2.おでぶの憂鬱 1

「やだ、細井さん。そんなとこに突っ立ってないでくださいよ。ただでさえかさが高いんですから!」
 じっとトイレの鏡の前でため息をついていたら、同じ営業事務の皆川さんが入ってきた。同じといっても彼女は二班担当で、わたしは一班担当だ。
 彼女は皆川百合子、みんなからは『ゆりちゃん』って呼ばれている。アイラインばっちりのどっちかっていうと作った顔っぽいのがもったいないと思ってしまう。社員旅行ですっぴんを見たことがあるけど、可愛い目もとしてるんだもの。スタイルも良くて、隣に並ぶのが嫌になるほどすらっとした細い骨格。制服のスカートとベストの丈を詰めて可愛く着こなしているのを見てると、時々羨ましくなるけど……
「ごめんね、すぐにどくから」
「もう、いくら鏡見たって変わらないでしょ? どいてよ、早くお化粧直してランチ行くんだから!」
 一応わたしの方が先輩なんだけどね。何が気にくわないのか誰もいないところでは言いたい放題だ。これで側に男性社員がいようものならまったく態度が違うんだけど。言い返さないから余計なのかな? とにかく同じ職場で争うつもりはないから、できるだけ黙ってるのが現状。
「今日は篠崎チーフがご馳走してくださるんですって。細井さんは……たまにはお昼、抜いたらどうですか? ちょっとは痩せるかもしれませんよ」
「そ、そうね……」
 それが出来るんならとっくに抜いてる。でも、そんなことしたら午後から仕事にならないからやらないだけ。できるだけ外食は避けてお弁当を作るようにしているんだけどなぁ……
「篠崎さんには夕食も誘われてるんですよねぇ。どうしようかなぁ、藤野くんや三崎さんにもご飯しようってずっと言われててぇ」
 他に女性社員が少ないので、こんな話ができるのはわたしだけなんだろうけど……誘われたことのないわたしに相談されても困る。たぶん自慢したいだけなんだろうけど。その割には誰か特定の人と付き合うことはまだしていないみたい。
 噂では常務の姪御さんでどうやら縁故採用らしい。仕事が出来る出来ないにかかわらず営業部に在籍しているのは、ここに仕事の出来る男が集まっているからで、常務の御眼鏡にかなう相手を探しているともっぱらの噂だ。それは別に構わないんだけど、もう少し仕事して欲しいのが本音だ。忙しい営業部で仕事が滞れば他に影響してくるからで……大抵その穴埋めをわたしがしなきゃならない。
 うちの会社の営業部は二班に分かれていて、各チーフは係長扱いになる。その総まとめが一班で、うちのチーフは課長補佐扱いだ。必然的に総合的な事務のまとめも一班のわたしの仕事になるんだけど……彼女が気にするのは仕事のことではなく他のところにありすぎて、時々困ってしまうことが多い。
 今のところ狙いは篠崎さんっぽいんだけど、彼は30代半ばの独身でちょっと遊び人の噂がある。他にも色々と誘われてるようなので、今のところ品定め中って感じだろうか? とにかく彼女の周りは男性社員が集まって……毎日が楽しそうだ。 
 それに比べてわたしは仕事一本槍で、彼女の引き立て役どころか他の男性社員の恋愛対象にもはいってなさそうだった。こんな体型のわたしに、この先カレシができるなんてことずっとありえないかもしれない。友達は『運命の相手が必ずいるよ』って言ってくれるけれど、25年間出会ってもないし、その兆しも見えないようじゃ一生自分に運命の順番が回ってくることはなさそうだ。たまに社内コンパに参加したりするけれど、お笑い要員になるしかない。誰かを紹介してもらうとかいうのも、大抵体型でパスされちゃうからね。

 学生時代はよかった。ひたすらバレーに打ち込んで、それだけで日が暮れた。高校大学と女子高が続いて、学生生活で男の人を意識することはなかった。就職してからもひたすら仕事に打ち込んできたけど……同期の間では誰と付き合ってるとか、結婚退職するといった話題がだんだん多くなってくる。
 だけどわたしは恋愛に興味がないっという態度で通してきた。だって、誰にも相手にされてないってわかるから、今さら恋愛? って思ってしまう。
 もし、誰かを好きになったなんて口にしようものなら……きっと笑いモノになってしまうだろう。このまま一生誰かに愛されることなく終わってしまうのは目に見えている。だけどそのほうがいい……だって、こんなに太った醜い身体を誰に見せろっていうの? この体型で恋愛なんて夢のまた夢だ。仮にもしわたしみたいなおでぶを好きになってくれる奇特な人がいたとしても、その人と付き合って当然のごとくえっちの場面が来た時に、自分の体型を晒すなんてこと、怖くてとても出来やしない! 絶対に無理なんだから!! 
 恋愛は諦めているけれど、努力してこなかった訳じゃない。なんとか痩せて人生変えようと、今までに何度もダイエットにチャレンジしては失敗しまくってきた。
 誰かが痩せたというダイエットは大抵試した。単品ダイエットにサプリメントも数々飲んだ。そして水飲みダイエットも……だけど単品ダイエットは身体が冷えるし、サプリメントも胃が荒れてだんだん飲めなくなってしまう。水飲みダイエットも元々浮腫みやすい体質なのに、運動しなくなったせいで汗が出にくくなっているのを無視して飲み続けて……ちゃんと水分が捌けなくて浮腫みまくり身体を壊しかけてやめてしまった。
 どんなダイエットも結局最後には空腹に耐えきれず……食べた。頑張っても我慢しても、貧血と低血糖を起こして倒れそうになるから、何をやっても続かない。細い人と違ってはじめると急激に体重が減るから、嬉しくてつい頑張ってしまうけれど、すぐに体重は落ちなくなる。そして落ちた体力を戻すために食べまくって……その度にリバウンドして余計に太ってしまって現在に至る。
 最近は前より太ったせいで下半身の冷えも酷くなったし、身体もだるくて疲れやすくなったみたいだ。学生時代に培った筋肉も姿形無いし……ここのところ集中力も落ちてきたし肌艶だってよくない。年齢だって下手したら10歳ぐらい老けてみられる。この間も小学生に『オバサン』と呼ばれてしまった。仕事するには見苦しくない程度に整えてはいるけれども、オシャレも中途半端で……これじゃ本当に救いようがない。

