8.
 
あの時ベランダでの話を工藤は聞いていたんだろうか?
二人が仲いいのは知ってるけど、なんだか言葉も交わさずにベランダにいるのが不自然に見えた。けれどもこの間みたいに3人でいるのもなんだか、と思えた。だって...あたしが土屋と付き合ってるように見えたって、そう言われたことが少しショックだった。あたしのことを土屋に頼んだのは工藤で、実際土屋にに頼り切らなきゃまともに通学も出来なかったんだからしょうがないのに?って、ばかみたい。あたしが誰と付き合おうと工藤には関係ないのに...昨日不意に浮かんできた涙が蘇りそうになる。
あたしに出来るのは、時々こうして親友の特権であいつの寝顔や、朝の寝ぼけた顔をかいま見るだけ...カノジョなら、幾度となく同じ夜を過ごして同じ朝を迎え、あいつの腕のぬくもりを独占することが出来るのに...あたしは何度か親友として抱きしめてもらっただけ。なのになんでこんなにからだが覚えてるんだろう?近づくだけでなぜこんなに辛くなるんだろう?
こんな朝を迎えてしまったから、余計にそう思えてしまう。
 
 
数時間後、土屋の運転する車は高速を走っていた。
帰りは二人だけ、あたしは助手席で何を話していいか迷っていた。
毎日一緒に電車に乗ってるときはあれほど話が弾んでいたのに...
「椎奈、眠かったら寝てもいいよ。僕も無理だったらパーキングで仮眠取るから。」
昨日のお酒と睡眠不足もたたってあたしはいつの間にかうとうとしかけていたみたいだった。なんかお酒飲んだ次の日って一日眠い感じ。
「え、でも...横で寝たら余計眠くなるんでしょ?」
行きがけに、うつらとしかけて工藤に寝るなと散々言われては起こされ、なんか話しろって強制されてたので、絶対寝ちゃだめって思って必死で目を開けていたんだけど。
「だって椎奈の目、もう開けてるの限界みたいだからね。無理しなくていいよ。ちゃんと送り届けてあげるよ。」
そういわれてあたしは素直に寝入ってしまった。
 
