1 ボーカル不在のバンド。 | ||
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「夜の歌舞伎町ってさ、」ラスベガスみたいだね、と。 間もなく雪の季節になる都会の空の下で、南はアイスクリームのモナカを割った。 「…ラスベガス、行ったことないのに何で知ってんの?」 差し出されたモナカを、オレはいいよ、と手を振って。南の隣りにしゃがみこんで座っていた雪彦は、空を見上げた。 眠る事を知らないこの街は、生きているように昼間の日差しよりもキラキラとまばゆい輝きを増していた。 「…ディズニーランドって、こんなかなぁ。」 「───知らないよ、行ったことないもん」 モナカをほおばりながら、南は思いついたように勢いよく立ち上がった。 「ねぇ!行こっか?!今から!」 彼女の、フリルが重なったショッキングピンクのスカートから、モナカの破片がパラパラと粉雪みたいに散った。 「…どうやって?電車ないだろ」 雪彦の声は、真夜中過ぎの雑踏に掻き消されそうなほど、いつも小さい。 「歩いて行けばいーよ!きっと朝には辿り着くから!」 瞳を輝かせてそう提案する南に、渋々といった表情で、雪彦も重い腰をようやく起こした。 「───どっち?ディズニーランド」 「………んーと…、どっちだろ、判んないな…、」 真剣な表情で辺りを見回し、手がかりになるものを探している南の後頭部を、雪彦はふと見下ろした。 「…南、また背、縮んだ?」 「ユキがでかくなってんでしょ?」 姉弟は、夜のネオン街を連れ立って歩きだした。雪彦は寒そうにその長身をかがめ、ダッフルコートの前を掻きあわせながら。南は、まるで野道を踊りながら歩く子供のように。 …彼女のポニーテールを編んだ長い髪の先が、腰の辺りで振り子のように揺れながら、彼女の後を付いて来た。 「あーッちくしょう、」 和馬は苛立ちを隠しもせずに、長い廊下を歩きながら、髪をガシガシと掻いた。スパイラルの、背中まであるロングヘアは、スプリングのように彼の動きに合わせて動いた。 「そうあせんなって。」 なだめるように笑いながら隣りを歩くのは、鳥居社(トリイヤシロ)。 ロゴの入ったディープグリーンのトレーナーに、オーバーサイズなデニムパンツ、その上からラインの入ったスモーキーグレーと紺の切り替えのジャンパーを羽織り、スキンヘッドにサングラスを掛けている。ブラック系ファッションを意識しているのを知っていて、和馬はいつも社をからかった。 「お前、今日もK−1のボディガードにしか見えねーよ」 「うるせぇ、建物の中ではキャップをとるのが礼儀ってもんだ」─────帽子を被れば完璧なんだ、と言いたいらしい。 「じゃあその黒メガネもとれ」 和馬は社の手にあったキャップを取り上げ、自ら被ってみせた。 「…もーじき、クリスマスだ」 「ホントだな、誰かオレ達のバンドにピカイチのボーカルをプレゼントしてくんねぇかなぁ」 二人はプロダクション事務所のドアを押し開けた。 「おはよーっす」 「ちぃーっす」 マネージャーの黒川が、二人に視線を向けた。 「…あれ、航(コウ)は?」 「今日は来ないみたいでーす」 「フケるそうでーす」 小学生のような口調で二人は両手を後ろに組んだ。 「…どう?今のとこ。…この前のコは?」 黒川はツィードのジャケットに黒いタートル姿で。本人におそらくそんなつもりはないのだろうが、いつも格好をつけているような仕草でデスクにもたれて立つ。 「んー、………」 考え込むようにうなり声をあげ、和馬は口に入れていたチューインガムを出した。 「なんつーか…、妥協したくねーんだよな、ここまで来て」 指に挟んだガムを、社のサングラスに貼り付ける。 