風花〜かざはな〜

29


「もっと早く二人に……お館様にも話しておくべきだったわ」
妙さんはそう言って苦しげに目を伏せられた。
祖母と母、二人の女性から誰にも言わないでくれと頼まれていた遺言。妙さんも悩まれたのだと思う。
妙さんの具合が悪くなりそうだったので、恭祐様は枕元にあった手紙を読んだ後静かに出て行かれた。
『後で僕の部屋へ』
と、耳元に言葉を残して……


わたしは枕元に腰掛けたまま、妙さんと話しを続けていた。日が落ちかけた部屋は橙色に染まりはじめ、瞬く間に小さな白い花びらまでもが緋色に染まる。
「ゆき乃……おまえまでもが志乃さんと同じ道を歩もうとするなんて……」
ため息をつきながら、その手がわたしの手に重なる。少しかさついた、でも温かい手だった。
「でも、母は……お館様に無理矢理にって、聞いていますけれども……」
「それはお館様から聞いたのかい?」
「はい」
お館様はそう言った。無理矢理母を犯したと、再会した後も、何度も、何度も……
「そう……最初は、そうだったんでしょうね。でも、わたしには違って見えたんだよ」
しばし思いを馳せるように天井をみあげながらため息をついた。
「ふみさんは志乃さんにも本当のことを言ってなかったようだったわ。いらぬ争いも、財産狙いなどと言われるのも嫌だったのでしょうね。気丈な方だったから……」
気丈な祖母は息を引き取る寸前までわたしに何一つ弱音も吐かず、誰の手も借りようとはしなかった。けれども、自分だけの力でわたしを育ててくれた。寒い日は祖母の布団に潜り込んで眠った幼い頃を思い出していた。
「ふみさんはね、その手紙に書いてある通り、昔お座敷に上がっていたときに先代に見初められて、身請けされてひっそりと志乃さんを産んだそうだよ。先代も女遊びの盛んな方だったけれども、なかなか子どもに恵まれず、子どもは玄蔵様だけだった。でもそれはね、奥様が手を回されていたからだったんだよ」
「先代の奥様が?」
「そう、いいところのお嬢様だった彼女は、先代の女遊びが酷くても何も口出ししない賢い方だと言われていたんだけれども、それは見せかけだけ。実際は先代が外に子どもを作っていらぬやっかい事を起こされないよう、実家の力を使って裏から手を回していたそうだよ。生まれてしまった子供は余所に里子に出したり、生まれる前に大金を出して処分させたりね。実はわたしがこの家に入ったときも、ほとんど床に伏せられていた奥様が『間違っても子どもなど作らぬように』ときつく仰ったのを覚えてるわ。それを知られた先代は、志乃さんの存在を決して公になさらなかった。それに財産目当ての女が多い中、ふみさんは何の贅沢も言わず、ひたすら志乃さんの幸せだけを祈って一時は姿を隠していたんだそうだよ。縫子としてもいい手をしていたからね、志乃さん連れて二人で細々と暮らしていたんだろう。だけど、探していた先代に見つかって、とうとう館に連れてこられた。その時の約束が下働きとしてお館にお仕えする変わりに、志乃さんが自分の子だと誰にもいわないこと、その素振りも見せないことだった。そして、いつか使用人の娘でいいから平穏な人生が歩めるよう、普通の家に嫁がせてもらえばいいと……それだけだったそうだよ」
深いため息のあと、妙さんは薄暗くなった部屋に枕元の灯りを灯すとわたしの方に向き直った。
「なのにまさか、玄蔵様が志乃さんにあれほど執着するなんて……お相手には不自由しておられなかったでしょうし、玄蔵様も父親から『志乃には手を出すな』と言われていたはずです。ふみさんもなにかと、実の母よりも玄蔵様のお世話をよくされていたはずなのに……けれども周りで見ていても判るほど玄蔵様の志乃さんへの思いは深くなって……いっそ真実を打ち明けるか、そうでなければここを出て行くと話されていた矢先に、玄蔵様は志乃さんを無理矢理……」
お館様の執着、それはこの身体で思い知らされた。母に対する妄執に近い思いは、母亡き今自分に向けられているのだから。
「その夜、すぐさま二人は館を出たそうだよ。さびれた漁村に落ち着かれてから志乃さんに異母兄妹だと打ち明けられた……だけど、どうやら志乃さんも憎からずも思っていたらしくてね。初めての男だったし……異母兄だと判っても、なかなか玄蔵様を忘れて余所に嫁ぐ気になれなかったそうだよ」
母は、お館様を……わたしのように、血が繋がってると判ってからでも思っていたのだ。身体を繋げてしまった罪よりも、もっと深い思いだったのだろうか?それとも……
「その後にわたしが館に入り、二人の居場所を突き止めた先代に変わってわたしが連絡を取るようになったのは、それからだったんだよ。そのうち玄蔵様が結婚して奥方を迎えられたとお教えした頃には、志乃さんはもう笑わなくなっていた。けれども玄蔵様がどうなさってるか、お話ししたときだけは表情のないお顔に涙を浮かべて居られた……志乃さんの気持ちはわたしにもよくわかっていたんだよ。けれど、もうどうすることも出来ないと、諦めていたんだよ」
妙さんの視線が下がった。
「わたしが、ふみさんが居なくなったすぐ後に館に迎えられたのはね……借金のこともあったけれども、元は名家の生まれのわたしに玄蔵様の相手をさせるためだったのだよ。表向きは、特に奥様や玄蔵様には二人のことを諦めたと見せかけるため、そして、生娘のわたしを息子の玄蔵様に自由にさせるため……」
「え、妙さん……が……?」
「そんなわたしが会いに行くことで、志乃さんにも忘れさせようとしたんだろうね。けれども1,2度抱いただけであの方はわたしなどには見向きもされなくなった。それで、すぐに奥様をお迎えなさるよう、先代が見合い話しをすすめられた。わたしも、また先代に……あの頃は、それが嫌で、嫌で、死にたいほどだったわ」
妙さん……もしかして、妙さんも初めての男性、お館様のことを……?
けれどもそれは聞けなかった。いつも気丈ですべてを取り仕切る妙さんの隠された感情にわたしは触れてはいけない。そんな気がしていた。
「恭祐様がお生まれになったあとは、急に館が忙しくなり、わたしもそのお手伝いでなかなか志乃さんの元にいけなかった。ようやく訪れた頃には、志乃さんのお腹は大きくなりかけていた。誰の子だかは決して口にされなかったけれども、わたしには薄々判っていたんだよ。志乃さん、幸せそうな顔をしていたからね。そこで、急いでわたしの知り合いのところにやって密かに産ませたものの、身体の調子が戻らず、志乃さんは亡くなられた。そのあとおまえをふみさんの元に連れて来るときに、最後に、わたしにこの手紙を託されたんだよ」
手紙を、穴が空くほど見つめていた。母の字なのだろう、筆圧の弱い儚い文字だった。そこに書かれていた事実。
わたしはお館様の子だと……
母がお館様をどうおもっていたかなど、なにも書いていない。
だけど、母は望んでわたしを産んだのだ。異母兄の子だと知っていながら、わたしを……
だけど、お館様は母の気持ちなど知らぬままなのだ。
「ふみさんが亡くなる前にくださった手紙には二人が異母兄妹だったと書かれていました。わたしはそのまま見せることが出来ずに、ただ、ふみさんがゆき乃のことを頼んでいることを玄蔵様にお伝えしました」
あの日、現れたお館様。すべてを知っていて、この館で待っていた妙さん。
「ほんとうは、もっと早くに相談して欲しかったよ、ゆき乃……」
あの時、相談していれば?
でも……同じだったはずだ。恭祐様とは交わることのない道、結ばれるはずのない運命。
でも、もう終わりにしなければいけない。側にも、居られない。肌を合わせる喜びを知ってしまった今、普通に側に居られない。
もう……離れなければ……



