3.おでぶの憂鬱 2

「お、写真出来てたのか?」
 頭上でぼそりと聞こえた、低くて甘いバリトンの声。
「な、楢澤チーフ!」
 わたしの手元を覗きこんできたのは営業一班と全班の総合責任者の楢澤さん。つまりわたしの直属の上司だ。噂じゃバツイチのくせに女性にはモテて、結婚しない宣言してるのに相手に事欠かなくて遊び放題……らしい。整った顔立ちなのは認めるけれど、わたしからすればそれ以上に怖い人だ。眼鏡の奥のつり上がった眼で睨まれたらすっごく怖いんだから!
 とにかく仕事は出来るけれど部下にも自分にも厳しい人で、わたしは入社当時からこの人にしごかれてようやく仕事が出来るようになった。仕事が出来なければどれだけ美人でも容赦なく他所に飛ばされる。仕事が出来きれば太っていようが痩せていようが美人でもブスでもお構いなしのなのは本当に助かる。幸いなことにわたしは入社以来営業事務から動かされていない。ラッキーと言いたいけどそこはかなり努力した。そうでなければ今日のわたしはありえない。
 頑張れる自分を作ってくれたことについて感謝はしているけれども、一緒に仕事してると疲れるタイプだ。とにかく女性であろうが誰に対しても容赦ないからね。口も悪いし態度もすごくキツイ。どちらかというと苦手なタイプの人だった。ホント、絶対に仕事以外では関わり合いたくないタイプ。でもって、仕事が出来ないと思われたくなくて、必死で仕事してきたんだけど、そのストレスで食べてりゃ世話ないよね。
「なんだ、これ? おまえ……また太ったのか」
「ぐっ……」
 ほら、こういう事平気で言ってくるのよね。でも言い返せない……今朝のことがあるから。太ったのは間違いないと思うから。 
「また甘いもんでも食いすぎたんだろ? だからいい加減にしておかないと身体に悪いって言ってるだろ」
 心配してくださるのはありがたいですけど、太りたくて太ってるんじゃないんです、何したって痩せないんです! いつもならそう言い返すのに今日は言い返せない。だって、わたしなりにショックだったから……
「千夜子、くん?」
 珍しく言い返さないので心配したのかそれ以上言ってこない。それと、チーフはわたしのことを名字では呼ばない。『細井』と呼ばれるのをあまり好きでない事を知ってるからなのか、配属されてからずっと名前で呼ばれている。わたしは幼い頃から『チャーコ』と呼ばれてて、それ以外は『細井さん』だ。『千夜子くん』と名前で呼ぶのはチーフだけだ。しゃべり方は冷たくてキツイけど、やたらいい声してるから会話の内容は別として、こうやってたまに心配そうに名前を呼ばれるとちょっとドキッとしてしまう。
「なあ、今俺が通ってるジムでも紹介してやろうか? 食べるのやめられないならせめてプールで泳いででも運動しろよ。おまえ完全な運動不足だろ?」
「わかってますけど、いいです! 遠慮しておきます。そんな人前でプールとか……水着を着るなんて!」
 この身体を晒して人前で水着を着るなんて絶対無理! それにチーフが通ってる所って体型維持の格好いいセレブな人たちが山ほどいそうだもの。
「そんなこと言ってられんだろう? 泳ぐのが嫌なら歩くか走るかしてみろよ。このままじゃおまえ病気になるぞ?」
 病気って糖尿? メタボリック症候群? うう、あり得るかも……確かに今年の健康診断ヤバかったですよ。数値ギリギリで再検査で病院行きになるところだった。太ってる割には低血圧で驚かれていたけれども、あれはちょっとでも体重減らそうと前日から食事抜いてたのが原因だったし……
「い、今は忙しいから……決算期過ぎたら、歩きます! 夜とか……」
「いくらおまえでも夜歩くのは駄目だろ? ただでさえうちは残業多いんだから。その後歩いててもしものことがあったらどうするんだ?」