「わ、何すんだ、テメェ、」 「さっき、AJEのボイストレーナーから連絡あって、今日の3時によかったら来てくれ、って言ってる」 「!」 身を乗り出すように目の色を変えた和馬を、社がサングラスを外した手を振り、制した。 「ダメだって、期待すんなよ」 「……………判ってっけどよ、………」 「ともあれ、コウが来ないんなら、二人で行って来たら?ダメ元だろ?」 黒川がたしなめるように、微笑ってみせた。 「…何とか、今年中にカタつけてーよなぁ」 指定された時刻に合わせて表へ出た二人は、歩いてもさほど掛からない距離を、気だるげにスタジオへと歩き始めた。 「─────それも、ピカイチのをな」 独り言のように呟く和馬に、社はタバコを勧める。 「お前のピカイチって、どんなんよ?」 「…まず、売れるルックスだよ」 くわえたタバコにジッポーで火を点けながら、けれど和馬の声は真剣な色を帯びていた。 「売れなきゃ話になんねーんだから。」 「…オレ達でルックスはイケてんじゃねーか?」 「バカ、判ってねーな」 バカ、と言われ、社の眉が片方だけピクリと反応した。 「オレが言ってんのは、女が騒ぐよーなルックスって事だ」 「…オレ達じゃ騒がれねーか?」 「家帰って鏡見てみろ、アホ。怖いんだよ、オレら。」 「…まぁ、ホンマモンのブラックには負けるけど」 和馬の目は、独りごちる社を無視するように、前を向いたままだった。 「曲は余るほど出来てんだ、…それも極めつけのが。アルバム四、五枚分はゆうにある。あとは、」 ─────そう、あとは、自分達の音楽を飾るものが揃えば良かった。 「ルックス、歌唱力、存在感。」 信号が、青に変わる。 「三拍子揃った完璧な、ハデなみこしが必要なんだよ」 レッスンスタジオの壁は、ガラス張りになっている。 「やぁ!ようこそ、鹿島くん」 マネージャーに電話をよこしたトレーナーは、丁度レッスン中だった。代わりのトレーナーが、二人を奥のスタジオまで案内する。 「──────…!」 ガラス窓の向こうの、スタジオ内の音は、通路には届かなかった。けれど室内には長身の─────やせた若者がトレーナーのピアノに合わせ、声を出しているのが伺えた。 「………あいつ、日本人?」 「はい、えーと…、志賀くんって言ったかな、確か」 「ヘェ…」 社も、口を開けたまま、感心していた。 「いくつだ?かなり若いよな」 再び和馬は、案内役のトレーナーのほうを見る。 「16、7くらいと思ったけど───…」 「声聞きたい、中、はいれないか?」 性急に、スタジオのドアの取っ手に手をかけた和馬を、トレーナーが慌てて止めた。 「ま、待ってください、今レッスン中だから───…終わり次第、聞いてみるよ」 「……………」 和馬は言われた通り、時間が来るのを、通路の壁にもたれ見守った。 「和馬、ありゃ違うだろ、いくらなんでも」 両腕を色の落ちたヴィンテージベルボトムに突っ込んだまま、そこを動こうとしない和馬に、社があきれた顔を見せる。 「オレは嫌だぜ?あんなオカマみたいな生っちろいガキ───…」 和馬の視線は、相変わらず窓の向こうの一点を見つめ続けていた。 「うるせぇな、まだ決めたわけじゃねーだろ、安心しろ」 ようやくレッスンが終了したのを見計らい、和馬は無遠慮に室内へ立ち入った。 二人の、ハードコアなルックスを持つ大男に立ちはだかれ、怯えた目をした少年は思わず二、三歩後ずさっていた。 「───何でもいい、一曲歌ってみろ」 鷹に射抜かれた獲物のように、彼はその場を動けない。 「ポップスでも何でもいい、お前の知ってる曲、歌って聞かせてくれ」 「……………………」 「鹿島くん、久しぶり」 先程までトレーニングを担当していた男が、少年をかばうように彼の前に立ち、和馬をなだめた。 