メイド編・7
 
 
「旦那様、お加減はいかがですか?お約束通り紫陽花の花を持って参りましたよ。」
「ああ、きれいだ。ありがとう、茉悠子さん。」
旦那様はお優しい笑顔で、わたしが両手いっぱいに抱えてきた紫陽花を見つめておられた。きっと、この花にもなにか奥様との想い出があるのだろう。
「凄い荷物だったね、政弥にでも送ってこさせたのかね?」
「まさか、ちゃんと自分で来ましたよ。あ、駅からここまでは、タクシーを使わせて戴きましたけど…」
この荷物じゃちょっと歩けなかったから。昨日はあまりの遠さに途中で歩いたことを後悔した。もちろんタクシー代は経費としてお預かりしてる家計費から。
「それはかまわないんだよ。来て貰えると私が嬉しいしね。紫陽花綺麗だよ、ご苦労様。」
ああ、やっぱり旦那様って癒し系だわ。ヤツとは大違い!そりゃ、ヤツも人並みに優しいみたいだけど…。
「あ、そうだわ。庄司さん、プディングつくってきたんです。旦那様も食べられますか?」
それは本人でなく付き添いの庄司さんに聞いた。
「はい、今日は別に食事の制限はでていませんから大丈夫です。」
「そうですか、よかった。旦那様も食べたいですか?」
「嬉しいですね。わたしが甘いものが好きだと、判りましたか?」
「台所に山ほどのお菓子の材料と道具がありましたから。そうじゃないかなと…」
「ありがとう、戴くよ。」
「それでは、私は花を生けて参りますから、長岡さんプリンを旦那様にお願いします。」
にこやかな連携で、庄司さんは花を、わたしはプリンを取り出して旦那様にお出しする。戻ってきた庄司さんはお茶を入れてくれた。
「ああ、美味いね。手作りのは、こう、甘過ぎなくていいな。」
「ほんとう、おいしいわぁ」
ふたりに満面の笑顔をもらってわたしも満足していた。
その後、片づけに病室の外にでる庄司さんの後をついていった。
「どうですか?旦那様の検査等は…」
「ええ、明後日には終わって、そのあとお話があるそうです。その結果次第だそうですがが、どうやら何か出来てるらしくって、それを検査しながら潰瘍の治療も平行されるそうです。当分退院は無理なんじゃないかしら。」
旦那様の入院は伸びそうかぁ。だとしたら週に2回ぐらい足を運んだ方が良さそうね。
「ねえ、あんた若いのに住み込みって…失敗したの?」
頭の中で予定をやりくりしていると、庄司さんにいきなり聞かれた。失敗とはつまりは結婚のことだろう。
「ええ、見事に2年しか持ちませんでした。相手の家族とはうまくいってたんですけどね、肝心の夫とうまくいかなくて。」
「あんた、おもしろいこと言うわね。普通反対でしょ?」
「そうですよね〜」
ははは、と笑い話にして、部屋に戻って2、3旦那様に質問をしてから帰り支度をして頭を下げる。
 