 うぐ、いくらおまえでもって……それってフォローしてくれてるわけ? そりゃね、一応女ですよ? でも、この後姿見て誰が襲ってくるっていうんですか? 暗くても体型ぐらいわかるんだから……それならまだスタイルのイイおばあさんのほうがよっぽど危ないんじゃないの? 心配してくれてるつもりだろうけど、素直にそうとれないほどわたしの心は捻くれてしまっていた。顔で笑ってても心じゃしっかり傷ついてるんだからね? 上司だから言い返せないと思って……だけどもっともな事ばかりで腹立たしい事この上ない。部下だから遠慮がないんだろうけど、最近は同僚までが同じように言ってくるから参ってしまう。もちろんチーフがいるところでは何も言ってこないから彼は知らないだろうけど……
 チーフには太っているわたしの気持ちなんてカケラもわからないに違いない。だって顔だけじゃなく『いいカラダしてる』ともっぱらの評判だ。学生時代は国体まで出た水泳選手だったというのは有名な話で、この写真を撮った社員旅行の時でも男子社員が羨ましそうに話してたもの。
『楢澤さんって脱いだら凄いんです、だよな。逆三角形に胸板も厚いし、腹筋も割れてたぜ。ありゃ女にモテるはずだよな』って。いいわよね、わたしも違う意味で脱いだら凄いんだけど、それは自虐的ギャグにしか過ぎない。でも、仕事も出来る上に顔やカラダまでイイとくれば悩みなんか一つも無いよね?
 いいよなぁ……思わずちらっとチーフの顔をいつものように斜めに見上げた。そうなんだよね、この人はわたしが見上げるぐらいの身長があるんだよね。今は座っているから余計に見上げる形になるんだけれど、滅多にない角度だからいつもおもわず観察してしまう。男らしい顔つきだけど体育会系とはちょっと違う。眼鏡の奥のキツい一重の目元と薄く引き締まった唇。濃い顔立ちじゃないのに印象度が強いのはきっとこの目と唇のせいだ。冷血漢って感じ? でもそれは顔立ちだけではなくわたしに対する態度も含めての印象なんだよね。今日みたいな事言ったり、『食いすぎるな』『ちっとは運動しろ』なんていうのはしょっちゅう。一応気を遣ってくれてる人もいるというのに、それを言われてるのを周りで聞いてる人たちは必死で笑いを堪えてるんだよ? わたしだってわかりすぎてることばかりだから、顔で笑ってても心で泣いて、諦めていてもまったく傷ついてないわけではない。
「まったく、あれだけ言ってるのに……」
 目の前でわたしが見ていた写真を取り上げてしまう。
 大きな手だよなぁ……チーフの手って。大きくて指も長くて節張っていって、わたしも女にしては大きいほうだけど、さすがにこの手の横だったらぽっちゃりとした可愛い手に見えないこともないんじゃないかな? なんて、つい思ってしまった。だって、本城さんはそんなに背も高くなくてすっごく細身。身長は170cm少しだからわたしとほぼ変わらない同じ視線になる。おまけにわたしのほうがいい体格してるから、並ぶと恥ずかしいぐらい差が出てしまう。それに比べてチーフは180は超えている長身だから、いくら背が高い方のわたしでも少しは小さく見えるかもしれない? なんてね。
「おい、聞いてるのか? 痩せたきゃちょっとは努力しろ。食ってばっかだと駄目になるぞ」
「わ、わかってます!!」
 もう、そこまで言わなくってもいいじゃない!! ぼーっとしてたらすぐにコレだ。でもね、やっぱ自分で言うのと人に言われるとじゃ違って、結構グサリとくる。うう、泣きたい……
「チーフ、それ以上言うとセクハラになりますよ。」
「……本城」
「ほ、本城さん!」
 いつの間にか側まで来ていた本城さんがちらりと写真に目をやる。
「ああ、このあいだの写真ですか?」
 ヤダ!!見ないで!! その場にある自分が写った写真のすべてを消してしまいたかった。
「僕の分も焼き増ししてもらおうかな?」
 駄目です、そんなおでぶなわたしが写ってる写真なんて、持ってちゃ駄目です!!
