風花〜かざはな〜

何日か泣きはらした赤い眼、誰もが貴恵さんが消えたことをわたしが悲しんでいると思っていたようだった。
もちろんそのことも悲しかったし、寂しかった。
でも今時分貴恵さんが幸せならそれでいい。愛する良太さんの腕の中で、抱かれて眠っていられるならそれでいい。もう、お館様に抱かれて嫌な思いをしなくて済むならば……
わたしも、いますぐどうこうされるわけじゃない。
しばらく泣き暮らしてそう思った。
大学を出て、お館様の下で仕事に就くまでは……それに、親子だと思われていたら、わたしはあんな思いをしなくて済むんだと、貴恵さんの震えていた身体を思い出しては身震いした。経験はないモノの、ただでさえ怖い行為を、いやな人とするくらいなら舌でも噛んで死んだ方がましかもしれない。
死ぬことを考えたら怖いモノはないはずだ。失いたくないモノがあるから怖い。
わたしが失いたくないもの……
それは恭祐様との思い出。優しい時間、確かに恋していただろうあの瞬間。
もう、そんな思いで見ることはないようにしなければならないけれども、本当に妹として見られているのなら、妹になりきればいいのだ。

「ゆき乃、おはよう。今日からだね、準備は出来たかい?」
今日は入学式だからと、恭祐様が一緒に送りの車に乗っていくように言ってくれた。
もちろん奥様が不機嫌そうにされたけれども、お館様がそれを認めた。
恭祐様は生徒会があるから、時間は少し早め。今日はどの生徒も保護者と一緒に登校するのだけれども、わたしに保護者なんてないから、恭祐様が手続きをしてくれるというのだ。
妙さんはやはり午前中は忙しく館を出れそうになかったので、わたしが自分から断った。律さんも、貞美さんも、貴恵さんまで居なくなって、その上わたしが春休みが終わった今日から、屋敷はまだまだ以前より手薄なのだ。新しく来た人では二倍の手間がかかってしまう。
わたしも無下に申し出を断るのではなく、割り切ることにしたのだ。隣に座って優しげな声をかけてくださるのは、恭祐様の優しさ。本当に血のつながりがあるにしろ、無いにしろ、恭祐様の中ではわたしは妹同然なのだから、何かが変わることはない。今までと同じだけ……そう自分に言い聞かせる。
「ゆき乃、入学式の後、少し生徒会の所用があるんだけれども、どうする?」
「そうですね、先に帰っていましょうか?仕事もありますし……」
「そんなに急いで帰らなくっても、明日からびっしり授業があるよ。今日はゆっくりすればいい。貴恵達が居なくなったあと、ゆき乃はかなり無理して働いていただろう?妙も心配していたよ。だから、少しゆっくりしようか?帰りに甘味処にでも寄っていかないか」
「え?」
甘味処?それって街に出るってコトなんだろうか?
わたしはあまり街に出たことがない。買い物は出入りの者が持ってくるし、休みのないわたしはどこかに出掛けた覚えもない。
「ゆき乃は勉強も出来るし、家のこともほとんど出来るけど、街で買い物とか、遊ぶとか、食事するって言うそういった一般常識的なコトあんまりしたこと無いんじゃないか?」
「それは……」
「妙もそれを気にしていたよ。父もね。だから、少しずつそんな時間を作るようにって、今月からゆき乃にも小遣いを与えるって、それでいろいろ出掛けるといいよ。ただ、街は遠いし、一人で出掛けて何かあったらいけないから、僕がついていくと思うけどね。だから、今日は僕とお出かけだよ」
ニッコリ微笑まれるといやとは言えない。
以前なら……
デートみたいだと胸も高鳴っただろう。一瞬だけの幸せを喜んだだろう。だけど今はただそんな気まぐれな時間を恨めしく思えるだけなのに……
「許可は取ってあるからね。おかしいね、今まで何度連れ出すのを頼んでもうんって言わなかったのになぁ、妙も父も」
その理由はね……何も知らずに微笑んでらっしゃる恭祐様に思わず告げたくなる。
告げたところで、『本当の妹なの?それはよかった!』そう言われるだけのことだけど。


