空に近い週末より
 
「あーヤバいよ、夏が来る!」
あたしの名前は、小林 絵里花(コバヤシ エリカ)。
結構ヒマしてる、夏休み間近の大学2回生。
…昼下がりのキャンパス、校舎裏の緩やかな丘になった斜面には、まだかろうじてぬるくない風が時折、吹き抜ける。
「何でヤバいんだ?夏休み」
あたしの隣りで芝に腰を降ろして居るのは、同じ学部の拓哉(タクヤ)。苗字はナイショ。
きっと知ったらあなたは笑うから。
「夏休みがヤバいんじゃなくって、夏がヤバいの!…痩せなきゃさー」
彼はあたしを流し見ると、何とも言えず不快な微笑み方をしてみせた。
…何て言うのかな、ちょっと人を見下したような、バカにした微笑い。…でも悔しい事に、男前だからそんな顔されてもそれなりに絵にはなってる。
「痩せるには正攻法しかねーよ。運動しろ!…ホラ、この場で今すぐ腹筋50回!」
「…やめてよー、さっきお昼食べたとこじゃん。脇腹痛くなっちゃう」
タクヤは、目に掛かる長さの髪をかき上げながら、また不敵に笑った。
「…お前彼氏出来たって?じゃあエッチに励めば?結構な運動量になるって。」
「はァ?!」
 
あたしとタクヤの関係は、一口では説明しにくい。
…いや、説明しようと思えば、一言で済むんだけど。…ズバリ、「友達」?
あたしには彼氏が居る。彼にも彼女が居る。…だけどお互い、相手は他の学校の子で。
何だかそんなつもりは全然ないのに、何となくつるんじゃってる我々。
…だからきっと、同じゼミの女の子たちなんかは、あたしとコイツが出来てる、って勘違いしてる子もきっと少なくないと思う。
…だけどホントに違うんだ、あたし的に意見させて貰えれば、「友達」ってのも厳密には違う。
…だってさ、友達って、やっぱ、相手のことそれなりに認め合い、尊重しあう間柄じゃない?
あたしは入学以来、コイツの事を認めても尊重もしてないし、逆にうんざりする事は多々あっても、間違っても仲良くしたいなんて、思った事はないんだ。
…そして、きっとそれは、今隣で呑気に空を流れる雲眺めてるコイツにも当てはまるんだと思う。
───そうだ、きっとこういう関係を人は「腐れ縁」と呼ぶ!………うわ、でもこの言葉もちょっと嫌だ。
…だって、最後に付く「縁」に抵抗感じるもん。コイツと縁なんて持ちたくないよ、ホント。
「…エッチぐらいで、痩せられるかなぁ、それって考え、甘くない?!」
実はあたし、この前の合コンで知り合った今の彼とは、まだエッチしてない。だってデートもその後一回お茶しただけだし。なーんか今一、盛り上がりには欠けている…かも?
「なるって。お前が上になれば」
「…?!」
「腹筋50回くらいすぐだろ」
「…何それ?!何か分かんないけど、今あたしスゴイ事言われてない?!」
隣の男前な横顔は喉をのけぞらせ、声を立てて笑った。
「お前、前に言ってたじゃん、エッチなんてスポーツだ、って!お前なんぞと仲良くしてやろー、って男が居ただけでも奇特なんだから、サービスして楽させてやれよ、相手に。それで痩せられたら、一石二鳥!」
「───…何であたし、あんたにそこまで言われなきゃなんないわけ。…それ言ったら、あんたと付き合う女も物好きだよ?!自覚してる?!自分で」
「してるしてる。オレの中身を愛した女なんて今まで一人もいねーって言いたいんだろ?大丈夫、ちゃんと自覚してるって」
 
校舎の方から、午後の授業を告げる鐘の音が聞こえてきた。
「おっと、これ以上バカな男に関わってるとバカが移る。…あたし政経の授業行くから!」
ジーンズのお尻をはたいて、校舎へ戻ろうとしたあたしを、彼は制する。
「政経のさんまちゃん、休講。…急用だって。」
「えッ?!ウソでしょ?今日レポート締め切りのはずだよ?!あたし昨日3時まで掛かって何とか上げたのに」
「奥さんがこれでこれだって。掲示板に出てたもん」
彼はまだ芝に脚を投げ出したまま、両腕で奇妙なゼスチャーをしてみせた。
───…どうやらさんまちゃんの奥さんが出産?それとも産気付いて入院?そんなとこらしかった。
「ふーん、そうなんだ…。やんなるなぁ、昨日のあたしのマジメな苦労は一体何だったんだ?!学生をナメんじゃねー!教授!ってカンジ?」
急に気が抜けてしまい、さっきお昼に食べたアジのフライ定食が、一気に胃にもたれた気がしてくる。
「…ヒマしてるなら、どっか行くか?」
「───…どっかってどこへ?」
「知らねーよ、どっか。」
 
