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社会人編

43
〜甲斐・8〜

「お、タカさんだ」
「え?」
水嶋さんが手を振る方に目をやると親父が嬉しそうな顔して歩いて来やがる。
なんだよ、そのやに下がった顔は!相変わらずジャケットの下はノータイのシャツ、パンツのラインもやや細め。今日は革じゃないだけまだ普通に見える。
「なんだ、史仁も来てたのか?」
「悪かったな、オレが来てて」
皮肉を言ったところで全く通用しない。若く見えるがコイツは42歳、甲斐隆仁、元ホストでクラブオーナー、そしてオレの親父だ。こうやって水嶋さんと並ぶと同年代の30歳前後に見えるが、普通のサラリーマンには決して見えない。きっとその服装と垂れ流してるフェロモンのせいだろう。それでも、今まではもっと荒んだ感じがしていたのに、ここ数年で随分と丸くなったというか、若返ったというか……
「なによ……来なくていいのに」
ぼそりとそう言うと、朱理は完全にそっぽを向いて帰ろうとして立ちあがる。
「待ちなさい、せっかく仕事抜けて来たんだから何も帰ることないでショ?」
「別に、わたしが来てって頼んだ訳じゃないわ!」
「オイオイ、先週のことまだ怒ってるのか?しょうがないだろ、その日はお得様からエスコートのお誘いがあったんだから」
「だから、別にそのことは怒ってないって言ってるじゃない!仕事だってわかってるわ、そのくらいで文句言ったりしないもの」
先週、朱理との約束を断って出席した客のエスコート先に朱理も顔を出してたらしく、鉢合わせした後……まあ、かなりお怒りな訳で、その憂さ晴らしに巻き込まれたのがオレと水嶋さんだってわけだ。
しかし、あの冷静で恋愛事にも冷めていると思っていた朱理がここまで感情的になるのって……だけど、普通はこうなのかもしれない。普段、喧嘩することも、文句言い合う事もしなかったオレたち……いや、オレがさせてやれなかっただけだ。いつだって志奈子はオレの顔色を伺うばかりで、逆らいもしなければ文句も言わなず、喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかった。だけどそのあげく去って行かれるんじゃどうしようもないけどな……
「朱理……機嫌直してくれないか?おまえにそんな顔させたい訳じゃないんだ」
止めてくれよ……息子の前でマジモードになるのは。
「判ってる、判ってるのよ……でも、それでもね」
「拗ねた顔も可愛いね、朱理……愛してるよ」
だから、その何処でも口説きモード全開で、いくら店の中だからと言っても公衆の面前でキスするのは止めてくれ!マジで親子の縁切りたくなる……
二人が付き合いだして、今まで順風満帆というわけにはいかなかったことは聞いている。年齢差19歳、親子ほど離れてる上に、水商売の男と企業の令嬢で現在某私立有名校の教諭の恋愛がすんなり周りに認められるわけもない。
それでも出逢った切っ掛けがオレなわけだから、かなり責任は感じている。朱理を最初に店に連れて行ったのはオレだ。彼女がオレの同級生で、オレの所属するモデルクラブのオーナーの姪っ子だと知った親父は、彼女をこっちの世界に染まらせないよう、わざと敬遠してお子様扱いした。その結果、自分は大人だと思っていた朱理が腹を立てて、店でいきなり親父に水をぶっかけたのが始まりだった……じゃじゃ馬お嬢様の朱理に、今では親父の方がメロメロってわけだ。今まで聞き分けのいい女ばかり侍らしてきたくせに、親父の奴……えらい変わり様だと思う。
だけど親父のラブシーンなんて見たくもない。それも相手は同い年の女だぞ?ダチだぞ?
けれども絡めた舌を解放された朱理は、うっとりと親父のほうを見つめて腰砕けのようだった。見かけに寄らず恋愛経験の少ない朱理なんか、親父のテクを使えばイチコロだと思う。親父の方だって、これ以上暴れないようにと、腰に回した手でしっかりと朱理をホールドして離すつもりはないらしい。
そのやり方……見てて嫌ってほど親子だと実感する。公衆の面前ではやらなかったけれども、嫌がる志奈子を大人しくさせるのに何度その手を使ったことか……
「史仁の方は、最近どうなんだ?」
「ほっといてくれ、なに鼻の下伸ばしてんだよ、ったく……」
腕の中の朱理の頬を、愛おしそうに撫でながらオレに声をかけてくるその余裕、ぶっ殺してやりたくなる。羨ましいと言えばそうなるのか?今、オレの側に志奈子は居ない……その差を考えると見たくもないほど腹が立つ。
「なんだ機嫌悪いな?」
「うるせえ……そっちで勝手にいちゃついてろ」
悪態をついても憂さ晴らしにもなりはしない。拗ねてもしょうがないけれどもコレが現実だ。どうやら親父は朱理に本気らしく、他の女の姿は最近まったく見ない。マンションも他の女が知っていたからか、さっさと引っ越してやがるし、こんなに一人の女に執着してるところは見たことがなかった。
奉仕しても尽くさせる。女を愛でるのは客として来ている時とご褒美のセックスの時だけ。優しい言葉も態度も全て営業用……それも今じゃ客の指名はほとんど断って、経営者としてのみ店に顔を出してるらしい。
息子としては複雑だった。いつだって親父は本気の女なんて作らなかったはずだし、オレを産んだ女の話すら、未だにまともに聞いたことがない。ただ、親父に呆れて出て行ったらしいことしか知らない。その女がオレを産む事になったいきさつも、オレを親父の元に置いて出て行った理由も……
「なあ、史仁……」
「なんだよ」
「また荒んだ顔になっちまって……俺のトコに頼みに来た時はいい顔する様になってたのにな」
「……」
志奈子と住むアパートを借りにいった時の事だろう。
「本気の女に振られたって、本当なのか?」
「……ああ」
「あの時の、真面目そうな子か?」
覚えてたって言うのか?ほんの一瞬、その時自分は女とやってたくせに……
「ちょっと向こうの席に行かないか?朱理、隆也、かまわないか?」
立ち上がりながらそう断って、親父はオレを連れてさらに奥のカウンターに向かった。

