メイド編・1
 
 
 目の前には洒落た門柱、そして車が出入り出来る大きな門。塀もそこそこ高いけれども意外と圧迫感がないのが嬉しい。
 全体的にこだわりが随所に見られる洒落た佇まいの、間違いなくお屋敷と呼べる建物の門前にわたしは立っていた。
 カメラ付きのインターホンに向かって用件を告げる前に深呼吸する。
 
 よし、いくわよっ!
 わたしは気合いを入れてボタンを押した。
 
「ハウスメイドサービス・ヴィクトリアから参りました、長岡です」
『どうぞ』
 すぐにインターホンからは男性の声が返ってきた。
 目の前の門が自動的に開き、わたしは荷物の入ったトランクケースを引きずりながら敷地内に入っていった。
 
 
 さあ、今日からここで始まるわたしの新しい仕事、そして住処!
 ハウスメイドとしてこの屋敷に住み込んで、この屋敷を手入れし、飾ることが主な仕事になる。
屋敷を大事に守ってこられていたここの奥様が先々月に亡くなられて、屋敷が荒れていくのを見かねた主が、我が社<ハウスメイドサービス・ヴィクトリア>に申し込まれたのだ。ここは郊外の一軒家で、家の者も仕事で不在が多く、住み込みで家を守ってくれる者が必要だということで、条件は男性不可、出来るだけセンスのある、家を磨くことを得意としている女性で住み込める人間と言うこと。うれしくもハウスメイド歴3年目、住み込み希望のわたしに白羽の矢が立ったのだ。
 
 わたしの所属する<ハウスメイドサービス・ヴィクトリア>は、セレブ御用達のメイドサービス会社で、メイドと言っても本物のメイドだよ?要するに家政婦なんだけれども、家事一般からパーティのお手伝い、そして一軒家向けのハウスケアも請け負っているのが特徴。家事も洗濯掃除料理から始まり、ハウスキーピング、庭の手入れ、花を生けたり、家のレベルを保つ仕事が必要になってくる。仕事先はセレブな家庭が多く、給金もよい上に住み込みだって可能なのだ。だからセレブ御用達って言われ出したの。その特異性から、就職するにしても能力検査なるモノがあって誰でも入れるところではなく、もちろんわたしもそのレベルをクリアしたメイドってわけで、この度テストに合格し、訓練も一通り受けてきた。
 なんでこの仕事かっていうと、わたしは家事しかできなかったから。
 そう、わたしはつい3年前まで、ただの主婦だったから。
 
 
「お邪魔致します」
 ドアの前で再びインターホンに向かって挨拶すると、リビングにいるからと、出迎えもなくそう言われて、勝手に玄関に靴を脱いで上がり、リビングらしき部屋に向かう。
 結構無精な主かも知れない。まあ、文句が言える立場じゃないので大人しくしていよう。
 それにしても、すごいなぁ……
 ポーチを歩いて来て、玄関に入ってからも驚くほど優しく飾り付けられた家を見回す。そう、こうやって廊下を歩いてるだけで伝わってくる、亡くなった奥様の想い。
 この屋敷を愛してらしたんだと思う。よく手入れされてるし、飾り付けも本当に家の雰囲気にあっている。華美な装飾はなく、それでもよく見ると本当にいい物が置かれている。それより何より、この屋敷自体がこだわりを持って作られたと言うことが一目でわかる。
 でも、ここは一人でも十分手入れ出来るきりきりの広さで、お金持ちの邸宅にしては小さいんじゃないかな?おそらくご主人が亡くなられた奥様の為に、思い通りの家を造って差し上げたんじゃないかなと思う。あちこちにちりばめられた想いが本当に手に取るように見える。
 だけど、奥様が亡くなられてからこっち、あまり掃除も行き届いてないようだ。花が飾られていた棚にも花瓶だけが置かれているし、うっすらと埃がみえるし、小さな小窓のステンドグラスも微かに曇っている。
 家が寂しそう……これは早速大掃除から始めて、お家に元気になってもらわないといけないわね。
 あたしはもう早速この家を任された気分で、あれこれどうしようか思い巡らせていた。
好きなのよね、家を触ってるのが。だけどそんなうきうきした気分を押さえて、平静を装いながらリビングに入っていった。
 ここからはビジネスモード。背もあまり大きくないしガリガリだし、ちょっと童顔なので頼りない子供に見られないように、きちんとした態度でしっかりと出来るメイドを印象づけなければならない。
 
「はじめまして、長岡茉悠子と申します」
 よそ行きの態度で斜め45度に腰を折って挨拶をする。この角度も随分練習したんだからね。
「藤沢です。」
 直接聞くと意外と若い声に驚いたけれども、わたしはやらなければならない手順で頭の中がいっぱいだった。
「あの、先に書類が届いてるかとは思いますが、こちらが紹介状と書類一式になっております。チェックしていただいてよろしいですか?それと、特記事項がございましたらこちらの欄にご記入下さい。コースはロイヤルクラスになっておりますので住み込みで全ての家事を。ハウスキーピングと、室内の飾り付けから、お庭の手入れ、ご在宅時にはお客様のおもてなしまででございますね。制服はないとの事でしたが、よろしかったらこちらの用意したメイド服もございますが?」
一気に伝えるべき事項を告げて、言い忘れはないか頭の中で反復していた。
「……長岡?」
「はい?」
 目の前の男性をじっとみてみる。どこかで……逢ったことある?それに、若すぎない?わたしは急いで書類を見直す。
 申し込み人はこの家の主で会社役員の藤沢雄政さん、現在56歳のはず。有名な大手建設企業の藤沢建設の重役。家族の資料はここに来る前に手渡されたけれども、時間が無くてちらっと目を通しただけだった。えっと、息子はふたりで、長男は結婚して都内に住んでいて、次男は仕事の便宜上都内のマンションに住んでいるので、こちらには滅多に帰ってこないと書いてある。そちらの部屋の掃除もオプションになっている。息子の名前は……
 わたしは、手渡されていた書類を何度も見直した。
 藤沢政弥、25歳、会社役員……って、ええ?
「ふ、藤沢くんっ?」
 10代の頃の面影は残しているものの、随分と立派に成長したその男は、なんと元同級生だった。
 