3分後あたし達は、大学の駐車場に居た。
「ちょっと…!このドア、閉まんないよ…!」
「あぁ、この前からそーなんだ。…お前、乗ってる間ドア、手で引っ張ってろ。シートベルトしてりゃ問題ない」
「そんなぁー。何それ?! いい加減このオンボロ車、買い換えようよ」
「あ!それナイスアイディア。…じゃ、今から中古車見に行こうぜ?どーせ行くとこ決まってないんだから。」
 ─────昼下がりの青空の下。…郊外を走り始める、タクヤのボロ車。
…色がシルバーグレーだから、汚れは目立たないけれど、余計にオンボロに見える。事実、オンボロ。
小綺麗な服装と顔立ちの、コイツには笑えるほどこの車、似合ってない。きっともっとワイルドで大柄な、菅原文太系のお兄ちゃんなら、どんなサビた軽トラだって、サマになるのにさ。
「…まぁいいや。…メシおごってよ、タクヤ。」
「───…なんでオレ。」
「…だってあんたの中古車、わざわざ選んであげるんだからさ、このあたしのスタイリスト並みなセンスで。」
「バッカ、誰が買うっつった。ひやかしに行くだけだろ」
「………?!ウッソ、買おうよ?!10万も出せば、せめてドアが閉まるやつ買えるよ?!お願い買い換えようよー」
「…何でオレの車の事に、お前がそこまで指図する」
「─────…。だってあたし、結局あんたの車に一番乗ってるもん」
タクヤは、また声を立てて笑った。今日はよく微笑うな、いつもはもっとシニカルで、そんな明るいほうじゃないのに。…この夏めいた、爽やかな気候のせいかな。
 あたし達を乗せたダサいセダンは、ブドウ畑を越えて、田んぼを横切り、徐々に工場やファミリーレストランの並ぶ、幹線道路に近づいて行った。
「なぁお前、そのドア力入れて引っ張り続けてたら、きっと腹筋とか上腕筋とか…ひょっとして三角筋あたりまで引き締まるかも」
「…ってか、手が震えてきてるけど…力入れ続けてるせいで。あー、何か飲みたいよ!力入れてたら暑くなってきた、喉乾いた、」
「…うまいなぁ、このレモンコーラ。」
「こら!一人でうまそうに飲むな!ムカつく!」
「───…じゃ、口移しで飲ませてやろっか」
赤信号で止まると、奴のコーラ缶をひったくろうと手を伸ばしたあたしに、真顔のまま流し見た瞳が、また嫌味にからかう。
「………いいからよこせっ。よこすのっ!」
無視してひったくり、そのまま残りを一滴残らず一気してやる。
「─────あーあ、どーせ間接キスじゃん」
こんな彼流のジョークには、あたしは慣れっこ。
でも、コイツに引っかかる女は、この言葉と目線で誤解しちゃうのかな。…あーみんなあきれるほどバカ。
あたしはあきれたままその空き缶で、奴の額を小突いてやった。
 
中古車センターで、奴は思い切りおぼっちゃんの演技をして見せ、な、な、なんと、その店で一番高い、フェラーリを試乗させてもらいやがった…!
あたしもさすがにこの時ばかりは、初めて奴をちょっと見直した…いや、感心してしまったかも。
「い、一緒に乗っても…いいの?!」
イタリアンレッドの車体に、あたしもかなり興奮気味、舌がうまく回らないほど、声が上ずってしまう。
2シーターのレザーシートに身体を沈めるだけで、何とも言えない痺れが足元から駆け上る。
「きゃー!!」
気が付けば、あたしはナビシートで大はしゃぎ!!
「こんな時だけ女の子みたいな声ではしゃぎやがって」
こんなクルマ転がしてても、顔色一つ変えず、あたしに嫌味を言えるほどの余裕を持ち合わせているあんたって、ひょっとしてかなり大物?!
そんなバカな事考えちゃうのも、フェラーリさまのお陰かも。
…それぐらい、脳がブッとんじゃった…!
だってさ、今時1000万以上するクルマに乗れる庶民なんて、ちょっと居ないもん!
 
