風花〜かざはな〜

28


2年になると力也くんが大学に合格して入学してきた。
一年遅れたけれどもと、照れながら仕事の合間に講義に通ってくる。恭祐様と同じ学部なので、いろいろと聞いているみたいで、無駄なく登校しているようだった。 近くに部屋を借りた力也くんはよく夜中にお腹を空かして夕食を食べに来る。わたしも予想して3人分用意しているし、二人して遅くなるときも連絡がある。どちらかがいらないときも早めに連絡がある。
今のわたしに出来るのは、二人の健康管理と、自分の勉強を頑張ることだけだった。

恭祐様は3年の専門課程に入られたのと同時に宮之原の会社に見習いとして通い始められた。
相変わらず、仕事しながらなので力也くんも恭祐様も忙しそうだけど、この二人正反対でありながら本当に仲がいい。
考えてみれば、恭祐様に面と向かって意見する友人なんて、いままでいなかったのに、力也くんは違った。
慎重派の恭祐様、剛胆な力也くん。
力也くんの未熟さをカバーする恭祐様の知識の深さと綿密さを力也くんが学び、力也くんに触発されて規格外の発想力と行動力を恭祐様が身につけていく。近い将来二人が共に同じものを目指して昇りつめていく姿を想像するだけでも頼もしくさえ思える。
けれども二人の最大の敵は宮之原で……
結局はわたしを自由にするがために闘っているようなものだった。そのために力を付け、余力をため込んでいる。
だけども今となってはそれだけでないように思う。
力也くんは宮之原に潰された藤沢の損害は既に取り戻しているし、それ以上に大きくなろうとしている。恭祐様もわたしの為だと仰られているけれども、本当はお館様からの脱却を模索されているのではないだろうか?
二人の間には、元々親子らしい会話も思い出も無いという。それは今まで見てきていてよくわかっている。
線の細い恭祐様の面立ちは奥様の血を多く引き継いでいるのか、お館様に似たところはあまりなかった。お館様自身も子を可愛がるなどという行為は無意味なように考えられているのか、無関心に近かった。それでも幼いころ、お館様や奥様が帰ってこられるたびに一瞬瞳を輝かせてお迎えに出られる姿は間違いなく両親の愛情を求める恭祐様の心の表れだったように思う。それなのにおふたりを目の前にされても感情を露わにされることなく、かけられる言葉を待たれていたのは結果がわかっていたから……奥様の方はまだ多少なりとも子どもにかける言葉があっても、お館様は、いつもちらりと見下ろすだけで、すぐさま興味がないといった態度で部屋に入られてしまう。話をされるのは、なにか命令ごとがある時だけ……
恭祐様はいつの間にか、感情を押し隠した微笑みを浮かべられるようになっていらした。
既に恭祐様の個人資産はかなり増えているはずだった。藤沢を隠れ蓑に広く手を伸ばしてるのは確かだ。けれども、宮之原に入れば、しばらくは宮之原のために力を尽くすしかない。まず信用を得、自分を認めさせ、味方を作る。最後に総崩しを狙っているのを気付かれてはならない。そのためには、今まで通り優秀な後継者の振りを続けるのだと仰られている。それが本当によいことかどうかなんて判らない。ただ恭祐様は、わたしのことがあってから、お館様を敵として見なし、その力のすべてを奪うつもりなのは明らかだった。自分の父親なのに……
わたしの父親でもあるだろうお館様。いったい何を考えていらっしゃるのだろう?血の繋がった子ども達に憎まれて、それでいいのだろうか?あの方は何をしたいのだろう?
あれから……不気味なほどお館様の影はない。恭祐様が宮之原に入ったから?そんなお優しい方ではないはず。
どこかしら、不安で、怖かった。幸せなはずなのに、安堵することなど出来ないわたしだった。



