「強情っぱり」
翌日、ケータイを持つと言ったさくらに、みずほは不機嫌そのままの声を隠そうともせず、吐き捨てるように言った。
「だ、だけど、あたしもいつまでもそういう事、避けてても仕方ないんだし…っ、それでバイト諦めるってのも…」
「超ガンコだな、てめ」
「何よ、あたしだってあたしなりに色々考えてるんだからね、自分の人生」
「…んな事言って、お前あのオヤジの事、気になってるんじゃねーのか?」
「 ! 」
言われて、さくらはドキリとした。
「あのオヤジ」とは、カフェのオーナーである弘次の事。さくらの脳裏に、彼の柔らかな笑顔が浮かんだ。
「そ、そんなんじゃないよ、全然ッ…」
なぜか、心臓が騒ぎ出す。
慌てて、手を振って否定した。
さくらの隣り、屋上に出る階段の踊り場の壁に並んでもたれていた非の打ち所の無い眼差しが、冷ややかにさくらを流し見る。
多少慣れたとは言え、間近で彼に見つめられると、引き込まれるような美しさに、やはりドギマギせずにはいられない。
彼はそのまま、身体を壁から離した。
「……………」
「な、何よ」
上体を前に傾け、真正面から瞳を覗き込まれて、さくらは尚更うろたえる。
 
ちょ、ちょっと…接近しすぎ…! 武原くんのまつ毛、そこにあるよ…!
 
「ホントか?」
「─────…何が」
 
息が出来ないっ、肩がこわばるっ…。
…後ずさりたいけど、でも壁にもたれてるから、それはムリ。
 
「…じゃあお前、オレの彼女になれ」
「 ! 」
瞬きをする暇もなく、いきなり唇が重なった。
「………ッ」
思わず腕で彼を押しやっていた。
けれど、みずほはそんな彼女の腕ごと壁に押し付け、更に奪うようなキスをする。歯と歯が当たった。
「─────…な、何?!」
一瞬の出来事に、さくらは状況が把握できず、硬直するしかなかった。
15cmくらいの間合い。
すぐそこに、怒ったような顔がある。
───急に、怖くなった。
 
何よ?! どういう事…っ?!
 
掴まれていた二の腕に、ようやく痛みが届く。
「……………」
急に、飽きたように彼は上体を離した。誰も居ない放課後の階下の窓を見るともなしに見下ろし、いつもの表情で小さくため息をつく。さくらは真っ白な頭で、一連の出来事をフィルムのように再生していた。
─────彼女になれ、と。言われた気がする…。
「………え? あたしが………? 武原くんの…?」
呟いた独り言に、横を向いたままの彫刻のような通った鼻筋が、表情も変えず、返事した。
「ダメなのかよ」
「そ、そんなの…急に言われても…分かんないよっ」
視線だけが動いて、さくらを見る。
こんな風に流し見られると、肉食獣に見つかってしまった獲物のように、再び心臓が口から飛び出しそうなほどうるさく鳴り始めた。
思考が纏まらなくて、慌てる。
慌てれば慌てるほどそれは、パズルピースのようにバラけてしまう。
それきり言葉を失ったように、身じろぎ一つしなくなってしまった彼女の反応は、彼にとっても予想外のものだった。
さくらは何も考えられない。
言葉なんて、これ以上何も浮かばない。余裕、ゼロ。
みずほはそれを見ながら、相変わらずのニコリともしない無愛想な表情を全く崩さず、けれど思いついたようにこんな提案をした。
「じゃあ、お試し期間ってのはどうだ?」
「………は?」
何を言われてるのか、てんで分からない。言葉が脳を上滑りする。
「オレのお試し期間」
「─────…。通信販売みたいに?」
「気に入らなけりゃ…、返せる」
さくらは笑えなかった。だって、おそらくみずほはマジメにこんな提案を持ちかけているのだ。
…半年間、彼とコミュニケートしてみて分かった事。彼は冗談を言わない。
「う、…うん、いつまで…? お試し期間」
「お前の気が済むまで」
彼は立ち上がり、膝の辺りを軽くはたいた。
制服のパンツは、グリーンがかった紺のタータンチェック。まっすぐな折り目が付いている。
───…こうして、さくらとみずほの奇妙な関係は、ますます奇妙に発展した。
変わった事と言えば、『武原くん』という呼び方が、彼の名前に変わった事くらいだった。
 
