風花〜かざはな〜

31

翌朝、恭祐様に連絡があり、急遽会社に戻らなければならなくなった。
恭祐様の立てていた新しい企画が急に頓挫しかけたと言うのだ。誰の横やりかは判っていた。これがお館様の命令ならば恭祐様は動かなかっただろう。けれども、会社に入って恭祐様自身が信用して側に置かれた方々からのたっての要望だった。
「父が居る今、社に戻るのは不本意だが仕方ない。すぐに戻る。時間が掛かりそうなら、ゆき乃は力也のところに行っていても構わないよ?今ココに居てもゆき乃の為にはならない。あの男が見せる冷血さは判っていたけれども、ゆき乃に見せているのは執着だ。何を考えているのか僕でも読めない……すぐに出た方がいい」
「けれども、妙さんは昨日からまた調子を崩されて……今回のこと、自分の責任だと責めておられるわ。だから、もうしばらくはココを離れられません」
「ゆき乃……」
恭祐様の指先が微かに頬に触れた。
「行ってください。恭祐様はやはり宮之原には必要な方なのですから」
「力也に連絡しておく。いいかい?ゆき乃、あの男は父親であって父親でない。それを忘れないで」
わたしが頷いたのを確認して恭祐様は出て行かれた。
でも、わたしも安心していたのかも知れない。ここはわたしが育ったところ、妙さんやカメさん、味方になってくれる家族のような人たちの居るところだと……


「ゆき乃、奥様がお呼びよ」
珍しくチヅさんが厨房まで呼びに来た。先ほどお館様がお約束なさってたお客様がいらしたと、奥様ともども出迎えられたばかりだと言うのに……もしかしたら奥様もお聞きになったのだろうか?
行かなければならない。そう決心して奥様の部屋に入ったところまでは覚えている。
だけど……
その後、キツイ薬の匂いがしたあと、わたしの意識は闇に落ちた。


       ここはどこだろう?
頭の奥がずきんと痛んだ。薬を嗅がされたからだろうか?だけど視界は暗いままだった。目元を何か黒い布で覆われているようだった。手で取ろうとしてもその手が動かなかった。
「目が覚めたか……」
聞こえたその声は紛れもなくお館様だった。今の自分はベッドの上、シーツの冷たさで自分が肌着姿にされていることに気がつく。
「お館様、なぜ、こんな……」
わたしは声のする反対側に逃げるように身体を後退りさせた。奥様の部屋から連れ出されたのだろうか?それとももうここは館ではないのだろうか?
「判らぬか?今まで自由にしてやったのはなぜだと思う?恭祐を油断させて、会社に入れるためだ。世の中そんなに甘くないことを教えるためにな」
「なっ……」
気がつかれていたのだろうか?恭祐様のされてきたこと、これからしようとしてらっしゃることを……
「知らぬとでも思ったか?恭祐が藤沢の小倅と組んでわたしに牙を剥こうとしてることなどわかっておったわ。だがな、私を甘く見るな。その恐ろしさはおまえが一番よく知ってるはずだぞ、ゆき乃」
逆らえば……どうなるか、恭祐様は知らないだろう。お館様のご機嫌を損ねた女中や下男達がどんな目に遭ってきたかなど。幼いころはドアから漏れ聞こえる悲鳴だけですくみ上がったものだ。そして、二度と館には戻ってこない。酷く腫れ上がった下男の顔、泣きはらして放心したままぶつぶつと何かを呟く女中の顔。
「あの二人がおまえだけのために動くなど、馬鹿なマネを。なかなかやってはくれるが、そのままで済ませると思ったのか?恭祐の弱点はおまえだ。それならば、おまえを押さえるしかあるまい」
「そんな……」
「ここは恭祐も知らぬ場所だ。そう易々とは探し出せまい。恭祐がどこぞの令嬢と婚約し式をあげ、子どもを作るぐらいまで……ゆっくりするがいい。直ぐにおまえのもらい手も決まるさ。おまえの話をすれば大勢の名士の諸君が興味を持ってくださったよ。若い女で、しかも宮之原の血筋は間違いないと来ている。正式に妻にせずとも構わない、教養もあり礼儀作法も出来る。そして器量もよいと来れば引く手数多だ。しばらくはその恰好でお迎えするがいい。好色な方が多いからな、ずいぶんと可愛がってもらえるぞ?」
「ひどい……」
「ああ、おまえなど娘とも思えんからな……側に置いていても苦しいだけだ。ならいっそ、楽しませてくれるほうがいいだろう?もう償いきれぬほどの罪は犯したのだ。これ以上増えたところでどうと言うこともない」
冷たく響くお館様の声にわたしは再び薬を嗅がされ意識を失ってしまった。


