけれども、もしかしたら今はもういるのかもしれない。
わたしが消えたところで甲斐くんは困りもしないし、必要ない存在だと何度も言い聞かせたはずなのに、自然とわたしの足は彼の後を付いて行ってしまっていた。
後をつけるなんてわたしらしくない。だけど、自分にけじめをつけるためにも最後まで見ておこうと思った。
実際彼がカノジョを抱いてるところでも見れば諦められるのかもしれないと、だったらホテルに入っていくところまで見届けて、それで今度こそ踏ん切りをつけようと、そう思って……
間違いなくホテルに入っていった。二人腕を組んで楽しそうに。それもラブホじゃなくて綺麗なシティホテルだった。相手の女性に合わせたのかな?もしかしたら本気の相手かもしれないね。
今度こそはもう、止められる。甲斐くんに本気の相手が出来たらわたしなんてもう必要ないだけなんだから。そう心に決めたのに……なのに
「見つけた」
それから1ヵ月もしないうちに甲斐くんが姿を見せた。それも、大学の門のところで待ち構えるようにして立っていた彼。
「な、なんで?」
まさか大学まで押しかけてくるなんて……
「学生証みて大学はわかってたからな。俺から逃げられるとでも思ってたのか?」
回りからすればわたしみたいなダサい女の所に彼のような男が寄っていくのが信じられなかったのだろう。一瞬周りの学生からはどよめきのような声も聞こえた。
だけどわたしは人違いのような顔をして、返事もせずに足早に歩き去ろうとしていた。
あ、でもどうしよう?アパートに帰ったら部屋が近かったことがばれてしまう?そう思って通り過ぎたところで駆け出そうとしたら、腕を掴まれた。
「離して……」
穏便にすませようと声を潜める。だけど、甲斐くんの表情は前以上に歪んだ笑い顔を貼り付けていた。
「逃げても無駄だ。おまえの住んでるところもとっくに知ってるから。ったく、うちからこんなに近いならタクシーなんかいらなかったじゃないか。帰るときは俺が送っていけばよかったんだよな?」
送られると困るから、嘘ついてただけなのに……
「志奈子の部屋に行こうか?」
肩を抱かれて無理やり歩かされた。
そっと盗み見たその綺麗な横顔は怒ったように無表情に変わっていた。
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