 
さくらは自宅に戻って独りきりになると、余計にうろたえた。何が何だか、どうしていいのか分からなくて、枕を胸に抱えてうずくまるように膝立てた。
「……………………」
 
どうしよう、どうしよう。
考えてもみない事だった。…ホントに、ウソじゃなく、そんなの夢みた事さえなかった。…だって、有り得ないと思ってきたし…っ。
本気なのかな───…武原くん…。
あ、違う「これからはみずほって呼べ」、って言われた。
………「彼氏」………だって。
そんな事自体、他人事としか考えた事無かった。
もしも自分にいつか彼氏が出来るとしても、それって二十歳を過ぎて、例えば働き出してからとか…とにかく、もっともっと先のような気がしてた。
あまりに突然の事で、ホントに脳が付いてきてないよ…。
 
さくらは、彼のキスを思い出した。
「あーっ!!」
髪を掻きむしりたいような羞恥心が駆け抜けては彼女をさいなみ、泣きたいような気分が背中を襲う。
 
直後なんて、頭真っ白で…何も考えられなくて───…だから逆に、武原くんには「無感動なヤツだな」って思われたかも…!
だけど今頃になって、あれが現実なんだと気が付いても遅すぎるっ、だって急すぎるよ、…許容量、完全に越してる…!!
だってあの武原くんだよ…?! ウソでしょ?! もうパニックだよ、だってあれがファーストキスだったなんて。
あ…あの、形のいい、ちょっと色素の濃い唇。…触れた時、熱かった。それから多分、柔らかかった…。
彼の歯並び、滅多に微笑ってくれないけど、そのたびいつも白くてとても綺麗だって思ってた。あの歯、あたしの歯に当たった…彼のせいで。
 
その時の軽い衝撃。ショック。
すべてが、夢と思うには現実的過ぎた。
五感が覚えていた。さくらの唇が、当たった歯が、掴まれた左の上腕と、右の手首が…。
 
それにしてもお試し期間…って、何あれ?!
ていうか、あたし武原くん(まだ『みずほ』って呼べない…恥ずかしすぎて)の事、好きなの…?!
でも嫌じゃなかった。むしろ、え、いいの…?! あたしなんかにキスして…もったいないよ、って思うくらい。
 
「でも…っ、そうだよ、あ、あいつなんて───…よく考えてみたら変わり者で…協調性ないし、何か偉そうだし…ッ、命令口調だし、いつも何考えてるか全然分かんないし…っ…」
さくらは枕に顔をうずめた。
「……………、ダメだ………、もうダメ…、明日、どうやって顔合わせたらいいの…? 分かんないよ…もうっ」
熱にうかされたみたいに、目まいまで感じていた。
 
 
アルバイトは、月・水・金の夕方から夜に掛けてだった。これは、ちょうど母が夜の仕事に出るスケジュールでもある。
「火・木・土はどうしてるんですか…? 弘次さん」
制服を私服に着替え、紺地のエプロンを身に付けたさくらは、シンクの中のカップ類を洗いながら、隣りの男性に訊ねた。客がほとんど居なくなる、夕刻の時間帯。テーブル席に3名、カウンター席には誰も居ない。
「別の女の子が来てくれてるよ。…女の子って歳でもないか、僕より一つ上の女性だからね」
ハハ、と彼は小さく声を立てて笑った。
さくらは、アルバイトの人間が自分ひとりでは無い事をこの時初めて認識して、軽いショックを受けた。
 