「…やっぱ、この位の値段の買い物になると、親に無断でカード使うのちょっと忍ばれるので…一度相談してから、2、3日中にご連絡させて頂きます」
めちゃくちゃスマートに、そんな嘘八百ならべながら、指の先で稲垣吾郎みたいに前髪をかき上げて。
「何卒、ご連絡お待ち申し上げております、木村さま」と、両手をヘソの前あたりで揉みながら何度も深々と頭を下げている店長に、あたしは内心両手を合わせ、タクヤの代わりに「ごめんね」 と心の中で謝った。
 
タクヤは颯爽とオンボロ車に乗り込み、まるでフェラーリみたいにそのミッションのギアを入れて、急角度にUターンすると、タイヤの後が残りそうなくらいの勢いで、中古車センターを後にした。
「…あんた…詐欺師の才能、超アリ?! それともいっそ、役者になれば?その名前、もうキムタクに取られてるから、同じ芸名使えないけどさ。…木村拓男とかどう?」
「───…あんなミーハーに騒いでたクセに。誰のお陰でフェラーリ乗れたんだ?」
「ちょっと、あたしのネタ、無視しないでよ。人がせっかく話振ってんのに。」
「…それより腹減った、うどん屋でいい?オレ親子丼食いたい」
あたしは思わずその無表情な横顔とセリフに、吹き出していた。
「…でさ、そのうどん屋でさっきの中古車センターの店長と鉢合わせたりなんかしたら、あんた今度はどんなリアクションするの?…ッはは、考えただけで笑えるー!ワハハ!」
…そう、あたしがこの外見しか取り得の無いコイツと、ついついつるんでしまうのは、実は結構飽きさせないやつだからかも知れない。
…恋愛なんて、てんで考えられないけど、とにかくヒマ潰すのには、コイツがサイコーかも。
「…あれ?! うどん屋じゃないの?何で?!」
「気が変わった、…てか何でこのオレがうどん屋なんだよ。イメージ的に間違ってるだろ」
「もうッ!自分が食べたいって言ったクセにー!」
もうあたしは、笑いが止まらない。
…ドアを引っ張ってなきゃならないから、お腹を片手でしかおさえられないけどね。
─────彼のオンボロ車は、郊外にあるちょっと有名でオシャレなイタリアンのお店に滑り込んだ。
 
「うわッ!ごめんッ、」
「─────…。」
イタリアンの食事を終えた駐車場にて。…何と、事もあろうか、あたしは窓を開けようとして、パワーウィンドウを潰してしまったらしい。
「……………、」
上目遣いに見ると、彼はいつもの無表情ながら、感情の読めない眼差しでこちらを見ている。
「…ごめん、ごめんってタクヤ」
「………とうとう壊しやがったか。…どう付けてくれる?この落とし前」
そんな風に低くつぶやかれて、あたしも開き直る。
「だから買い換えろって昼間言ったじゃん!中古車センターにまで行ったのに、フェラーリしか乗らなかったの、タクヤだよ?!遅かれ早かれ、壊れてたって!」
「───…。お前のせいで壊れた。…あーあ、お前のせいで、窓開かなくなった」
「だからごめん、って。」
腕組みしながら運転席で、エンジンも掛けずにこちらをまだ流し見てくる無表情。
「……………ごめんってば…。」
次第に、声が沈むあたし。…悪かったよ、悪かった、って。
「─────…。」
ようやく、ほんの僅か、奴の唇が片方だけ吊り上げられた。
左手がギアに置かれる。
「………まぁいっか。よし、帰ろ」
─────よかったぁ、…このままずっとあの威圧的な無表情を保たれたら、ちょっとキツかった。だって、少しは反省してるんだよ、壊しちゃった事。…ホントは。
ごめんね、ってもう一度言おうとしたら、それより先に言葉が返ってきた。
「…いいよ。そん代わり、お前一個貸しな。」
「えッ?!」
「貸し。オレに。…どうだ、屈辱的だろう。オレに借りが出来たなんて」
「………う、うわショック!サイアク!いますぐチャラにしたい!」
彼がそう言ってくれたお陰で、あたしもやっとジョークで返せた。ホッと内心、安堵のため息をつく。
「…じゃあ身体で返してもらう」
彼の声には、もう楽観的な軽口のニュアンスが漂っていた。
「何だ、そんな1円も掛からない事なら、お安い御用!いっくらでもー!」
「…よっしゃ、覚えとく。お前の結婚式の時、披露宴のスピーチでネタにしてやる」
「…ッハハ!…だーれがあんたなんか!呼ぶ訳ないじゃん!」
車はそのまま、あたしの下宿アパートまで快速で夜空を飛ばした。
タクヤはよほど機嫌がいいのか、今井美樹の 『空に近い週末』 なんて口ずさんでいる。
…あたしも一緒にハモってやった。
 今日、ちょっとだけ、タクヤの事を見直した。
…ちょっとだけ、格好いいと思えたかも知れない。もちろん、あくまでも友達としてだけどね。
 