「な、なぜ、あなたが……?」
「ここは俺の実家だ。野良猫」
 相変わらずの簡潔なご説明。その呼び方に彼がわたしのことを覚えていたことがわかる。
 
 
 
 そう、わたしを野良猫と名付けたのはこの男だった。
 彼はわたしが通っていた私立白凰学園で初等部から高等部まで一緒の同級生。白凰学園っていうのは、いわゆるセレブ校で、中には成績優秀な特待生なんかも居るけれども、お金持ちの子弟が数多く通う学園だった。あんまり成績が悪いと入れないけれども。何でそんなところにわたしが通っていたかはまあ、あとで説明するとして、彼のことはよく覚えてる。
 いい意味でも悪い意味でもね。
いい意味でって言うのは、彼がそこそこモテて目立っていたから。クラスでも大人びた部類で、ふざけあったり暴れ回ったりもしないが、いつも無愛想でクールだった。それに勉強も出来てたし、スポーツも出来たはず。仲がよかったのは、同じクラスの硬派な男の子ぐらいで、二人して並んでると迫力で女の子も寄っていかないほどだったのを思い出す。どっちも端正な顔立ちをしてたのでふたりとも有名だった。中等部までは硬派だったけれども、高等部に入ってから彼はずいぶんと変わったことを、わたしは知っていた。
 そう、思い出しても腹が立つ……それが悪い意味でってこと。
 
 あの日、仲のよかった同級生の美也子がこの男に告白なるものをしたけれど、『ずっと好きだった?うそくせえ』と言って断られた。
 彼女は泣いて、その後の授業を休んで帰ってしまった。だけど、その振った本人も帰ってこないし、それを伝えると、美也子が様子を見て来てって言ってくるもんだから、わたしは放課後になっても戻ってこない彼を探して回った。
 鞄も靴もあったので、校内にいるだろうと探していたら、やはり屋上にいた。どうやら、そこで転寝をしていたようだった。
『藤沢くん?』
 声をかけても起きないので、側まで近寄ってその顔を覗き込んだ。
 長い睫毛……どちらかって言うと精悍な顔立ちだけどどことなくこう艶があるって言うか、色っぽいって言うか……
 年上の女性にモテてるとかって話は聞くけど、校内で特定の彼女が居るって話は聞かない。
『起きて、藤沢くん、もう授業終わったよ』
軽く肩に手をかけたその時、あたしの視界は反転した。
『きゃっ!』
『なんだよ、まだ足りないのか?』
 寝ぼけた様な声がして、もそもそと動くその手が制服の下に潜り込んできた。唇に何かが触れたあと、首筋になま暖かいものが……
『いやっ!』
 思いっきり手で突っぱねた時、がりっと音がして彼の頬をあたしの爪がえぐった。
『いてっ……』
『な、な……なにすんのよっ!』
『ああ、なんだ、長岡か。わるい、寝ぼけた……』
『寝ぼけるなぁ!』
 わたしはヤツの胸を突き飛ばすと、身体を起こしかけた体制のまま背中から屋上のコンクリートの地面に目を丸くしたまま転がった。
『おい何すんだ……まあ、おまえみたいなガキにその気になったりしないから安心しろ』
『そ、そんなこと言ってるんじゃないわよ!』
 だって、だって、わたしのファーストキス……おまけに胸まで触られたんだからね、寝ぼけたじゃすまないわよ!
『はぁ?それでなんでおまえがここにいるの?』
『えっと、それは……』
 ヤツが振った美也子に探して欲しいと頼まれたことは言えなかった。
 心配するに足りるヤツじゃない。きっととサボって、誰かとそういうコトしてただけ……
 美也子、こんなヤツは速攻忘れるのよ!
『馬鹿ぁ!』
 あたしはそう叫ぶとその場から走り去った。きっと凄い形相だったと思う。ヤツの顔が再び呆然としていたのが最後に見えたから……。
 
 翌日、頬に大きな絆創膏を貼った彼はみんなから散々からかわれ、その理由を聴かれていた。
『一体何をやらかしたんだ?』
『野良猫に引っ掻かれたんだよ。随分凶暴でね』
 そうですか、あたしは野良猫ですか?あたしはもう一度引っ掻いてやりたい気分だった。
 こんな男、美也子には向かないわ。あんな、手馴れたコトしてくるような、タラシは純情可憐な美也子には相応しくないもの。
 わたしはその日以来、ことある毎にこの男を避け、睨み付けるように高校時代を過ごした。彼はたまにわたしが睨んでる事に気がつくと『野良猫』と皮肉ってったぐらいでなんとも思ってない様子だった。
 まさか、その彼の実家に仕事で住み込みに来ることになるなんて……どうしよう?
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<注意>こちらはハウスメイド・メイド編の試し読み版です。
8話まで読めますがそれ以降は電脳アルファポリスで有料になることをご了承下さい。
久石ケイ