「ゆき乃、昨日運転手の西田に聞いたんだけれども、妙が……ここのところ調子が悪く伏せっているらしいよ。おまえもあれから館に帰っていなかったよね。僕もそうだけれども……幸い来週から夏期休暇にはいるだろう?今度の休みに一緒に帰らないか?父は今渡航中だから帰って来ないと思うよ」
館に帰りにくい理由がやはりお館様にあることを知っていて恭祐様はそうおっしゃってくださる。
「妙さんが……本当ですか?帰ってもいいのですか??」
「ああ、ゆき乃にとっても妙は親代わりになってくれた人だろう?もちろん僕にとっても大事な人だからね。母がほとんど家にいなくて、僕の躾やら教育はすべて妙がやってくれたんだもの。やはり一度顔を見に帰ろう?」
妙さんはわたしにとっても頼れる人で、目標ですらあった。叱られたりもしたけれど、褒められることもあった。厳しいけれども、理由無く怒ったりしない公平な人だった。
「あの……妙さん、どのような具合なんでしょうか?」
「さあ、詳しいことは西田も知らないみたいだったよ。今年の夏は暑いから身体に響いたのかな?妙も誰かさんみたいに弱音を吐かない人だから、無理したんだろう」
ちらっとわたしを悪戯っぽい目で見つめてくる。
「それは……恭祐様がいけないんです……」
わたしがぼそりと言うのを聞いて、恭祐様はくすっと笑ってわたしを引き寄せられた。
「朝までゆき乃を可愛がって寝かさなかったときのことを言ってるの?それともお風呂場で逆上せて倒れる寸前まで虐めてしまったこと?それとも……」
「もう、知りません!!」
慌てて逃げようとするわたしをその腕に閉じこめて耳元で意地悪く囁いてくる。
「館に戻ってる間は、こうやってゆき乃を独り占めできないのが寂しいんだけれども?だって、ゆき乃はコック長や庭師の友造にも可愛がられてたからね。それに……」
二人のことは秘密だから……
誰にも言えるはずがない。使用人だったからではない。それならばまだいい、皆も祝福してくれるかも知れない。恭祐様との血の繋がりがもし知れたときは、取り返しがつかないことになるから……
「妙のこと、心配?」
「はい……恭祐様、もし館が大変でしたら、わたし夏の休暇の間だけでも館を手伝ってもいいですか?」
構わないよと微笑んだ恭祐様は、滞在が長くなるのならと車を出してくださることになった。館に戻ってもわたしの荷物はほとんど残っては居ない。だから……
「そうなると、なおのこと辛いな……ゆき乃に触れられない夜が続くときっと僕は狂ってしまうよ?ゆき乃の部屋に夜這いに行きそうだよ」
「っあん」
今のうちとでも言わんばかりに唇を貪られ、そのままソファに押し倒される。
「もう、ゆき乃を抱かずに眠れないんだよ?出張の時ですら辛いのに……僕はしばらくしか館には居られないけれどもね。仕事もあるし……こちらに戻らないといけないから。ゆき乃はゆっくりしてくるといいよ。ただし部屋には鍵をつけさせるからね?」
それから週末まで、時間を惜しむように二人身体を重ね合っていた。お互いの身体を愛撫し、それぞれ別に欲望と快感を解き放つ、それだけの行為でも、幸せだった。ほんとうに……



館までの道のりは長かったけれども、それはそれで楽しいドライブだった。お弁当を作って途中見晴らしのいいところで二人広げてピクニック気分だった。木陰で少し仮眠する恭祐様を膝枕して、途中目覚めた恭祐様に引き寄せられて、キスされて……誰も見ていない世界では二人っきり、幸せな恋人同士のようにじゃれ合い触れあえる時間はもうすぐ終わる。
二人ともそのことに気付いていながら口にはしなかった。

館に戻ると元からいた使用人達は久しぶりに戻られた恭祐様の姿に驚き、わたしも一緒だったことを知ると大きな声で喜んでくれた。
「恭祐様、お久しぶりでございます」
「ただいま、亀田。今夜は久しぶりにおまえの料理が食べられるね」
「はい、今夜は私も腕を振るわせていただきますよ。でも、恭祐様はゆき乃ちゃんの料理を食べてらしたんでしょう?この子の料理の腕はたいした物だったはずですよ。なんせ私が教え込んだのですから」
自慢げにカメさんがそういってわたしの方に向き直る。
「元気だったかい?やっぱりゆき乃ちゃんが居ないと寂しかったよ。本当に、綺麗になって……どこぞのお嬢様のようだよ」
「カメさん、ただいま。あとで厨房に顔をだしますね」
コック長が待ってるよと返事を済まさないうちに後ろから庭師の友造さんが飛び込んで来た。
「ゆきちゃん帰ってきたって??」
「おい、友造、恭祐様の前だぞ!」
カメさんにたしなめられて友造さんは慌てて被っていたハンチング帽を手に取るとぺこりとお辞儀をして立ち止まった。
「構わないよ、友造は本当にゆき乃を可愛がってくれていたからね」
恭祐様が取りなしてくれて、友造さんはわたしの前までゆっくり歩いてきてくれた。
「友造さん、ただいま」
「ゆきちゃん!」
すっかり歳をとって涙もろくなった友造さんがわたしをみて涙を流していた。
「もう、泣かないで……」
「本当に、綺麗になって、まるで志乃さんのようじゃ。ああ、早く妙さんのとこへ行ってやりな。おまえさんが居なくなって1年、みんな帰ってくるの待ってたんだが、きっと一番寂しかったのはあの方なんだろうから」
「先に行っておいで、荷物は部屋に入れておくよ。ゆき乃の荷物も一旦僕の部屋に入れておくから……さあ、待ってるよ、妙も」
「はい!」
わたしは突き当たりの階段の下にある妙さんの部屋まで急いで駆けていった。