「なんだよ、改まって」
「話しとこうと思ってな……お前には今まで随分と親の勝手を押しつけてきて、朱理に聞かされなければお前のことを何も知ろうともしなかったから」
こんなにも穏やかな親父の声は初めてじゃないだろうか?いつだってオレと対峙する時は小馬鹿にした様な命令口調で……オレの存在なんかこの男にとって微塵も価値がないのじゃないかと思うほどだった。ただ、時々感じる身内の気安さと、いざというときには助けてくれることだけは判っていた。ソレをオレが認めたくなかっただけで……
「お前を産んだ女のこと。朱理には少し話したんだけどな、聞くか?」
「ああ……」
普段なら聞きたくないと言って席を立っただろう。だけど、朱理が知っていてオレが知らないのも腹が立つから聞いてやることにした。オレを産んだ母親の存在……今まで聞きたくても聞けなかったし、てっきり聞いちゃいけないもの、最初から居なかったものだと思いこんでいた。
「俺は早くに親を亡くして親戚の家に世話になっていたんだけどな、高校卒業してすぐにそこを飛び出してフラフラしてた。そんな時声かけてきたのが幼馴染みの女で、そいつが大学に通うのに一人暮らししてるところへ転がり込んだんだ。見かけはすごく地味な女でな……自分の容姿に酷くコンプレックスもってた。だから俺と居てもいつもビクビクしてたよ……けど良く尽くしてくれる女でな、俺はその女を利用してるつもりだった……当時、ちょうどホストの仕事を始めて、人気が出て金も女も手に入って、俺は有頂天になってた。こんな女に固執しなくても、俺には他に幾らでもいい女が寄ってくるんだって……」
同じだった……まだ志奈子に対する自分の気持ちを認められなかった、あの頃のオレと……そんなところまで、同じだったというのか?親父とオレは。
「しばらくすると子供が出来てることが判って……その女も黙ってるもんだから、いつの間にか堕ろせないトコまできちまってな。その頃はこっちは夜の仕事、向こうは大学生活と、生活パターンも完全にすれ違ってたからな。あんまり話さなかったし、そいつのこと太ったぐらいにしか思ってなくて『痩せねえと抱いてやらねえ』とか言って……他の女抱いてた。さすがに産気づいた時は驚いたよ。おまえは早産の未熟児で産まれてくるわ、子供が生まれたところで何していいかもわかんねえわで……けど、さすがにオレも覚悟決めて籍入れてちゃんとやってくつもりでいたんだ。けど生活していく為にはホストやるしかなくて……枕営業もやってた。まあ、嫌いじゃなかったからな、そっちのほうは。だけど、その女のトコに客の一部が嫌がらせしてたの、知らなかったんだ。気付いた時にはもうどうしようもないぐらい、そいつ壊れちまってた。その客の女と寝てるとこを録音して聞かされたり、俺が帰る前に連絡してわざわざ報告したり……いかにもその女を優先してるってとこ見せつけてたわけだ。こっちは営業のつもりだったけど、そんなの女には判るはずもなくて……俺も照れくさかったし、自分の気持ちを認められなかったのもある。だからそいつにちゃんと、素直に気持ちを伝えていなかったのが仇になった。産前産後の精神的にアンバランスなところへ色々言われて、俺もそいつに構わず仕事と称して他の女と……とうとうおまえの面倒見れなくなるほど酷くなってな。イロイロあって、病院からそいつの親に連絡が回っちまったんだ。事実を知ったそいつの親にえらく責められて、その時に『実家に帰ってきてもいいが子連れは世間体が悪いからダメだ』って。俺が育てられないんなら、養子に出すか養護施設に預けろって言われた。おまえを手放すことを押し迫られて、何処にも逃げ場も、相談出来る相手もなくて……俺の事なんかとうに信用出来なくなってたからな。追いつめられて……とうとう、俺のことも、おまえのことも、まったく記憶がなくなっていた。そいつの親はその事を喜んで、娘だけ連れて実家に帰って行ったんだ。あのまま俺といても、おかしくなるだけだって……俺もおまえのことどうしようか悩んだんだけどな、俺も、親戚に引き取られる前に、少しだけ施設にいたことがあったから……あそこにはやりたくないと思ったんだ。こんな父親だけど、いないよりマシだと思ってな。けど、その後も仕事続ける為には金と女使って面倒見させるしかなかった……だから、あんまり意味なかったけどな」
通りで……母親のこと何も言ってくれなかったはずだ。忘れられちまってたんならしょうがない……オレはいなかったことにされた子だったんだ。親父も……
