HOMETOPNEXTBACK

28
教育実習は3週間。生徒達の前に立つと、わたしは大学生でも先生になる。
教師になりたくて一生懸命勉強してきたけれども、現場でのノウハウが教科書に載っているわけでもなく、ただひたすら現実に追い立てられて、ついて行くのに必死だった。
実習生の部屋も与えられ、そこでは氷室さんと絶えず顔を合わせる羽目になった。休み時間や放課後には、モデルをやっていたという彼女に興味をもった生徒達が集まってくるのを横目に、わたしは次回の授業の資料を集めたり、担当教諭に聞きに行ったりと忙しく、彼女の様子を気にする間もないほど動き回っていた。
だけど氷室さんはあれだけ生徒の相手をしていても、翌日にはちゃんと自分の準備が出来ている。母校だけあって顔見知りの教諭も多く、OGであるテニス部に顔を出したり、しょっちゅう声が掛かって忙しそうだけど楽しそうで、それでいてすべてをそつなくこなす彼女に軽い嫉妬心を感じずにはいられなかった。積極的に子供達と接点を持とうという姿勢は見習うべきだけれども、わたしに同じ真似が出来るはずもなく、ただひたすら地道にノルマをこなしていくしかなかった。

「せんせは、どうして数学専攻なの?わたし数学きらぁい」
授業中、わからない問題があったら放課後教えますと言っていたら、たまにぽろぽろと担当教師には聞けないような初歩的な質問をしてくる子がいた。わたしが女には珍しく数学専攻なので、日頃男性教諭に質問しにくい子たちが教科書片手に寄ってくる。この白川さんもそうだった。大人しくて、文系は得意だけれども理数系が苦手な子。
「そうね、計算ってきっちり答えが出るからかな。曖昧な答えなんてないし、勉強した分だけ答えられるのが数学だったから」
「そっかぁ、答えが出ないから楽しくないんだ。わたし」
「その時はわかってるとこまで戻ればいいのよ。授業と同じペースでそれが出来ればいいけど、出来なかったら家で追いつくようやればいいのよ」
「じゃあ、わたしもそこまで戻ってやればいいの?」
それだったら出来そうと、彼女はわたしの出した初歩的な問題集を眺めて安心した笑みを見せた。
わたしの側に寄ってくるのは、大人しそうな子たちばかりだった。何事にも気後れするほど自分に自信のない子たちは、氷室さんとかには恥ずかしくて声がかけられないらしい。その気持ちはわたしにもよくわかる。

「ねえ、先生はカレシいるの?」
「え?」
「だって、なんか……先生って地味だけど、いそう」
昼休みに白川さんがもう一人佐野さんというお友達をつれて実習生室に顔をだしていた。
「あ、そんな感じ!氷室先生は完璧すぎていなさそう?」
「だよね、船橋先生って、氷室先生とは正反対というか、違う意味でキレイというか、女らしい感じがする」
まさか、わたしが?キレイなんて形容詞はわたしにはありえないと思っていた。最近は氷室さんにメイクとか教えてもらって、少しは見栄えよくなってるかも知れないけれども、それはせいぜい見苦しくない程度だと思う。
「い、いないわよ」
「じゃあ、前にいた?わたし、氷室先生みたいになるのは無理だけど、船橋先生みたいに落ち着いた感じの大人の女になりたいなぁ」
わたしみたいな……?落ち着いた大人の女?中学生から見ればわたし程度でもそう感じるのだろうか?元々しっかりしていて、年相応と言うよりも上に見られがちだったけれども……
確かに、身体は甲斐くんに抱かれ始めてから変わった。あれだけ触れられれば自分の身体を意識する。一緒に暮らし始めてからは尚の事だった。何時手が伸びてくるかわからない生活の中で身体は意識すればするほど引き締まったと思う。動きだって変な座り方とか出来なくて、凄く意識していた。そういえば高校時代より体重も少し落ちたっけ……
目の前の生徒は昔のわたしのように、ぽっちゃりとした身体を伸びやかな子供っぽい仕草で動かしている。この子だってカレシが出来て、意識しはじめると少しずつ変わるはずだ。
「じゃあ、先生、今好きな人は?」
「……いるわ。でも思いは伝えられないの」
思わず正直に答えていた。まっすぐな目で見つめてくる彼女たちに嘘はつけなかったから……
「えー!どうして?」
告白すればいいのにと二人が口々に囃し立てる。
「だって、その人にはちゃんとカノジョがいるから……気持ちを伝えちゃうと側にいられなくなるでしょ?でも、言わなかったらもうしばらく側にいられるから……」
「そんな……カノジョがいる人なんて好きになってもしようがないじゃない!」
「そうだよね……でもしょうがないのよ、こればっかりは。本気で好きになっちゃうとね……あなたたちはそんな辛い恋しないように、ちゃんと思いを伝えられる相手に恋しなさいね。そうしないと本当に始まらないし終わらないから……」
不思議だな……わたしが生徒達と恋愛話をしてるなんて。一番自分から遠い話題だったのに。
「あ、あの……わたしも、好きな人、いるんだけど……」
頬を染めて白川さんが話し出す。本当に可愛い……あの頃のわたしも、このぐらい素直になれたら……ほんの3、4年前の事なのに、随分昔の事のような感覚だった。
「わたしなんかが告っても迷惑なだけだと思うんだ。だから、見てるだけでいいかなって……」
「わたしが言うのもなんだけど……もしも見てるだけじゃいられなくなったその時に告白したらいいんじゃないかな?それでうまくいったらラッキーだし、駄目だったら踏ん切りつけて次に行けばいいんだから」
「そうだよね、じゃあ、もうすこし片思いしてようっと」
「恵美ってそういうとこ開き直り早い!先生、わたしはね……」
白川さんよりももう少しだけ積極的っぽい佐野さんが自分の片思いを話し始めた。若い二人と話してると本当に自分が汚れた大人になったような気がする。そして、一緒に話してる間だけ高校時代に戻れたような気もした。