一緒の車で学園まではすぐだった。
まだ新入生の集まる時間ではないので、わたしは恭祐様に付いて生徒会室に向かった。
「おはよう、等」
「おう、恭祐早いな。お、その子だね、ゆき乃ちゃんって……おまえの話しの通り可愛い子だなぁ。いや、すぐに美人になるぞ、オレの眼に狂いはない、うん」
朝から会っていきなりハイテンションなのは恭祐様のご学友の高田等様、何度かお話の中に出てきたこともあったし、お館にいらしたこともあったのではないだろうか。直接はお会いしたことがない。おそらく高等部から外部受験されてきた方だろうと思う。
「ダメだぞ、ゆき乃は大事な僕の家族なんだから、たとえ親友の等といえども手を出したら許しませんよ?」
くすくすと笑う恭祐様が不意にわたしを引き寄せられる。突然のことで、またわたしは心臓を鳴らすだけ。いい加減慣れなくっちゃ…
「判ってるよ。そっか、その子か……予想以上だな。おまえが大事にするのも判るよ。けどなぁ、だからといって告白してくる子を軒並み断らなくてもいいだろう?」
え?告白って……されてたんだ、やっぱり。一瞬胸がズキリと痛む。自分には関係のない話なのに……恭祐様の腕の中でそっと見上げると、楽しそうにな横顔がちらりとわたしに視線を動かしたので慌てて下を向いた。
「まあ、これだけ可愛い子を毎日見てたら他が霞むよなぁ。成績もトップクラスだったんだろう?入試でもさ。この調子だと、小笠原女史の後釜いけるんじゃないの?」
「ああ、できればゆき乃にも生徒会の仕事を手伝って貰おうと思うんだ」
「え?そんな……ダメです!恭祐様」
小笠原女史、小笠原真弓様は恭祐様と成績を争われるほどの才女だということは中等部にまで聞こえていた。
それに、生徒会になど参加する時間はない。わたしが早く帰らないと妙さんに迷惑をかけてしまう。
「いいんだよ、父も急にどんな心境の変化か知らないが、高等部では使用人でなく宮之原の一員として恥ずかしくない役割を与えよとおっしゃられたんだ。この学園の歴代の生徒会委員は、すごいメンツが揃ってるんだよ、女性陣も。ゆき乃になら出来るから、やってごらん?しばらくは僕の手伝いをしてくれればいいから」
どういうコトなんだろう……
お館様の考えもよくわからない。今までと全く違う扱いにわたしは驚いてしまっていた。
娘かもしれない、それは恭祐様には言わないと言われていた。けれどもこんな扱いをされれば、奥様の機嫌を損なう可能性もあるのに……なぜ?
しばらく話していると、生徒会の面々が集まってこられて、わたしは一通り紹介された。だれもわたしを下働きの娘だなんて扱わない。優秀な成績で入学した宮之原のゆかりのものとして扱ってくれる。そのことが嬉しくてわたしは思わず笑いながらも涙ぐんでしまった。
「あれ?オレなんか変なこと言った?泣かせちゃった?」
おどけて聞いてくる高田様の声がおかしくてすぐに吹き出してしまった。
「ゆき乃、大丈夫?今から入学式なのに……そろそろ行こうか?教室まで送るよ」
優しげな声で恭祐様に問われて、わたしは頷いたあと背中を押されて生徒会室を出た。

