マスター編・7
 
 
『おい、政弥。茉悠子さんが今病院に来てくれてるんだけれども。』
 
「はあ?」
親父からの電話だった。
なんで昨日熱出した人間がうろうろと出掛けてるんだ?まさか、自分も診察してもらったのか?それならなぜそんな遠い病院までわざわざ行ったんだ?
「まさか…だろ?あいつ昨日濡れて帰ったみたいで、今朝まで熱出してたんだぞ?」
『なんだと?おまえは、そんなあの子をほったらかして仕事に行ったのか?』
違うだろ、それは…
「いや、今朝は熱は下がってた。」
『だが、熱の原因は昨日彼女を一人で帰らせたからじゃないのか?』
「仕方ないだろ?伯父貴に頼まれたんだから。」
『茉悠子さんも一緒に食事して、それから送るって手もあっただろう?連れてきておいて一人で返すんなら、富美香さんの食事に付き合わなくてもよかったんじゃないのか?』
その通りだ。だが、食事だけじゃなかったからなんて、それは言えないので黙っていた。
『とにかく、今から迎えに来なさい。彼女は昨日わたしと約束してた紫陽花と、手作りの焼きプリンまで持ってきてくれたんだぞ?本当に優しい子だ。美津子の作るプリンと同じ味だったんだ、わたしは嬉しくてね…』
見かけによらず甘いもの好きの親父が感動的に話してるのを、受話機越しに聴きながらため息を落とす。
すっかりお気に入りかよ?それでもって息子をアッシーにでもするつもりか?
 
病室まで行くと親父とにこやかに話すあいつが居た。
なんだ、あのはにかんだような微笑みは?俺の前では逆毛を立てた猫の如く刃向かってくるくせに…
「親父、もう連れて帰っていいのか?」
引き離すように急いでる風を装って連れだした。俺の顔を見た途端、またいつもの野良の顔に戻っていやがる。
「なんでうろうろ出て来てるんだ!じっとしてろって言っただろ!」
「え、でも…昨日旦那様と約束してたので。」
散々俺に迷惑をかけていながら親父との約束が第一か?おまけに終業間際といえども、文字通り重役出勤した俺に早退で会社から帰らせておいて!
 
車の助手席に押し込んでどこか買い物に寄るところはないかと聞いたつもりが、あいつは俺のマンションを教えろと言ってきた。買い物はその後でいいらしい。
そりゃ、俺の部屋の掃除も頼むわけだし、いずれ教えなければ困ることだ。出来ればコイツの体調がよいときの方がいいと思ったが、仕方なく一通り部屋を見せて、近くのクリーニング店も教えておく。それからいくつかの決め事。洗濯物を出す場所、触っていいところ、そうでないところ、ベッドルームの掃除とシーツの取り替えも許可した。
部屋の中を野良があちこち動き回っているのは何だか変な気がした。普段、この部屋に来る女はベッドルームに連れ込むか、リビングで飲みながらヤルか、あとはバスルーム以外うろうろしない。
 
「おい、もう帰るぞ、無理してまた倒れられたら困るだろ。」
その違和感に苛立ったのは俺の方だった。
誰かが部屋にいる、世話を焼いてくれる。それはセックスだけの相手にされることを嫌っていた俺が、あまりに自然にそれを許してる自分に驚いていたからだ。そりゃ、いくら元気者のあいつでも、その体調を気遣ったのも事実だ。また倒れたり熱を出されては困るからな。
長居はせずに、さっさと車に乗り込み、買い出しにいくことでその違和感を打ち消そうとしていた。
 
 
買い出しは慣れている。
親父が忙しいとき、よくおふくろに付き合わされた。大学に入って車の免許を取ってからも、しばらくはおふくろのお供ばかりだったくらいだ。誰かとデートに行くなんて面倒くさいから行った事がない。女は声かけて寝れればいいんだから、そんなものにいけば、むこうも期待するし誰かに紹介しようなんて言い出すからな。そんなのはごめんだった。
「これだと、大型店で、買い物しながら帰った方が早いな。」
買い出しのメモを見て、大型ショッピングセンターに向かった。ここの建設にはうちの会社も入っていたし、何よりおふくろにせがまれ何度か来た事のある店で、大抵のものが揃う。広すぎて、よくおふくろも迷っていたから、俺も親父も必ずつき回っていたけどな。
 
「あの…政弥様の食事のご予定をお聞きしたいのですが、もしかして、今夜もお屋敷で食べられますか?」
「なんだ、居ちゃ悪いのか。」
遠慮がちに聞かれて少々むっとしたのは言うまでもない。コイツの中では俺は滅多に帰ってこない、食事の用意の必要ない人として捉えられているのか?俺の思っていることはそのまま顔に出ていたらしい。
「いえ、そういう訳では…準備がありますので、これからの買い出しに加えようかと。」
「今日は、家で食べる。」
今日は、だ。毎日じゃない。家に帰ると女を抱けないからな。
 
一通り買い物を終えてかけよってくる野良。嬉しそうにしっぽ振ってるように見えるじゃないか?
「すみません、お待たせしました。」
「遅いっ!」
ったく可愛い顔出来るんだから、もっとそういう顔を見せればいいのにと思う。だけど俺はわざと機嫌の悪そうな顔をしてみせる。そうすると、大急ぎで謝って来るのだからおもしろいが、あんまり赤い顔だと昨日の今日だから熱でもぶり返したんじゃないかと心配になる。また熱を出させたら、親父に怒られそうだからな。
俺は重そうに抱えた荷物を半分以上持ってやった。野良には重すぎるだろうし、ちょっと疲れた顔してるしな。
しかし、この恰好って側から見れば夫婦か恋人同士に見えるかも知れないな。おふくろと一緒では余程たくさんの荷物じゃないと持つ気にはならなかったが、今誰かに見られたら間違いなく誤解されるだろう。
 
だけど不意に俺の背後から彼女の名前が呼ばれた。目の前にいた彼女は一瞬にして表情を固めて、そちらを凝視したまま立ちすくんでいた。
「茉悠子」
振り向くと、彼女をそう呼ぶ若い男性がそこに居た。
 
俺の知らないその男が誰なのかは、すぐに判った。
 
 
 
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<注意>こちらはハウスメイド・メイド編の試し読み版です。
8話まで読めますがそれ以降は電脳アルファポリスで有料になることをご了承下さい。
久石ケイ