 でもね、どんなに諦めてても全く恋しないって訳じゃない。こんなわたしでも人並に恋もする。昔はドラマの主人公やマンガのヒーローでよかったんだけど、現実に素敵な人が側にいたら好きにならずにはいられない……
 でも期待してるわけでもないし、告白して付き合いたいとか、どうこうなりたいってわけじゃないのだ。まるでアイドルやドラマのヒーローに恋するように、ブラウン管のこちらから見てる恋のように想うだけ。それで十分満足出来るし、優しい微笑みを向けて貰えようものなら、それがとても嬉しい。こんな体型のわたしでも嫌われてないのならそれだけで十分なのだ。
 だけど、その相手が誰かなんて事は一生口が裂けても言えないと思う。もし誰かに伝わろうもんなら明日から会社に行けなくなってしまうだろうから。だって、片思いの相手は会社の同僚で同じ課内の人だから……毎日声も聞けるし話かけられることもある。まるで夢のような地獄だ。だってテレビの中の存在なら、いくら声を上げて好きと言っても、それがわたしみたいなおでぶだってわからないけれど、実在の憧れの人には毎日この姿を晒しているという地獄のような試練が待っているのだから。
 ある程度開き直ってはいるけれど、入社当時はここまで酷くなかった。なのにこの5年間で+20kg。女としてパスされるのは100%わかってるから、せめて人間としてはパスされないよう、仕事だけでも一生懸命頑張ってきた。真面目にきちんと仕事をしていればちゃんと認められたし評価もされた。だから、可愛い子とはまったく扱いが違っても、廊下ですれ違うときにぼそぼそと言われても、食事や飲み会に誘って貰えなくても平気だった。
 だから頑張れる。だから人を好きにもなれる……
 でも、このままじゃ駄目だよね? 制服がパンクしちゃうよ! どうしようと悩みまくるわたしに、だめ押しするほどの現実が目の前に突きつけられた。


「うげ……」
 数人で映った社員研修旅行中のスナップ写真。そこに写っているのは巨大化したわたしだった……
 脳内ではもうちょっと細かったんだけど?? すっごく太って写ってる?? おまけに……あれだけ一緒の写真には映らないようにと避けていたのに、私の隣に映っているのは憧れの同期社員の本城さんだ。たまたま彼たちを写しているその横を、移動していたわたしが写り込んだだけみたいだけで焦点は合ってないけれども、並んで写したように見えてしまう最悪な写り方だ……
 そう、わたしが密かに憧れているこっそり好きな人は、この写真に写っている同期の本城俊也さんだ。優しい笑顔そのままに本当に優しい人だ。ただ、背がそんなに高くなくて細身で細腰な人だから、わたしと並ぶとサイアクになる。彼のほうが、もうマッチ棒かというほど華奢に見える。この写真だって……これは視覚マジックか何か??
 み、見せられない……この写真は誰にも見られたくない! 特に本城さんには絶対に嫌だ!!
 もちろん本城さんは、女性も男性も太っているからとか、肉体的欠陥や見た目で判断したり差別したり馬鹿にしたりしない人だ。たとえこんな体型のわたしにだってちゃんと女性扱いしてくれる貴重な人。もちろんそれはわたしに好意があるからとかじゃないのもわかってる。彼は生まれつきのフェミニストなんだ。たぶんそう育てられてきたんじゃないかな? 誰にでも平等に優しい笑顔を向けてくれる。その微笑みを向けてもらえただけで、その日は一日幸せな気分になれるのだから。

 身の程知らずな片想いなのはよくわかってるつもり。だけど、昔から細くって華奢なタイプの人が好きっていうか憧れるのだ。わたしは小さい頃からクラスで一番背が高くってがっしりしてたから、余計に憧れてしまったのかもしれない。
 鑑賞するだけなら芸能人の方がいいんだけど、近くにこんな素敵な人がいたら、これはもうしょうがないと思う。だって、実際にソフトで繊細なふんわりした声で話かけてもらえたり、仕事を手伝うと『ありがとう』と優しい笑顔を向けてもらえてたりするなんて……天国だ。これは一緒に仕事してるからこそで、思わず見惚れてしまうことも度々。ただの憧れで置いておけばいいのに、いつの間にか恋心は満載。片想いで苦しくて切なくなれば痩せるかもしれないのに、どうせ無理だと思うと余計に食欲が湧いてくる。
 サイアクだよ……恋して太ってちゃ意味ないよね?
 とにかく、わたしなんか相手にされるわけ無いってことは自分が一番よくわかってる。だからいつも恋心が溢れないように、必死で同じ社員として尊敬と憧れの範囲内で感情を処理してるつもり。おでぶが本気で恋しても辛いだけだからね……その辺りはわきまえている。
 もし伝えたとしても優しい本城さんは迷惑するだけだろうし、それを誰かに知られようもんなら身の程知らずと蔑まれ、酷い言葉で馬鹿にされるだけだ。
 おでぶの恋ゴコロの行く末なんて、見えちゃってるんだから……

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