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昼の月・夜のお日さま

3.かくれんぼのお月さまとお日さま
「菜月ちゃん、すごい!」

新幹線のチケットを、難なく購入した菜月を尊敬のまなざしで見つめる圭太だった。
「なによこのぐらい出来なきゃ!愛華ちゃんにあいにいけないわよ?」
そういいながら、いざという時いつでも大阪の圭司を尋ねられるよう、インターネットなどでシミュレーションしていたことは、おくびにも出さない菜月だった。
でも実際そんな勇気はなかった。こうやって圭太が言い出さない限りは...なんだかんだ言っても圭太はこんな時は男の子なのだ。行くと決めたら行く、優柔不断でなく優しいところが圭太のすごいところだと、菜月は前々から思っていた。
圭司の所へ行ってみたい気持ちに駆られていたのは事実。
いつだって、寂しい時、誰にもその気持ちがわかってもらえない時、不思議と圭司に会いたくなっていた。電話して声が聞きたい時もあった。あの大きな手で頭を撫でられたかった。そう、あの夏以来ずっと。工藤家が圭太の家を訪ねてきたときに、愛華を口実に会いに行ったりもした。だけど実際目の前にすると簡単に甘えることも出来ず、ちらちらと見ているだけだった。目が合うと微笑んでくれる、それだけでも菜月には充分だった。
だけど、自分のその気持ちはなんなのだろう?周りの子供よりも大人な考え方をする菜月は必死で考えていた。向こうは妻帯者、それもすこぶる愛妻家だし、可愛い愛華ちゃんのお父さんだ。恋というには違いすぎる気がした。だけど...
『憧れ』だろうか?自分の父親も、圭司のように早く自分を探し出して一緒に暮らしてくれていれば、自分だって愛華のように素直な女の子になれたかもしれない。そんな想いが、圭司に対して強烈な憧れを感じさせてしまうのではないか?
でも、圭司が自分の父親だったらというのではない。郁太郎よりもはるかに若く、かっこいい圭司は、まるでどこかのタレントのように自分を惹きつけるのだから...それでもなお、思い余るほど会いたくなって、こうやって今、圭太をそそのかすように新幹線にのろうとしている。
半分脅しだけれども、圭太が自分と同じ気持ちを抱いたことに菜月は安心していた。今まで自分が黙っていたけれども、抱えていたその痛みを圭太もわかってくれたのだ。たぶん、そうなるだろうということも予想していた。相手の感情に素直に同調する優しい圭太、腹立たしいほどの優しさと寛容さを見せる圭太は、ある意味馬鹿のように見える。いくら自分が圭太を怒らすような態度をとってもニコニコ笑って『菜月ちゃんたら、また〜』といって近づいてくるのだ。周りの大人も子供も気を使って遠巻きに見ていたというのに...
そんな圭太がそばにいたから、だんだんと友達も自然に接してくれるようになった。
郁太郎もそんな圭太の存在には感謝しているようで、今まで以上に圭太を可愛がってる気もする。だからこそ、今回の家出の連れに圭太を選んだのかもしれない。

圭司の優しさを求めて西へ向かう。何も言わなくても、菜月の寂しさ、辛さをわかってくれたただ一人の人の元へ...
「愛華ちゃん、お正月以来だよ〜どうしてるかなぁ?」
最初の目的を半分忘れて、少々メロメロ気味な圭太にため息をこぼして、菜月は車窓を流れる風景を見ていた。まったく、家出したというのに愛華ちゃんに会えると言って喜んでる、当初の悩みはどこに行ったのだろうかとこっちが心配するぐらい圭太の態度は呑気なものだった。
(いきなり行ったら、なんて言われるだろう?圭太と一緒だからそんなに怒られないとして、すぐに送り返されるか、それとも...)
菜月はこれからをいろいろと予測して、その対策を立てるのに余念がなかった。


