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32
卒業、就職の準備と忙しくなる年明け。
普段からまじめにやっていたから卒論はたいして苦労はしなかった。問題は赴任校が決まらないことだった。
実は……わたしは都の採用試験を受けていない。合格率が低いこともわかっているし、都会の学校があまり好きでないというのもあったので、他県の採用試験を受けていた。たとえ合格していても、赴任校がすぐに決まるわけではない。
教員採用試験というのは、合格=採用ではなく「教員候補者名簿」にその名前が載るだけで、あとは欠員補充という形で採用が決まっていく。だから教育委員会に顔が利いたりするのは有利なのかもしれない。あと、クラブの指導が出来るというのも強みかもしれない。だけど、わたしのように習い事一つしてこず、部活やスポーツもやったことのない偏った人間には行き先は少ないのだろうか?面接の声もあまりかからなく、正式採用もなかなか決まらなかった。空きが少ない上にその県在住でもない、縁もゆかりもない人間なのだから……それに数学教師というのは男性が多いため女性では少し不利なのかもしれない。このまま4月まで赴任先が決まらない、ということもあり得るだろう。実際4月に入ってから赴任校が決まるというのもよくあるらしい。
どうしよう?このままだと何時此処を出て良いのか決められない。赴任校が決まらないことには引っ越しも出来ないし、この春からの収入手段もなければ生活していけない。このまま決まらなかったときの方が怖い。どうしても3月末までに見つからなかった場合のことを考えて、大学のゼミの教授に相談してみた。幸いなことに成績もよくまじめだったわたしは教授の受けはよかったらしく、かなり離れた県外の私立の女子高校で、4月から産休の女性数学教師の替わりを捜しているから行ってみるかと紹介して貰えた。都の私学適性検査も一応受かっていたので、適性試験を実施していない県だったけれどもそれを査定にして貰えたようだった。このまま決まらないようならば、1年間私立の教師をやって、来年もう一度公立を受け直すという手もあるのだけれども……1月末までに返事が欲しいと言われて悩んでいた。今まで自分のことで誰かに相談したことがなかった。これまで人との交わりを拒絶してきたわたしにそんな相手も居るわけもなく、ただひたすら一人で悩んでいた。

「どうしたの?元気ないわね」
「朱理さん……」
声をかけてきた彼女の顔を見るたび心が軋んだ。本当にわたしを心配してくれる優しい表情……なのにわたしは彼女を裏切っている。ずっと甲斐くんと……
年末年始は忙しそうにしていた甲斐くんだったけれども、それからは土日もあまり出掛けなくなった。たまにだけれども一緒に買い物に行こうとしてきたりして驚く。もちろん断ったけれども……だってもし誰かに見られたら?二人が付き合ってる噂は結構広がっていたし、わたしが朱理さんと仲がいいと思い声をかけてくる人もいたりしたから。
「あの、朱理さんは決まったんですか?赴任先……」
「ええ、私立のM付属女子校に」
都内の有名なお嬢様学校だ。さすがだ、彼女みたいな教師はどこの学校だって欲しがるだろう。それに比べてわたしは……
「なかなか赴任先が決まらなくて……F県の私立女子校を磯村教授に紹介してもらったんですけど、どうしたらいいかなって……」
「そんな、F県なんて遠すぎるわ!私立じゃ転勤もないし、そんな遠くに行ってどうするの?」
別に公立校でも都内ではないのだから何処でも変わらない。ただ他県になるにしても、私立校と公立校のどちらがいいか考えたら、迷わず公立校なのだけれども……
「もうすこし待てば?公立は決まるの遅いっていうし。でもA判定で合格してたら決まり損ねることはないって話しよ?」
「そう、ですよね……」
目指すは公務員だったのだから、今更目先の感情に囚われて急いで私立校を選ばなくてもいいかも知れない。それに産休代用員だとしたら前任者が復帰したらそこで契約が切れてしまう。安定したこれからの生活のために、わたしは……決めていたはずだ。
「もう少し待ってみます」
「そう、よかった!ねえ……他にも相談とかあったらしてよね?絶対だよ!」
その後は卒業式に何を着るかという話題になった。自分がモデルで関係している衣装さんのツテで作家物の着物と袴を着ることになったのだと話してくれた。
「志奈子さんのも一緒に借りておくから、一緒に着ましょうよ?」
「でも……」
そんな、作家ものっていくらぐらいするの?セットとか着付けとか高いんだよね?そんなことどうしていいのかわからないから、わたしは入学式で着たスーツを着るつもりだった。成人式は出てないし、着物なんて持ってるはずもない。
「いえ、本当にいいですから……」
そのあとの謝恩会にも出るつもりはなかった。甲斐くんと仲良さげに並ぶ二人の姿を見たくなかったし、それを賛辞する声も聞きたくなかった。ちょうど卒業式に面接日が重なり、謝恩会もどちらも出席しなかった。案の定謝恩会の夜は甲斐くんも帰ってこなかったみたいで、夜遅くに電気の消えた部屋に帰ってきて一息ついた。
これで大学に行くことももうない。あの二人が一緒に居るところも見なくていい。