夢を見ていた。
誰かが何か囁いてる。『好きだよ』って...ああ、こんな風にあいつが言うはずないのに、なぜか工藤の顔が思い浮かぶ。頬に触れるなにか...優しい手で包まれてるような...えっ?
「やっ!」
夢と現実の狭間で、近づいた影を感じたとたんそれは工藤じゃなくて岡本くんの影に変わっていた。あたしはいきなり目を覚まして、激しく動悸を打つ胸に息を詰まらせそうになった。
「ご、ごめん、椎奈...」
「つ、土屋...?」
呼吸がおかしくなり出す前にゆっくりと息を吐き続けた。
「大丈夫?いきなり起こしちゃったかな。発作でてない?」
「ん、もう、大丈夫...」
差し出されたミルクティをゆっくりと口にする。
「椎奈の...あんまり気持ちよさそうに寝てるその顔が可愛くてね...」
か、可愛い??あたしが?
「土屋、なに、寝ぼけてる...のはあたしの方だよね...ここは?」
「パーキングエリアだよ。少し眠くなったからコーヒーでも飲もうかと思って...椎奈の分も買ってきたから起こそうとしたんだけど...」
まだ少しからだが震えていた。起き抜けに驚いたままの状態で、頭も身体も付いてこない。
「椎奈、今あいつのこと思い出した?」
「....」
「僕が触れた瞬間、椎奈おかしくなったから。」
「うん...ごめん。夢見てたみたいで、ごっちゃになっちゃった。」
そうと答えた土屋はしばらく下を向いて自分の缶コーヒーをじっと見つめていた。あたしはミルクティを飲みながら黙り込んでいた。
「椎奈はさ、好きな奴いないの?」
「え?」
「椎奈はもしかしたら圭司のこと好きなのかと思ってたよ。」
いきなりの質問に余計に頭が固まってしまった。
「な、なに言ってるの?工藤は友達だよ、それにあんな女ったらし!あたしは...」
「椎奈と圭司はほんとに仲がよかっただろ?僕なんか入り込めないくらいにぽんぽん言い合って、すごく気があって、1年の頃は二人が付き合うと思ってた。」
「まさか...」
「ああ、あのころ圭司には中学から付き合ってたカノジョがいたけどね。けど向こうも別の高校に入ったとたん色々申し込まれるぐらい可愛い子だったらしくって、すぐに別れたみたいだったし。なのに圭司の奴全然落ち込んでないし、椎奈と楽しそうだったから、てっきり好きあってるのかと思ってたんだ。」
「そんな...そりゃあたし達気があってたけど、あの時は苑子が...」
「そうだったね。いきなり宮下さんと付き合いだしたから驚いたよ。でも僕はすごく安心したんだ。丁度あのころ、他に申し込まれて女の子と付き合ってたしね。だけど宮下さん、最後にはもめたんだろ?椎奈と。」
「もめたっていうか...苑子がえらく勘違いして...」
「まあね、勘違いするほど椎奈と圭司は仲良かったからな。二人ともすごく似てるんだよ。考え方がまっすぐで、負けん気が強くって、絶えず前向いてる。すごくいいパワー持ってるのが二人一緒になると何倍もにふくらんで回り巻き込んでやる気を起こさせるんだ。僕はどちらかって言うとどっちでもいいやって思う方だったんだけど、見事に巻き込まれた口だしね。だから椎奈はすごく明るくて頼りになっていい子だけど、全然女っぽくなくって、そう言った男と女の関係って奥手だって思った。」
「その通りだね。あたしって色気のかけらもないから、全然もてなかったよ。」
「それは圭司が側にいたからだよ。夏祭りで一緒にいるとこ岡本に見られて、後で椎奈と付き合ってるのかって聞かれて...僕は正直に違うよって答えたんだ。そしたら間に入って紹介しろってうるさかった。だけど僕はやんわりと断って逃げてたんだ。ちょうど圭司もカノジョが大学に帰っちゃって椎奈とべったりだっただろ?だから大丈夫だろうって思ってたら、圭司にまで聞きに行ったみたいだね。それで圭司も椎奈の邪魔しちゃいけないって少し距離を置いたんだ。そしたら椎奈、岡本と付き合いだしたから焦ったよ...」
「え、でも付き合うっていっても友達としてだよ?」
「男がそんなことまともに取らないよ。あいつがあんなに思いこんでるなんて僕も全然気が付いてなかったけど...あいつあの後言ったんだ。『椎奈が自分の方向いてくれないのは判ってた。でもみすみす工藤のモノになるのを見るのが嫌だった』んだってさ。工藤が手が早いのは十分噂になってただろ?椎奈を取られたって思いこんでたらしい。その...椎奈は圭司と出来てるっていうか、ヤッタと思いこんであんなことを...」
そうだったんだ...どっちにしてもあたしが優柔不断だったから彼を傷つけてしまったのは間違いない事実だし、その代償が過呼吸だったり男性恐怖症だったとしても、それは自分で蒔いた種なんだからしかたがないことなんだ。
「もう、岡本くんのことは何とも思ってないよ。憎んでるわけでもない、ただ、怖いだけ...あん、な、こと、されるって思わなかったから...だから、男の人が怖いのは、急に怖い顔になって、むちゃくちゃされるんじゃないかなって考えてしまって、怖いだけ...離れてれば平気だし、仲間はちゃんと信じられるから。」
「あの時まで僕は自分の気持ちにちゃんと気が付いてなかったんだ。けど気が付いたよ、僕は椎奈が好きだ。すごく大切な存在で、守りたいって思ってる。傷の癒えていない椎奈に無理強いしたくなくて、ずっと黙っていた。」
「つ、土屋?」
「だから、もっと僕に甘えて欲しい。気を使わないでいて欲しい。圭司のことも友達だというんなら、これからもずっとそう言うことにしておいて欲しい。」
「え?何言ってるの...」
もしかして気が付いてる?そんなこと無いはず。工藤は親友、あたしの気持ちは誰も知らない。あたしの胸の中だけの感情。認めてしまったらあたしは、もう引き返せなくなる...
「僕はこれからも椎奈といたいと思ってる。でもいつまでも友達同士じゃなくて、その先に進みたいって思ってる。最初は圭司に言われてたのもあったよ。でも、あの時の椎奈はすごくか弱くて、僕は守ってあげたいって思ってた。だから頼まれて、その大義名分が出来たみたいですごく嬉しかった。一緒に通い出して、僕には安心してくれて...あの痴漢騒ぎの後、絶対に僕が守るって誓ったんだ。誰にも椎奈のこと言わずに、僕だけが...だけど、いつも椎奈は僕に気をつかって、圭司といる時みたいに思ってることを言ってぶつけてくれないのが寂しかったよ。そうしたら急にもう一緒に帰らないって言い出すし、後期からは車で通うって言い出すし...それで、離れたくないって思ったんだ。だけど僕はもう必要ない?嫌われたのかな?」
「そ、そんなことないよ!嫌いじゃないよ!すごく感謝してる!でも、あたしなんか、迷惑かけるだけで...きっと土屋はあたしに同情してるだけだよ。だから...」
「同情なんかじゃないよ。椎奈になら迷惑かけられたいって、思っちゃいけないかな?」
あたしはどう返事していいか判らず、ただただシートに身を貼り付けて息を詰めていた。
「僕じゃだめ?」
あたしを見つめる強い視線が土屋の真剣さを物語っていた。
「だめって、そんな判らないよ...あたし、友達だと思ってたから、だから...」
「な、ほんとにだめかな?僕は椎奈に触れる事は出来ない?」
土屋の手があたしの頬に伸びてくる。一瞬びくりと反応してしまうけれども、そっとまた離される手。
「椎奈に触れたい。友達としてじゃなく、カレシ、恋人として...」
「あ、あたし...」
「ゆっくりでいいから試してみない?椎奈が僕とつきあえるかどうか。もし僕とはだめでも、リハビリになるかもしれないしね。」
「リハビリ...?」
「ああ、椎奈は僕ですらそんなに怖がってちゃ他の男となんかつきあえないだろ?」
たしかに...土屋でもこうなら、あたしはきっとどんな男性でも受け付けないだろう。
「たぶん...」
「今までは、普通に触れる分には僕は大丈夫だったでしょう?」
あたしは頷く。抱きしめられることも手を繋がれることも平気だった。でもそれは友達としてだったから?
「もしも他に椎奈が触れてもいいと思う人が現れたらしょうがないけど、そうじゃないなら椎奈を守らせて欲しい。そして、もし僕のことを男として好きになれたら...その時椎奈を、椎奈の全部を僕にくれないか?」
いつの間にかあたしの座席の上に手を置いてあたしの顔を覗き込むようにしてうかがってくる。その、優しくて熱い目。
「だ、だめだよ。あたし土屋のこと好きだよ。でもそれは友達としてだし、それに...庭井さんが...」
「庭井さんが、どうしたの?」
「...彼女、土屋のことすごく想ってて。あたし適わない、彼女の気持ちに勝てないよ...」
「そうか...彼女に会ったんだね。いきなりお弁当作って来てくれてるからおかしいなって思ってた。確かに庭井さんには告白されたよ。付き合って欲しいって言われた。けれども僕が今付き合いたいのは彼女じゃない、椎奈だよ?」
「でもっ!」
あの時あたしは約束しちゃったよ。彼女の泣き顔が思い出された。
「あたし、庭井さんに嘘付いたことになっちゃうよ...土屋は友達だって、はっきりいったんだもん。あたし、嘘はやだ...」
「椎奈...」
ふーっと深いため息をついた土屋は柔らかくあたしに微笑んで見せた。
「椎奈らしいね。じゃあこうしよう、椎奈が僕を受け入れてくれるようになるまで、誰にも椎奈のことは言わない。表面上は今まで通り友達でいいよ庭井さんにも言わない。彼女を断るのに椎奈のことを出したりしない。普通にカノジョのいない大学生らしく振る舞うよ。でも、時間があるときは一緒にいて欲しい。友達から少し進んだ形でいいから、一緒にいて慣れてほしい。僕というカレシがいるってことに。」
「そんなのだめだよ...」
「だって、椎奈は怖がってるでしょう?恋愛すればキスやセックスも付いてくる。だけど今の椎奈はそれをすごく怖がってる。それと、僕と付き合ってもしうまくいかなかったら僕という友達を失うって思ってないか?」
...図星だった。告白することで工藤との友情を無くすと言うことを恐れたように土屋と本当の恋人同士になって、カレを受け入れられなかったとき、カレという存在を失う事実が怖いのだ...
「だから、僕たちのことは秘密だよ。誰にも知られなかったら、もしどうしてもだめなときにいつでも友達に戻ろう。そうならないように努力するつもりだけどね、僕は。」
「だめだよ、そんな都合のいいこと...出来ないよ!」
「構わないっ!僕がそれでいいって言ってるんだよ。それとも椎奈が僕のことを嫌いならどうしようもないけど?」
「それは、ないよ...」
「じゃあ、決まりだね?約束する。椎奈が嫌がることは絶対にしない。みんなの前ではちゃんと友達同士の振りをする。いつでも友達同士に戻れるように。それでいいね?」
 
