ドアの向こう側...

封印されたコロンは今もあたしの机の引き出しの中にある。
あの時の記憶も一緒にしまった。
だからこうして、今でも奴の親友顔していられるんだ。


「竜姫ちゃん?どしたの〜なんかしんどそうだけど?」
撮影は始まっていた。
合宿代わりのロケで、みんなで楽しみながらの海辺での撮影だ。
「平気だよ、ちょっと来るまでのバスに酔っただけ。」
心配顔で覗き込むのは秀だった。主演男優がこんなとこでうろうろすんなよな。
ちょっと車中でね、あの二人に当てられてたのさ。麗奈さんがころころと笑ってて、奴も珍しく微笑んだりしてさ。
途中から気分が悪くなった。

波打ち際で奴が麗奈さんに演技指導してる。
白いパラソル差して、サンドレスを着た彼女は柔らかい初夏の日差しの中輝いていた。
いいなぁ、あんなのが似合ったらどこにだって一緒に連れ歩いても自慢だよな?
あたしはジーンズにいつもの白いブラウスシャツ。一応色違いも持ってるけど、濃い色着るとホストに見えちまうから避けてる。体の線の出る服は嫌いだからね。だって女に見えるでしょうが?
「竜姫!ちょっと〜」
「はいよ。」
秀の横をすり抜けて駆け出す。
あ...秀、日陰作ってくれてたんだ...。
急激に眩しくなる視界にくらくらしながら、二人の下に駆け寄る。
「悪いな、麗奈が水の中に入るのが怖いって言うから、最初から竜姫替わりいいかな?男の代役じゃ足見えると撮れないだろ?パラソル差してるから背丈とかわかんないし。」
「いいけど...」
「んじゃ、男の代役用の衣装着て頼むよ。ぽちゃんて、はまるとこまでな。」
「わかった。」
大丈夫かな?ちょっと調子悪いけど、大丈夫だよね。

スカートなんて久しぶりすぎる。
自分で用意した男物の白のワンピース。どうせ濡れるからと安物を用意したのはあたし。こんなことだったら、もうちょっとましなのにすればよかった。麗奈さんと並ぶとまるで偽者状態だ。

スタートの声で海に入っていく。
素足の足元が波に取られていく。
腰まで浸かると身体が波に揺れていくのがわかる。
気持いいけど
怖いけど
意識が薄れていく...

「「竜姫!」」
誰かの声がする。
久我?違う...秀だ...
なんで、秀なの?あたしのこと竜姫って呼ぶのは奴だけだよ?
「なんで調子の悪い竜姫を水に入れたんだ。こいつだって女だぞ!遠目なら男のスタッフでも良かっただろう!」
(え?秀が怒ってる?久我...殴られたの???)
「こいつが調子悪かったの、気がつかなかったのか?はん、それでよく親友を名乗れるな!お前が思いっきり映画撮れるのは、竜姫のサポートあってこそだろ?もうちょっと大事にしてやれよ!」
秀の着てたジャケットを掛けられて、美咲(見学に来てた)に背中をさすられてた。
見れば秀も久我もびしょ濡れだ。二人とも助けに来てくれたんだ...
秀を見ると眉をしかめて微笑んだ。
『秀があんたをここまで連れてきたんだよ』
美咲が小さくいった。
『秀の方が先に竜姫を助けたんだ。久我くんは、出遅れたんだよ。』
秀は着替えるといってさっさと宿へ帰っていった。
「竜姫...ごめんな、俺気がつかなかった...」
「いいよ、言わなかったのはこっちなんだから。」
久我の方が真っ青で溺れたみたいな顔してるよ?秀に殴られた頬は赤くなってるけど...
「頼むから、次はちゃんと言ってくれよな?お前が浮かんでこないの見て、俺は...」
え...あり?なに?
「さっきは間に合わなかったからな、ホテルまで連れてってやる!」
「なっ、やめろって、もう、歩けるから!皆が見てるだろ?下ろせって!」
あたしは、久我に抱きかかえられていた。俗に言うお姫様抱っこって奴だけど、やめてよ!そんなのあたしの柄じゃないだろ?おまけに白のワンピースが身体に張り付いてるし...
だけど、久我の腕は意外と逞しくって、その胸は温かかった。
潮の香りの中にあの時嗅いだ久我の匂いが混じる。
「無理だよ!重いだろ、な?」
「軽いよ、女だもんな...お前。こんなに華奢だったんだ...でも、暴れると落としそうになるから大人しくしててくれ。」
「久我...」
ほんとは奴の首に手をかけて抱きつきたかった。でも...奴の肩越しに、また眉をしかめてこっちを見てる麗奈さんの顔が見えて、やめた。
団体で借りてるホテル形式のコンドミニアムがあたし達の宿だった。さすがに女の子は一部屋別にとってあったけど、麗奈さんはここではちょっとって言って別のホテルに部屋をとった。彼女はお金持ちのお嬢さんで、ここらはちょっと治安が悪いと両親が許してくれなかったらしい。

