風花〜かざはな〜

23

「それは……あの……わたしたちは……」
恭祐様の腕の中に縋っていたいのに、それも許されぬことと身体を捩ってその中から抜け出そうとした。それを強い力で阻まれ、再びその腕の中に収まってしまう。
「判ってる……僕たちは……だけど、一生、こうやって身体を温め合う兄妹がいてもよくないかな?何もしない、ただこうやって、二人で抱き合うことが許されるなら……」
抱き合うだけ?
こうやって、温もりだけ伝え合ってもいいというの?
「こんなにも震えて……そんなにアイツが怖いのか?僕が、側にいるから……親父の所へは絶対にやらない。ココにいるのが不安なら、僕の所にずっと居ればいい。そうすれば僕も守ってあげられるから」
「でも……」
「何もしなければ、大きな顔をしていればいいんだ……違うかい?」
「あの、恭祐様は、それでいいのですか?」
求められた夜の、辛そうな恭祐様を思い出してしまう。切ないほど、堪えて、わたしを求めることを途中でやめられた恭祐様。そして、あの情熱で何人もの女性を抱かれたはずなのに?
「構わない……離れて居ることや、ゆき乃を苦しめる物から守ってやることが出来るなら、そのくらい我慢するよ。館を出て1年、どれだけ気がかりで、どれほどゆき乃に逢いたかったか。ゆき乃さえ側にいてくれたら、もう何も望まない、そう思えるほど、今までゆき乃はずっと僕の側に居てくれただろう?だから、構わない……そりゃあ、辛くないと言えば嘘になるよ。僕も男だから……」
恭祐様は少し身体を離して片方の目をゆがめて微笑まれる。辛くないはずがない、平気なはずがないのだ。
こんなに優しい恭祐様でも男性であることはわたしが一番よく知っている……
「あ、あの、わたし構いません……恭祐様が他の女性を抱かれても、恭祐様がその方がよければ……わたしは。こうやって側に居れるだけでいいんです。お世話できれば……」
嘘、本当は平気なんかじゃない。でも覚悟してたこと。コレはもう、ずっと前から……だから、平気な振りは出来るはずなのだ。
「本気で言ってるの?他の女を抱いても何の解決にもならないことはもう判ったんだ。あれは……すまなかった。ゆき乃にも醜態を見せてしまった。だけど、どれだけ欲望を果たしても、それがゆき乃じゃない限り、苦しくて、後味が悪いだけだった。もしこうやってゆき乃が他の男に抱かれているなんて考えると、気が狂いそうになるんだ。僕はゆき乃が他の男に抱かれるなんて嫌だよ。だから、僕も他の女は抱かない。それならば自分一人で処理する方が、よほど精神的にいいと思うよ」
「一人で……?」
「ああ、ゆき乃は考えなくていいよ、そんなこと……」
照れくさそうに笑って、ベッドにそのまま腰掛けると、わたしを膝の上に乗せたまま髪を優しく梳いてくださる。
胸に押し当てた耳から、恭祐様の鼓動が聞こえる。規則正しく、でもいつもより早めのリズムでわたしを安心させてくれる。
一瞬頭を掠めた考え。お館様にさせられたような方法を使えばお慰めすることは出来るのではないだろうかと……
太股に当たる恭祐様の下半身は今でも熱く堅い情熱を灯してらっしゃるのだから……
もう何も知らなかった頃には戻れない。それは心も体もだということはお互いに判っているのだ。
「今夜、僕はどうすればいい?」
このままこの部屋に居た方がいいのか、帰った方がいいのかと言うことだろう。それならば……答えはもうでている。気持ちは一つだった。
「今夜、ゆき乃の側に居てくださいますか?」
どくんと、恭祐様の胸が鳴った気がした。
「いいよ。ずっと、朝まで側にいて、忘れさせてあげるよ。怖いんだろう?まだ……」
わたしをのぞき込むその視線に縋る。
「……はい。思い出して、しまって……怖い、です」
ぎゅっと恭祐様のシャツを掴むと、そっと抱きしめられ髪にキスされた。