…自分と同じ立場の人、こうやって弘次さんと時間を過ごす人、他にも居るんだ…。考えてみれば当たり前の事なのに、ちょっと軽くがっかりモード。
 
弘次はこの小さな店のオーナー業の他に、フリーライターの仕事もしていた。営業時間中、彼は時折出版社へ顔を出さなければならない。
「この店は元々、オヤジのもので…。オヤジはもう死んで居ないけど、何となくオヤジに義理立てしてオレが続けてる。…ここに居ながら、本業もこなせるし」
─────本業とは、ライター業の事。カウンターの中には、客からは見えない位置にノート型パソコンが置かれている。
「色んな仕事があるんですね…面白い」
「さくらちゃんくらいの年代のコは、色んな種類の大人を見ておくといいと思うよ。生き方ってホント色々あるからね」
…本当に。
さくらは、心の中で頷いた。
カクテル一つとったって、こんなにも多くの種類があって。そして、その種類だけのお酒をオーダーする、様々なカラーを持つ大人たち。さくらはこうして弘次と2人、客の途切れた合間に話をする時間が、いつの間にかお気に入りのひとときになっていた。
弘次の趣味は、サーフィンとバス釣りとスノーボーディング。それから冬の休日は、友人達と日帰りで雪山へ出かけるという。夏はもちろん、湘南辺りの海岸へ。
彼の大人びた微笑みは、さくらをとても安心させた。
何も話さなくても、2人の間をいつも心地よい暖かさが包んでくれていて。これほど緊張せずに話が出来る男性を、さくらは知らなかった。
みずほと居る時と、あまりにも対照的。
彼はあれ以後も、特に態度や表情を変えないけれど…。強引なキスもしてこないし、別に何かが変わったワケじゃない。
 
ただ、あたし前以上に、みずほの前だとどうしようもなくドギマギとうろたえてしまうようになっちゃって…。正直、息苦しい。
だからって家に独りで居ても、気がつけばやっぱりみずほの事考えてる。頭の大半を、みずほの存在が占めてる。
だから、バイトに来るとホッとする…。忙しい時だけ、みずほの事考えなくて済むもん…。
 
さくらには、父が居ない。
母は弘次よりも一つ年上の38歳。
「火・木・土のシフトの女の人、うちのお母さんと同い年だ…」
さくらの呟きに、弘次はいたずら気な明るい瞳を大ゲサに見開いてみせた。
「ゲッ。て事はオレ、さくらちゃんくらいの子供が居てもおかしくない訳か」
「……………」
「お父さん、居ないんだっけね?」
「はい。亡くなったって」
さくらは言いながら、それは母の嘘だと心の隅で密かに確信していた。なぜなら、ほんの僅かだけれど、赤ん坊の時の記憶の断片が彼女の中に残っていたから。顔までは思い出せないけれど、母と言い争う父の、見上げるとビルのように大きな立ち姿。
─────それから、もう一人…。さくらの脳裏に、別の顔がよぎる事がある。
 
もう一人、こちらを見つめていた眼があったはず…。
 
それは、気のせいかも知れない。記憶が途中で合成されているのかも知れない。
考えても答えの出ない疑問を、さくらは頭の隅から追いやった。
「弘次さんは独身主義なんですか?」
言われて、弘次は頭を掻いた。
「いや、実はバツイチなんだよ。独身主義って決めてるワケでもないけど…。でも言われれば、そうかな。一人の気楽さに慣れちゃったら、もう一度結婚なんて…面倒臭いよ」
「………子供は居たの?」
「………うん、女の子が居た。別れた相手が引き取った。今、10歳の小学4年生」
「───…会う? その子と」
「…いや、相手が再婚してからは…。娘が混乱するから、って言われて…。もう5年くらい、会ってないな…」
遠い目を僅かに細める弘次の横顔に、さくらは父としての、娘への切ない想いのかけらを見つけた。夕日がカフェの窓から差し込んで、店内をオレンジ色の光で満たしていた。
 
さくらは自宅へ戻ると、みずほのケータイに電話した。
なんだか、ケータイを手に取るだけで、緊張に心臓がちぢこまるのを感じてしまう。電子のコール音が耳に当てたそれから聞こえ始めると、ぎこちなさはマック スに達してしまって、何を話していいのか考えられなくなり、とても困る。喉が締め付けられて、声さえ上手く出せない感じがする。
 