オレは、何も言えなかった……オレが志奈子にしていたことと、親父がオレを産んだ人にやったことの何処に変わりがある?親父みたいになりたくないと思いながらも、結局やってることは同じだったってわけだ。オレは知らず知らずに親父と同じ過ちを犯していたんだ。それなら、親父を責める権利なんてオレにはない。
「すまんな、全部俺のせいだ。その女は実家に帰った後、短大に入り直して就職したあと、親の薦めで公務員と結婚したらしい。今は幸せに暮らしているって、人づてに聞いたよ。おまえには悪いと思ったけど、忘れられちまったオレたちがのこのこと会いに行けるはずもなくてな。おまえにはずっと黙ってた。ただ、朱理に話した後、あいつが調べてきて、会いに行ってきたんだ……元気そうだった。子供にも恵まれて、おまえのこともずいぶん後に思い出したけれども、忘れてしまった手前会いには行けなかったから……ごめんて、謝って欲しいって」
オレには……謝られる資格なんて無い。親父と同じ事、しでかしてたんだから。オレを産んだ人が悪いんじゃない。親父と、オレも……相手に謝らなきゃいけないんだ。
「オレは……家族とか家庭ってどうすればいいのか判らなくてな……本当は嬉しかったんだ」
親父は、吸っていた煙草を灰皿に押しつけて視線を遠くに飛ばす。
「そいつが俺の子供を産んでくれたことも、ずっと一緒にいて母親みたいに俺の面倒見てくれたことも……だけど、そんなこと一言も口に出して言ったことがなかった。口にする前に、あいつは俺の言葉が耳に入らなくなってしまった。全部俺が悪かった、だけど……あいつが壊れていなくなって、やっぱり俺みたいな人間には家族なんてものは手に入らないんだって、罰なんだって思った。だからその後も、俺は誰と恋愛しても本気になれなかったし、いい加減に生きてきた……なのに、誰かを好きになって大事にするなんて事、俺には一生出来ないと思ってたんだけどな」
出来ちまったと言って、愛おしげに朱理のいる方に視線を向ける。親父にとって朱理がそうだったってわけか……派手に見えるけど遊んでない、我が儘に見えるけれども自分のポリシー持ってる強い奴。女だけど女にしておくのがもったいないほどイイヤツだった。それをまあ、あっさりと女にしちまった訳だ。20歳もの年齢差を越えてな。
「居場所がさ、出来て……そこにストンと納まったら、ようやくおまえのことをちゃんと見てやれるようになった。朱理はおまえの気持ちがよく判ると言って代弁してくれるしな。おまえは何も言わないけれども……」
奴の手が反対の手を伸ばして、オレの髪を微かに撫でた。親父に似ていない唯一の部分……黒いまっすぐな髪は学生時代は染めて茶色にしていたけれども、今は元の黒さに戻っている。親父は『この髪だけはおまえの母親に似たんだな』といって、そっとオレの頭を引き寄せた。親父にそんなことされてあんまりいい気はしなかったけれども、されるがままにさせていた。今、親父はオレじゃなく、オレを産んだ女を抱きしめているんだと……そう思ったから。
「朱理が心配している。おまえがオレと同じ失敗を繰り返さないかとな。いい子だったんだろ?その、志奈子ちゃんて子は」
離れた後、親父はちょっと照れくさそうに笑いながらそう聞いてきた。
「ああ……」
それ以上言葉が出なかった。親父と、こんなにたくさん話したのも初めてで、こんな優しい声を聞いたのも初めてだった。
「ちゃんと言ってやったか?」
「いや……」
「馬鹿だな、そんな所まで似るなよ?」
「……っく」
子供みたいに頭をポンポンと叩かれて、不意に何かが込み上げてきた。オレはそれを呑み込もうと必死だった。
大人になったはずだった。女の味を覚えて、一丁前に女よがらせることで満足して、一流企業に勤めたことで親離れしたと思っていた。だから、今更子供の様に泣くのは嫌だった。
「ちゃんと、言葉にして……欲しい物は欲しいと言わなきゃな?俺もこの歳まで格好付けてきて……朱理に教わったんだ」
「親父……っ」
「何もせずに失うなら、格好悪くても、惨めったらしくても、最後まで足掻けばいいんだ。俺なんか20歳近く離れたお嬢さん相手にプライドもへったくれも無いんだぞ?」
朱理の前では格好付けなくなった親父、人目も気にせず抱え込んで離さない……
「逢いに行けよ、その子に……俺と同じ思いをして歳をとるな」
情けなそうな顔を見せて親父が頭を掻く。親父も……怖かったのか?欲しがって無くす事、本気を見せることが。

