ドアを開けたら...
〜迷走編〜

10

〜竜姫〜
目が覚めた時にはもう広海はいなかった。
「広海...」
ぬくもりの残る広海が居たはずの場所のシーツをそっと撫でる。
まだ残ってる、身体のあちこちにあいつがつけたキスの痕、あれほど激しくされたら、まだ身体の中にいるような気さえしてしまう。
気を失うほど追い込まれて、何度もあいつの名前を呼んだ。目を開けると苦しそうに、でも優しい目であたしを見ていた。


−竜姫−   
ちょっと出掛けてくる。
口説きたいヤツが居るんだ。次回作には絶対に必要なヤツ。
それで一本撮って勝負するよ。
親父、いや、緋紗子には動きを悟られたくないので、連絡があるまで動かないでくれ。
それとすぐに撮影に入れるように用意しておいてくれるか?シナリオと絵コンテは用意していたものを残していくから。
こんなのおまえにしか頼めねえよな。
すまないオレの我が儘につきあわせちまって...
必ず戻ってくるから                      〜広海


テーブルに残されたシナリオと絵コンテ。
たぶんいま広海が一番撮りたい作品...
あたしは何度もそれを見直すと必要なものをメモしていく。それから撮影のメンバーに出来るだけいつでも連絡が取れるようにとお願いしておく。みんな広海の才能を知っていて、一緒にやりたいって言ってくれてる奴らなので、いつでも声をかけてくれと励まされる。広海が最近大学に顔出してないことに、みんなも気がついているのだ。
「よし、あたしががんばらなきゃ!」
あたしは彼女であって、広海の一番の理解者で協力者なんだから...
あたしがめそめそしてちゃなんにも始まらない。昨日、いっぱい勇気を貰ったんだからね。



絵コンテは一人の少年の切ない慟哭が描かれていた。
誰をイメージしたのか?見知った誰かではないのは確か...だってこのストーリーはおそらくこの少年のために作られたもの。
最小限の台詞、長回しの撮影、そのための膨大なフィルム。あたしは部費で足りない分を自分の貯金を引き出した。
「久我、まだ帰ってこない?」
「うん、まだ、連絡もないよ...」
携帯は広海の実家が取り上げている。免許証もなにもかも...
美咲は心配してうちの大学の部室までやって来ていた。広海のシナリオにいるものを集める準備も手伝ってくれていた。だけども今日はもうやることなくて、二人また美咲の部屋へと帰ろうと大学の通用門に向かっていた。
「あ、あれは...」

「紺野さん、広海さんをどこに隠してらっしゃるのかしら?」
「......」
突然大学に現れたのは、あの秘書の緋紗子さんだった。綺麗だけど、きつい目であたしをじろりと睨んでいた。大学を出てすぐの門のところで待ち伏せるものだから、すごく目立ってしまった。
「あたしも知りません。連絡は、まだないです。」
「白々しい、隠してるんじゃないわよっ!」
なんなの、この人...
広海はこの人のものでも何でもないのに?
苛立たしげにあたしの方を睨み付けてくる視線は、完全にあたしを見下したものだった。
「なに、この女?」
美咲の目つきもいきなり変わる。滅多なことで他人に感情的なとこを見せない美咲が彼女に対して激しい嫌悪感を露わにしていた。
女が嫌う女...圧倒的な女の威力を身につけて誇示するだけのものを兼ね備えた彼女。
あたしも美咲もどちらかって言うと女の魅力もあんまりない方...いや、ほとんど、無い...あたしに至っては相変わらずのジーンズにシャツだけど。だって広海が自分が居ないときは絶対にスカート履くなってうるさいから。
「秘書の巻田緋紗子さん...」
あたしがその名を口にすると、美咲の一重のつり目がよけいにつりあがった。そっか、美咲にとっても秀に手を出した嫌な女なんだ...
「あぁ、若い男には誰にも相手されないっていうお局秘書さんか。こんな若者が集まるキャンパスにおばさんが何の用なのかしら?」
あ、美咲喧嘩売ってる??美咲は頭が切れる分、人を言い負かすには十分すぎるほどの鞭撻を振るうのよね...
「な、なんですってっ!あ、あなたたちが広海さんを久我の家から連れ出したのはわかってるのよっ!何も持ってない彼が、一人で何か出来るもんですか!あなた達がかくまってるんでしょう?」
「...あなたは広海のどこを見てるんですか?」
何か言いたげな美咲を押しとどめてあたしが一歩前に出た。
広海のことだったら、あたしが相手しなきゃ...
「なにを、言ってるの、わたくしはっ...」
「広海はもう22ですよ、?子供じゃないんです。一人で生きていく方法なんていくらでもあるんじゃないんですか?それとも彼が何も出来ないお坊ちゃまだっていうんですか?広海はそれほど甘えた環境で育ってないと思いますけど。」
小さいころに母親をなくし、父親の連れてくる愛人を見て早く家を出たいと望み、高校の半ばから一人暮らしを始めて、通いの家政婦さんは居たけれども、自分の身の周りのことなんかも少しずつ覚えていったって言ってた。そりゃ、お金はいくらでもあったからいいもの身につけてるし、安物買いしてるとこなんかみたことはないよ。でも自分がお金持ちだってひけらかしたこともなかったし、映画撮るときだって自分の我侭だけじゃ駄目だって早くに気がついて、一生懸命人を」引っ張っていけるように努力してた。そんな広海をあたしは知ってる...
「なにを知った風なことを...」
「知ってないのはあなたの方です。あなたは広海のことなんかみてやしないのに...あなたが広海を探してるんですか?それとも彼のお父様が探してらっしゃるの?どちらなんですか?」
あたしの声はずいぶん落ち着いてた方だと思う。内心は、そりゃ怖かったけど...
「お、お父様でいらっしゃる会長の命ですわ。もちろん...」
必死で威厳を作ろうとするけれども、学生達のホームグランドに、ただただ浮くだけの自分の存在に、乗り込んできたことが間違いだったと気がついたのか、少し怯んだような表情になる。
「ではお伝えください。彼は必ずお父様に会いに行きます。それまで待ってくださいと、じゃあ失礼します。」
びしっとお辞儀してあたしは立ち去った。背中に待ちなさいよってヒステリックな声が聞こえたけど知らんぷりする。あたしのあとを美咲もついてくる。
周りがあんまりにもじろじろ見るから、彼女はそれ以上は追いかけてこなかった...

あたしは待つ。ひたすら待つんだから...



『竜姫、明日そっちへ帰る。機材用意しておいてくれ。山荘の地図はfaxで送るから、現地集合だ。いいな?』

広海からそう連絡があったのはそれから1週間後だった。