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クリスマスを過ぎても・2007

本当のHolyNight−聖夜−
12月23日  朱音

いつの間にか寝てしまっていたらしい。明け方近くまで起きていたのだから仕方がないだろう。妊婦になってからやたら眠かったし。だけど、いつ彼が帰ってきたのか判らなかった。怖いけど、知りたかったのに...

ドアの開く音に目が覚めて、私は身体を起こした。
「朱音?起きなくていいから、寝ていなさい。身体に良くないだろう?」
すぐさまベッドに駆けよってくる彼の姿に安堵して、そして不安になる。
聞けばいいのだろうか?でも、もし聞いて認められてしまったら?このまま彼の言うことを信じてる振りをした方が賢いのではないだろうか?
昨晩考え倒したいろいろな対処方法が頭の中を駆けめぐる。
あたしは黙って身体を横たえる前に彼に手を伸ばす。
「あなた...」
「ん?どうした、朱音」
そっと抱きしめてくれる彼から甘い香水の匂いと、それからバニラのようなお菓子の匂い。
誰かとクリスマスでもしたの?昔なじみの綺麗なホステスさんと...
勝が言っていた、男性の欲求を満たすための行為、一時の浮気が玄人相手なら心配ないからと。
でも、本当にそうだろうか??
この人を信じたい。ううん、信じてる。だから...
「少し待って、シャワー浴びてくるから」
そう言って、あたしの腕を優しく解いてバスルームに向かってしまった。ホテルに泊まったんなら、シャワーぐらい浴びないの?それともそんな時間も惜しんだの?
ねえ、どうして...
荒くれる心に勝てずに、私は背中を向けてベッドに潜り込んだ。
しばらくして彼がベッドに入ってきて背中から抱きしめてくれる。
お腹が大きくなってからの定位置。そうしていつもその腕の中で安らかに眠ることが出来たのに...
今は、この歪んだ顔を見られずに済むことをありがたく思った。


「え?そんな...おい、あ...」
昼過ぎにかかってきた電話に、俊貴さんはなにやら叫んでいた。
「朱音、ちょっと出てくる。トラブルみたいなんだ。」
そう言って夕方には戻るとキスを残して出て行った。昨日と同じように...
会社のトラブルなら、直属の部下である勝に聞けばすぐに判る。でも今は聞けずにいた...聞けば全て壊れそうで
きりきりと胃が痛むような気がして、又下腹が張ってきたのだと気がつく。予定日まではまだ10日もある。緊張のせいだろうと必死で深呼吸して落ち着こうとするけれども、なかなか上手く呼吸出来ない。
「ごめんね、未熟なお母さんで...またあなたを苦しめちゃうね、ごめんね」
お腹が張ると中の赤ちゃんが苦しいのだと病院で言われた。出来るだけ、ゆったりと過ごすようにって言われているのに...
今は心がちぎれそうで、落ち着くことも出来なかった。
居たたまれない。今すぐ飛び出して彼がどこに行ったのか確かめたい。でも、こんな身体でどうしろというの?
自分がこんなに嫉妬深いなんて思わなかった。嫉妬する余裕もないほど、わたしは愛されてたんだ。
だけど、あの激しい想いをこの身体に受けることは長らく無かった。我慢してくれているのだと、奉仕の方法も覚えたりもした。だけど...やっぱりそれじゃ駄目だったの?
堪えきれずに漏れる嗚咽が押さえた手のひらからこぼれる。涙がシーツに染みて泉を作った。


『ルルルル』
携帯の着信音、機械的な音はたぶん、勝...
「はい...」
声が掠れていた。
『朱音?今、課長は?』
「いないわ...お昼過ぎに会社でトラブルだって、出て行ったの...」
お願い、認めて、勝!!
『なに言ってるんだ、今日は誰も会社に出てないよ。それより、課長の車を見かけたんだよ。俺んちの実家の近くなんだけど』
「嘘...」
勝の実家は、アパートを引き払ってもいいと思えるほど都心部にあった。
『おまえの目で確かめた方がいいと思ってな、もうすぐ着くから、その目で確かめろよ。』
20分後、美奈ちゃんを一緒に乗せた勝のレビンがマンションの前に停まった。