オレも、もっと早くに気が付くべきだった。志奈子を手元に引き止めて、抱え込んだあの日から……もう離せない、在って当たり前の存在になっていたことを。志奈子の気持ちを優先している様で、拒否されることが怖くて口にしなかった。回りくどい言い方とやり方で取り込んでいただけなんだ。
逢いに行けるだろうか?こんなオレが……大学時代、身勝手にあいつのカラダを取り込んでいただけのオレが。今、自分の夢を叶えて前向きに歩いている志奈子に……逢ってもいいのだろうか?



〜志奈子のアパート〜
ただひたすらに志奈子のカラダに溺れていた……避妊具無しで思いっきり抱ける女。それもカラダの相性は最高で、抱けば抱くほど良くなっていく。
――――飽きない。普段は無表情なくせに、オレに責められて見せるその表情は泣きそうで何か言いたげで、声もカラダも何処までも甘かった。隔たり無くオレのモノを締め付けるそこは、イキっぱなしの時なんかもう最高に締め付けがよくて、幾ら口では嫌だと言っても、そのカラダはオレを求めてひたすら淫猥に蠢く。
彼女がピルを服用してる理由は聞かなかった。だけどオレにとっては凄くラッキーだと思っていた。いつでも、何処でも、避妊具の装着の面倒さも無しに繋がれるカラダ。いやと言っても唇を塞ぎ、舌で口内をなめ回し、首筋から指を這わせただけで容易く落ちるカラダ。毎日その中に突っ込みたくて、こっちがおかしくなるほどだった。だけど、ベタベタした恋人同士の様な関係を彼女は好まなかった。オレは適当に付き合ってる女を間に挟んだり、モデルのバイトがある時は出来るだけ夜遊びをして志奈子の部屋に行かない様に努めていた。
怖かったんだ……オレ自身が志奈子に囚われてしまいそうで。あのカラダに夢中になればなるほど、何も考えられなくなってしまって、他の女を抱いてても妙に冷めてしまう。いつか他の女で代用出来なくなってしまったらどうしよう?志奈子を失った時の怖さにオレは怯えていた。
何処が違うんだろう?幾らカラダを抱いても心まで落ちてこないことに焦れているのだろうか?それならいっそもう一度、あの媚薬を使ってやろうかと思ったんだけど……
「泉?もう居ないよ。あいつなんか変な薬使って、客の女とエッチしてる最中におかしくなって救急車で運ばれたらしいんだ」
「え……?」
ぞっとした。そんなクスリをオレは志奈子に使ったっていうのか?確かにあの時のイキ方や乱れ様は尋常じゃなかった。その後だって随分とぐったりして、いつも以上に震えて……
「まあ通常量以上を使ったらしいけど。その相手がうちの客だったから、タカさん怒っちゃってね。他にも何人か店のホストにその薬回してたらしいんだ。まさか……史仁君はもらったりしてないよね?」
「ないよ、そんなの……」
思わず否定したけれども、何もかも見透かす様なユウさんのいつも優しげな目が微妙にすがめられているのを見て、一瞬ゾクリとした。このひとは……優しいけど怖い。いい加減なことを許さない厳しさを持っている人だった。
「ならいいんだけど……女の子は大事にしてあげないとね」
にっこり笑うユウさんに後ろめたさを感じながら、オレはあの時の言葉を思い出していた。
遠回りだけど……そうだったんだ、あんな危ないモノに頼るよりも本当は、もっと志奈子の事を知るべきだったんだ。

そうは思ってもなかなか聞けるもんじゃなかった。ただ、抱いた後震える志奈子が愛しくて……あのクスリを使った時のように、もしもの事があったらと思うと怖くて、オレはセックスの後は彼女の部屋に必ず泊まるようになった。腕の中に抱きかかえて眠ることでその不安から逃れようとしていた……そう、オレは志奈子を離したくなかったんだ。
一緒に眠って、一緒にご飯を食べる。
今まで他の女とも何となくそんな関係は続けてきた。志奈子は笑わないし媚びないけれども、一緒に居る間は何も言わなくてもオレの分の飯が出てきたり、置いていった着替えがきちんと畳んであったり、オレが部屋で使っていたのと同じシャンプーが置いてあったりと、驚くほど自然にオレたちは同じ時間と場所、そして快楽を共感していた。
楽だった……一々口にしなくてもいいし、煩く何かを求めても来ない。だけどちゃんとオレの存在を認めて、オレの為の食事、オレの為の着替え、オレの為の……志奈子の部屋にはちゃんとオレの居場所が出来ていた。
安心したら一晩中盛っていなくても平気な日もあったりして、一緒にDVDを見たり、ただゴロゴロとしている日もあった。反対に何を考えてるのか判らなくて執拗に責めてみたり……だけどその頃には、オレは女と無理に付き合うのを止めていた。面倒なのもあったし、志奈子一人で十分過ぎるほど満足していたから。ただその事を彼女が知ったら、自分に執着してると思いセフレの関係を終わらせようとするのが目に見えていたので黙っていた。だから自分の部屋に戻るのは、レポートが溜まった時と、モデルのバイトで朝が早い時とかに限定されていった。他に女が居ないと、ついつい志奈子の部屋にばかり足が向く様になるのはヤバいから、そんな時はモデル仲間を誘って夜遊びをしたりもした。特に朱理はいい連れだった。恋愛感情に発展しない唯一の女だったし、一緒にいるとカップルだと勘違いして変なのが寄ってこないので楽だった。朱理も小さい頃から可愛くて、社長令嬢という立場上、周りに何かしら求められる環境に育ったせいかオレと同じように媚びてくる奴等をウザがっていたから、ちょうどよかったんだ。
「史仁と居ると楽だわ。自分からは口説いてこないし、他の男はその顔見て近付いてもこない。気楽に遊べるから凄く楽」
「それはオレも一緒。言い寄ってこないし、何かを求めても来ない……なんか双子の妹と居るみたいな気分だな」
あははと大口を開けて笑うが、分類で行くと超上級の女だ。スタイルも良ければ顔もいい。育ちの割に口が悪いけれども、金銭感覚は酷くない。さっぱりしたところがエラそうにみえて、彼女を知らない他のモデルからは敬遠されているけれども、オーナーの姪っ子で氷室コーポレーションのご令嬢と来れば誰も逆らわない。だけど意外と真面目で遊んでないいい女でもコイツに恋愛感情を抱けない最大の理由がある。
「ねえ、また試写会の招待券もらったんだけど、行く?」
「またプレミアの招待券か?よくこんなの手にはいるよな。さすがお嬢様は違うね」
「そんな言い方するんならあげない」
「なんだよ、朱理だって変な男と行けないからオレを誘うんだろ?オレと行ってヤキモチ焼かせたいんじゃないの、あいつに」
「そうよ……けど、わたしが誰と何処に出かけたって全然興味無いんだから……もう、いいの、あんな人」
高校時代、モデル仲間達がホストクラブに行ってみたいと言うので、朱理を含めた数人を親父の店に連れて行った。その時もモデルで美人の彼女は皆にちやほやされて、うんざりした顔を見せていた。彼女の場合こんなところに来なくても、お姫様扱いされて育って来ているから、今更そんな扱いされても嬉しくも何ともないらしい。特に、そういうのを嫌ってる彼女にはあまり楽しくない場所だったに違いない。その時、たまたま店に顔を見せた親父が、自分の上客の姪御でオレの同級生と知るや否や、朱理を子供扱いして、二度と来ない様に結構辛辣な言葉を浴びせた。それが反対に作用したんだ。子供扱いされることを嫌う朱理が思いっきり切れて、親父にグラスの水をぶっかけて『いつかきっと女として認めさせてやる!』とかなんとか言い切ったわけだ。
今じゃ微妙な関係らしい。今まで周りにいなかった、外見は遊んでる様でも、内面全く真面目で気の強いお嬢さんに親父も結構振り回されてるみたいで……朱理も、超オレ様で自分に媚びない年上の男に自ら挑んでるようで、やたら構ってるというか構われてるみたいだ。オレが一人暮らし始めてからは、彼女経由で親父の話を聞く様になったほどだ。まあ、まだ進展はさほどないみたいだけど、親父の対応が今までと全く違って余裕がない様に見えるのはオレだけだろうか?
今のところ唯一女として気遣わずにつきあえる貴重な女友達だ。セックスを介さない女はオレにとって滅茶苦茶貴重だった。