「ねえ、菜月ちゃん、本当にこっちでいいの?」
「間違いないわよ。たぶん...」
見知らぬ待ちの駅で降りたった二人は、周りを見回して一瞬身体を硬くした。菜月はさっさと駅前のタクシーに乗り込むと、行き先を書いた紙を運転手に見せた。意外と方向音痴で、車の免許を持っていない菜月の母、サチはどこかに行くときはもっぱら駅からタクシーを使うのだ。迷って無駄な時間を過ごすよりよほどいいらしい。
「ここまでどのくらいかかりますか?」
年賀状の住所をタクシーの運転手に見せた。
「ああ、ここかいな、こっからすぐやで。あんたら子供だけで来たんか?お父ちゃんやお母ちゃんは?あんまり似てへんけど、姉弟と違てまさか、駆け落ちとちゃうやろな?わはははっ」
ひとりで突っ込んでひとりで受けてるおかしな運転手のおじさんだった。
「従姉弟なんですけど、一緒に親戚のうちまでお使いなんです。」
「なるほどえらいなぁ。おっと、次の信号を入っていった先の建物やから、ほい、みえたやろ?」
聞き慣れない関西弁に妙な違和感を感じる。圭司も椎奈も、割合標準語で話してくれるので、いつもは全く感じない事だった。
料金を払うと菜月はさっさとタクシーを降りた。
「おじさんありがとう!」
圭太は馬鹿丁寧にお辞儀までしていた。
「おう、気いつけてな。」
立ち去る車を背に、二人は建物に向かった。



「圭太くん、菜月ちゃん?」
ドアを開けてくれたのは、圭司本人だった。
「なんでここに...」
驚き顔の圭司を余所に飛び出してくる小さな塊。
「けーたっ!!」
「愛華ちゃん!!」
必死で抱き合う二人に一瞬呆れる圭司と菜月。
「愛華ちゃんにあいにきたんだよぉ!」
「ほんと?うれしい。けーた、だぁいすき!」
二人の世界を作って手を繋いで部屋の中に入っていく圭太とは正反対に、菜月は動けないで居た。
「あ、あの、し、椎奈さんは?」
「土曜日も式場は忙しいからね、仕事だよ。和伊もホテルの育児施設に預けてて、仕事が終わったら連れて帰ってくるよ。オレは今日は休み取れたんで愛華とお留守番だけど...菜月ちゃんが圭太と一緒に、ただ愛華に会いに来ただけとは思えないんだけどね。」
ちょっと皮肉っぽい口調で菜月を見下ろすこの男は、子供に対しても媚びた態度を取ったことがない。
「それは...」
予定していたように理由を並べようとする菜月は、珍しく焦っていた。頭の上のその笑顔がすごくドキドキするくらい素敵に見えたのだ。周りの女の子みたいに、テレビに出てくるGALAXYやStormを見て心ときめかす菜月ではない。いつもドラマの渋い役所の俳優に惚れ惚れするのはこの男がルーツなのではないかと思ってしまうほど、かっこいい。
「理由はゆっくり聞くよ。遠いところ来たんだしな、約束通り来てくれて嬉しいよ、菜月ちゃん。できれば連絡は欲しかったけどな。」
約束?
菜月の中で思い出されるのはやはり海辺でのあの言葉。
「ん、ちがうのか?素直になりに来たんだろ、菜月ちゃん。」
そっと置かれた大きな手が菜月の頭を優しく撫でた。
「うっ...」
菜月は思わず泣きそうになっていた。必死で涙を堪えて、下を向いていると、ぽんぽんと背中を優しく叩かれたあと、その手が菜月の顔を自分のシャツに押しつけた。いつの間にか溜まっていた涙は、みるみる間に圭司のシャツに吸い込まれて、顔を上げたときには真っ赤な鼻と濡れたシャツ以外には、泣いた証拠は残っていなかった。