あたしは頷くしかなかった。けれども迷ってる。だってそれは岡本くんがいつか言った言葉とよく似ていたから...
そりゃ、土屋が岡本くんと同じことをするわけないって判ってる。どういう気持でこんなこと言い出したのかも。全部あたしのことを思ってくれてのこと。すごく大事にされてるって思うよ。こんなに思われて、もったいないくらいだよ。喜んで土屋の胸に飛び込めたらどれだけいいだろう...なのになぜ素直に喜べないの?
いまだにあたしの中にある工藤への想い...いっそきっぱり告白して砕ければすっぱりと諦められるだろうに...でも今の自分にそんな勇気はない。親友としての工藤を失うのが怖い。だけどこうして気持をぶつけてくれる土屋がいる。友達を失うのを怖がるあたしのために出してくれたこの案。だけどあの時だって、工藤に気持を残したままずるずると岡本くんと付き合ってしまって、結局彼も自分も傷つけてしまったんだから。それをまた繰り返しそうで怖いんだ。
それとも好きになれるだろうか?土屋を、男性として...
 
 
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〜あとがき〜
うわ〜〜、ようやく、なんと土屋の告白!!土屋派の皆さん喜ばれるでしょうか??
けれども椎奈、こんなに甘えていいのか??そんなことで自分の気持ちはどうするのよ〜〜〜〜!と一人おたおたする作者でありました。
さて9もまったりすすみそうな予感?しばらくは土屋との甘い?時間が続きそうです。もっともお子ちゃまなおつきあいになりそうですが...。

 

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