「今からシナコチャンのトコ?今日はあのキレイなカノジョとデートじゃないんだ」
「はぁ?」
志奈子の部屋に向かう途中、不意に彼女の部屋の隣に住んでいる大学生に話しかけられた。粘々した嫌な目つきの男だった。
「残念、オレ今からバイトなんだよなぁ。今夜はシナコチャンのイイ声聞かせてもらえないんだ?」
「おい!」
なんだコイツ?志奈子の名前を出された瞬間むかっとして、思わずその顔を睨み付けた。
「見かけに寄らないよねぇ。真面目そうな顔してるのに、あんた彼氏じゃないんだって?」
「……っく」
志奈子がそう言ったのか?オレは彼氏でも何でもないって……判ってはいたけれど、そう言われて落ち込んでる自分がいた。そりゃオレだって他の女に志奈子の事を聞かれたらカノジョだとは言わないだろうけど。
「けど、いつも凄いよねぇ……そんなにイイ?シナコチャンのカラダ」
「なんだよ、おまえっ!」
声とかは聞かれてると思ったけれども、志奈子のいい声をオカズにされているのはあまりいい気がしなかった。それに何度も何度も名前を呼びやがって!
「それじゃ……また」
最初から距離があったので、掴み掛かろうとする前にさっと身をかわされ、ニヤニヤと笑って階段を下りていく。何だ、あいつは?
変な奴だったら気を付けないといけない。あいつはきっと志奈子のカラダを変な目で見てるに違いない。だめだ、あのカラダはオレのモノなんだ、他の誰にも触れさせたくない!