もし、始まりがあんな風じゃなかったら、どうなっていただろう?違うところで甲斐くんを好きになって、ちゃんと告白していたら……相手にもされずに終わっただろうと思う。それはそれで踏ん切りが着いてよかったかもしれない。予定通り一人で大学生活を送り、それからもずっと一人で生きていくだけだった。なのに、今はそれが出来なくてずるずる関係を続けてしまっている。
大人になるっていうのは経験を積んで、その時代を一通り通り過ぎるからこそ、『あの時〜だったら』とか『もしも〜してたら』っていうのがわかるのかな?だからこうやって忠告したりアドバイスしたり出来るようになるのだったら、恋愛のスキルゼロのまま先生になろうとしてなくてよかった。甲斐くんとわたしの関係が恋愛じゃなくて、いびつな形だって事もわかってる。間違ってるからこそこうありたいっていう正しいモノも見えてくるんだ……
そう言う意味では甲斐くんに感謝だ。誰かを大事にすることや、抱きしめられた時のぬくもりを教えてくれたから。もしこのまま教師になれたら、わたしは前よりもずっと生徒達を愛することが出来るだろうと思えた。


「お疲れ様、船橋さんもすっかり子供達に懐かれてたわね」
「ごく一部の子たちですけど。あの子たち、氷室さんに話しかけたいけど恥ずかしくって出来ないそうです」
「でもイイ子たちじゃない?こっちに寄ってくる子は煩くって……勉強の話じゃないから困ってしまうわ」
モデルの話や業界の話を聞きたい子は山ほどいる。どうやら氷室さんはそんな話をするのはあまり好きじゃないみたいだ。モデルだって親戚の関係で少しやっただけで、続けるつもりはなかったのだという。そんなとこまで甲斐くんに似てる……彼も、父親のお得意さんの関係でモデルをはじめたけれども、すぐに辞めるつもりだったと言ってたし、実際最近は全然行ってないようだし……
「でもすごいわ、こんな短い期間に生徒から恋愛相談してもらえるほど信用して貰えるなんて」
「え?まさか……お昼の、聞いてたんですか?」
「中に入るのは悪いと思ったから外にいたの。わたしに来る相談なんてどうやったらモテるかとか、オシャレのしかたとかそんなのばっかりよ。可愛いわよね、中学生の恋って。船橋さんも好きな人がいるって、きっと素敵な人なんでしょうね」
「そんな……」
それはあなたのよく知っている人です、なんて言えない。
「氷室さんこそ、彼氏いるんでしょ?」
「いるわよ?あんまり逢えないんだけどね。今のは結構本命かな?でもさ、他に女いるみたいで、どうしようもないヤツなんだけど……絶対わたしに本気にさせてみせるの」
にっこりと華やかに笑ってみせる氷室さんは自信たっぷりだった。やっぱり甲斐くんのこと言ってるんだよね?他の女って、わたしのこと?それとももっと他に?でも氷室さんほどの人だったら大事にしないなんて絶対あり得ない。
教育実習期間中でも十分にわかった。彼女は綺麗なだけでなくすごくいい人だ……性格もさっぱりしていて、好き嫌いもはっきりしているけれども意外と世話好きで……知らなきゃよかった。こんないい人だったら、今まで自分が使ってきた逃げ口上も使えなくなる。甲斐くんの視線の向こうを見ないふりしていたのに、それも出来なくなってしまう……