…掛けたくてたまらずに電話してるんじゃない。半ば、義務的に。─────だけど、嫌々ながら掛けてるワケでもない。
…うまく表現できないよ、このフワフワドキドキな感覚。
弘次さんとお店で2人きりの時と、ホントにまるで大違い。ただでさえ、元々みずほといると頭真っ白になってたのに、あの日の事があってから余計酷くなっちゃったよ…。
『付き合ってるみたいだね』って言った事が、嘘みたいだけどホントの恋人ごっこになっちゃった。
いつも彼のケータイにコールする時は、こんな風に少し落ち着かないような、くすぐったい気分になる。
…これって、そのうちどうにかなるのかな。そのうち平気になるのかな…。
意味なく焦る。ホント、どうしよう…。
 
「ちゃんと無事帰ったよ」
「うん」
…彼は電話口でも、超マイペースで愛想がなかった。きっと、いつもの無表情で話しているのだと、さくらにも手に取るように分かる。
相変わらずの、ぶっきらぼうな低い声。
 
─────それにしても、なぜみずほと話す時、こんなにも緊張するようになっちゃったんだろう。…彼に対して、以前よりもっとずっと身構えてしまってる自分がいる。
───…それでも学校で会っている時よりは今のほうがマシだなぁ。少なくともキスされる事はないから。
思い出しただけで、頬はとんでもなく熱くなる。
電話なら、突拍子も無いセリフに困惑させられる事はあっても、自分の領域にまで侵入される事は無いもん。だから大丈夫、大丈夫…。出来るだけ、いつもの何でもない自分のままで…。
 
さくらは電話機を耳に当てたまま、彼に気付かれないように、そっと胸に手を当てて震えるような深呼吸をした。
「さくら、オレもバイト見つけた」
「─────…え?!」
「ピザ屋の配達」
「───…ウソ!」
嘘でしょ?! …何て似合わない…!
「何で…っ急に…?」
思わず声がうわずってしまう。自室のベッドに腰掛けたまま、知らず身を乗り出してしまった。
「オレも自立する、お前がこの前言ってたみたいに」
「そうなんだ………」
また、心音が速く高鳴り出す。
「ホントは、高校もやめて家出してやろーかとも思ったけど」
「へ?!」
「ババァにチラッと言ったら、泣き出した」
「─────………」
あきれて、…否、驚きで、開いた口が塞がらない。
何て極端な思考!
ババァとは、みずほの母の事。息子を溺愛している、息子依存症の母。…だけど当たり前かも知れない、こんなスペシャルな子供を持ってしまえば。
「そりゃお母さん、泣くと思うよ、いきなり家出するとか言われたら…っ」
「…そう思って、旅に出るから、って言ったんだけど」
「……………」
 
何てリアクションすればいいの?! 困るってば!
 
さくらは途方に暮れる。
けれど、気を取り直してワントーン高い声を弾ませた。
「ともあれ、見つかってよかったね! …どこのお店? …アッ、ねぇ、でもさ、ピザ持って行った先が知ってる人のうちとかだったら…ヤバいよ、見つかっちゃうよ、学校に」
「ぬかりねぇよ。区域、オフィス街のど真ん中だから。つうかてめー、オレの事そんな頭悪いと思うなよ。このオレがそんな抜けた事するか、バカ」
「…お母さん、バイトの事はオッケーだって?」
「言ったらぜってー大騒ぎだって。言うわけない」
「それもそうだね………」
「なぁ、お前もバイト続けるつもりならさ、原付免許取って、中古の原チャリで通えば?」
「みずほは持ってるの? 免許」
「無かったら出来ねぇよ、大型も持ってる」
「ヘェ…! そうなんだ! バイクも持ってるんだ?」
「今度乗せてやる」
 