妙さんが話し疲れて眠られたのを確認して外に出ると恭祐様が待っておられた。
無言でわたしの手を取るとご自分の部屋に連れて行かれた。
「ゆき乃……さっきの話しなんだけど……」
「もう、いいんです」
恭祐様の手をふりほどいてわたしは言った。
「ほんの少しの間でもゆき乃は幸せでした。もう……ゆき乃のために何かしようなんて思わないでください。ゆき乃は、もう大学にも戻りません。妙さんが貴恵さんの借金の分も自分が何とかするとおっしゃってくださいました。お館様にすべてお話しするとも……だから、わたしは、もう、戻れません……恭祐様の元には、戻れません……」
わたしはそう、はっきりと言うしかなかった。
「だめだ……ゆき乃、僕の気持ちは変わらない。ゆき乃がどんな血を持って生まれてきたとしても、それは同じだ。僕はもうゆき乃しか考えられないと言っただろう?側に居ておくれ、僕の側に……ゆき乃」
その腕の中に掻き抱かれて、わたしの心も体も乱れた。
昨日まで誰よりも安心して身体を預けて居られたその腕も、胸も、もう、触れてはいけない……
「ダメです!側にいればきっとわたし達……ダメです。わたしは、もう……」
「ゆき乃っ!」
「イヤ、離してっ!わたしは、わたしは……ああぁ……」
崩れ落ちる身体を恭祐様が支えてくださる。でももうこの腕には縋れない。これ以上の罪は重ねられない。
天罰なのだ。
もしかしたらという希望を持ったり、身体を繋げなければと恭祐様の愛をこの身体に受け取ってしまった。
時間も場所も忘れて、二人だけの世界に酔ってしまっていた。愛がなければ、ただの快楽、厭らしい行為を繰り返し、何度も恭祐様の指と舌で昇りつめ、何度も恭祐様の熱い思いを口や身体で受け取ってしまった。子どもを作る行為でなかったとしてもそれは甘美な行為だった。
きっと神様の罰が当たったんだわ。
「ゆき乃、それでも僕はおまえを愛してる。おまえが妹でも……」
恭祐様の腕がわたしを離さないで。無理矢理その腕の中から逃げ出して廊下に飛び出した。それでも追いかけてくる恭祐様にわたしは涙を流しながら訴えた。
「お願いです、今夜は部屋に帰してください……」
「ゆき乃っ、イヤだ……僕は、おまえが居ないと……」
「離してっ!」
恭祐様の胸を押し返し、わたしは駆け出した。
階段を駆け上り、昔いた屋根裏の部屋に飛び込む。
すっかり片づけられていると思ったけれども、まるでわたしが帰ってくるのを待っているかのように今まで通りの部屋。
妙さんだろうか?わたしはそのことに感謝しながらもベッドに顔を伏せて泣きじゃくった。
本当だったこと、そしてそれ以上の真実に絶望を感じて……


だけど、その時は気がついてなかった。恭祐様の部屋から出たその場に、もう一つの影があったことを。

      

ひ、昼ドラよりベタですか?
すみません〜〜〜(涙)出来るだけこの後更新早くします!!