俊貴さんの車は、小さなアパートの前に停められていた。それを離れた場所に停めた勝の車の中から見つめていた。
「あかねちゃん、あかねちゃんのあかちゃん、もーすぐうまれるの?」
美奈ちゃんが無邪気に微笑んで聞いてくる。わたしは精一杯笑顔を作ってそうよと応えた。
「みなね、ずっとまえからいもうとほしかったの〜」
うふふと笑いながら、大きなお腹に小さな紅葉のような手を乗せて頬ずりしてくる。
可愛い...母性本能っていうのは、こんな小さな子供にでもあるのだろう。そして、彼女が勝と麻里ちゃんの子供であっても、可愛いというのには間違いがない。美奈は麻里に似た愛嬌のある可愛い顔立ちだ。
きっと自分に似てもこんなに可愛い子は生まれないかも知れない。それでも...このお腹の中の子供はわたしと俊貴さんの子供なのだから。
駄目、気弱になっちゃ...
自分に言い聞かせる。
「ごめんな、俺一人でどう対処してもいいかわからなくて、おまえが見た方が早いと思って。何でもなければそれでいいんだし。」
すまなそうに告げる勝も、何が最善かなんてわかってはいない。考えても答えが出ないから、わたしを連れてきたんだ。
考え無しなのは相変わらずだけど...わたしが臨月の妊婦だって判ってないよね?
少しだけため息が漏れる。麻里さんの苦労も判らないではない。今は友人としてだけど、昔は好きだったのだ。この無頓着なところも純粋だと、優しいだけの優柔不断なところもひっくるめて。
「あ、出てきた...」
そのまま角を曲がって真っ直ぐ進む小さな女の子と俊貴さんの姿があった。

勝は車を公園の反対側に止めるとウインドウを開けた。
ベンチの所に俊貴さんが座ると、手を離した女の子は砂場に駆けてきた。いつも来ているらしく、他の女の子と親しげに話していた。

「のりちゃん、あのひとだぁれ?」
「パパよ。」
「え〜のりちゃん、パパいないっていってたじゃない」
「あれはね、のりかのパパなんだよ。」
え?まさか...俊貴さんの、子供?
「おとうとのゆうだいのパパはでていっちゃったから、のりかのぱぱがかえってきてくれたんだとおもうの。だってサンタさんにおねがいしたんだもん、のりかのパパをかえしてくださいって」
「へ〜よかったねぇ」
もう、見ていられなかった。何事か話してるようだったけど、聞いていられなかった。
「あかねちゃん、だいじょーぶ?」
心配して美奈ちゃんが覗き込んでくれる。
「大丈夫よ、」
そう言ったもののだんだんと気分が悪くなってきた。

「ぱぱぁ!」
彼に向かって駆けていく少女、そしてその小さな身体を受け止める大きな腕。
「乃理香!」
「あ、ままだ!!」
ままーと叫んで、彼の腕の中から抜け出して駆けていく先に、髪の長いスレンダーで綺麗な女性が立っていた。
「あの女だよ、課長と帰っていったの...」
勝がそう教えてくれた。やっぱりそうなの?この子供は、まさか...
もうなにも考えられない。
そして少女を挟み両側で手を繋ぎ公園を後にする三人の後ろ姿。
「朱音、どうする...朱音?」
返事が出来なかった。
「おい、大丈夫か、顔が真っ青だぞ??」
待ってろ、そういって勝は車を発進させた。