しばらくはそうやっていたけれども、お互いの動悸が静まるわけもない。身体も互いの熱を伝えあうほど高まっている。
「あの……恭祐様?」
幸せだけど息苦しくて、それ以上何も出来なくて切なくて、わたしは少し身体を起こして空間を確保して恭祐様のお顔をのぞき込んだ。閉じた睫毛が開き、艶っぽい憂いを含んだ目がわたしを捕らえる。
「ん?このまま一緒に休むだろう?それとも、先にシャワーを浴びるかい?」
間近くでそう問われても、わたしはなんて返事していいかわからなくて……
「連れていってあげようか?それとも嫌じゃなければ一緒に入る?」
何もしないよって笑って言われるけど、必然的に全部見られるのはやっぱり恥ずかしい……
「いえ、あの、一人で行けます!」
「そう?僕は入ってもいいのに……そのぐらいの特典は付かない?」
「だめです、いえ、無理です!」
わたしはそう叫んで、恭祐様から離れてバスルームに駆け込んだ。
余裕に見える恭祐様なのに、そのからだから伝わってくる熱も、鼓動も熱くて、わたしは戸惑ってしまう。触れあわなければ判らなかった、いつも穏やかで優しい恭祐様の情熱。知っていながら甘えるわたしは残酷な女だろうか?何人もの女性を抱いたはずの恭祐様。抱けない自分に価値があるのだろうか?この腕の中に自分以外置いて欲しくないと思いながらも、他の女を抱いてくださいと告げるのは矛盾しているかも知れない。それでも、越えてはならない一線がすべての感情をさしもどす。
それでも身体は正直だ……恭祐様の側にいて触れて欲しいと訴えている。その腕の中で溶けてしまいたいと願ってしまう。たった一度与えられた快感を、身体が忘れてはいない。
ほんとうに、ただ一緒にいるだけで満足できるのだろうか?
恭祐様にとっては、とても辛いことではないだろうか?

わたしがバスルームから出ると、入れ替わりに恭祐様が入っていかれた。
バスタオルを巻いただけのわたしの姿に少し驚かれていたけれども。だって慌てていて着替えを持って入らなかったのだ。寝間着を探したけれども、どちらかというとエレガントなデザインのネグリジェしかなく、それを身につけてからも、隠すように布団に潜り込むしかなかった。シングルの狭いベッドだから、どうしようかと悩んだけれども。
「ゆき乃?」
恭祐様も腰にバスタオルを巻いただけの恰好で出てこられて少し恥ずかしそうだった。だって、ココには恭祐様の着替えなんて無いから……
「僕はソファに行ったほうがいい?」
わたしは大きく首を振ると、ベッドの半分を開けて俯いて待った。そこにゆっくり恭祐様が身体を滑り込ませてくる。
こんな小さなベッドでは密着してしまうのは判っている。それがまたお互いに苦しみを産むことも。
でも……離れられない。
恭祐様の腕に引き寄せられて、その腕と胸の中に収まって初めて大きなため息をつく。
「恭祐様の腕の中……こうやって、もう一度戻れるなんて……」
異母兄妹としてだけれども。
「ああ、お帰り、ゆき乃」
髪に軽く押しつけられる恭祐様の唇。
「もう、ココがわたしの帰る場所なんですね。あの館でも、屋根裏の部屋でもない……」
恭祐様の腕の中。
「そうだね……僕も、あの館に帰れなくて、すべてを捨てることになっても、こうやって、ゆき乃が側に居てくれたらそれでいい。もともと二人っきりだったんだ、僕たちは……」
天上を見上げて、懐かしそうにそうに口にする。
大人達の目を盗んで遊んだ幼い日、お互いの寂しさを繋いだ手の温もりで慰め合った。いつだってお互いが必要で、側に居るだけで微笑むことが出来た。ふれあえなくても、見つめあえなくても、同じ屋根の下にいるだけで安心できたそんな存在……あの頃は自分の側から居なくなるとかその存在が誰かのモノになるなんて考えられなかった。
わたしは一生恭祐様にお仕えするつもりだった。恭祐様は……少し違う考えだったようだ。わたしに勉強を教えて、教育を受けさせて、いずれあの館から解放するつもりだったと教えてくれた。こんな、血のつながりで今のようになる前は、早く館からだし、お館様の手が付かないよう、自分の目の届く学園に入れようと、そのために必死で勉強してきたのだと……誰にも何も言わせない力を付けるよう、ずっと影で努力してきたと教えられた。
「だから、ゆき乃が成長して綺麗になるたびに心配だった。親父もだけど、学園の中でも、誰もゆき乃に手出ししないように睨みを効かせていたのに、中等部を卒業したわずか1年の間にあれだ……あんな事件があるし、力也が現れるし……高等部を卒業してからだって、力也が居るからと思っていたのに、学園を出てしまうしね。ただ、親父の心配だけは抜けたから、少しは気が楽だったよ」
その代わりにゆき乃を手に入れられなくなってしまったけど、と小さな声で呟かれた。
「その後は、自分のこと棚に上げてだけれども、誰かがゆき乃に触れてるんじゃないかって気が狂いそうだったよ。もう二度と僕の物に出来ないと判ってしまっても、諦めることも思い切ることも出来なかった。何も出来なくても、何度館に帰ろうと思ったことか。だけど、それが条件だったんだ。親父から、ゆき乃の受験が終わるまでは館に戻るなと。ゆき乃を大学に行かせるための、それが僕の要望だったから……」
「恭祐様……」
嬉しかった。恭祐様がそんなにもわたしのことを考えていてくださったなんて。
「どうやら親父もじぶんの娘だと判ってからはそのつもりだったみたいだけれどもね。僕がゆき乃に手を出さないよう、ゆき乃に釘を刺しておくなんて親父らしいやり方だったよ。僕がその気を起こさなければそれを知ることがない、そういうことだから」
あの夜、そして、館での出来事を思い出す。そう、なぜか恭祐様は知らされていなかった。
「まさか、その事実を知った後でもこうやってることを知ったら親父も驚くだろうけれどもね」
そっと肩を引き寄せられて、みたびキスが髪をくすぐる。
「しかたないよ……ゆき乃は僕にとって異母妹であっても、一番愛しい女なのだよ。誰も変わりの出来ない、大切で……どうにも出来なくても手放せない存在。だから……」
一線は越えられない。それはお互いの心も体も求め合って、誰もその変わりになれないことも思い知らされた。
もう、離れられない……