 
中間テストが終わった週末。2人はみずほのバイクで出掛けた。
250ccのタンデムシートで冷たい風を突っ切り、山道を駆けた。
─────…そして、行き先も告げられずにさくらが降り立ったその場所は、霧深い山頂の神社だった。
境内には紅葉が色とりどりの花のように、緋や朱や黄色の鮮やかさを競っていた。
昔話の、おとぎの世界。
ここだけ、この世じゃないみたいに、何もかもが薄らいだ存在感。
迷い込んだら異次元へ抜けてしまいそうな神秘のヴェールが、雲のようにたなびきながら山の斜面を降りてゆく。
それはドライアイスが流れてゆくような煙に見えた。
「何かここ………異次元空間みたいだね…」
しんと静まり返った結界の中には、微かに遠くで鳴く鳥の声以外、何の音も聞こえない。そのせいか、自らのつぶやき声さえ、辺りに響く。
みずほがバイクを停め、立ち尽くしているさくらの後ろから言った。
「山ほどたくさんの龍が、今山を降りてるとこみたいだろ?」
「─────…龍?」
「ホラ今、お前の身体の上を、でかい透明な龍の腹が通り抜けて行った」
彼が指差す先には、何も見えはしない。ただ、いく筋ものドライアイスのような白い煙がたなびきながら、低い処へと這い降りているだけ。
「みずほの目には、龍に見えるんだね………」
振り向き、少し微笑んださくらに、彼はからかわれたと思ったのか、少しムッと顔をしかめた。
─────誰も居ない。
神社の敷地内に、2人は腰を降ろした。
…時折、お年寄りが杖を片手に、舗装されてないほうの山道を、等間隔で立てられた赤い幟(のぼり)を道しるべに上がってくる。
「あたし、神社なんて初詣にも来た事ないよ」
隣りに座る横顔は、この風景の中に居ると、今にも白く透けて消えて居なくなりそうだった。
「オレ、誰も居ない処が好きだ」
「…ヘェ、そうなの?」
逆に、あたしはドキドキしてしまうけど…?
さくらは心の中で訴える。
「誰にも見られてない場所。…ガッコとか街じゃ、いつも誰かの視線に追われてる感じがあるから」
「そっか………」
言われて、彼女にも納得するものがあった。
彼と行動するようになってから、いかに社会の目が彼を追うのかを痛感していた。
まるで田舎にやってきた外国人みたいな状態。一緒に電車に乗リ込むと、車両の人々が、一斉に彼を意識するのが分かる。そんな視線の矢印を、360度全方位 から浴びる生活など、さくらには想像もつかなかった。けれど、中学の頃、…否、高校に入ってからでさえも、自分はそんな『彼に向ける視線の矢印』の一つ だったのだ。
…例えば朝、何時に彼が登校するのか。彼の仕草、歩きかた、彼のクセ…。いつも左手を制服のポケットに突っ込んでいる事や、少し眉を潜める表情。彼の星座、血液型、それから彼がいつ髪を切ったのか。そんな事まで全てを知っていた。
校内のほとんどの女の子達が、そうやって彼をチェックしているのだから、芸能人並みの生活。
「うん、いいね………、人の来ない場所」
イチョウの大木が数本。まるで巨大な黄色いブーケのように見える樹を眺めているさくらに、みずほが「なぁ、ホントにあれから痴漢に遭ってないのか?」と訊いた。
「うん、大丈夫だよ、ちゃんと気を付けてるし、…壁際に立つようにしてるし」
「そっか………。なぁ」
「うん」
みずほの醸し出す空気が、ほんの少し変化する。それに応じて、さくらも身を硬くしてしまう。
「気持ちよかったりしねぇの?」
「………? 何が?」
話の筋が見えず、さくらが視線を左隣りに落とす。彼はやはり笑っていない。
「だから、触られて、だよ」
「?! やだ、気持ちいい訳ないよ!! サイアクだよ」
「─────…ホントにか?」
さくらは眉をしかめた。
「ねぇ、どうしてそんな事訊くの?」
「ていうか、気持ちよがる奴、いるだろ?」
「 ! 」
─────まさか。怒りに顔を赤らめたさくらに、みずほが手を振った。
「違う! オレはやらねぇって」
「居ないよ、そんなコ! …どこで見たの?」
「………AV」
さくらはあきれたようにため息を漏らした。
「そんなの、ヤラセでしょ? …気持ちいい訳ないよ!」
「ヘェ………」
みずほはまだ、考え込むような表情をしていた。
 
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