「そろそろ帰りましょうか?」
下校時間が来るとわたしたち実習生も帰る。わたしも模擬授業の計画表を提出するために残っていたので、テニス部に顔を出した氷室さんとちょうど同じ時間帯になった。一緒に帰らないといけないわけではないけれども、自然と駅まで一緒に歩くことが多かった。周りの視線は彼女に集中し、きっと隣にいるわたしなんてあまりにも不釣り合いで、反対の意味で目立っているに違いない。甲斐くんと歩いてもきっとこんな感じ。反対に彼女と甲斐くんなら……
「あと1週間よね。明日あさってと休養したら週明けから大変よね……あ、ちょっと失礼……彼からだわ」
不意にサイレントモードにしていた彼女のケータイがポケットで震えた。
「あ、甲斐?……ううん、まだ学校よ。え?迎えに来たって……駅前?わかったわ、もうすぐ着くから」
ドキッとした。甲斐って……迎えにきたんだ。わたしが一緒なの知ってて……甲斐くん。
「ごめん、彼ったら今日は時間出来たみたいで。駅まで来てるんだって。よかったら船橋さんも送りましょうか?」
「い、いえ!そんな……いいです、早く行ってあげてください。わたし、そこの本屋に寄りたかったし」
「そう?ごめんなさいね。ゆっくり話したかったのに、いつも船橋さん先に帰っちゃうから……またゆっくり一緒にお茶でもしましょうね」
華やかな笑顔を残して彼女は駆け出す。その先には、あの真っ黒な車……嬉しそうに助手席に乗り込んだところまで見えた。彼女が運転席に身を乗り出しキスするところも……遠目だけどそのシルエットだけが見えた様な気がした。
「敵わないな……」
改めて打ちのめされていれば世話がない。わかっていたことなのに……


その日から週末だったので、甲斐くんは部屋に帰ってこなかった。そうでなくてもセックス出来ないセフレなんて意味がないというように、実習が始まってからはほとんどこの部屋に顔を見せていない。たまに昼間戻ってきてるのは洗濯物でわかったけれども、わたしが戻る頃にはもういない。その方が集中出来ていいと思っていたけれども、ああやって本命といる現場を見てしまうと、実習で疲れた身体と心は限界まで落ち込んでしまう。一人だから食事を作る気力も無くなり、早々にベッドにはいるけれども眠れず、思わずこぼれ落ちそうになる涙……でも、泣いてる暇はないと何度も自分に言い聞かせてその涙を飲み込む。わかっていたこと、覚悟していたことと言い聞かせる。だけど眠れない夜は明けず、部屋を出て甲斐くんのダブルベットに潜り込み自分を慰めてしまった。
「甲斐くん……甲斐くん……」
甲斐くんの匂いを嗅ぎながら、甲斐くんの温もりを思い出し、指使いを真似て自分の身体を慰め、快感を引き出しておかしくなるぐらいその行為に耽った。今頃、彼女のあの美しい身体に触れて、わたしを抱く時のように優しく激しくあの情熱を注ぎ込もうとしてるのかと考えると……
「いや、いや……甲斐くん」
わたしを見て欲しい。わたしを抱いて欲しい……身体だけでもいいから、この冷えた心と体を温めて欲しい。
愛されてなくてもいいから……彼女を抱かない日だけでもいいから、だから!
「あぁぁっ!!!」
はしたなく自慰で上り詰めた身体は急速に冷えていく。だけど疲れ果てたわたしの身体はようやく眠りに着くことが出来た。
BACK   HOME   TOP   NEXT

気に入ったら押してやってください。投票していただけると励みになります。

 
ネット小説ランキング>【年齢制限】部門>せ・ふ・れに投票

 

Photo material By