「それではそろそろ失礼致します。」
「もう帰るのかね?」
「はい、ここから結構距離ありますから。少し時間に余裕を見て移動しませんと夕方までに買い物が済みませんので。」
「そうだな、冷蔵庫も何もなかっただろう?台所も使わなければまるで他人の家のようになってしまうんだよね…茉悠子さん、好きに使ってもらって構わないから。誰もいなくても、美味しいごちそう作って、台所を喜ばせてやってくれないか。」
寂しげな旦那様のお願いだった。奥様が亡くなられたあと、誰もいない台所を何度も寂しく目にしておられたのだろうと思う。
「はい、お任せ下さい。それでは…」
「だが、帰るのは少し待ちなさい、今車を呼んだから。君は昨日熱を出してたんだそうだね?それなのに無茶をしてはいけない。ああ、ほら、来た。」
なにが?って思ってると、ドアが開いて現れたのは今朝まで一緒に居たはずのヤツ。
「ええっ?あの、大丈夫です!結構ですから、一人で帰れますし!今日は雨も降ってませんから!」
こっちは焦る。それに急に呼び出されたからだろうか、ヤツの顔が心なしか怒ってるようにも見える。そりゃあ、機嫌悪いでしょうって。
「ここからうちまでは遠いからね。昨日は君を一人で帰らせたせいで熱を出したんだろう?いくら兄の頼みでも、聞かせなければよかったと思うよ。」
いえ、あの場合仕方ありません。それが筋ですし、富美香さんもそれではすまなかったでしょうから、と心の中で愚痴る。
「兄も忙しい身なのは判るけれども、いつも身勝手なことを言うからね。昨日キミさんとも話してたんだよ。こんないい子を手放す真似にならないように大事にしなきゃってね。メイドさんって言っても、人気のある人はなかな空きがなくて、いい人に当たる可能性は本当に少ないらしいじゃないか。」
嬉しいことを言ってくださる。キミさんにも気に入られたみたいで、これならやりやすいけど、あまり褒めすぎないで欲しい。
後ろで怒髪天じゃないけれども、イライラモードを撒き散らかしている人が若干一名。
この人にこそ言い聞かせてやってください!自分がしてる不倫をそっちのけで、昨日のわたしの失態を逆手にとって脅してくるんですから、もう!
「ありがとうございます。ご家族の方、皆様からそういってくださると嬉しいのですが…」
ちょっと意味ありげに俯いてみせる。メイドも演技です、覚えましたとも!
「政弥だってそう思ってるさ。だから心配してすぐに来たんだと思うよ。会社からここまで車で30分はかかるからね。」
そうなの?と思って見たけれども、とてもじゃないけれども頷けなかった。
「親父、もう連れて帰っていいのか?」
「ああ、安全運転だぞ?おまえはよく飛ばすからな。」
「判ってる。の…長岡、帰るぞ。」
くるりと背を向けられたので急いで後を追いかけた。
ああ、これからの帰り道が怖い…
 
 
 
「なんでうろうろ出て来てるんだ!じっとしてろって言っただろ!」
「え、でも…昨日旦那様と約束してたので。」
ふんと言って黙ってしまう。旦那様、っていうのに弱いみたいなんだよね。よっぽどすきなのかな?父と子ってもっと煙たそうにするもんじゃないのかなとも思う。
でも、本当はこのあと、ヤツのマンションの所在地も確認しておこうと思っていたのだ。だって週に2回は通わないといけないから、病院に来たついでに済ませちゃおうと思っていた。
「屋敷まで帰るが、どこも寄らなくていいのか?」
「あの、出来れば政弥様のマンションを教えて頂けますか?」
「俺の?」
「はい、お掃除などで入らせて戴くので、触っていいものとそうでないものなどお聞きしたくって。その後、買い出したいものもあります…」
「判った。じゃあ、先に俺の部屋だな?」
 
 
病院から車で20分ほど走ったところにそのマンションはあった。セキュリティもそこそこしっかりしている所で、カードキーの使い方と、暗証番号を教えられた。
部屋に入って一通り見回し、ものの在処とゴミの処理方法を聞き、簡単な決まり事を二つ三つ作っておく。洗濯するものしないものの置き場所、それからベッドルームの掃除の許可。意外とOKしたのには驚いた。帰りにクリーニング店を教えるので、スーツはそこに出すようにと指示された。
 
メイドらしくさっさと仕事を済ませて、ついでに簡単に掃除してるんだけど、ソファに座ったままのヤツがなんかイライラしてる?なぜなんだろう。
「おい、もう帰るぞ、無理してまた倒れられたら困るだろ。」
「は、はい!只今」
「この後まだ買い出しにいくんだろ。多いのか?」
「はい、結構あります。」
私がメモ用紙をチェックしてると覗き込んできた。
「おい、見せてみろ。」
やつは手を伸ばしてそのメモをわたしから取り上げた。
「これだと、大型店で、買い物しながら帰った方が早いな。」
そういって車に乗り込んだ。滞在時間わずか30分だった。
「あの…政弥様の食事のご予定をお聞きたいのですが、もしかして、今夜もお屋敷で食べられますか?」
「なんだ、居ちゃ悪いのか。」
「いえ、そういう訳では…準備がありますので、これからの買い出しに加えようかと。」
食べるなら早めに言ってもらわないと困ってしまうもの。わたしが食べるものと同じ物を出すわけにはいかないし。
「今日は、家で食べる。」
そう言ったあと、また黙ってしまった。
 