その数日後、わたしの赴任先が決まった。

「月末までに、ここ出るね」
就職の準備も忙しいらしく、久々に同じテーブルで食事を取った日に、そう切り出した。
「通えないのか?ここから」
「うん、無理。だからここの解約手続きとか、甲斐くんに任せていいかな?」
「解約?」
「甲斐くんがこのまま使うんなら、その必要はないと思うけど……元々甲斐くんが契約してくれた部屋だったし」
「そうだな……じゃあ、ここにこのまま住もうかな」
ここに住む……そっか、今までもここに住んでたんだ?
「そうね、あの部屋よりこっちのほうが広いし、防音もあるものね」
女の子も連れ込み放題だよね?就職してしばらくは忙しいだろうけど……それとも、すぐに他の彼女、朱理さんでも連れてくるの?やめて……せめて、わたしの匂いが消えるまでは。
「じゃあ、このままでいいのね?わたしの荷物はもうまとめてあるの。ベッドとか家具は……向こうで揃えるから処分していくわ。運んだら引っ越し代のほうが高くつきそうだもの。2,3個の段ボールを送るだけで済みそうなの。他の置いて行くものも使うなら使って?食器とかいらないなら捨ててもらっていいから」
赴任前の挨拶に行った時に引っ越し先も決めてきた。住居手当も出るし、教頭先生に保証人になってもらって契約もスムーズにいった。築5年目のまだ新しいアパートで、ワンルームだけれども凄くお洒落。今まで出来なかった部屋をファブリックで飾ったりしてみようかしら?お給料がでたら少しずつ新しい家具と電化製品を買おう。だって、今ここにあるどの家具にも全部思い出が詰まりすぎて持っては行けないもの。台所の食器も、一つずつ持っては行けないし、全部処分した方がいいかもしれない。台所のテーブルにしたって、高校時代から机代わりに勉強とかしてきたけど、今となっては向い側に座る甲斐くんの姿を探しそうだから……全部置いて行くのがいいはずだ。ベッドだって、少しでも甲斐くんに抱かれた思い出がある。ずっとあの大きなベッドで抱かれてたから、最近ではこのベッドで寝るのは週末ぐらいだったけど、その週末も結局淋しくなって夜中に向こうのベッドに潜り込む事の方が多くなってたし。
「全部、か?」
「うん、せっかくの新生活なんだもの。一から新しくはじめようかなって……今まで何買うのだって親のお金だからと気にしてたしね。出来るだけ使いたくなくて結構切りつめてきたけど、甲斐くんのおかげで随分と節約出来たわ。また自分で稼いだお金で少しずつ買い足すつもりなの。だから、全部処分したいんだけど、甲斐くんが使うならこのまま置いて行くし、処分にお金がいるなら言って?わたし出すから……」
服も余分に買っていこう。スーツとか、こっちの方が安くていいモノたくさんあるし、でもセンスとかないから……誰かに選んで貰えたら嬉しいんだけど。
「オレが……このまま使うよ。処分とか面倒だし」
そのまま使うの?この部屋で……あのベッドで、また朱理さんや他の女の人を抱くんだ。
――――嫌だ、本当は拒否したいほど嫌だった。いっそのこと全部処分して引っ越して欲しい。だって、ここはわたしと甲斐くんだけの部屋だったから……でも家賃は全部甲斐くんが払ってくれてたんだから、全部彼の自由にしてもいいはずだ。たとえカノジョでも何でもなくても、平日だけだったけれども2年と半の間一緒に暮らした部屋だった。その間、甲斐くんは此処に誰も連れてこなかった。
もちろんわたしも。
ここは二人の部屋だって思ってたけど、甲斐くんにとっては女を抱くだけの部屋だったんだ……朱理さんをここに連れてくるの?それともまた別の抱ける女をここに住まわせる?またその時々のカノジョをここに連れ込むの?そしてあのベッドで抱くの?
でも、もうそんなことに悩まされなくてもいい。わたしは此処を出るのだから……もう二度と戻らないし、そんな話を耳にすることもなくなる。遠距離のセフレなんて聞いたこと無いものね。
「じゃあ、お願いするね」
二人黙ってしまった。元々黙っていてもそれが当たり前だったから、全然平気だったけど、これからのこと決めなきゃいけないし、わたしはたった一つだけ心に決めたことがあった。だから……