「また後で見ろよな、もう昼休み終わるから」
 本城さんが手をのばしかけた写真を、楢澤チーフはすっと自分のデスクの方へ持っていってしまった。見られなくて済んだけど、まさか……わたしの為とかじゃないよね?? 怪訝そうな顔をしながらも本城さんは自分のデスクに戻っていった。
 ああ、だけどやっぱり本城さんって優しいよね。デスクに戻るとニコって笑ってくれて……うーん、癒される! 優しい笑顔に物腰の柔らかさ、さらさらの前髪にどんな女性が相手でも発揮されるフェミニスト精神。帰国子女って聞いてるけど、きっと英国とか仏国にちがいないよね。ほんと見た目も中身も王子様って感じ? せめて横に並んで仕事してても恥ずかしくない程度の体型になりたいよ……細身な彼の横には、とてもじゃないけどわたしは並べないもの。もちろん彼もモテるみたいだけど、誘われてもよく断ってるところを見ると彼女でもいるんじゃないかな?

「それじゃ行ってきます」
 バラバラと午後の営業が出払うと、このブースにはわたしと楢澤チーフだけが残った。
「おい、コレとコレの資料集めておけ」
「はい!」
 わたしは立ち上がってメモを受け取るとデータを引き出してプリントアウトしてファイリングする。たぶん得意先に持っていく資料なんだろう。これと……サンプルも用意しておいた方がいいかな?
「チーフ、サンプルいりますよね? 取ってきます」
「ああ、頼む」
 わたしは倉庫までサンプルを取りに行った。エレベーターを使えば早いけれど、一応運動するために階段を使う。
 仕事は楽しい。チーフは人使いは荒いけれど、口で言うほど太ってるわたしを差別したりしない。厳しくて部下にも妥協を許さないけれども、仕事においては凄く公平な人だし、困っている時はちゃんと助けてもくれるし、頑張ってる人にはねぎらいの言葉をかけてくれたりもする。だから部下からも頼りにされてるし慕われてるんだ。うちは係長がいなくて変わりがチーフだから、その上にいる営業課長が部長に昇進すれば次期課長は楢澤さんだって噂だ。つまりは出世頭ってわけだ。バツイチでもコレじゃモテるよね? 離婚原因はチーフがモテすぎたからだの、男の恋人がいたからだのと噂は果てしなかった。わたしが入社した頃にはすでに離婚したあとで、そのあたりの事情はあまりよくしらない。そんな彼を女性社員が放って置くはずはなく、チーフ狙いのお姉様方が断られているのを何度か目撃したことがある。社内恋愛は絶対にしない主義らしいんだけど、その度に八つ当たりがわたしのトコに来るのだけは勘弁して欲しいんだけどね。
 本城さんのファンも同じくで……とにかく一班のベテラン女性社員が結婚で退職したあと、その後釜に座ったわたしが長いこと居着いてるのが気に入らないらしい。わたしがミスして飛ばされない限り側に近づけないからって、コソコソと裏で色々言わないで欲しいんだけどね。

「あ、本城さん達だ……」
 休憩用スペースにある自販機の前に本城さんと他に数人社員が外回りから帰ってきて一息ついていた。帰ってきてるんなら早くブースに戻らないと……営業が戻ると書類の提出とかあるから。急ごうと足を早めようとした時、彼らの話し声が聞こえてきて、わたしは一瞬柱の影に隠れた。
「あー帰りたくねえなぁ……営業から戻った時に潤いというか癒しが欲しいんだよなぁ。二班なんて見てみろ、百合ちゃん可愛いよなぁ」
 潤いって……会社にそんなもの必要? 花とかお茶じゃだめなの? 皆川さんが可愛いのは確かだけど、潤いや癒しは仕事してくれないと思うんだけど。彼女の仕事の出来なさっぷりは時々こっちにまで影響してくるけれども……二班のチーフは可愛ければいい主義らしく、見て見ぬふりを決め込んでいるようだった。楢沢さんも、人事はそっちに任せてるみたいだった。
「ほんとだよなぁ、帰ってもしかめっ面の楢澤チーフと、うちの女子はあのデブの細井だけだぜ?」