「なあ、隣のヤツとなんか話したのか?」
心配になって志奈子に聞いてみた。
「それって、今度のカノジョがモデルみたいにキレイってこと?」
なんだよそれ!オレのカノジョ?そういえばさっきもそんなこと言ってたけれども、オレには今カノジョなんていない。今は志奈子だけだ。
「甲斐くんとカノジョのこと、街で見かけたって言ってたから。別に珍しくもなんともない話なのにね」
珍しくもないって、それは随分前の話だ。今のオレには……志奈子しかいない。だけど、そのことを口にするわけにはいかなかった。
「それで、志奈子はなんていったんだ?」
「別に……」
別にか……オレのカノジョなんて興味ないってわけ?そんな話をあの男としたっていうのか?
思わずカラダから力が抜けそうだった。オレはそこまで意識されてないってわけだ。こっちは隣の男が想像してるだけでもはらわたが煮えくりかえりそうになるというのに。オレはただのセフレで、女と一緒に歩いていても気にもされないってことか……もし、志奈子が他の男と親しげに話していたら、オレはきっと狂った様に責め立てるだろう。
そうなんだ……志奈子はオレがどんな女と居たって気にもしないし、責めもしない、本当にカラダだけの繋がりって訳だ。しかし、オレは最近女と歩いたりしてないぞ?精々朱理と映画行って、その後撮影の打ち合わせに行ったぐらいだぞ?それって、まさか、朱理のことか?
だったら……誤解してもらってる方がいいのだろうか?その方が志奈子は安心してオレといてくれるんじゃないだろうか?まったく嫉妬もされないっていうのは、それだけ志奈子がオレに本気じゃないって事だろう。ならばオレが本気になったり、今は他の女と付き合ってないと知られたら……ヤバいよな?たぶんセフレの関係すら止めると言い出すだろう。それは……困る!ようやく、満足できるカラダと出会えたんだ。このまま志奈子と関係を続けていきたい。志奈子と一緒に居ると、変な気を遣わなくていいし、こう……安心できるんだ。
とにかく隣の男には気を付けろと言っておいたけれども、志奈子はムッとした表情を隠さずに『誰と仲良くなったとしても自由でしょ』って返してきた。ああ、そうかよ!そうだよな、オレだってそうしてきたんだし、志奈子だってそうしたっておかしくないさ。オレが口出し出来る事じゃない。だけど、反論できないことが無性に悔しかった。あんな奴と仲良くするなって言いたい。志奈子が他の男となんて……
「くそっ!」
無性に腹が立って、料理中の志奈子を台所の床に引き倒していた。
「やぁ……っ」
反論する志奈子を無視して、コンロの火を消してそのカラダを貪った。久しぶりに服も脱がさず、下着をずらして濡れているのを確認するやいなやすぐさま繋がる。
「声、だせよ……隣のヤツに聞かせてやれよ」
隣に誰も居ないことを知っていて意地悪くそう囁く。脚を抱え込んで、深く……ひたすら深く志奈子のナカに入り込む。そうする度に志奈子の甘い声が部屋中に響く。
「……やっ……ふぅ……っん」
擦って、揺すって、床の上でもお構いなしにただひたすら突き入れて、そこが自分の居場所だと主張するかのごとく責め立てた。そしてひっくり返して後ろから責める様にしながら、隣と密着している壁際に志奈子を追い込んで、その声を目一杯引きずり出す。
「聞かせてやれよ、志奈子が俺に気持ちよくさせられてるトコ!」
「やぁあああ!」
何度も、何度も悲鳴の様な声を上げて絶頂を迎える志奈子。ベッドに連れて行っても、その怒りにも似た焦燥感がオレを突き動かしていた。

「オレは……何を……」
ベッドの上でぐったりと横たわった志奈子。その背中や肩、あちこちが擦れて赤くなっていた。場所も構わずオレが責め立てたから……その下腹部はどれほど精を注いでも命を授かることはないのに、オレの出したモノで溢れかえっていた。そう、志奈子はオレとの未来とか、望んでいない。なのに躍起になってこんなにまでして……オレがやっていることはクスリ使ってやってる事と何も変わらないじゃないか?無理矢理快感を引きずり出して、志奈子を思い通りにしているだけだ。
『知らなきゃ始まらないんじゃない?』
ユウさんに言われていたのに……オレは本当に志奈子の気持ちを知っているのだろうか?
自分の中で蜷局を巻いて激しくのたうち回るその感情が何なのか……志奈子の心以上にオレは自分の気持ちが判っていなかった。

ちょうど試験もあったので、しばらくは志奈子の部屋に行かなかった。何度かメールしようと思ったり、アパートの近くまで行ったりしたけれども、部屋まで行けなかった。ヤリたいだけなら部屋に行って志奈子を抱けばいい。彼女だって嫌がってはいないのだから……だけど、それじゃあの隣の男とどれほどの違いがある?もし、あの男のほうがいいとか言い出せば、オレは……
「きゃぁっ!」
たまたまアパートの前まで来て躊躇していた時だった。志奈子の、小さな悲鳴が聞こえた様な気がした。
まさか……不安に駆られながらも部屋の前まで行くと、ドアの前にサイフが落ちていた。何度か見たことがある、これは志奈子の……
急いで部屋のドアに手をかけると鍵がかかっている。中から隣の大学生の声がとぎれとぎれに聞こえてきた。まさか、志奈子があいつと??もし、志奈子がその男との行為を楽しんでいるだけだったら……オレは、怒れる立場じゃない。踏み込むべきか、このまま帰るべきか……
ポケットのキーホルダーにはまだ一度も使ったことのないこの部屋のスペアキーがぶら下がってる。いざという時のつもりで作ったけれど、彼女の断りもなく部屋に入り込むのはなんだかルール違反の様な気がして、志奈子の居ない部屋には一度も入ったことはなかった。
「うるせえっ、大人しくしろ!」
その声は恫喝するもので、決して志奈子の同意が感じられるモノではなかった。そうだ……違う、志奈子は誰とでも寝る様な、そんな女じゃない!
くそっ!オレは……何を見てたんだ?何を疑っていた?オレだから……オレだけにそのカラダを差し出してるんだ!それに、さっき聞こえたのは間違いなく志奈子の悲鳴だったのだから!
ガチャリと鍵を開けると飛び込んできたのは押し倒されて藻掻き、口の中に何かをつっこまれて苦しむ志奈子のぐちゃぐちゃになった泣き顔だった。
その後はもう半分記憶も意識もない。あれほど理性とか意識とかがぶっ飛んだのは初めてだった。
気が付いたらその男をボコボコに殴りつけていた。喧嘩は結構場数踏んでいたと思う。この顔で上級生に目を付けられてたこともあるし、ホスト同士のいざこざや、特に店を辞めた奴からの嫌がらせも何故かオレに回ってきたことがあったから。
だけど目を見開いて震えている志奈子を目にして一気に現実へと引き戻された。
「大丈夫か?志奈子」
必死で呼吸と、怒りに震える手を押さえながら、できるだけ優しく話しかけた。志奈子のカラダをさすってやり、抱きしめてその震えをすぐに止めてやりたかった。余程怖い思いをしたんだろう。頬も殴られたようで腫れ上がっている……クソ、こんな真似しやがって!!
「テメー失せろ!その見っとも無いモンさっさと仕舞ってここから出て行け!!二度とこんな真似しやがってみろ、ただじゃおかねーぞ!」
志奈子を抱きしめて、オレのモノだと見せつける。おまえみたいな奴に志奈子は渡さない……誰にもやらない!
脅しの言葉で追い打ちをかけると、そいつは這う様にして部屋から出て行った。
「怖かったか?何もされてないならいいんだ。けどおまえの気がすまないんだったら、もう一回アイツに制裁加えに行ってやるから」
覗き込んだ志奈子の表情はセックスの後よりも不安定で怯えていて、オレを認識した途端、しゃくり上げて泣き出してしまった。いや、泣くというより発作に近い。ひきつけて、歯を食いしばりはじめた。
一瞬どうしようかと思ったが、人工呼吸しか思いつかなかった。
唇をあわせて必死で息を吹き込み、志奈子のカラダから強張りが取れた後も、そんな彼女を離したくなくてひたすらその口内を貪っていた。

