月がほほえむから
〜番外編〜

君は僕のお日様だから


いつからだったんだろう?彼女を愛しいと思うようになったのは...


いつもの母の気まぐれで同居が始まった。大学生の女の子だというので、まあ、すぐに出て行くだろうと思っていた。
田辺日向子、20歳の女の子。
前にうちに居た椎奈ちゃんと違って、10歳以上離れている彼女は、まだ見た目も幼く、化粧っけのない顔はまるで高校生のように見えた。三つ編みに黒い縁の眼鏡、すすけた服はトレーナーとジーンズ。火事でアパートを追い出された苦学生。僕の出た大学の法学部に在籍しているらしかった。
一瞬焦ったが、あまりにも色気ゼロなので安心してしまったほどだ。
なのに、料理も家事も何もかも、まともにこなしていく。圭太の寂しい気持ちを読むかのように接してくれて...
すぐに見直した。彼女も母子家庭で苦労してるんだと知ってからは、何にでも一生懸命なのがほほえましくて、つい、つい目がいってしまう。明るくて、しっかりしていて、そのくせ無邪気で無防備で...
娘と言うには大きすぎるし、女と意識するほどでもなかったはずだった。
なのに、郁太郎が...幼馴染みであり、親友でもあるヤツが『日向子ちゃん、可愛いよなぁ。』などと言いだした。こんな子どもを?と思ったが、思いの外マジならしく、郁太郎は結婚まで口にしていた。
まあ、本気ならと応援を約束した。郁太郎は僕の死んだ妻を長い間思ってくれていて、それが原因で結婚生活がうまくいかなかったは判っていたから...
前の奥さんも情の深い女性だったのに、妻の菜々子が出産で体調を崩してるのを案じて、うちに出入りしてる間に出て行かれてしまったらしい。郁太郎もなかなか言い出さなかったが、発覚したあと、いくら探し出してやり直せと言っても意地を張って聞こうとしなかった。また以前のようにうちに入り浸り、圭太の相手をしていた郁太郎だったからだ。その翌年の春に、菜々子が天に帰ってからというものの、僕らの間には女性は存在しなかった。身重の椎奈ちゃんが住み込んだときも、気にはしていたが、出産もあって、郁太郎はそう構っては来なかった。ただ、女の好みは似ているのは判っていた。だが、あいつは気がついていないんだ。本当にあいつを判ってくれる女性が誰なのかを...
だけど、郁太郎が好きならば応援してやろうと、あの時のは本当に心からそう思っていた。
だから、いくら一緒に住んでいても、親友が惚れた女に馴れ馴れしくするわけにはいかず、ひたすら丁寧な口調で彼女とは接触を避けていた。だけど日向子さんは本当にいい子で、息子の圭太もすっかり懐いてしまっていて無視するわけにもいかなかった。年末に実家から帰ってきた時なんか、髪型や雰囲気がずいぶんと変わっていたのには驚いた。そして、僕を見つめる素直な視線が...怖かった。
ただの好意なんだろうけれども、あまりにも真っ直ぐで...聞けば父親をあまり知らないらしく、その面影を自分に重ねているのだと、思っていた。いや、思いこもうとしていた。
だけど...
郁太郎に誘われると途端に泣きそうな目で僕に助けを求めてくる。その視線がだんだんと熱っぽくなって、訴えてくるんだ。
『わたしを郁太郎さんの所へ行かせないで!』って...
彼女が郁太郎と出かけるのを嫌がってるのを見ると安心する。そのくせ、強引に送り出す自分が居た。同じバツイチでも、コブ付の僕よりも郁太郎の方がよほど幸せになれるはずだと、そう思っていた。彼女にお礼の意味で洋服を買ったときだって、彼女はその服を圭太のために着たいと言った。家族になりたいと...それは母親の居ない圭太に同情しているだけだと決めつけて、駄目だときつく言ったときの彼女の泣き顔が頭から離れなかった。
      笑っていて欲しい。菜々子とは違って、明るく、弾けるように笑う健康的な日向子さん。名前のごとく太陽の光が似合う娘なんだから...
彼女が居ると家の中も明るく、おもいっきり愛しても壊れない強さを持っているんだろう、と思った。
だが...彼女を思ってるのは郁太郎だ。再び郁太郎を不幸には出来ない。ヤツには幸せになって欲しいんだ。
夜中に帰ってきた彼女の頬をぶったとき、手よりも胸が痛んだ。彼女の目は僕に向いているのが判っていたのに、僕はひたすら拒否していたから...
だからこそ、同じ屋根の下がこれほど辛いなんて...避けようとして避けれるものでもない。どこに居ても彼女の笑顔が見えるし、可愛らしい笑い声も聞こえてくる。食事やお風呂を促すときに「宗佑さん」と僕の名前を呼ぶ。それすら、幸せであって、辛いモノだった。

