父親が死んだ。
まるで知らない人間が死んだぐらいの他人事な気がした。
それでも戸籍上は親子だし、親父が一緒に住んでいたのは若い娘で、どうしていいか判らずに呆然としていた。
死亡診断書を取りに来いと言われていたというので共に医者の所へ出向き、ついでに市役所に行って法的な手続きも済ませてから家に戻った。
葬儀の準備のためにばたばたと片付けをはじめた彼女を余所に、俺は俊介に連絡を取り、今日明日の仕事をあいつが代行してくれるように頼んだ。だが、やつは既にそのつもりだったらしく心配するなと言ってきた。
それと寺の手配もしておいた。宗派は市河と同じでいいだろうから、うちが檀家になっている寺の住職に頼んだし、葬儀の手配は、病院側が近くの葬儀会社を紹介してくれたのでそこに任せた。
大げさな葬儀はしたくないとのことだったので、密葬に近い形で祭壇を用意してもらい、花を用意する。
俺が出来ることと言えばそのぐらいだった。
市河の人間には連絡しなかった。
父の悪い噂を、あること無いこと俺に吹き込む奴は居ても、好意の目でみていた人間など居なかったから。
 
夜になると、何人かがやって来て別れを惜しんでいた。
それなりに付き合いのあった者もいたんだろう。地域の人間らしき数人が固まって別れを告げたり、店の常連客らしいのが、酒を片手にやってきたり、華依を囲んで故人の話に花を咲かせていた。
 
知らない人間の通夜に紛れ込んだ気分だった。
 
会社関係で、ただ弔問するだけの葬儀ならいくらでもある。だが、一応身内としてここにいる限りは居心地の悪い視線に囲まれていた。
こそこそと聞こえる話。
 
『桐吾さんの?だろうな、よく似てるよ...奴の若い頃にそっくりだ。』
『で、ここに来てどうするつもりなんだ?まさか華依ちゃんを追い出すとか?』
『それはないだろう、ここは華依ちゃんと桐吾さんの店だぜ。』
『それにしても、近寄りがたい奴だな...挨拶もしにいけないじゃないか。』
 
ふん、そのつもりだ。
挨拶などされてもこっちにはなんの感情もないのだから。
 
「華依ちゃん...大丈夫?」
 
弔問客の中では若い、俺と変わらないくらいの歳の青年は、ここに来てからやたらと彼女の側にまとわりついていた。
 
「一人で大丈夫なの?何か手伝えることはない?不安なら、傍にいるけど...」
 
そう言いながらもチラチラとこちらを見てくるその視線は男のものだった。
いかにも自分の物だと言わんばかりにその肩を抱き、引き寄せようとしている。人前ではいやなのか、彼女はわずかに身体をずらしていたが、その表情は笑顔で受け入れているようにも見えた。
親父の女の癖に...居なくなったら若い男相手に愛想笑いか?
俺は無性に気分が悪くなって立ち上がった。
 
玄関まで行くと、後ろから彼女が追ってきているのに気がついた。
 
「あ、あの...ど、どちらへ?」
 
遠慮がちに聞いてくる。俺が帰るとでも思ったんだろうか?
いや、いっそ帰ってしまいたいが、表面上だけでも喪主になっている限りそうするわけにはいかなかった。
 
「車ででも休んでくる。俺にとっては知らない人間の葬式に出てるみたいなものだからな」
「......え?」
 
驚いた顔をしていた。
当たり前だ。来てる弔問客の誰一人俺は知らないし、向こうだって一言も声をかけてこない。
そりゃそうだ、誰もがこの女を喪主だと思っているのだから。
たとえ親父の愛人でも、この家で共に暮らしていたのはこの女だったのだから。
なのに、何だ、あの視線は。俺があの男の息子だって言うのは判るだろうから、それはいい。だが、あの女の側に張り付いてくる男どもは皆、俺のことを値踏みするような目で見てくる。それが溜まらなかった。
 
「変な目で見られるのもごめんだ。」
「......っ!」
 
だからここには居たくないと、そう言いたかった。
 
「そ、それなら、桐吾さんの部屋を使ってください。」
 
珍しく、張りのある声でしっかりと伝えてきた。ここのところ、この女は俺に対して怖いのか、蚊が鳴くほどのか細い声で曖昧な返事ばかりをしていたから。
つんと腕を引かれてそちらを見ると、俺のスーツの袖口を子供のように掴んで俯いていた。
まるで、子供だ...俺は呆れたようにため息をついた。
親に捨て置かれた子供が俺を頼ってきたのか?
それほど似てるから、だな。俺が、あの男に...
 