酷い状態だった……どう見てもレイプだ。引き裂かれた衣服、強く掴まれて出来た鬱血、殴られて腫れ上がった頬、打ち付けられて出来ただろう頭のコブ。この間よりも酷く擦れた背中の擦り傷。その一つ一つを確認する度に怒りが沸き上がってくる。そして同時に、自分が今までやってきたことは例え無理矢理に近い時があっても、志奈子にそこまで嫌がられてなかったんだと判る。
オレは、志奈子に受け入れられていたんだよな?
そう信じて、しがみついてくる志奈子をキツク抱きしめてキスを止めなかった。
キスの後、意識を失った様に眠る志奈子をずっと抱きしめていたかったけれども、その前に片付けておきたい事があった。

「おい、居るんだろ?出てこいよ」
隣の部屋のドアを叩いても出てこない。
「そのつもりならいいぜ、ココにいられなくしてやるだけだからな」
ガン!とドアを蹴るとその後『ひぃ』と叫び声がした。チェーンをかけたままのドアが薄く開けられたので、オレは素早く足を差し込んで、閉められない様にドアを掴んだ。
「わ、わるかった……あんなに嫌がるなんて思ってなかったんだ……あんたのこと彼氏じゃないのに、あんなすごいセックス毎晩の様にしてて……そういう女だって思ったんだよ。嫌だって言うのもプレイか何かでさ……もう、しないから!頼むよ、仕返しとかそういうのは……」
マジでオレがそっちの人間と付き合いがあると思ったらしい。まあ、全くない訳じゃないけれども……
だけど、誤解させたのはオレの責任もある。志奈子はオレのことを彼氏じゃないと言っていたし、オレが他の女と居るのを見て、志奈子とはセフレとして付き合ってるだけで、彼女がそれを判っていオレと寝ている、そういう女だと思いこんだのだ。そりゃ毎晩志奈子のアノ声を聞いてりゃ気もおかしくなるだろう。ほんと、イイ声で鳴くから……鳴かせてるのはオレだけど、その声で他の男が妄想するのは許したくない。
「あいつは……認めてねえけど、オレのだから。他の男なんか知らない、オレだけのだ。わかるか?」
そう、志奈子はオレのだ。オレの女だ。
「あ、ああ……」
「二度と志奈子にその顔を見せるな。その意味判るよな?」
「わ、わかった……わかったから、勘弁してくれ!」
少し身体を引くと、奴が急いでドアを閉め、鍵をかける音が聞こえた。

そのあと、三日間志奈子の部屋で、ひたすら志奈子を抱いていた。怯える志奈子を優しく抱擁して、不安がる彼女を強引に抱いたりもした。忘れたくて震える彼女に快楽を与え、何も考えられない様にして眠らせた。震える志奈子が必死で縋ってくるのがオレで、そのことが凄く嬉しかった。無防備に、いつもの様な戸惑いもなく、ひたすらオレを求めて喘ぐ志奈子は最高で……あの時もし、オレがこの部屋に来るのが遅かったら、ヤツがこのカラダに触れた時のことを想像しただけで悔しくて奮ぶりが納まらなかった。終わった後も子供みたいにしがみついてきて……何とも言えない気持ちで胸が締め付けられた。
オレが守る……志奈子はオレのモノだ。オレだけの……
ひたすらそのことを確認するように抱き、側にいる間はどこかしらカラダをくっつけていた様に思う。食事も、お風呂も……全部だ。さすがに食料品が底を付く前に買い出しに出たけれど。その度に隣のドアに蹴り入れてやった。次の日ぐらいから留守なのは判っていたが、三日目の朝、隣から荷物を運び出す音が聞こえて来た。三日で引っ越す準備をするとはなかなかイイ心がけだ。これ以上居座るようなら志奈子の方を引っ越させようかと考えていた所だった。
志奈子を不安がらせてはいけないと部屋にいる間は携帯の電源も切っていたが、隣がいなくなればもう大丈夫だろうと、携帯の電源を入れた。さすがに起動させたと同時にメールと不在通知が山ほど入ってきてため息が出たが、その後すぐに鳴ったのは事務所からの連絡だった。