わたしは勝の実家の居間に敷かれた布団に寝かされていた。あの公園からすぐ近くの家だった。
何度か来たことがあるけど、その時は大学の仲間達と一緒だった。
ちゃきちゃきしたおばさんが、世話になっているからとみんなを食事に招待していたのだ。下宿組の男子達は喜んでしょっちゅう来てたし、たまに女子たちも集団でお邪魔していた。
「杉原さん...じゃなかった、もう本宮さんだったわね。勝の結婚式以来よねぇ、あの時はホントに綺麗になってておばさん驚いたんだから。」
明るい表情で話しかけるおばさんは勝とよく似てる。無頓着なところが...悪い人じゃないんだけどね。
「かあさん、朱音は具合悪いんだぞ?妊婦が調子悪いときは横になってなきゃいけないらしいからな。落ち着くまでそうしてろよ。今乗り物に乗るのはよくないだろうからな。」
「ありがとう、勝」
「あたしもあかねちゃんのおとなりでねんねしたい!」
「だめだよ、美奈」
「どうして?朱音ちゃんお泊まりしないの?」
「しないよ、具合が良くなったら送っていくから。」
「なんで?あかねちゃんとこのおじちゃん余所に行っちゃったじゃない。ママみたいに...」
無邪気そうな言葉にズキリと胸が痛んだ。知らない子供の手を繋いで去っていった彼のことを、美奈ちゃんはそのまま受け止めているのだ。自分の母親と同じだと。もう帰ってこないから、そう諦めることをこの子はもう覚えてるのだ。何度も両親が言い争うのを目の前にし、目覚めても母の居ない日を当たり前のように受け入れ始めている。その分手に入る周りの優しさや温もりを手にしようとしているだけかもしれない。
「美奈ちゃん、一緒に寝るならお夕飯食べてお風呂に入ってからね?」
「ほんと?わかった〜じいじとおふろにはいってくるね!」
明るい声を残して美奈ちゃんが部屋からかけ出していった。

「朱音...いいのか?」
「今は、帰りたくないし...こんな調子であの人と話すのが怖いの。せめてもう少し体調が良くなってからにしたいから。少しだけ、休ませて...」
判ったと言って、勝は部屋を出て行った。わたしは堪えていた嗚咽を吐き出していた。
今は、もう動けないほど身体に力も入らない。かといって誰も居ないあの家に帰るのも怖い。俊貴さんが帰ってきて、また平気で嘘つくのを笑って聞き流せるほど身体の調子も、心も強くない。世話好きな勝の母親の暖かさや、可愛い美奈ちゃんの笑顔の方が余程心強い。
本当は彼から『違うよ』と聞きたい。優しく抱きしめられて安らいで眠りたい。だけど...今は駄目。きっと感情が先走って壊れてしまう。私も赤ちゃんも...
きっと理由がある、そう思いたいけど、だけど...
いつの間にかうたた寝していたらしく、目が覚めるとすっかり夕方のようだった。
少しだけ布団からはい出て鞄から携帯を取り出すとメールが届いていた。
<今用事が終わった。今から帰るけど、何かいる物はある?>
わたしはそのまま電源を落として目を閉じた。もう何も考えたくなかったから...


目が覚めると夜になっていた。
あれから、あたしは勝の家ですっかり眠りこけていたらしい。意外と図太いんだと、自分の神経を笑った。
あんなにショックを受けても眠れるなんて、妊婦になってから眠くって仕方がない自分の体質にも呆れる。
その時、ふと背中に温かい温もりを感じた。
そっと身体を動かして確認すると、美奈ちゃんが身体を丸めてあたしの背中側に潜り込んできていたのだと判った。
「起きたか?朱音」
声のする方を見ると勝が襖を開けてこちらを見ていた。その目元はやっぱり美奈ちゃんとそっくり...ううん、美奈ちゃんが勝に似てるんだけど。
「ん、ごめん、今何時?」
「11時回ってる。わるいな、美奈が朱音と寝るってきかなくって、潜り込んじまった。」
「それはいいけど...どうしよう」
「お腹の張りは?」
「かなりマシになったわ。」
「そうか...課長には?」
「まだ何も言ってないの」
勝は眉を寄せてまずいなといった表情を見せた。営業に復帰して、再び仕事を始めた勝にとって、俊貴はれっきとした上司、機嫌を損ねるような真似はしたくないはずだ。子供のことでも恩義はあるから、これ以上心象を悪くしたくないのはもっともだろう。
だけど送っていけば間違いなく俊貴さんが待っているだろうし、それを見咎められたら、いくら彼でも立場がまずすぎる。ただでさえ最初っから俊貴さんは勝を疎んじてるような所があった。その原因がわたしだったとしても、だ。
「まあ、いいや。俺は朱音の味方だから。例え上司に睨まれても大事な友人を見捨てたりしないさ。」
笑って『どうする、送るけど。泊まっていってもいいんだぞ』なんて明るい口調で話しているのをきいているとなんだか気が抜けてくる。
勝は気を使わない分、人に気を使わせないのだ。気を使いまくる俊貴さんと比べるわけではないが、彼の前では多少なりともきちんとしていたいと思っていた。気を使われるのだって彼のは自分を心地よくさせてくれるもので、別に無理してるわけではないから、自分の気遣いも同じだと思いたい。
だけど、今は、背中の温もりや、勝の朗らかさが心地よかった。人として嫌いじゃなかったからなんだろうね。
「泊めて貰っても、いい?」
「それは構わないけど...朱音はそれでいいのか?」