親父の部屋に通されて、俺はしばらくうろうろと部屋の中を見回った。本棚を見ていたら、その中に写真の束を見つけた。
華依と親父が仲良さげに写っている物ばかりだった。最近撮ったものだから、まだアルバムには整理されてなかったのだろう。
愛おしげにあの女を見つめる父親、そして安心しきった笑顔を見せている彼女。
それほど、この中年の男がよかったのか?
健康なときは若さを保ち、そこそこ渋いおっさんだったみたいだが、それでも年の差がありすぎるだろうと思う。
だが、この表情を見れば、ふたりの絆は強かったのかも知れない。
いっそ、財産目当てか何かだったら、罵って、追い出せば済むのに...そんな訳にもいかなさそうだった。
 
 
 
 
 
俺はいつの間にかベッドに横たわって転寝をしていたようだった。
ドアが開く気配がして、華依が現れた。
何か用で起こしに来たのかとも思ったが、違うようだったのでそのまま寝たふりを決め込んでいた。
ぎしっと、ベッドが軋み、彼女が側に腰掛けたのが判った。その手が俺の額の上の前髪をすくい、そのまま頬に流れ、優しい手の平で俺の頬を包んだ。
薄目を開けてみれば、目の前の女は泣きそうな瞳で俺を見ていた。
俺を...いや、よく似た親父の事を偲んでいるのだろうか?
このベッドに力無く寝ていた親父。だけど、元気な頃にはこの若い女の身体を抱き、貪り、乱れさせたのかと思うと堪らなくなった。
 
 
「きゃっ!!」
 
俺はその手を引き、体勢を入れ替えてベッドに組み臥した。両手を押さえつけて、女が逃げられないように封じ込めるとその唇を奪った。
叫ぼうとしたその口内にいきなり深く舌を差し込み、蹂躙し尽くした。
最初は驚いたのか抵抗もしなかったので、俺は押さえている手を一つにして、空いた手で黒の喪服のワンピースの裾を割り太股を撫でた。
 
「んんっ!!」
 
途端に驚き暴れはじめる。あまりに暴れ、舌を噛まれそうになったので、腕の力を緩めてやると、飛び跳ねるようにドアの入り口まで後退った。
 
「なんだよ、誘ったのはそっちだろ?」
 
俺がそう言うと、荒い息をつきながら俺を睨んだあと、背を向けて部屋から走り去って行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
いきなりのことだった・・・・あまりにも意外でいきなりのこと過ぎて、始めは何をされたのか理解出来ないほどに・・・。
だからこそ、対処が遅れた・・・と言っても良かったと思う。
何をされたのか判らず、何をされているのか理解したときには息苦しくて、それ以上に彼の手が下肢へと触れたことがあたしを動揺させたのだ。
そのときになって漸く取り戻した自我により、抵抗できるだけ抵抗し、手を放されたときには恐怖心から体の震えが止まらなかったほど・・・・それなのに・・・・。
 
「なんだよ、誘ったのはそっちだろ?」
 
彼はそう冷たく言い放ってくれたのだった。
 
 
 
 
 