『ちょっと、甲斐くん!あなた仕事忘れてるでしょ!今日、CMのオーディションがあるって言ってたでしょ?』
「今日って、今からかよ?」
マネージャーというか付き人の肘谷さんだった。
『そうよ、頼むから来てよ。連絡取れないのをオーナーにもバレてカンカンよ!今日、絶対に来ないと当分仕事やらないって……オーナー相当怒ってるわよ?』
怒ってるのは連絡取れなかったこと?それとも……オレが親父と朱理を会わせちゃったことか?最初は全く相手にしてなかった親父も最近はまんざらじゃないみたいだし、腹立ててただけの朱理がどうも……マジっぽいのは気が付いていた。親父に相手にされない時に遊び相手にオレを呼び出すのは止めて欲しいんだけど……最近どうやら旨くいきつつあることはユウさんから聞いていた。事務所のオーナーも元は親父のお得意様だけど、そこまで親父にご執心って訳でもなかっただろう?最近はユウさん指名してたし……それとも、子供のいない彼女が娘みたいに可愛がってる朱理を、親父みたいなホストが手練手管で絡め取ってるのが許せないとか?まあ、理由は幾らでもあるだろう。だけどこっちだって今は大事な時なんだ。志奈子が完全に落ち着くまで側に居てやりたい……いや、居なくちゃならないんだ。こいつにはオレ以外頼れる人間なんていないのだから。
『ちょっと、甲斐くん!ほんとにキャンセルするんだったら今入ってる以外、当分仕事回さないってオーナーが言ってるのよ?』
「いいよ、別に」
とりあえず今月いっぱいはそこそこ入ってたはずだ。いきなり仕事が無くなる訳じゃない。
『ちょっと本気なの??じゃあ、今日のオーディションもキャンセルでいいのね?もう、しらないわよ!ホントに』
「わかった、じゃあな、バイバイ」
別にモデルの仕事なんかどうでもいい。CMなんて柄じゃないし?けれども、今回は余程腹に据えかねてるらしい……まあ朱理のことは、悪かったと思ってる。まさかって思うだろ?普通あの年の差であの親父相手にまとまるなんて思わなかったからな。

それからもうしばらくは志奈子の側にいたけれども、さすがに次の仕事は休めないから一旦自分の部屋に戻った。もう何日も帰ってないそこはただの物置の様にも見えた。
冷蔵庫には飲み物と携帯食だけ。出掛ける前に干したままの洗濯物に、寝転がっただけで使わなかったベッド。志奈子の部屋に居る方が居心地がいい。言わなくても身の回りのことをしてくれるし、押しつけがましくもない。まるでそこにオレの居場所があるかの様に振る舞ってくれる。
今まで……オレの居場所なんてあっただろうか?誰かがオレの為に見返りなく何かしてくれて、オレの存在を認めてくれるなんて……たとえその名称がセフレでもいい。志奈子が仕方なく、ついでだから面倒見てるのでも構わない。セフレだから身体を求めても嫌がらない、だったらそれでも構わないんだ。
すぐにでも志奈子の部屋に戻りたくなった。でないと心配でしょうがない。いくら隣の男が引っ越したといっても、どうせまたすぐ別の男が越してくるだけだ。あんなセキュリティの悪いアパート、声だって隣に筒抜けだから、その男が志奈子の声を聞いて何をスルか考えただけでも腹が立ってくる。よく見ればあのアパートは志奈子以外ほとんど男だ。管理人代わりのばあさんが居るくらいで……ダメだ、ヤバい!心配しはじめるときりがなかった。すぐにでも戻りたかったけれども、しばらくは朝一からの講義と深夜までの撮影が入っていた。だけど、昼間だけは何とか時間があいたので、オレは新しい部屋を探し始めた。

大学からあまり離れてなくて、住宅街でスーパーとかコンビニが近くて歩いていける距離で、部屋の壁は防音がいい。志奈子の鳴き声を聞くのはオレだけでいいんだから……そうなると保証人が必要になってくる。家賃は……オレが全部払えば志奈子ももうちょっと生活が楽にならないか?倹約家なのは判るけど、あいつの生活には無駄とか潤いってもんが全くないからな。
しかし、高いもんだなぁ……家賃敷金礼金込みで意外といるもんだ。こんなことなら、もう少し貯金とかしておけば良かった。モデルのバイト代も気に入って購入した衣装や遊ぶお金に使っていたし、家賃を払うにしてもモデルのバイト代でギリか……これだけじゃやっていけないし、今月入ってる仕事の後、しばらくは仕事入ってないって言われてたし?
だけど、気張って防音の2LDKを借りたところで、志奈子がオレと住んでくれるかどうかが問題だ。あいつはオレのことをセフレだと思っているから……そんなオレと一緒に暮らすなんて考えられないだろう。ソレが一番の問題だった。幾ら俺が全部出したとしても、彼女がその環境を受け入れてくれるかどうか。あれほどの目に遭いながらも、オレのことを彼氏だと言わなかった志奈子だ。彼氏でもなんでもない男と住むなんて、絶対にうんと言わないだろう。
どうすれば、志奈子を安全なところに置いておけるのだろうか……
安全なところと言うのが自分の元だって、そう考えているのが無意識に彼女を取り込もうとしているのだということに、オレはまだ気付いていなかった。
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