1.
 
椎奈が仕事を再開して、真っ先に手を付けなければならなかったのが、自分の結婚式だった。
再開と言ってもしばらくはパート、それでも時期を見てもう一度再雇用申請をしたいと考えていた。ホテルには従業員も使用出来る育児所もあり、女性には心強い職場だった。
 
「こうやって考えてみると、意外とおめでた婚とか、子連れ結婚しきって需要多くなってますよね?」
「言われてみればそうね。でもその場合ジミ婚も多いし、ホテルまで使おうって気にはならないのかしら?あまり申し込まれるケースは少ないわね。」
上司として自分を呼び戻してくれた中上が書類から顔を上げた。
「ホテルって敷居が高い気がするんでしょうか?オレの彼女もまだ学生だからってここに来るの怖いらしいです。」
「まあ、女子高生からすると、そうかもね。」
中上はくすくすと笑いながらそう言った。
藤枝は彼女が可愛くってしょうがないらしく、3人でいるときは結構惚気るのだ。他の女性陣の前では、主任らしく恰好つけてるらしいけれども、ふたりの前では気張る気はないらしい。
椎奈が抜けた後しっかり仕事を引き継ぎ、上司の覚えもよかった彼は、わずか1年半の間に主任の座に着いていた。けれどもブライダルコーディネーターとしての実績をもつ椎奈は藤枝の下につかず、直接中上の下に付いていた。
「一応プランにもありますけれども、あまり親切じゃないような...その、つまり子連れとかだと本当に大変で...」
椎奈は実感していた。まだ歩き回らない愛華だけれども、泣きわめく、ぐずるは子供の専売特許。育児所はいつだって大合唱だ。
「実感こもってるわね〜たしかにそうなのよね、せっかくの感動のシーンも鳴き声一つでおしゃかになちゃうしね。」
「そんな夫婦対象にプランを練ってもいいかなと思うんです。せっかくこのホテルは育児所もあるのですからもっと利用してはどうかと。地方から出てくる両親や親戚も泊まって頂けますし、お酒を飲まれても休憩される部屋を作ったりと...それに、ベビーベッドの貸し出しや、子供が遊ぶスペースを作ったり、そういったサービスは絶対利用したいと思われるんじゃないでしょうか?それに、式が終わった後、疲れたまま子供を見るんじゃなくて、しばらくお預かりしたりして二人っきりにさせてあげるとか...」
「なるほど、いつもはお父さんお母さんのふたりが恋人って言うか新婚さんになるんだな。」
「いいわね、それ上にも掛け合ってみるからプラン書類にして頂戴。それと、第一号実験舞台はあなたになるけど、いい?」
椎奈の企画に中上も藤枝も賛同してくれたのだった。
 
 
「へえ、企画通りそうなの?」
「うん、自分がしてもらいたいこと、って口にするだけだと我が儘だけど、こんな企画あったらって思うともうとまらなくって。」
帰宅して、圭司が帰ってきた途端、椎奈は嬉しそうに企画の話を持ち出した。
「なるほど、じゃあ、夜も子供抜きとか、できるのか?」
「え?まあ、それは...両親に預けるパターンとか、考えてるけど...お泊まりは人がないと無理だから、遅い時間のお迎えとかはいいんじゃないかなって。夜のディナーの間預かるサービスはホテルにはあるから。」
「そっか、じゃあ楽しみだな。」
その意味が椎奈にわかる様ににやりと笑って言う圭司は意地悪だ。
「もう、すぐにそんなこと言うんだから...」
「そんな企画立てるって事は、椎奈がそうしたいって言ってるようなもんだろう?だったらご期待に応えなきゃな。」
「きゃっ」
台所に立つ椎奈を後ろから羽交い締めにして圭司はやる気満々な振りをする。
「もう!先にお風呂に入って!愛華が待ってるんだから。」
最近はつかまり立ちもするようになった愛華だった。食事用のベビーチェアできゃっきゃとオモチャを口に突っ込んでいる。
「愛華のご飯は?」
「先に済ませたわ。」
「オレの飯は?」
「お風呂上がってからでいいでしょう?」
「ま、いっか...食べてる間に愛華寝かせろよな?」
理由は判るだろう?と、最後の台詞は椎奈の耳元にだけ落とされた。
 
 
 