 
通夜の席は意外にも多くの人が弔問に訪れてくれていた。
馴染みのお客さん、近所の方たち、店に出入りしている業者さん達の顔もあり、あたしは少しだけ悲しい気持ちを押し隠すことが出来ていたと思う。
それでも時間が経つにしたがって、人はそれぞれの家へと戻っていってしまう。
あたしは、そんな中たった一人にされたような気がしながらも、近くに奎吾さんという存在が居てくれると思うだけで、どこか安心感に包まれながら弔問客たちの相手が出来ていた。
優しい言葉をくれる人たちが多く、その中には、『桐吾さんの息子さんが来てくれたんだね。良かったね』と声をかけてくれた人も多く居た。
そう・・・・知らない人の方が少ないくらいに、家の店へ来てくれる人たちは奎吾さんのことを知っていたのだ。
それだけじゃなく、『これでこれからも寂しくないね』と声をかけてくれる人たちもたくさん居た。
少しだけ敬遠して見ていた人たちもまた、そう言って慰めてくれたことで、あたしは余計に奎吾さんという存在に頼っていたのかも知れない。
 
そうして弔問客が居なくなった後、あたしは奎吾さんが居るだろう桐吾さんの部屋へと足を運ばせた。
部屋に明かりが点されていないことに気付き、あたしは小さなノックをするだけで部屋へと滑り込み、ベッドで横になっていた彼のことを見つけてしまったのだ。
規則正しい寝息をしている彼を見て、どれほどの衝撃があたしの胸に突き上げただろう。
 
『桐吾・・・さん・・・?』
 
心の中で問い掛けてしまいたくなるくらいに、その寝顔は彼にソックリだった。
仕事の後、あまりにも疲れていたときには、よくこうして眠ってしまっていたことがあった。
シャワーも浴びず、カッチリと固めた髪のまま・・・それでいて無造作にベッドへ横になるものだから、髪が乱れて額を覆っていて・・・そんなところまでそっくりで、あたしは息を潜めてベッドの方へと足を進めていた。
無意識のうちのことだったと思う。
彼の額にかかった髪を避けてやり、そのまま頬へと指を滑らせ・・・・まだ元気だった頃の桐吾さんと、今ココで眠っている奎吾さんを重ねてしまっていたのかも知れない。
まるで、桐吾さんが病気だったのは夢なのじゃないか・・・・ましてや死んでしまったのも夢なのじゃないか?と錯覚してしまいそうなくらいにソックリな二人。
そうして、どのくらいの時間、奎吾さんを見ていたのか・・・・いきなり腕を引っ張られ、気付けばベッドの上、彼に組み敷かれてキスをされていたのだった。
 
 
 
 
 
部屋から飛び出したあたしは、すぐさまリビングへと駆け込んでいた・・・いや、リビングにある桐吾さんの祭壇の傍へと逃げ込んだのだ。
震える体を抱きしめるように身を竦めて座り込む。
恐怖からなのか、それともショックからだけなのか、ガチガチと歯すら合わない状態の中、あたしは桐吾さんの傍で眠れない一夜を過ごしたのだった。
 
 
朝になり、部屋の中へ光が差し込み始めた頃になると、どうにか気持ちが落ち着き始めた。
それまでの間、ずっと何だか判らない感情が押し寄せてきてはあたしを苛み、体が震えて止まらずに居たのだ。
ウトウトと小さな眠りがやってきて、その度に眠ってはいたけれど大した睡眠にはならなかったようで、けれど頭はスッキリとしているようにも思えた。
もう、すっかりと体の震えも治まり自分を取り戻すことに成功したあたしは、このときになって夕べのことを考えることが出来たと思う。
しかし、あたしは敢えてその事から意識を遠ざけることにした。
そう思ったら気が楽になり、今するべきことを考えることが出来たのだ。
朝食を作ろう・・・そうして、彼に声をかけて・・・今日は桐吾さんを送らなくちゃいけない・・・・。
そう、やるべきことがまだあるのだ・・・そこまで考え付くと、もう既に体が動いていた。
 
 
 
桐吾さんの部屋の前まで行くと、一瞬、夕べのことが頭に蘇ってきた。けれど、あたしは敢えてそこでも考えることはしないように意識し、ドアの前から奎吾さんへと声をかけた。
小さく『判った』という返事が聞こえてくると、あたしは先にダイニングへと戻り、テーブルへと料理を並べていく。
とは言っても、大したものは作ろうと思えなかった。
嫌味ではなく、意地悪でもなく・・・・ただ、まだ桐吾さんが居たときと同じような朝食にしたかっただけ・・・・・。
あたし達の朝食は、いつも簡単なモノで済ませていたのだ。
お米のご飯にお味噌汁、漬物屋さんで仕入れてきた漬物と、その日によっては納豆や出汁巻き玉子などを添えただけの朝食。
今日は前日に何も買ってなかったこともあり、出汁巻き玉子をつけただけの朝食になってしまったけれど・・・それでも、ないよりはマシと、奎吾さんが来るのを待ってる間に味噌汁とご飯もテーブルに置いた。
暫くすると、奎吾さんが戸惑ったような表情でダイニングへと顔を出した。
 