<妙子の所に遊びに来てたんだけど、疲れて今まで寝てしまってたみたい。少しお腹が張るのでこのまま泊めてもらいます。今は車には乗らない方がいいので送ってもらうのも迎えも無理。子供達が寝てたので携帯切ってたの、ごめんなさい。明日帰ります。>
簡単に言い訳して、彼が心配しないようにとなるべくいつもの調子でメール文を作って送信した。
<大丈夫か?今、電話してもいいか?>
すぐさま帰ってきたメールに<子供が起きてしまうし、寒くて動きたくないのでごめんなさい>と返した。
<心配だけど、明日待ってるよ。迎えに行くから>とあったのを、送ってもらうから大丈夫、と返した後電源を切った。

「なあ、俺が言えた義理じゃないけどさ、落ち着いたらちゃんと話ししろよな?」
「判ってる...」
「じゃあ、朝までゆっくり寝るか?美奈、邪魔だったら連れていくけど?」
「ううん、このままでいいよ。美奈ちゃんも口にはしないけど、寂しいんだろうね。」
「ああ、あいつのやってること、ホントにいい加減だけどさ、コイツにとっては唯一、母親なんだもんな。このまま協議離婚が成立したら、俺はこの子から母親を奪うことになる。あんな母親でも居た方がいいのか、どうなのか悩むよ。」
「勝は...今でも麻里ちゃんのこと?」
「わからんよ。けど、おまえと比べるのはもうやめたんだ。可愛いとこもあったし、我が儘だけど自己主張がはっきりしてる分、気を使わなくてもいいのは確かだったからな。その分、うちの母親と衝突しちゃってさ、そのストレス俺に向けられても困るんだよな。俺にとっては母親だぜ?誰だって親の悪口並べられちゃたまらんよ。」
「そっか...」
もし、俊貴さんがあの女の子の父親になったら...この子のパパは居なくなるんだよね。でも、この子の元に戻ってきてくれたらあの子のパパは居なくなる?本当に、俊貴さんの子供だとしたら...
「まあ、今はゆっくり休めよ。これ、かあさんが、妊婦はちゃんと食べないとだめだって」
お盆に乗せたおみそ汁とおにぎり、それから沢庵とだし巻き卵、小魚の大根おろし、肉じゃが...おばさんたら、気を使ってくれたんだ。
「そうね、おなか、すいたかも?いただくわね」
お箸を手にとって温かなおみそ汁を口に含んだ。いりこと鰹節で取った出汁のきいたその味が、不思議に母親と同じ味に思えて、一息付けた気がした。

そのままお風呂もお世話になって、あたしはずうずうしくも一晩お世話になった。
2007.12.23
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大変です〜〜勝はなんてことをしてくれたんだ!
しかし課長の不可解な行動は??
波乱万丈、ただでクリスマスは迎えられない?引き続き明日もお楽しみ下さいませ♪

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