「どうですか?このように若い女はあなたもお好きでしょう?」
遠くに聞こえる声は意識の覚醒と共にはっきりとしてきた。もう、目隠しはされていない。
下着とさほど変わらないドレスを着せられ、薄く化粧も施されたわたしは逃げようと暴れる度に薬を嗅がされていた。
食事もきちんと与えられている。ただ部屋の窓の外には柵があり、鍵も掛かっていて外には出られそうになかった。今日は逃げたり暴れたりしてはいけないと猿ぐつわを咬まされ、腕も後ろ手に縛られていた。
「くっ、くっ、く……娘とさほど歳の変わらぬ妾か。それも悪くないな。大人しそうだがそれなりに美しいな。着飾ればもっと見栄えがよくなるだろう」
「お嬢様はこちらで大切にさせて頂きますよ。息子も、さすがに義理の父親になる方の妾に手を出すこともないでしょうから、安心ですよ。おまけに少しでもお嬢さんを粗末にしようとしたら、この娘がどうなるのか、言い聞かせれば済むのですから、安心な保険とでも言えますでしょう」
「確かに。娘は昔から恭祐君の妻になるのだと思いこんでおりましたからな。ピアノを弾く姿はさながら王子様のようだとよく言っておりましたよ。それが、高等部に上がってから、しばらくすると急に機嫌が悪くなり、恭祐君の話もしなくなった。妻に聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りで、宮之原のお屋敷にも出入りしなくなり、わたしとしましても貴公との付き合いもおしまいかと危ぶみましたよ。それが、まさかこの娘が絡んでいることで恭祐君が娘と妻を脅していたとは知らなかったよ。最も妻も自分の恥ずかしい過ちを話すことができなかったんでしょうがな。なかなかの策士ですよ。彼は……」
「申し訳なかった。折原運輸を敵に回すなど、なにを考えているのやら。奥方からお嬢様との婚約の申し込みを白紙に戻して欲しいと言ってこられたときは大変残念でしたよ。わたしも知らないところから手を回したようで……あのような頑固者で、ご令嬢に失礼なことをしてしまったのも、実の妹と知らずに可愛がってきたこの使用人の娘の為だったのですから今はもう笑い話ですよ。異母妹とわかった今、そのようなことが許されるはずもない。どのような扱いをされても構いませんよ。この娘には、下手なマネをすれば恭祐の未来が危ないと言うことは判っているでしょうから」
「この娘は、確か今、大学生とか……」
「ええ、息子のと同じ大学の法学部で、いずれ資格を取りたいと申しております。いかがかな?頭もよい、顔も身体もこの通り……なんなら処女かどうかもお確かめになりますかな?」
確かめる?また、あんなことされるというの??
「ほほう、まだ手付かずですかな?それは楽しみな……しかし大学となるとわたしはあと何年も待たねばならないのかね?」
「まさか、仰るときにお渡ししますよ。まあ、他にも希望者がおりますのでね、一応見せるだけ見せておかねばなりますまい」
「そうか、是非この娘をわたしの物に……大事にさせてもらうよ。貴公とは他人ではなくなるのですしね」
「わかりました。ではその方向で……」
「で、今日は、味見はさせて頂けるのかな?」
イヤ!!そんなことが勝手に決まってしまうなんて……わたしは目を見開いて後退りする。
「まあ、急ぎなさるな。今引導を渡しますから……」
机の上の黒い電話をとるとどこかに電話をかけらておられた。
「ああ、わたしだ。恭祐はいるかね?ふん、何をそんなに大きな声を出しているんだ。失礼だろう?そちらに折原のお嬢さんもいらっしゃるのだろう?ああ、その通りだ。そのお嬢さんとの婚約はもう決まっている。すぐに挙式しても構わんのだよ。いや、おまえは逆らえないはずだ。ココに誰がいるか教えてやろうか?折原運輸の社長、そのお嬢様のお父上がいらっしゃるのだよ。それと、もう一つめでたいことにな、折原様はゆき乃がいたく気に入ったそうだ。扱いはそなた次第と言うことだ。いいな、くれぐれも間違いのないように……」
電話の相手は恭祐様だった。そして、恭祐様も折原の令嬢、鈴音さんと会っている……?
「ああ、そうだ、ココにいるよ。もう館には帰さんよ。まだ、手は出してはおらんよ。そうだな、おまえが鈴音さんと式を挙げるまでは手を出さないでいてやろう。しかし、彼女から少しでもすげなくされたと報告があればその度にゆき乃が汚れていくぞ?そうだ、おまえ次第と言うわけだ。おまえが折原のお嬢さんを妻とし、子を成したら、ゆき乃は妾でなく正妻に迎えると言う男にくれてやろう。藤沢の小倅でもいいぞ?そうだ、おまえが逃げれば……余計なことはするな。コレもすべてわたしを甘く見たバツだよ。恭祐……そんなことを言っていいのかな?さあ、どうぞ折原さん、その娘に触れても構いませんよ?」
「ほほう、いいのかね?ではどうせならコレをはずそう」
わたしの口元から猿ぐつわが取り除かれる。
「い、いやっ!!」
折原様の手が胸をわしづかみにする。
「いい弾力だよ、ああ、もう、先が尖りはじめている。敏感なのだね、おまえは……」
「うぐっ……」
声は上げられない……電話の向こうには恭祐様が居るのだ。こんなこと……こんなこと……何でもないはず。
「……そうか、判ってくれたか」
お館様が合図をすると折原様はわたしから手を離した。
「婚約おめでとう。恭祐、鈴音さん」
電話は切られた。