欲しい...
彼女をずっと側に置いておきたい。誰にも渡したくない。郁太郎にだって...そう思ってしまってからは地獄だった。同じ部屋で寝たいなどと圭太がだだをこねて、その通りにしてくる彼女が恨めしかった。寝れるはずがないでしょう?こんなにも意識している自分がいるのに...ポーカーフェースで隠してはいるけれども、いつまで持つか...彼女が試験に受かって出て行くまでだろうか?落ちたら?そんなに簡単な試験じゃないのは判っている。ただ、彼女の所属するゼミは多くの合格者を出すので有名なゼミで、よほど優秀じゃないと教授が取らないので有名なのは僕も在学中から知っていた。


見事に合格したあの日、友人の家に泊まると聞いていたのに、その友人の畑野さんって女性から店に電話があった。『田辺さんが酔っぱらってしまって、連れて帰れないので迎えに来て欲しい』と。
なぜだか安心して、嬉々として迎えに行く自分が居た。郁太郎でもない、他の男の所でもない、自分の所に連れ帰ることの出来る安心感。
酔っぱらって寝ぼけてる彼女に、思わず『合格祝いは何がいいですか?』と聞いたあの夜。
『キスがいい...』
そう言われてしまい、思わずそれは無理ですと口ごもってしまった。
いくら何でも親友の彼女にそれは出来ない。
『夢の中だけでいいの...ファーストキスは郁太郎さんに奪われちゃったけど、ほんとうは、宗佑さんにしてほしかったもん。最初ぐらい、好きな人がよかったのに...』
それを聞いて、郁太郎が日向子さんにキスしたのだと知った。
その時湧き出た猛烈な嫉妬心。自分の中にこれほどまでも強い思いが隠れていたのも知らなかった。
『あたしみたいな子供相手にされないって判ってるんだ。郁太郎さんがああやって本気で言ってくれる分期待しちゃって...だから、夢の中だけ...キスして欲しいんだもん。』
泣きながら訴える彼女を必死でなだめる。
『日向子さん、泣かないで...』
『一度でいいの...それでもう、忘れる...郁太郎さんの物になるから...』
郁太郎のモノになる?いやだ、今抱き留めている柔らかな身体を、郁太郎が触れるのもいやだ...その思いを押し殺して聞き返す。
『.....日向子さんはそれでいいの?』
『だって、宗佑さんはその方がいいんでしょ?あたしみたいなのほっといてくれてもよかったのに、優しすぎるんだもん...あたし、ずっと今のままでいたかった。だけど、もう駄目なんだよね?あたしここ出て行かなきゃ...』
そうだね、そうし向けたのは僕だ。だけど、
『出て行かなくていい、居たいだけ居ればいい...』
『無理だよ...郁太郎さんを選んでも、選ばなくっても、もうここにいられないよ...だから、もうすぐ居なくなるから、だから...最後のお願い...夢の中でぐらい叶えさせて...』
最後のお願い...その可愛らしいお願いに僕が逆らえるわけがない。
おでこに、まぶたに、頬に…
『これは夢だから...』
そう言ってそのまま唇を重ねた。
『うれしい...合格したことよりも、もっと...』
そう言って意識を失った日向子さん。
あの時、もう答えは出ていたのかもしれない。


それ以来、郁太郎と出かけなくてもいいように口出しするようになった。
あからさまだったかもしれないが、日向子さんの表情がぱぁっと明るくなるのが判る。
なのに...圭太の前でキスしただの、結婚するんだと言い出して...もともとそう言うヤツだったんだが、日向子さんが嫌がっているのが、今はよくわかる。だから余計に日向子さんを庇うと...
「ちぇっ、宗佑冷てえな、それが長年の付き合いのおれにする仕打ちかよ?しれっとしやがって、何考えてんだよ...」
郁太郎の顔色が変わっている。気付かれたかもしれない、僕の気持ちに...
「別に、僕は...」
「日向子が来てから、ヤケに丁寧な言葉ばっかり使いやがって、それで一線引いてるつもりならいいけどな。」
「郁太郎っ...」
挑戦的な物言いに、僕は思わず本心を吐露しそうになる。
僕だって、日向子さんが好きなんだ。渡したくない、郁太郎には、と...
だけど正面切って言えない自分が居た。



なぜなら、最初に菜々子と付き合っていたのは郁太郎だったから...
   

         

宗佑が屋根裏にやって来てしまいました。まだまだ当分は年齢制限なしです(笑)
さて、連続更新できますように、頑張ります〜