「ね、最後の日にどこか食事に行かない?」
「食事?」
「うん、引っ越しの準備しちゃうと料理とか面倒だから。どこでもいいわ、外食とかあんまりしたこと無いから、どこか……イタリアンとかフレンチとか?そういうお店ってあるんでしょ?」
「あるけど……行きたいのか?」
「うん、最後だし行ってみたいな……出来れば、連れて行ってもらえると嬉しい。わたし外食ってあんまりしたことないから、一人で行ってもどうやって注文していいかもわからないし……もちろん、わたしが奢るわ。今までのお礼に」
「い、いいけど……」
「じゃあ、引っ越しの前の日にね。台所使わなくて済むし……その日までに食料品とか整理しておくから」
甲斐くんは頷くだけで何も言わなかった。やっぱり迷惑だったかな?わたしみたいなの連れて歩くのはきっと恥ずかしいだろう。だったら……
「それでね……その日は外で待ち合わせしてもいい?買い物とかしたいから」
「ああ、いいけど」
「じゃあ、この日ね。行き先とか決まったら教えて?待ち合わせ時間とか場所はその時に決めましょう」
わたしは引っ越すその前の日に○をつけた。
あと10日、一緒にいられるのは、その間だけ……


「ああっ!もう……やぁあっ」
その日から、毎晩空くことなく抱かれ続けた。甲斐くんは週末も出かけず、外泊もせずひたすらわたしを抱き続けた。無言で……
「お願い、もう……」
「……」
「欲しいの、お願いっ!」
今までは、わたしにその言葉を言わせるために何度も耳元で意地悪く聞き返してきていたのに、今はひたすら指と舌でわたしを責め立て、追いつめ、昇らされるだけ昇らされて。与えられなくて焦れるわたしが自ら身体を起こすまで何ももらえなくて……
「甲斐くん、」
それでも自分から上に乗ったりも出来なくて、どうしていいかわからないまま泣きじゃくるしかなかった。
「やぁ……もう、指じゃ……足りないの」
甲斐くんの屹立したそのモノに手を伸ばし、以前教えられたとおり舌先で丁寧に舐め上げて、口に含んではすぼめて頭を動かした。
「んっ……はぁ……」
「くっ……」
もういいといった風情で引き離された後、ようやく熱く濡れた入り口に宛われ何度も擦りつけられた。
「ああっ……」
焦れて、体中が甲斐くんを欲しがるまで焦らされて、そして……与えられる。
「んっ……はぁああっん」
それだけで、ビクビクと膣内が収縮し、甲斐くんのモノを締め付けているのがわかる。
軽くイッてしまったあとも動いてもらえなくて、切なくて、辛くて、自ら腰を動かし擦りつけて快感を得ようとはしたなく喘いでしまう。
「あっ……ん、甲斐、くん……お願い」
わたしを見下ろす甲斐くんの表情は読めない。
「甲斐、くん……ひっぃ……ああっ!」
一瞬、眉をしかめた後、いきなり突き上げられて、身体も折りたたまれて苦しくて、でも気持ちよくて……わたしは何度も昇りつめながら甲斐くんの名を呼び続けた。他に何を口にしていいかわからなかったから。
後ろから、まるで獣の様に責め立てられたり、ベッド以外の場所でも何度も貫かれた。どこでだって、最後には気が遠くなって自分がなんて言ってるかもわからなくなるほど抱かれ続けた。