 
車が向かったのは、ここ数年の間に出来た大きなショッピングセンターの立体駐車場だった。
昔、このあたりに住んでた頃にはまだ出来てなかったので、来るのは初めて。
けどね、こういう場合どうすべきかしら?だって、雇い主自らが食料の買い出しに付き合うなんて、今まで考えられなかったし。
「あの、車の中で待たれますか?それとも、どこかカフェにでもはいっておられますか?」
「なんでだ?」
何でだと言われても…まさか、荷物持ちさせるわけにはいかないでしょう?
「親父が忙しい時…買い物に付き合わされるのは俺だったんだ。おふくろの買い出しにはしょっちゅう付き合わされた。」
だから、ついて来るということなんだろうか?でも母親の話をするときは、やっぱりヤツも旦那様と同じように、ちょっとだけ寂しそうな顔をするのね。
やっぱ早すぎたよね、奥様が亡くなられたの。50歳だなんてまだまだこれからで、写真も見せていただいたけど線の柔らかい優しそうな方だった。
「それに、おまえ人混み大丈夫なのか?今朝熱が下がったばっかりだろ。」
ああ、もう思い出したくないことを思い出させないでよ!熱の原因を思い出して顔が熱くなるのを大声で誤魔化す。
「も、もう、大丈夫ですからっ!」
同情されてちゃダメなんだけど、しょうがないか。あの失態は、予想外だったから…。
 
 
車を降りると、無愛想な顔で先を歩いていく。ここははじめてなので凄く助かるけれども。
ヤツがメモを見ていたので、比較的スムーズに必要以上の距離を歩くことなくセンター内を歩き回る。
「詳しいですね、この中…」
「うちも建設に携わったからな。それに、うちのおふくろも先導してやらないと、この中でよく迷子になってったんだ。」
へえ、優しいトコあったんだ。わたしはそんなに方向音痴じゃないつもりだけど、やっぱり初めての場所は不慣れでやたら距離を歩いてしまうから、こうやって回って貰えると楽だった。
 
「これだけか?」
「はい、あの…あと、私物を少々買ってきてもよろしいですか?シャンプーとかトリートメントとか、客間用のバスルームには備え付けのが無いですし、それに…」
「ああ、別におまえしか居ない時が多いんだからメインバスルームを使えばいいだろ。」
「え、でも…」
同じバスルームを使うのはちょっと考えるじゃない?
「俺は時々客間のシャワーを使うこともあるから、おまえは掃除ついでに一階のバスルームを使えばいいんだ。いいから自分用が欲しかったら、さっさと買ってこい!」
「は、はいっ!」
荷物は見ててくれるようなので、急いで買いに走った。他にも2,3足りないもの、生理用品とかね、さすがにないじゃない?そのあたりは自分のお金でね。それに、あの屋敷は買い物に行くにも一苦労しそうだから、まとめ買いしておかなきゃ大変だわ。
 
「すみません、お待たせしました。」
「遅いっ!」
両手に袋を抱えて、買い物を済ませて帰ってくると、ちょっと機嫌悪げ…
「す、すみません!」
深々と頭を下げるけど、視線厳しいな。男の人って待たせると怒るんだよね。もっとも、元夫とは一緒に買い物に出掛けたこともなかったけれど。
「行くぞ、荷物は俺が持つから、早く来い。」
「は、はい!」
急いで追いかけようとしたその時だった。
 
 
「茉悠子?」
振り返ったそこには、もう記憶の中から薄れ消えかけていた男の顔があった。
 
元夫、その人だった。
 
 
 
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<注意>こちらはハウスメイド・メイド編の試し読み版です。
8話まで読めますがそれ以降は電脳アルファポリスで有料になることをご了承下さい
久石ケイ