 
 
…翌日、学校に出てみて、あたしは昨夜の「ちょっとだけ格好いいと思えたかも」発言を即行取り消さなければならなかった。
「…えッ?!…ウソ、レポート…昨日まで…?!だってさんまちゃん、昨日休講だったでしょ?!」
ゼミで一番仲良しの女友達が、眉毛を下げたまま、首を横に振る。
「あたしケータイに電話してあげたよ?だけどエリカのケータイ、電源切れてたもん」
─────ハメられた。
あいつの口から出た出任せな、アドリブの嘘に。
ただ単にヒマを潰したかったあいつの午後のためだけに、あたしは危うく政経の単位を棒に振るハメになったのだ…!
「ちょっと!どうしてくれんの!」
食って掛かったあたしに、学食から出て行くところだったあいつは、振り向き様平然と言い放った。
「確認しなかったお前が悪い。荷物取りにゼミ戻ったついでに、掲示板のさんまちゃんの張り紙、見りゃよかったんだ。そしたらこんな迂闊な事にはならなかったはずだぞ。…まぁ、いい社会勉強をしたと思って、男ならいさぎよく諦めろ。…別に政経落としたって、3年にはなれるって。」  
「……………ッ…」
だれが男だっ。
唇を震わせているあたしに向かって、いけしゃあしゃあとこんな屁理屈を並べ立てる、涼しげな無表情。
くっそー、一瞬でも友達かも、と思った昨日の自分の気持ちがもったいないッ!
「責任とってよ!」
「………んじゃ、今度の土曜。…お前が行きたがってた映画おごってやるよ、ドライブインシアター」
「えっ………、」
ふい打ちみたいにそんな事言われて誘われて。
隣りに居た友達が、「もうッ、何のかんの言ってラブラブねー、」 なーんて言うもんだから、余計に頭に血が昇る。腹が立つやら、混乱するやら。
別にあたしとコイツは付き合ってないって!と、一応隣りに断り文句を入れてから、
「土曜日はあんたデートじゃないの?!…てかあたしもデートだよッ!」
そう返してやった。…ホントは、その日はデートじゃない。特別、用事もない。
「…じゃ、別にいいけど。あーせっかく映画おごってやろーと思ったのに。気が変わった」
「─────…ちょっと待ったッ!」
……………不覚なあたし。気が付けばまた、タクヤのペースだ。
勿体ないなーんて貧乏性な考えが頭をよぎり、つい彼の背中を引き止めてしまってた。
 
 
 
「…どうしたの?! その車…!」
─────薄紫色した夕焼けをバックに。…土曜日、奴は真っ赤な外車で登場した。
「…あのー、天井ないんですけど…。」
イタリアンレッド。…車はフェラーリじゃなかったけれど、アルファロメオのスパイダー。
なぜか彼は、ボルドーのサマースーツ。…両手をパンツのポケットに突っ込んで、車体に持たれて立たれると、あまりにも絵になりすぎてる。…何ていうか、セクシーで、ドキッとしてしまった。
「………せっかくのお詫びのデートだから、お前のために買った」
「……………?!」
咄嗟の、いい切り替えしが出来なくて。
頭はいきなり、彼の微笑みの前に真っ白。…首筋は、のぼせたみたいに真っ赤。
ヤ、ヤバ、なにコイツ相手に、あたし赤くなってんの………?! うわー、超格好悪いっ!
カンベンしてよッ!
「…嘘だっ、…ジョーダン…ッ!そんな事、あるはずないッ!ナイナイッ!」
朱に染まった顔を隠すみたいに、手をブンブン振って、思いッ切り言い切ってやった。
実は、これだけ言うのが精一杯だった。
「………お前だって、彼氏とのデートでもないのにスカートじゃん」
「…うるさいっ、たまたま!洗濯の都合で!」
「───…でも似合ってるよ」
「 ?! 」
───今、何つったコイツ?!
眉間しにシワを寄せながら、何だか今日はますます自分のペースを掴めず、ちょっと緊張した肩で、アルファロメオのドアを引こうとする。
「………あれ?…これ、取っ手がないッ」
「─────…バカ。」
突っ立ってる背後から、あたしごしに彼の腕が伸びて、その手はちょっと変わった位置にあるドアの取っ手を引いた。
結果的に、まるであたしは彼にエスコートされるみたいにドアを開けてもらい、その赤いスポーツカーに乗り込んだ。
デニム生地の、斜めに切り替えの入った、お気に入りフレアスカートの裾を、手繰り寄せる。
彼が助手席のドアを閉め、ドライバーズシートに身を滑らせた。
 