ちょうど玄関口を横切るときに、車から降りてきた鈴音様とかち合ってしまった。両親と並んでコチラを伺っていた鈴音様の表情が一瞬曇った。もう、そんな心配しなくていいのに?
「まあ、宮之原様、おはようございます」
「これは折原様、鈴音さんのご入学、誠におめでとうございます」
折原の奥様が恭祐様にご挨拶なさっているので、わたしは後ろに下がって控えていた。
「恭祐さんは、生徒会の委員をされてると聞いておりますわ。今期は会長役、間違いないとか……どうか、うちの鈴音をよろしくお願い致しますね」
「はい、僕で出来ることがあれば……そろそろ新入生は教室に向かう時間ですよ。鈴音さん」
「まあ、では恭祐さんうちの鈴音を教室まで連れて行ってやっていただけますか?」
「ええ、構いませんよ」
「ほんとうですか?嬉しい!!」
鈴音様はわたしを押しのけ恭祐様の腕を取るとわたしをひと睨みして歩き出した。わたしは勝ち誇った笑顔の折原の奥様に深くお辞儀をするとその後ろをついていった。
羨ましいなぁ……誰にはばかることもなく好きの気持ちを表に出せる鈴音様が……
「よう、ゆき乃ちゃん、またまた3年間ヨロシクな!」
「ふ、藤沢くん!?」
不意に後ろから肩を掴まれてしまった。そのまま肩を組むようにして引きずられる。
やだ……こんなとこ恭祐様に見られたくないのに。藤沢くんは相変わらず強引だ。
「あれが、宮之原のおぼっちゃまなんだろう?優男だねぇ、折原がべったりじゃねえか?オレの方が絶対セックスは強そうなのになぁ?どこがいいんだ、やっぱ優しい王子様がいいのか?」
耳元にわざと近づけて、すごくいやらしい……離れて欲しいに、その力はあまりにも強い。
「もう……離してくださいっ!」
嫌がると余計に嬉しそうに力を入れてくるのに抵抗していると、誰かが藤沢くんの肩を掴んだ。
「藤沢くん、悪いがゆき乃を離してやってくれないか?」
じたばたしているわたし達の近くに、いつの間にか恭祐様が立っていた。その手はわたしの肩に乗った藤沢くんの手を引き離した。
「くっ……なんですか、宮之原さんはお姫様のお守りで精一杯でしょう?」
「ゆき乃は僕の身内同然だ。失礼なことをすると許さないよ?それに校内ではそのような振る舞いは許されていない。男女並ぶことはあっても密接に身体を寄せて歩くことは風紀の乱れにもなるからね。今、折原さんにもそう伝えていたところです。さあ、離しなさい」
仕方なくわたしから身体を離す藤沢くんだったけれども、その目はちっとも反省していなかった。そう、この人は人に命令されるのが一番嫌いなのだ。渋々だけれども、藤沢くんは先に教室にむかっていった。
「さあ、教室はここです。それでは頑張って……ゆき乃、終わったら迎えに来るから」
恭祐様のその言葉と同時に鈴音様の視線が鋭く刺さった。


入学式の間中、鈴音様に睨まれてた気がする。藤沢くんもイライラとしてるようで、落ち着かない。
それでも滞りなく式が終わり、わたしは教室で待っていた。ほとんどの生徒は保護者と一緒に帰ったのだろう……
「まだ居たのか?」
教室に戻ってきたのは藤沢くんだった。
「藤沢くん……帰ったんじゃなかったの?」
そう言えば、今日は彼も保護者がいなかったような……
「気に入らねえな……」
「え?」
「あの男、宮之原の坊ちゃんだよ。聖人君子面しやがって……その坊ちゃんを見るオマエのその眼も気に入らねえ」
「何言ってるの?恭祐様はね、あなたとちがって本当にお優しい方よ。わたしのような者でも、家族のようちゃんと扱ってくださるのよ!だから……あなたに文句言われる筋合いはないはずです」
「言ってくれるね……大人しいゆき乃ちゃんでも、坊ちゃんのことをとやかく言われると怒るんだ?」
「恭祐様は……わたしが幼いときから、あ、兄のように優しくしてくださったんです。たかだか下働きの娘に字を教えたり、一緒に遊んでくださったり……わたしは、自分のことをどういわれても、どう扱われても構いませんが、恭祐様のことを悪く言う方だけは許しません!」
「ふん……オマエがもし、俺のトコに来てたら、俺だってな……もっと優しくしてやれたんだ」
藤沢くんの手がわたしの髪を一房すくう。
「藤沢くん?」
「いや、すぐに手出しちまってただろうな……俺は12で女覚えてからは盛りまくってたからな。オマエきっと今時分無事じゃすまねぇな、俺に孕まされてるぞ?同じ屋根の下にいれば、毎晩手を出さずに居られねえだろうからな……」
「な、何を言い出すの……?」
「だから、俺は……」
引き寄せられる……その瞬間、
「ゆき乃っ!」
ガラリと開いたドアから、眉間に皺を入れ、珍しく怒ったような表情の恭祐様がつかつかと入ってきた。
「帰るよ、急いで!」
「あ、はいっ」
じろりと藤沢くんの方を睨むと、わたしに先に教室を出るようにおっしゃられたのでわたしはドアの外で待っていた。
一言二言、ぼそりと恭祐様が何かおっしゃられて、藤沢くんの顔色が一瞬にして変わった気がした。
すごい眼で恭祐様を睨み付けている。やだ、何を言ったんだろう?
わたし達は怒りに震える藤沢くんを教室に残して、学園を後にした。

「さあ、行こうか。約束の甘いもの、今日は僕がゆき乃にごちそうするよ」
その声は、既にいつもの優しい恭祐様だった。

      

ゆき乃、高校生になりました。
ふ〜〜ようやくです。やっとwこれで大人な内容??(笑)もOKですね〜
恭祐も負けずに出演中。でもわたしも密かに力也がお気にになってます♪