「ねえ、圭司」
「ん?」
食事の後、デザートとして妻の身体を堪能した圭司は、腕の中に椎奈を抱いたまま息を整えていた。
一日の終わりに椎奈を抱きしめて、自分の居場所を確認する。すっかり安定したはずの生活、新婚当初に比べれば無茶はしなくなったし、互いに忙しいのもあったが、愛華が早く寝てくれた夜は、椎奈を可愛がらずして眠ることは出来なかった。
「圭司のお父様のことなんだけど...」
「何だ、まだ言ってるのか?呼ばねーよ、結婚式。結婚したことも連絡もしない。」
「でも...」
「大学でて、就職したら用なしさ。扶養しなくてよくなったんだから。向こうは清々してるさ、こっちもだけどな。だから卒業して就職してからも、俺からは連絡もしていない。このマンションだって、死んだばあさんとじいさんの家を売ったからと言って無理矢理金送ってきたから買ったんだ。高校卒業してからほとんど帰ってなかったけど、オレが育った家をあいつはなんの相談もなく...くそっ!」
父親の話になると、こうやって圭司は苛立つ。だから今までなかなか話が進められなかった。
「ここ買ってからも落ち着かなくて、オレの帰る場所がなくなったみたいで、寂しかったんだ。椎奈が来てくれるまで。」
「圭司...」
椎奈は身体を起こして圭司の頭を胸に抱いた。そして優しくその髪を撫でた。
「圭司が寂しい思いしてるの知ってた...だから、ほんとうはずっとこうやって、寂しくないよ、あたしがいるよって言ってあげたかったんだよ。高校の頃から...ずっと」
「ん、椎名の優しさは伝わってたよ...オレが寂しいなって思ったときは必ず隣にいてくれたし、他の女達みたいに構えってうるさく言わなかっただろ?オレ、あの頃からおまえの隣にいるのが一番安心出来てたんだな。」
今度は圭司が身体を起こして、椎奈を抱き寄せて、その額と瞼に順にキスを落とした。
「あたしね、愛華を産みたいって思ったとき、圭司は嫌がるだろうって思ってた。好きでもない相手に子供で来たって嬉しくないでしょ?でもね、あたしは圭司のこと好きだったから、圭司にしかあたしを抱けないと思ってたから、あたしは産みたいって思えた。好きな人の子供を産めるって言うのが、すごく嬉しかったの。こうやって親になって思うことだけど、産むだけでも大変なんだよね。圭司のお父さんとお母さんは、最後までうまくいかなかったけれども、圭司をこの世に送り出してくれたわ。おばあさんとおじいさんは一生懸命育ててくれたでしょう?順番が入れ替わっちゃったけど、あたしは結婚式を挙げる前に、圭司のお父さんに会ってお礼が言いたいの。おじいさんとおばあさんのお墓参りにも行きたいの...だめ?」
滅多にお願い事などしない椎奈だった。
何でもしてやりたいのに、いつもしてもらうばかりになっている自分だったから、椎奈が何かお願いするときは聞いてやろうと、そう心に誓っていた圭司だ。
「わかったよ...都合、付けてみる。」
「本当?約束よ?」
「...ああ、オレが椎奈にダメって言えないの知ってて言うんだろ?ズルイやつだな。」
「あら、その代わりいつも圭司はあたしのこと好きにしてるでしょ?あたしがダメって言っても辞めないくせに...」
「それは、椎奈が本当に嫌がってないからだろ?」
「もうっ!」
少し怒った振りをしながら、伸びてきた圭司の手に自分の手を重ねる。
「お父さんと会うの、怖い?」
覗き込む優しい視線に、圭司はほっと息をついてもう一度椎奈を抱き込む。
「いや...どう接していいのか判らないだけだ。たぶん、あっちもな。」
「似てるのかな?ふたり...」
「え?」
「不器用なとこ。」
「オレと親父か?」
「うん」
「まさか...」
「会えば判るわ、きっと」
圭司は、くすくす笑う椎奈にむっとした顔を向けて...
その後笑えなくした。
 
 
「あっん...もう、無理だって...」
「オレは無理じゃない。」
「あ、明日仕事なのよ?...っくぅ...」
「オレは休みだ。椎奈...」
深々と貫かれる。
先ほどの余韻を残した身体は易々とそれを受け入れ、締め付ける。
「ほら、身体は嫌がってない。」
「意地悪...」
「わかったよ、優しく、ゆっくり可愛がってやるから、な?」
「う、嘘...」
椎奈はその言葉で、早速と眠らせて貰えないことを実感した。
(でもまあ、いっか...ようやく父親に会う気になってくれたんだし)
そう思って抵抗を諦めた椎奈だったが、翌朝後悔する羽目になった。
 
 
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