「妙さん?」
少し眠っているようだった。
少し痩せた、昔よりも皺の増えたその顔は彼女らしく行儀よく息をして眠っていた。
久しぶりに入って見回す彼女の部屋は、きちんと整理され、本以外には目立った物はなかった。枕元には友造さんが持ってきたのだろう、小さな白い花が数本花瓶に挿してあった。
「ああ……ゆき乃……?帰ってきてたのかい」
気配に気がついた彼女はゆっくりと目を開けると、わたしに手伝わせて自分をベッドの上に座らせると、懐かしげに目を細めてわたしをじっと見た。
「綺麗になったね……大学は、楽しいかい?」
以前よりも少し掠れて張りのない声が妙さんの体調を証明していた。
「はい、とても楽しいです。すっかりご無沙汰してしまって……妙さん、お加減はいかがですか?」
「ええ、大丈夫よ。夏風邪を引いて、少しこじらせてしまっただけだから。ほんとうに見違えるよう。すっかりお嬢様らしくなって……益々志乃さんに似てきたねえ。おまえは、好きな人でも出来たのかい?」
「いえ、あの……」
恭祐様のことが言えるわけでもなく、わたしは俯いてしまった。
「そう……ゆき乃があれからどうしてるか、気にはなっていたんだがね。もうここを出たからには、おまえが自分で決めればいいことと口出しせずにいたんだよ。おまえにとってこの館は帰るに帰れない場所だっただろうからね。ここに帰ればゆき乃はまた使用人に戻らなければならない。せっかく自分の力で大学に進めたのに……どうだい?大学生活は、友達や恋人が出来たんじゃないのかい?すっかり娘らしくなって……ちゃんと誰かに愛されてる顔してるよ」
「あの……それは……」
言葉には出来なかった。友人達も出来たし大学生活も楽しい。だけど、わたしがそう見えるのは、きっと恭祐様に愛されているから……
胸が痛んだ。
「よかった。おまえがいつまでも恭祐様のことを引きずっていたら幸せになれないと思っていたのよ。実はね、わたしは知ってたんだよ。ゆき乃がお館様の娘だってこと……いえ、わたしがお館様にその事実を告げたんだよ」
「えっ??」
妙さんが……知ってたの?妙さんがお館様にそれを言ったの?
「お館様のゆき乃を見る目が怖かったからね。年々志乃さんに似ていくおまえに悪い癖を出されてはいけないと、中学に上がっておまえに女の印が来たときにお伝えしたんだよ」
「なぜ、妙さんが……祖母ですら知らなかったはずです。わたしの父親が誰かなんて……」
「わたしが先代の妾だったと前に言ったことあっただろう?先代はふみさんと志乃さん親子がここを出た後も心配で、度々わたしを連絡役にして様子を見させていたんだよ。わたしは志乃さんとも歳が近かったからね。だから、ずっと手紙で連絡もあったんだよ。志乃さんはおまえを身籠もったとき、誰にもその相手を言わなかった。わたし以外には、ね……」
「それじゃ……わたしは……わたし達は……やっぱり……」
「ゆき乃?」
こぼれ出す涙を堪えきれなかった。もう既にわかっていた事実がはっきりしただけだというのに。
「まさか……あなた、あなたたち……!」
「もしかしたら、違うかも知れない。ほんの少しだけ希望を持ってたっていったら嘘になります。恭祐様のこと、何度も諦めようとしたけれども、でも、恭祐様もわたしのこと好きだって言ってくださって……何度も二人ダメだって、でも、もしかしたら違うかも知れないって……でも、やっぱり、そうだったんですね。わたしと恭祐様は、異母兄妹だったんですね」
「ゆき乃、あなたはあの時お館様からそれを聞いて、判っていて恭祐様にお仕えしていたのでしょう、もう諦めたのではなかったの!?」
「今、恭祐様の身の回りのお世話をしています……でもそれは使用人としてではなくて……わたしは、わたしは恭祐様以外の方を好きになんてなれない。恭祐様もそうおっしゃってくださったんです!他の誰にも渡したくないと……だからっ!」
「ゆき乃、それはいけないわ!あなた達は……ごほっごほっ!」
「妙さん!?」
咳き込む妙さんの背中をさすりながら指示された飲み薬を口元に運ぶ。
「……だめよ。ここに、志乃さんからの手紙があるわ、そしてこっちはふみさんからの……あなた達は絶対に結ばれてはいけないの!異母兄妹だったのはあなた達だけじゃないの!玄蔵様、お館様と志乃さんも……異母兄妹だったのよっ!」
「嘘……」
「それは本当ですか?」
いつの間にかドアが開いて、恭祐様が立っておられた。すぐさまドアを締めてこちらに駆け寄ってこられた。
「妙、本当なんですね……」
恭祐様が近づいて来る。
わたしは表情を取り繕ってすこしでも平気な顔をしなければ、そう思うのに身体も、睫毛一本だって動かせない。
ただ流れるのは涙だけ……
「ゆき乃、あなたは間違いなくお館様の娘です。そして、お館様自身もご存じないことだけど、志乃さんも先代とふみさんの間に出来た娘、お館様と志乃さんは異母兄妹。あなたはその間に出来た子なのよ。あなたと恭祐様は決して結ばれてはならないの。ゆき乃、恭祐様、それは変えられない事実なのよ……」
恭祐様も動かなかった。
小さな声で『嘘だ……』と呻かれたあと何も発せず、わたしの後ろに立ちつくしておられた。

      

館に戻ってきた二人を待ち受ける運命!
ますます昼ドラな展開ですみません(涙)