 うぐっ……影じゃやっぱりそんな呼ばれ方してるんだ、わたし。
「だよな。けどよ、あの体型で細井っていうのは笑えるよなぁ」
「おい、そんなこと言うのはやめろよ」
 さすが本城さんは見てないところでも優しいんだ……わたしの体型のことを言う他の社員を窘めてくれた。
「なんだよ、本城。いくらおまえは同期でもアレはパスだろう?」
「そうそう、お優しい本城くんだって、あの細井に惚れられたらどうする? 告白されても付き合えるか、おまえ」
「それは……」
 押し黙る本城さん……そして苦笑い。
 そうだね……いくら優しくても、人間が出来てても、ソレはソレ、コレはコレだよね。
「だろ? 俺だったら迷惑だっつうの」
「でも、細井さん仕事はよくやってくれるよ。いつも前もって資料やサンプルの用意してくれたりするから、僕らも仕事しやすいよね?」
「けどよ、仕事出来なくても癒しが欲しい時があるんだよ。励みというか何というか……ああ、百合ちゃん!」
「そうそう、潤いがないよ。暑苦しいしさ。本城だってそう思うだろ? あれだけ太ってりゃ」
「そうだね、もうすこし痩せたほうが……」
「だろ?」
 それ以上聞いてられなくて、くるりと背を向けてその場から逃げ出した。
 わかってた、わかってたことだけど……本城さんの口からは聞きたくなかった。頷くところも見たくなかった。
 あ、だめだ……ちょい泣きそう。でもこんなところで泣きたくない。泣いたら余計惨めだから、ここはぐっと我慢して堪えないと。
 わたしは急ぎトイレに駆け込んだ。思いっきり水を流しながら嗚咽を隠す。
 本城さんはそんなこと言わないって信じてた……なのに、悲しくて、信じてた自分が馬鹿みたいに惨めで。自分が思っていたよりもずっと、本城さんの事が好きだったんだって気づかされただけだった。

「すみません、遅くなりました」
 結局、涙が収まるまで1時間ほど出てこれなかった。さすがにここに戻って本城さんに笑顔向ける気力もなかったし……
「何やってんだ? 営業に出てた連中、戻ってきてまた出ていったぞ」
「そう、ですか……」
「どうした、何かあったのか? 熱でもあるのか、おまえ顔が赤いぞ。目も……」
 チーフが心配そうに声をかけてくる。ダメダメ、上司に心配かけてちゃいけないよね。
「いえ、なんともありません」
 今度こそ、にっこり笑って平気なふりして席に着くと仕事に取りかかった。わたしの机の上は営業が置いていった書類で山積みだ。
 ああもう、いつまでこうやって強がらなくちゃいけないんだろう? 傷ついてても傷ついた顔しちゃいけないってことはないけど、そんなことで弱い自分になりたくない。だから、体型のことを言われても気にしてないふりして笑って我慢を重ねてきた。でも、このままずっと好きな人が出来ても、想いを伝えることもなく失恋し続けるのだろうか? 体型が原因で好きになって貰える可能性すらゼロのままなの? 希望も可能性も1%すらないまま過ごさなきゃならない?
 痩せれば世界変わるかな……せめて人を好きになっても馬鹿にされないぐらいに。そう、とりあえずは学生時代ぐらいまでに戻りたい!
――――だけど、どうやって??
 いつだってダイエットで失敗してきた。食べられないストレスで気がおかしくなるほどだし、最初は減ってもすぐに止まるし……食べてないと力が入らないしで、結局ドカ食いしては前よりも体重が増えてしまうなんてしょっちゅうだ。
 どうすればいい? このままじゃ一生、こんな風に誰かを好きになっても、惨めな思いを繰り返すだけでいいの?
 諦めてる自分がいた……だって、帰りの買い物かごの中にはスイーツが山盛り。また甘くておいしいもので自分を慰めようとしていたのだ。

 これじゃ……ダメだよね? どうする、わたし!!

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