2.
 
椎奈の企画が通り、子連れ挙式披露宴の特別プランが設定された。
ホテルのホームページで告知したところ、すでに問い合わせが数件あった。それでもさすがに平日の申し込みはまだ少なく、土日は普通の申し込みが多いため、やはりプラン挙式第一号は椎奈と圭司になりそうだった。
 
「椎奈、今週末親父と会うから...一緒に来てくれないか?」
急には土日も休めない椎奈だったが、理由を話して土曜日に休みをもらった。藤枝が取っていた休みを譲ってくれたのだ。
場所は実家の近くのレストラン、圭司の父親が指定してきたが、会った後祖父母の墓参りに行こうと、ふたりで相談した。
「でもその店だと愛華連れて行けないね...」
高級とまでは行かないが、どちらかというと敷居の高い店である。1歳になる前の愛華を連れて行ける所ではない。
「まだ、言ってないんだ...結婚したことも、子供ができたことも。」
「え、っと、じゃあ、なんていったの?」
どんな風に約束を取り付けたのか、椎奈は不安になった。
「ちょっと話があるって...」
「それだけ?」
「それだけ。」
椎奈はため息をついた。圭司は、普段仕事でもてきぱきと抜かりなくこなすくせに、友人と会うとかそういった約束は大雑把で、時間と場所以外口にしたことがなかったのを思い出す。出かけていいって、その日誰が来るのか知ったりするのだ。
「しょうがないわね、愛華は実家に預けていくわ。」
圭司は浮かない顔で『ああ』と返事をしただけだった。
 
圭司が乗り気でないのはわかっていた。
圭司の立場からすれば『親に捨てられた』という事実しかない。養育費や大学の進学資金、生活費も十分もらってはいたのはありがたいだろうが、ただそれだけだった。会いに来たこともなければ、電話がかかってくることもない。たまに、間に入った弁護士が連絡してくるぐらいだった。
最後に会ったのは、祖母の葬式だったと思う。それも準備の段階から弁護士が来るだけで、告別式に顔を出して喪主の挨拶を済ませたあと、さっさと帰っていった。
『仕事の忙しい子だから』と祖父母はいつもすまなさそうに圭司に言っていた。
だけど、それが事実だとしても、結局は自分は打ち捨てられた存在であるとしか思えなかった。
椎奈は、そんな事情を高校時代、たまたま休んだ圭司にプリントを届けに行った時、ちらりと健在だった祖母から聞いたことがあった。
『あの子は親の愛情を知らんと育ってしもうた。わたしみたいな年寄りでは親の代わりにはなれんで』そういって寂しく笑った圭司の祖母の顔を、椎奈は思い出していた。
 
週末、前日から椎奈の実家に帰り、愛華を預けると両親はご機嫌だった。母親はともかく、強面の椎奈の父までがデレデレなのだから、圭司は笑いを堪えないといけない時がある。おまけに土日はスポーツジムのインストラクターの仕事があって、休めない椎奈の妹の柚までもが仕事を休みたいと嘆いたぐらいだ。
「じゃあ、行ってきます」
お昼前に、愛華に見つからないようこっそり玄関を出て車に乗り込んだ。
昨夜圭司は椎奈の父と遅くまで飲んでいた。父親と疎遠だった分、結婚してからは椎奈の父をまるで実の父のように慕って相談していた彼は、酒の力を借りて胸の内を明かしていた。
『どう話していいのかわからないんです』
『離れすぎていたツケが一気に回ってきたってところか。だがな、圭司くん』
椎奈の父は杯を置いて真剣な顔で圭司を見つめた。
『子供のことを忘れてしまえる親なんていないと思うんだよ。自分に否があるから、怖くて近寄れないと思ってるんじゃないかな?君の父上は。』
圭司には信じられない言葉だった。
『もし、椎奈を見つけられず、君が他の女性を側においてしまったあと、椎奈と愛華を見つけたとしても、君は愛華に堂々と会いにいけるかね?』
『え?それは...』
そんなことは考えたことなかった。だが、もしあのまま...何年も経ってしまったら。その時たとえ女性が側にいなかったとしても、愛華が物心ついて圭司のしたことを理解できる年齢になっていたら、堂々と顔が出せるだろうか?それは無理だと、圭司には思えた。
『そういうことじゃないのかな?ま、わたしは君の心情より、父親の心情のほうがよくわかると思うんだ。憶測でしかないが、見る目を変えて、ちゃんと話し合わないと明日会う意味がなくなってしまうよ?最初っから睨み付けていたら、向こうだって話せないだろう。君ももう父親だ、少しだけ自分の親の気持ちに成り代わって考えてみたまえ。』
その夜、女性陣に愛華と椎奈を取られ、客間に一人床をとった圭司は天井を見つめて一晩過ごしたのだ。
「圭司寝れなかった?」
日射しに目眩を覚えて目頭を押さえていると椎奈が心配する。
「お父さん、圭司に飲ませすぎたんじゃないの?」
「違うよ、相談に乗ってもらってたんだ。」
「そう...で、その成果は出そう?」
「わからん。」
ぶっきらぼうに応える圭司の腕をとって椎奈は約束の店へと向かった。
 