10日なんてあっという間に過ぎていった。
途中、朱理さんから呼び出されてお茶をした時に引っ越したらしばらく会えないと告げた。引っ越し先の住所を聞かれたけれども、今はわからないと誤魔化した。
「ねえ、これから学校用のスーツとか見に行くんだけれども、志奈子さんも行かない?」
「え?買い物ですか?」
「スーツとか選ばせてよ、ね?」
「え、ええ」
それは助かるかもしれない。朱理さんのセンスだと間違いないし。でも……
「あんまり高いのは買えないんだけど」
「わかってるって、いいお店しってるから」
本当に優しい……もし、朱理さんが甲斐くんの彼女じゃなかったら、甲斐くんと食事に行く時に着ていく服に合わせる靴や鞄も一緒に選んで貰ったり出来たのに。きっと、いい友達になれたはずだ。甲斐くんとわたしがセフレなんかじゃなかったら……
「あの、それとワンピースに合う靴とかも買いたいんですけど、わたし……」
「ワンピース?」
「はい、一枚だけ持ってるんですけど、一緒に履く靴とか全然持ってなくて……一つぐらい、学校用じゃないのもほしいなって」
「そ、そう!いいじゃない!志奈子さん普段の格好も地味すぎるんだもの。それじゃデートも出来ないでしょ?」
一瞬ドキッとした。デート……そうだ、甲斐くんと食事に行ったりするのはデートって言わない?いくらお礼の意味を込めてでも、何処に連れて行ってもらっても恥ずかしくない格好で行きたいし、横に並んで恥ずかしくない自分で居たい。無理があるのはわかっているけれども……彼女なら、朱理さんならどうしたらいいか知っているだろうか?
「いいわよ、まかして!」
明るく微笑む彼女を前にして、わたしは心の中で詫びた。
ごめんなさい、その日一日だけだから。もう次の日から姿すら見せない。だから……一日だけ、甲斐くんを全部わたしにください。あの部屋の中だけで抱き合う関係を終わらせるためにも。

その日、彼女に色んな物を選んでもらった。少しでも綺麗な自分で、最後に甲斐くんの隣に立ちたくて、コンタクトも買ってみた。ずっと使うのには自信がなかったから、使い捨てにしたけれども。美容院も当日の午前中に彼女のお薦めの所を予約してもらった。
「何かあるの?」
そう聞かれてもどう答えていいのやら……わたしは迷ったあげく『デート』だと答えた。
「そう……じゃあ、気合い入れなきゃね。その人は志奈子さんのお洒落したところとか見たことあるの?」
「ないと思いますけど……」
「じゃあ、驚かせちゃいましょうね」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせるのが、まるでグラビアに載っているモデルの彼女のようで、わたしはまたドキリとしなければならなかった。女性から見ても十分なほど魅力的な彼女の手をここまで患わせていいのだろうかとも思ったが、これが最後だと決めていたから。彼女に引っ越し先を教えるつもりもなかった。
ごめんなさい、こんなにも親切にしてもらってるのに。でも、ちゃんと返すから、一度だけ、ごめんなさい。
結局どれだけ買ったのだろうか?下着にバックに華奢なヒール。それから少しだけお洒落な服。ワンピースじゃ寒いと、コートも安いけれども暖かそうな白くて可愛いのを選んでくれた。ATMで、今後必要な分を残して全部下ろしてきた。甲斐くんが家賃を払ってくれた分、随分と貯金はできたのだから、感謝しなければならないだろう。その金額を言っておいたら、ちゃんとその予算内で納めてくれた。意外と節約家で買い物上手、お金持ちで綺麗なだけじゃない。彼女だったら甲斐くんを任せられるよね?こんなにいい人なんだから……
「ありがとう、朱理さん」
「いいのよ、お役に立てて嬉しいわ。彼氏の反応また聞かせてね?」
「え、まあ……」
それは言えないとわかっていて、わたしは曖昧な返事をした。


「あの、明日だけど……」
「ああ」
わたしは思い切って甲斐くんをデートに誘ってみようと思った。食事の前に映画とか、街を歩くだけでもいい。一人で歩くのは苦手だけれども、当日、朱理さんが選んでくれたアイテムと髪型で、わたしは生まれ変われるんじゃないかなって期待していた。整形するわけでもないけれども、彼女やプロの手に掛かるとわたしみたいなのでもあっという間に可愛くなれるのは、少しだけやってもらったメイクでわかっていたから。
「食事、予約とか取ってる?」
「ああ、7時から取ってるけど……なんで?」
「その……わたし、誰かと出かけるってあんまりなくて……それで、」
なんて言えばいい?デートして欲しいだなんて、おかしいよね?
「映画とか買い物とか……一緒に行って欲しいんだけど、いいかな?」
「映画?志奈子、見たい映画とかあるのか?」
「え?別に……」
普段からそんなにドラマとか映画は見ない。特に甲斐くんと暮らすようになってからは、二人でテレビを見てるのも気まずくて、言葉がとぎれるとえっちになだれ込んでしまうし?
「じゃあ、ショッピングとかにするか。駅前で、何時がいい?」
わたしは、美容院のヘアカットとメイクの終わる頃を選んで約束した。
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