「…志賀くんの声、録ってある。持って帰ってもらっていいよ」 そういうと、MDを一枚差し出す。 「何でだ?今歌えないのか?」 「か、彼は───…ちょっと緊張してしまってるみたいだから、…ホラ、いきなりTVでしか見たことない二人が目の前に現れちゃったらさ…、」 トレーナーは、肩まで伸ばした髪を、しきりにかき上げた。 「──────………。」 しばらく考える風に無言だった和馬は、踵を返すと、再びドアに手を掛けた。 「…ちぇ、人前で歌えねぇならクソの役にも立たねーよ」 吐き捨てるように一人呟く。そしておもむろに、怯えた瞳で立ちつくしている少年を再び捉えると、バカでかい声で怒鳴った。 「オイ、売れる音楽、やりたくねーか?」 「─────ッ、」 ビクリ、と大きな瞳が見開かれる。 ふいに閉まりかかったドアごしに、彼───雪彦は、その腕を伸ばしていた。 「待って、オレ───…、歌うから」 志賀雪彦(シガユキヒコ)。彼の声は、そのルックスからは予想しなかったような、ちょっとかすれた低めのハスキーボイスで。その場で伴奏もないまま、少年は静かに往年のジャズナンバーを口ずさみ始めた。 「…………………………、」 歌い始めると彼は。まるで一人、別の空間に存在するように、彼独特の色に周囲を変える程の世界をたちまち構築してみせた。雪彦のたたずむ場所にだけ、コマ送りのような時が流れ出し、その奇妙なズレは、やがて観る者全てを不思議なタイムカプセルに乗せ、異次元へといざなった。 ─────彼が歌う事をやめた後でも。しばらくの間、和馬は声を発する事が出来ず、そこに居た。 「……………っ、」 まるで幻覚を見たような眼差しで、ようやく二、三度、目をしばたかせる。 再び真っ直ぐに少年を見据えると。彼はもう先程の、自信なさ気に怯えている、大人しい彼に戻っていた。 「─────お前、有名になりたいか?」 低いトーンで、一言ずつ彼の心に届くように、和馬は真剣な言葉のボールを、慎重に放った。 静かな室内が、水を打ったように、更に静まり返る。 チラリ、と盗み見るように雪彦は和馬を捉え───すぐにうつむいた。 「…なりたい」 その声は、注意していなければ聞き取れないほどに小さかった。 「じゃあ、オレと来て、バンドのメンバー達に会え。」 再び怯えるような眼差しは、目の前に足を広げて立つ、黒い長髪の男を見上げた。 12月22日。クリスマスの3日前の出来事だった。 「ダメだよコイツ、全ッ然しゃべんねぇじゃん」 ソファにもたれ、頭の上で両手を組んだコウは、気に入らない、と言う代わりに、露骨な態度で示した。 鹿島和馬(カシマカズマ)のマンションは、都内の便利な場所に在り、比較的広めのリビングには、黒く大きなトリプルソファが二台向かい合わせに、そしてその間をシングルソファが一台置かれて、コの字を作っていた。 高層階の部屋の窓から、ハイウェイとビルの群れが爽快なほど見下ろせる。 中央に配されたガラス製のローテーブルの上には、バドワイザーの赤い空き缶が山のように載せられ、まるでボーリングのピンのようだ。 ピンを縫うようにして、汚い真ちゅう製の大きなアッシュトレイが二つ、顔を覗かせている。 そのトレイの上にも、まるでオブジェのように絶妙なバランスを保って、吸いガラがピラミッドを形成していた。 慣れた手つきで社───鳥居社は、いつものようにCDのコンポを操作する。たたみ掛けるようなスラングのオンパレードが、リズムに乗って呪文のように室内に溢れ始めた。 「…まるでマネキンだな」 冷蔵庫からビールの缶を数本取り出しながら、和馬は微笑った。 