 
「はじめまして、工藤総司です。」
レストランの個室で対面した工藤の父親は、いかにも役員クラスの余裕と態度で椎奈たちの前に現れた。雰囲気はよく似ていたが、顔立ちはどちらかというと圭司は母親似のようだった。
「親父、こいつは椎奈。高校の同級生だったんだ。オレ、こいつと結婚したから。」
圭司は椎奈の肩を抱いてぐっと引き寄せた。
「はじめまして、椎奈です。」
急いで椎奈は頭を下げた。耐え難いほど、硬い空気が部屋の中に充満していた。
「結婚?」
「ああ、入籍したんだ。」
圭司はぶっきらぼうな口調で答え続ける。だが、椎奈にはわかっていた。こうやって話すだけで進歩なのだと。今まで、いつも弁護士を間に挟むか、何か言われてもそっぽ向いて答えなかったと言う。
「結婚するじゃなくて、もう、入籍したのか...」
圭司の父は、人を連れて行くと言っていた段階で、予想はしていただろうが、事後報告とは思っていなかったらしい。
「だけど、式は挙げる。来月の8日、平日だけど、こいつの勤めてるホテルで。ちょうどウェディング部門にいるんだ。」
「そうか...」
それっきり黙ってしまった。その沈黙は自分が呼ばれるとか、行っていいのかとかも、聞くことが出来ない心情をあらわしているように椎奈には見えた。
「あの、式に出席していただけませんか?」
椎奈は思い切って、そう口にした。シンプルな式だで、出席者の親族は椎奈側の望月家だけ。工藤側の出席者がないため、食堂一家に頼むしかないなと話していた。後は二人共通の友人と、それぞれの職場のお世話になっている数人だったから。
圭司は椎奈の言葉に、余計なことを言うなとひと睨みしたあとそっぽを向いた。
「いや、それは出来ない...わたしにはそんな資格はない。」
やはり、工藤の父は息子に負い目を持っていると確信した。
圭司も、昨夜の望月の父の言葉を思い出していた。
「そうだな、あんたにはそんなこと出来ないだろうな。」
だが出て来たきたのはそんな言葉でしかなかった。不器用な男が二人、今更接し方を変えれない。それほど離れていた二人だったのだ。
「圭司!」
「いやいいんだ...」
圭司のかたくなな態度を窘めようとする椎奈を制して、父親は寂しそうに笑って頭を下げた。
「椎奈さん、どうか圭司をよろしくお願いします。」
「は、はい。」
返事はした物の、ふたりの間をどう取りなしていいか、椎奈には計りかねていた。
「おまえは、わたしの話など聞いてはくれないだろうが...椎奈さん、少しだけ話してよろしいか?」
圭司が黙っていたので、椎奈は頷くと父親は話し始めた。
「わたしは仕事が忙しく、妻と生まれたばかりの子供をほったらかしていました。妻は、今思えば育児ノイローゼだったんでしょう、イライラしてて帰宅したわたしを責める。そしてわたしもそんな妻を見ていたくなくて、自然と家から足が遠のいた...出張も多かったが、先に浮気したのはわたしなんですよ。」
圭司はそれを知っていたらしく、驚いた風でもなく、黙って聞いていた。
「妻はそれを知って、あてつけのように遊びまわってました。子供を、わたしの実家に預けて...そして、終いには男と出て行ってしまった。けれどもその後もわたしは、仕事に恰好つけて、圭司を迎えにも、会いにも行かなかった。圭司はいつだってわたしを見ると睨みつけて、近づいてもくれなかったのでね。」
「母親がな、あんたが全部悪いんだって、そればっかり言ってたんよ。あんたがいない不満を全部ぶつけられる子供の身になってみろよ?ばあちゃん家に預けられたころは、もうずっとここに居たほうがでいいって思った。あんたは帰ってこないし、たまにあんたを訪ねて行っても、女が出てきただけだったしな。」
「わたしを訪ねて、来たのか?圭司」
「ああ、そっちの高校に行ったらどうかって、ばあちゃんが言ったから...じいちゃんが亡くなってから、ちょっと気弱になってたのあんた知らなかっただろ?だから相談しに行った...だけど変な女が部屋に引きずり込もうとするから逃げて帰った。それに、ばあちゃん一人置いていけなかったしな。」