「なるほどね、悩んでたのは圭太だったのか...すっかり忘れてるみたいだけど。」
リビングで楽しそうに遊んでる二人をダイニングのテーブルから眺めていた。
「圭太が家出するようにし向けたのはあたしなんです、本当はあたしが来たくって...」
「まあ、どっちでもいいよ。どこか遠くに行くんじゃなくて、オレんとこ来てくれたんだから。それで、家にはなにか言ってきたのかい?」
「夕方に帰るって書いてきたから、たぶんまだ誰も気がついてないと思います。」
「そうか、じゃあ夕方過ぎてから連絡しよう。少しぐらいは郁太郎さんを困らせてもいいさ。ただ、日向子ちゃんが今とても大事な時期だから、そっちには早めに連絡するけどな。あ、けど椎奈の奴が帰ってきたら速攻連絡取るだろうなぁ...」
「あの、迷惑かけてすみません。」
菜月は神妙に頭を下げる。いつもは誰に対しても余裕でいい子を演じたり皮肉を含めたりする彼女が、圭司の前ではまるで素直な子供になる。
「構わないよ、言いたいこと言って帰ればいい。けど、それがオレに出来たら、同じ事を郁太郎さんに言ってやれ。」
笑うと、いつも女性をドキッとさせる色気を含んだカッコイイものから優しい父性を感じさせる表情に変わった。そうだ、この笑顔を見せられると自分は安心するんだ。菜月はそう確信した。
「圭司さんみたいに郁太郎も早くにあたしを迎えに来てくれたら良かったのに...そしたら、あたしだって...」
(素直になれたのに。)
父親に対する本音が漏れる。そのことを、諦めた振りしてどれだけ恨んできたか...なのに母親は誤解だったとわかると長年の片思いが実ったかの如く全部許しちゃってるし、負い目がある分郁太郎もサチには随分と甘く、何でも言いなりだ。生まれた葉月は溺愛してるのに、自分にはどうしていいのかわからないらしく、いつも困ったような顔をしてこっちを見ていたりする。だからちゃんと良い子の振りし、ちっとも怒ってないよという態度を見せたりもするのだが、無邪気に甘えたりは出来そうになかった。ぽつりぽつりと溜めていた不満を漏らす菜月の話を圭司はゆっくり聞いてくれた。
「そうか...だけどな、その代わりにオレは椎奈を10年の間ずっと苦しめてたんだ。サチさんも愛されてないって思いこんで出て行ったって聞いてるけど、椎奈もオレに愛されてないって思いこんでいたんだ。あの二人、似てると思わねえか?あの思いこみの激しいトコさ。だけどこれだけは信じて欲しい。オレが椎奈を本気で思ってたこと、そして産まれてくる赤ちゃんを一緒に育てたいと思ったのと同じように、郁太郎さんもそうしたかったはずだよ。この前の旅行の時も、『俺ももっと早くサチと菜月を見つけ出したかった、時間が戻せたらいいのに』ってオレに愚痴てたんだからな。だけど、離れていたから今の菜月ちゃんが居て、サチさんも郁太郎さんを信じて戻ってこれたんだろう?あのまま一緒にいても、サチさんの疑いが晴れてなかったらもっと最悪になってやり直しがきかなかったかも知れないんだから。実際、今は二人とも愛し合ってて、端で見てても幸せそうだ。菜月ちゃんは郁太郎さんに遠慮して、郁太郎さんも菜月ちゃんに遠慮してしまってる。6年の間に、我慢することいっぱい覚えちゃったんだな、だから素直になれないだけだろ?菜月ちゃんはさ。」
「圭司さん...な、なんで、わかるんですか?なんで...」
なんでそんなに自分の欲しかった言葉をこの人はくれるんだろう?どうしてこんなに自分の気持ちをわかってくれるんだろう?嬉しくて、いっぱいになった我慢の泉が再び溢れだす。菜月はこんどは涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。堪えきれない嗚咽と涙は、そっと引き寄せてくれた圭司のシャツに再び吸い込まれていく。
「オレは大人だからね。過ぎ去ったことはよく見えるんだ。だから菜月ちゃんが我慢してることも、欲しがってるものもよくわかる。目の前にあるのに素直になれないんだろ?それはすごくもったいないぞ?オレも目の前にあるのに10年も気がつかなくて、すごく損をした。ちゃんと正面向いて、無くしたくないならその手に掴まなきゃな?欲しかった家族なんだろう?尻込みしてたらもったいないぞ。ぶつかっても、自分をさらけ出しても無くなったりしない。帰ったら、素直に思ってること全部言えばいいんだからな。いっそのこと、郁太郎さんに枕の一つでもぶつけてやればいい。」
大きな手と指があたしの涙を拭っていく。
「うん、いっぱいぶつけてやる。」
止まった涙顔で菜月は晴々とした微笑みを返すことが出来たした。
「いいね、やっぱり女の子は笑顔が素敵だよ。そんな可愛い笑顔を向けられたら男は参ってしまう。」
圭司が参ってくれればいいと密かに心で願う。
「頼むから将来圭太を巡って愛華と三角関係なんて言うのはなしだぞ?どっちの味方もオレは出来ないからな。」
「どうして?愛華ちゃんの味方するんじゃないの?」
「菜月ちゃんも可愛いオレの娘みたいなもんだから、どっちかなんて選べないね。」
娘、か...そうだよね、あたしはまだ10にもならない子供だもの。でも、この気持ちが恋じゃなかったらこのトキメキはなに?
「圭司さん、わたし...」
菜月が、ずっと前から気づいていた恋心を打ち明けるべく、握り拳を作ったその時、チャイムが鳴った。
「ただいま〜あれ?菜月ちゃん...圭太くん??」
和伊くんを抱えた椎奈さんが目を丸くして玄関に立っていた。

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