「けれども、やっぱりあの秘書は誤解しているよ」
「何をですか?」
「その寝間着だよ……目の保養にはなるけれども、どう見たってそれは男性に見せるための物だ。ゆき乃をそういう存在として扱ってるってことが嫌だし、そうさせてる親父に腹が立つよ」
むっとした表情は、恭祐様にしてはすごく子どもっぽいものだった。だけどその視線は胸元に、空いた手が剥き出しの肩をそっと撫でている。
「あの、他になかったんです……だめ、ですか?」
色こそオフホワイトの清楚なものだけれども、肌触りのいい絹に刺繍が施され、キャミソールドレスのように肩ひもだけでつるされている。胸元は深く空いていて、さらに薄いブルーのリボンで閉じてあって、するりと引き抜けばすぐに開かれるものだった。ガウンもついていたけれども、眠るときには着るものじゃないかなと思って着てはいない。そのほかは、透けてた生地が多くとてもじゃないけれども着れなかった。
「ダメって言うか……そんな胸元見せられたら、ごめん……」
恭祐様がまるで少年のように顔を赤くして反らせた。
「恭祐様?」
「どうせ判ってしまうだろうからね……こうやって、一緒に寝てたりすると……」
くるっとコチラを向いて、わたしを正面から抱きすくめる。強い力で……
「あっ……」
お腹に当たるのはやはり熱い恭祐様の情熱で、硬く強張り、その形を主張している。
「こういうコト、だけど……別に、このままでいいから、ゆき乃も気にしないで……」
苦笑いする恭祐様はいつもより照れくさそうで、そう言われても、熱い下半身の存在は大きくて……それは、わたしにすべてを晒してくれているんだと思えた。
「長く夫婦で居るとお互いが空気のような存在になるっていうじゃないか?僕たちもはやく一足飛びにそうなれないかなんて、切実に願ってしまうよ」
「まあ、恭祐様ったら……」
わたしがくすくすと笑うと余計に強く抱きしめられた。
「ずっとこうしていたい」
「はい……」
「だけど、同じベッドにはいるのは僕の部屋だけにしよう。このベッドは狭すぎるから……辛さが倍増する。腕を緩めたら落っこちそうだよ」
その言葉にふたり微笑みあって、お互いの鼓動を聴きながら、そのまま眠れぬ夜を温め合って明かした。


      

辛い夜は続きます……