「すまなかった、な...圭司、わたしはお前に会うのが怖かったんだよ」
「もういいよ。」
圭司が言葉を挟んだ。
「言い訳なんか聞きたくない。結果としてあんたは逃げた。オレとも会おうとしなかった。その結果が今あるんだ。ただ、もういい...どうかしたくて話しに来たんじゃないんだ。オレは報告しに来たんだ。」
圭司がじっと椎奈を見つめてから再び父親の方をむきなおした。
「オレは、コイツと出会えた。たぶん、それだけでオレは救われたんだ。高校時代から、ずっと親友として側にいてくれた。今は生涯の伴侶として、家族として側にいてくれる。それを伝えたかったんだ。」
「おまえは、いい相手に恵まれたんだな。」
「ああ、オレみたいな最低の男をずっと想ってくれてたんだ。聞いてるだろ?オレが酷かったの」
「ああ、弁護士から聞いてるよ」
「一人暮らしで、誰もいなけりゃどんな生活だって出来るんだ。はっきり言って女ともやりまくってたよ。あんたら親のせいで、愛だとか結婚だとかはまったく夢のないもになっていたさ。女も寝る快楽以外たいして価値がない面倒くさい存在だって思ってた。何もかもが信じられなかったし、どんな感情だって、いつか終わるもんだと思ってた...その気持ちを変えてくれたのが、こいつなんだ。女としてみるのも怖くなるほど、無くすのがも怖い存在になってて、随分と傷つけて、遠回りした。だから、こいつを傷つけて、目の前から居なくなって初めて気がついたんだ。幸せになりたかったら逃げてちゃダメなんだ。無くすことを恐れて背中向けてたら、決して手に入らないって。」
圭司はそこで一息ついた。
「オレが、コイツに何したか、親父はそれを聞いたら、絶対に式にはでれなくなるよ。オレは、コイツをそれほどひどい目にあわせたんだ。」
「なんだって?」
「オレは、好きだの一言も言わずに、親友だったコイツを抱いた。初めてだったこいつを孕ませて、それでも、こんなオレの子を産みたいと、家族も仕事も、全部捨てて、遠い街でたった一人で子供を産んだんだ。」
工藤の父の顔が真っ青になった。
「おまえは、なんてことを...」
「そうだよ、それがオレの一生背負わないといけない罪だ。探したよ、後になって気がついて、もしかしたらって何度も思った。半年以上かけて、探しまくって、ようやく見つけても、こいつが幸せなら諦めようともした。だけど、オレには椎奈しか居なくって、椎奈も俺しか居ないと言ってくれた。だから、今こうして一緒に居るんだ。向こうの親父さんも全部知ってる。半年もの間、娘が行方知れずになって、帰ってきたときは赤ん坊抱いてるんだからな。オレは殴られたよ。コイツの親友にも、世話になってた家の人にも、親父さんにも...それからその親父さんに、あんたの分だって、もう一発殴られた。」
テーブルの上に置いた工藤の父の手が震えていた。
「し、椎奈さん、すまない、本当に申し訳ない!息子がそんなことをしていたなんて...」
立ち上がるとテーブルを回って圭司の腕を掴んで立ち上がらせた。
「今すぐ椎奈さんの実家に連れて行け!わたしは、謝らないと、気が済まない...いや、その前におまえにも謝らないといけなかったな。すまない、圭司、すまなかった...」
「お、おやじ...」
圭司も唖然としていた。
「許してくれとは言わない、ただ、謝罪させてくれ。」
抑えた声が、父親の口から苦しそうに漏れる。
「わかったよ、行こう、親父。」
「圭司、すまない、」
「オレもさ、親父になったんだぜ?すんげえ可愛い娘でさ、愛華っていうんだ、会ってやってくれないか?」
父親の背を撫でながら、圭司はいつの間にか自分の身長が父親を越していたことに気がついた。いつの間にか親も年てったんだと、そう思ったら、少しだけ心が軽くなった。
 
 
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