「美咲、お風呂使ったけど?あんたはどうする?」
とりあえず恥ずかしげもなくあたしを部屋まで送り届けると、久我は自分もシャワー浴びてくるって部屋を出てった。美咲はお風呂の用意したりと、さっきまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれてた。あいつにしては珍しい。
「あれ、いないのかな?美咲?」
「コンコン」
部屋の外でノックがする。なんだ、外に出るのに鍵置いていったな?
「ドジだね、鍵置いて出た?」
笑いながらドアを開けるとそこにいたのは秀だった。
「竜姫ちゃん、笑えるんなら大丈夫かな?」
「秀...さっきは、ありがとな、助けてくれて...」
「......」
「秀?」
すっと秀の身体が部屋の中に滑り込んできた。
「な、秀?どしたの?怖い顔して?」
後ろ手でドアを閉めるとこっちに近づいてくる。
あたしも思わず後ろへと後ずさる。あたしは、お風呂上りで、備え付けの浴衣なんぞ着てるだけだ。
「竜姫、僕はずっと竜姫を見てたから、竜姫が誰を見てるのかも判ってるよ。でもお願いだから、今日からは僕を見て欲しい。」
「秀、何言ってんだ?」
「僕は竜姫が好きだ。いくら男っぽく振舞ったって、僕には可愛い女にしか見えない。今日だって平気な振りしてたけど辛そうだった。僕ならそんな思いはさせない!」
「秀、あたしは...あっ、やっ!」
いきなり引き寄せられる。そのまま秀の腕の中だった。あたしみたいな女でもすっぽりとうずまるぐらい彼の背は高かった。
「僕は竜姫が好きだって気付いてから、他の女とも皆別れたよ。気がついてた?」
あたしは首を振り続ける。
「あんな、朴念仁諦めて僕の物になれよ?頼むから、うわごとであんな奴の名前呼ぶなよ!」
秀の腕の力が強まる。
あたしが、呼んだの?奴の名前を?嘘...
「抱き上げた時に奴の名前を竜姫の口から聞いた時はやっぱりショックだったよ。だめだよ、広海は!あいつは理想とか夢ばっかり追いかけてるから、誰もあいつを手に入れられないんだ!あいつに本気で惚れても、最後には泣くんだ。」
「ん、そだね。久我もその理想見つけたみたいだし...秀のこと好きになれれば一番いいのかも知れない。」
「竜姫?」
静かに、されるがまま抱きしめられながら、あたしは落ち着いた声で話してた。
「きっと久我を知らなかったら、秀のこと好きになってたかもだね。さっきの秀、かっこよかったよ。」
あたしを抱きしめる腕が緩んだので、そっと右手を秀の頬に当てる。
「このまま秀の彼女になれたらこんなに苦しまなくて済むんだろうけど...でも、自分の気持に蓋をしたまんま秀のものにはなれないよ。だって秀は大事な仲間だから。」
あたしは泣いていた。涙だけが静かに頬を滑り落ちていた。
「この涙は、振られる俺のため?それとも...」
指で涙をすくわれて、あたしは笑って言葉を返す。
「ううん、馬鹿な自分に呆れてる涙だよ。」
「竜姫。」
秀がそっとあたしを抱きしめた。
「辛くなったらいつでも振り返れよ、僕はずっと竜姫をみてる。竜姫が飛び込んでくるの待ってるから。」
「だめだよ、待ったりしたら。秀にはもっと秀だけを見てくれる人が現れるから...」
ついと、秀の腕の中から抜け出る。
「竜姫ちゃん、辛いぞ、それって。」
「そうだね。」
秀はあの時見せたつらそうな微笑を残して部屋をでた。