「朝食・・・です・・・何もないの、ですけど・・・」
 
そう言うと、何も言わずに用意された席に着いて箸を持った彼は、いつかの風景を思い起こさせるのに充分だった。
箸の持ち方一つにしても桐吾さんと本当に良く似ている彼は、食べ始める順番さえも一緒。
綺麗な箸の持ち方、スッと伸びた背筋、優雅に動く指と腕、決して人前に出ても恥ずかしくないだろう食べ方は、よく桐吾さんに躾られたコトを思い起こさせる。
そんな彼を見ながら、あたしも小さく『いただきます』と言った後、一緒に朝食を口にしたのだった。
 
 
 
 
 
その日は、午前中のうちにお寺から住職さんがお経をあげに来てくれ、その後は桐吾さんの乗った霊柩車とは別に、奎吾さんが運転する車へ二人乗り込み火葬場へと移動した。
その間、あたし達は始終無言のまま、火葬場に着いてからも奎吾さんが手続きなどをしている間はそれなりの受け答えはしたものの、それ以上の会話はヒトツもなかった。
そうしてどのくらいの時間が過ぎていったのか、短くも長くも感じられた火葬が終わり、係りの人に案内された場所にはもう桐吾さんの姿など何処にもなかった。
そのせいだったのだろうか・・・・涙のひと破片も出てこない。
いや・・・・桐吾さんが逝ってしまった後から今日この時まで、あたしは涙など流していないという事に気付いた。
今、このときになっても、あたしは涙が溢れてくるということもなく、乾いた気持ちがあるだけ。
桐吾さんだったという骨を見ても、何を感じられるだろうか・・・・・。
ただ、愛してやまなかった人の・・・・もう形すらないその骨に、何を感じたらいいのだろう・・・・。
ボーっとしてしまいそうになりながらも、係りの人に言われた通りの作業を行っていく。
渡された金具製の箸を持ち、奎吾さんとは向かい合わせで立って、二人で一本の骨を拾い骨壷へと収納する。
この人は、どう思っているのだろうか・・・・。
まだ、他人事のように思っていて、こんな作業に付き合わされたことを腹立たしいと感じてしまっているのだろうか。
けれど・・・彼は桐吾さんの息子だという、間違いないモノを持っている。
DNA検査などしなくても、彼と桐吾さんが血縁関係だってコトは、その風貌で判ってしまうこと。
それだけ二人は、とても似ている。
それなのに・・・あたしには何もない。
こうして、本来は彼のお骨を拾うことだって許されない人間なのかも知れないというのに・・・。
係りの人に言われた通りの作業を淡々とこなし、全てが終わった後に渡されたのは、小さな小さな、まるで桐吾さんが入っているとは思えない箱だった。
 
「終わったな」
 
その言葉を合図にあたし達は火葬場を後にし、自宅へと戻ったときには既に日が暮れ始めた頃のこと。
車に乗せられ、その間も始終無言のまま小さな箱を抱きかかえたあたしは、ただ呆然と移り変わる景色を見つめていたと思う。
車が自宅に到着した後は、もう何も考えてなかったことだろう。
 
「着いたぞ」
 
そう言って車から放り出された後は、彼の車が遠ざかっていくのをどうしてだか、とても悲しく思いながら見つめていた。
寂しくて、哀しくて、けれどあたしはそれをどうやって表現して良いのか判らないまま桐吾さんのお骨を抱きしめながら―――。
 
 
 
お試しNovelはココまでになります。
以降のNextで、ご案内があります♪

 
      
Copyright (C) 2007 Kei Kuishi & Rinju, All rights reserved.