そのあとも、わたしの身体を散々撫で回し、『楽しみだ』と一言残して折原氏は帰っていった。
二人でお酒を飲みながら……まるで人の身体を酒の肴にするように、撫で回し、睨め付け、最後には余興だと酒を垂らしてわたしの身体を舐め回した。 
お館様はその様子をじっと見ておられた。嗜虐的な、口元は笑っているけれども、目は笑っては居ないのが判った。
「いいざまだな……父親ほどの年齢の男に体中舐め回され、感じたのか?こんなにも尖らせて……」
「うぐっ!!」
お館様の指先がわたしの胸の先の尖りを酷くねじった。外気に晒され、寒さと怖さで硬くなった胸の先を思いっきり掴まれたのだ。わたしは口の中で悲鳴を上げた。
ベッドに仰向けに寝かされて、先ほどから手も足もその自由を奪われたままだった。
「どうして、わたしは、あなたの娘なのに……なんで、こんな……」
お酒の匂いが胸元で漂っていた。荒い息が胸にあたる。
「おまえが志乃の娘だからだ。志乃はわたしを狂わせた……遊びのつもりだった、最初は。ただ手に入れたい欲だけだと思っていた。しかし、手に入れた後、すぐにいなくなった……わたしから逃げたのだと思ったよ。居なくなって初めてその存在に気がついた。居ないというのがどんなことなのか……何人の女を抱こうと、何人の女を辱め泣きわめかせても、媚びを売らせても何の足しにもならなかった。ただ嫌がる女を抱いているときだけは興奮するのだよ。志乃を抱いているときのようにな。アイツは、最後までわたしに抱かれることを拒みながらも感じてイヤらしくその身体でわたしを受け止め……」
「いや!やめてください!!そんな話し……聞きたくありません……」
「おまえを……」
「え?」
「おまえを抱けば、どんな気がするのだろう……」
「ひっ!?」
胸をきつく揉まれその先を口に含まれる。
父親にされる行為ではない。そのおぞましさは身体のそこから沸き上がってくる寒気を押さえられなかった。
「父の娘志乃……そしてわたしと志乃の娘、息子が思う女、わたしと同じ異母妹を欲しがるとは……馬鹿な奴だ。そうと判っても諦めきれぬだと?ならばなぜ抱かない?何度も抱けたはずだ!二人して同じ部屋に居たのだろう?それともこうやって触れさせたのか?……ふん、こんなイイ反応しておきながら何もしていなかったなど誰も信じまい。おまえも同じなのだな、志乃と!恭祐もわたしと同じなのだ!無駄なのに……いくら思っても……いっそ犯してしまえばいいものを……ふははははっ!!」
狂ってる……?一瞬そう思えるほどお館様は酔っていらっしゃった。焦点が合わない虚ろな目をしたまま力無く笑い続けておられるのを、わたしは天井を見上げたまま聞いていた。

しばらくしてお館様の寝息が聞こえてきた。わたしの胸に顔を埋めたまま寝入ってしまわれたのだろう。
その唇が『志乃……』と母の名を呼んだ気がした。
わたしを母と間違えているのだろうか?それほどまでに似ているのだろうか?それが判らなくなるほどまで酔われるなど、初めて見た。
今、優しく抱きしめられているような気がしているのは気のせいだろうか?父親に初めて触れられたのがあんな行為の時で、抱きしめられたのが母と間違えてだなんて……
生まれてこなければよかったのだろうか?でもなぜ母はわたしを産んだの?
無理矢理抱かれていたんじゃなかったの?それとも、わたしと同じ気持ちで?
正気だったの?異母兄だと判っても、子どもが出来ても……
その子どもを産んで、そして儚く死んでいった母は、何を考えていたのだろう?
あの短い手紙では判らなかった母の本当の気持ち……
お館様を狂わせるほど思われていた母。
わたしにそんな力はない。恭祐様をそれほどまでも引きつけておく自信なんて無い……
それならば、わたしも狂ってしまいたかった。
狂って、母のように……

      

ここで一旦ゆき乃サイドは終わります。視点切り替わって次回から恭祐サイドです。
お館様サイドは地下室行き間違いないですが(笑)
いきなり現時点では説明が付かないので、話しが最初に戻りますが、短くまとめますのでお付き合いくださいませ。m(__)m