考えて見れば、ドライブインシアターなんて、カップルのための「覗けるラブホ」状態。
まだ映画も始まってないうちから、車の中でイチャイチャべたべたしてるカップルも見える。
無性に落ち着かない。いつも真っ暗だから気にした事なかったのに、今夜だけは、何故か前後左右に停車した車の存在が気になって仕方なかった。
おかしいな…、こんなはずじゃ…。
彼氏と来たって、ここまで緊張した事ないよ。
あッ、そうか、彼氏じゃないコイツと来てるから逆に緊張するのか。
─────何とか自分なりに、このドキドキの大義名分を見つけたくって、頭の中は一人忙しく、思考が光速で空回りしていた。
「…ほ、ホントはこのクルマ、誰かに借りた物とかだったりして」
沈黙があまりにもいたたまれなくて、何かと話題をかき集めては、妙な声ではしゃいで見せるあたし。
奴がいつもと変わらない無表情なままでいる事を、今夜ほど憎たらしいと思った事はない。
「うん、当たり」
「…えっ?!マジ…?! ───…あ!わーかっちゃった!…これ、ひょっとして彼女のクルマだったりしてェー?!」
「それも当たり」
「………?!」
今、一瞬あたしの顔が凍りついたのは、気のせいだろうか。
…タクヤがあたしを流し見る。…そして、無表情のまま、低く続ける。
「…正確には、カノジョの兄貴のクルマ。」
「─────…。」
半ば唇を開いたまま、何も言えないあたしの今の顔は、一体彼の目にはどんな風に映っていたんだろう。
彼の唇の端が、いつものように、ニヤリと片方だけ上がり、たくらむような微笑みをつくる。
「………何?ホントにお前のために買って欲しかった?」
「 ! 」
あたしは思い切り彼の頭を殴りつけようと、食ってかかっていた。
「バッカじゃないッ?! そんな事誰が思う?! だいたいあんたがこんないいクルマ、転がしてる事自体ヘンだもんッ!…盗んで来たのかと思った…!」
「………シッ!」
いきなり唇に人差し指を立て、あたしの声を制する彼。
「始まった、映画」
「─────………。」
勢いをそがれたまま、あたしも沈黙するしかない。
 
そのまま映画は流れるようなスピードで進んで行った。
フランスを舞台に繰り広げられる、刑事と誘拐犯の女。…追ったり追われたりしていたはずなのに…何故か2人は、いきなり恋愛モードに突入。…人ごみの中、彼女の腕を引き、刑事はとうとう彼女を追い詰める。緊迫した状況の中───…なぜか、キスシーンという不可解な展開。
「……………、」
ストーリーに付いていけない原因は…分かってる、映画のせいばかりじゃない。
隣りに居る、タクヤの気配を意識しすぎているせいで、頭がうまく回ってくれないから。
…それにしても、何でこうなる?! スペイン人の監督の映画。
主役の2人は、高速道路を走るトラックの荷台に飛び乗り、いきなりその場でメイク・ラブ…。
─────と、その時。
「……………ッ!」
心臓が飛び出すかと思った、いきなりあたしのスカートの上、彼の左手が乗った。
「な、」
何すんの?! そういう隙さえ、なかった。
─────え?!キスされてない?!あたし。…え?え?何でッ?!だってタクヤだよ?!
相変わらず回らないあたしの思考は、何度も目をしばたかせながら、間近すぎて見えない彼の顔を確認しようとした。…だって、これって、彼氏じゃないよね、タクヤだよね…?!
あぁもう、頭がグチャグチャ…!
「…ぅ………っそ…、」
それだけ呟くと、また強引な舌先が入り込んでくる。
待ってよ、何でこんな展開に?!…もしもし?!
「───…、ッん…ッ、タク…、」
キスは無遠慮に深くなる。…あたしの身体は、彼の体重に、どんどんシートへ沈んでゆく。
─────まさか…でも、…いや何で?! せめて、動機を教えてよ?! 
訳分かんないよ…ッ、あたし、何でもきちんと筋道たてて物事を整理しないと、次に進めないタイプなんだってば…!
 
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