雪彦はメンバーの三人とはあまりにも対照的な風貌だった。 身長こそ、和馬や社とそう変わらないもの───…、その身体は折れそうに細い。 白い肌に、コシの無い柔らかな髪。整いすぎた目鼻立ちと薄い唇。あきらかに日本人離れしたグレーの瞳も髪の色も薄くて、まるで地面に舞い降りては消える淡雪を連想させた。 彼には男性的な要素が、あまりにも少なかった。 透けてしまいそうな印象の彼は、部屋の中でもキャメル色の上着を身に着けたまま。 いつでも帰れるように、と言わんばかりに、ぎこちない様子でソファに浅く腰掛けている。 和馬はテーブルの上の缶を、勢いよく床に落とし、冷えたビールを4本まとめてそこに置いた。 「どうしたら、しゃべってくれるんだ?」 身をかがめたまま、和馬はすぐ目の前で雪彦を覗き込んだ。 「───…すみません」 伏せ目がちな瞳は、少し困ったように小さく謝った。 「どっかに電動スイッチがあるんじゃねぇのか?おい、リモコンは?」 わざと声を立てて、炎のような赤い髪を逆立てたコウが笑う。そして最後には、その笑いもうなだれた。 「カンベンしてくれよ───…、こんなんでバンド組めるかよ、オレはマジでごめんだよ、ゴメンなさいだよ」 「………コウ、」 「─────ん?」 「オレ達は昼間、こいつの歌、聴いたんだ」 「…それが、どうした?」 「まぁ、お前も聴いてみろ。それから決めろ。」 さっき受け取ったMDを、和馬がジーンズのバックポケットから抜き出し、コンポの側に立つ社に放った。 ─────そこに収められていたのは───…三人のバンド、正確には前任のボーカルを入れた四人の、オリジナル曲のカラオケに、彼の声を乗せたものだった。 「?!」 コウの顔つきが、みるみる変わった。もちろん、社や和馬も例外ではなかった。 「─────何だよ、こりゃあ───…」 コウは信じられない、とでも言うような表情で、コンポのスピーカーを知らず見つめていた。 真っ赤に染めて逆立てた髪の、うなじの辺りを困ったように撫でる。 誰もが口に出さなかったけれど─────そのサウンドは、前任時代の数倍、冴えて聞こえた。 「コウ、」 再び和馬の目が、赤い髪を捉える。 「…これで嫌なら、コイツ以上の奴、ここに連れて来い」 …こうして志賀雪彦は。 この夜、人気バンド「ROUGH&RARE」の新メンバーとなった。 「南、オレ今日───…、プロになった」 埼玉の自宅アパートに戻ると、雪彦───ユキは上着も脱がず、姉にその事を報告した。 「!!」 大きな黒い瞳を、ことさらまん丸に見開いて。南は茶ぶ台の上にあるインスタントのお茶漬けを食べていた手を止めた。 六畳一間のアパートの室内は、少し寒い。ユキはほんの少し微笑んでみせた。 「ホント?!それ…、嘘じゃないの?!」 そのまま、頷いてみせる。 「ウソォ………!」 「嘘じゃないよ。」 「キャー!スゴォイ!!」南は思わず、ユキに飛びついていた。 「うるさいぞ!!」 隣室からドンドンと壁を叩く中年男性の声がした。 「ごめんなさぁい」 二人は思わず、肩をすくめた。飛びつかれた勢いで、その場に尻餅をついたユキと、その膝の上に乗った南は、肩を抱き合い、声を殺したまま笑い合った。 「じゃあユキ、TVに出るかも知れない?!」 「うん」 「スゴイ………!念願叶ったね!!」 「うん、まだこれから───…色々契約とか手続きとか、あるみたいだけど」 「大丈夫、私が付いてるから!」 白い歯を見せ、鮮やかに微笑ってみせた南に、ユキも、その微笑みを深くした。 |
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