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その後・1

「志奈子の部屋に行っていいか?」
お互いの気持ちを互いの言葉で確認し合ったあと、甲斐くんはわたしの部屋に来たいと言い出した。
どうしよう……部屋はもうすでに引っ越しの準備をはじめている。月末には母のいる実家へ越すつもりだった。
「引っ越す用意してたのか?」
甲斐くんは、あちこちに置いてある段ボールや、やけに片付いた部屋を見回し驚いていた。
母が子供を一緒に育てようと言ってくれたこと、部屋もすでに用意してあることを伝えると、すごく喜んでくれた。わたしと母との間のわだかまりを、誰よりも理解してくれていたのは彼だったから。
だけど彼は、母のところでなく自分のところに帰ってきてくれないかと聞いてきた。
「……帰ってもいいの?」
わたしがそう問い返すと、真剣な顔で頼むから帰ってきてくれと強く言われた。あれから、あの部屋には誰も入れていないからと……
でも、これからはえっちもあまりできないのに、いいのだろうか?それを聞くと甲斐くんは思いっきりため息をついて頭を抱え込んだ。
「オレたち、ほんと……話し合わなきゃだよな」
わたしたちには言葉が少なすぎたから……これからは、ちゃんと言葉にして伝えあわないとだめだということだ。
「オレはきっと志奈子に甘えて我儘を言うと思うんだ。だけど、ダメなことはダメだって言ってくれ。言ってくれないとオレにはわからないから。遠慮せずにオレに甘えて我が儘言えよな?これからもっと身体いうこときかなくなるんだから、オレを扱き使って振り回してくれてかまわないから」
甘え方なんてしらないから、どうすればいいのかわからないんだけど……それも聞いていいのかな?ただ、妊婦だから……えっちとか控えてもらえたら助かる。だけど反対に全然触れてもらえなかったら、寂しくなると思うから、少しは触れてほしいって、そう思ってることも全部伝えればいいのかな?

「おいで」
着替え終わると、ベッドに腰掛けた甲斐くんに呼ばれてその隣に腰掛けた。引き寄せられ、互いのどこかしらが必ず触れ合う体勢で、わたしたちは言葉を伝えあった。甲斐くんはわたしが話してる間も、ずっと髪にキスしてきたり、頬を寄せてきたり……そんな些細なことがうれしくて、幸せで。こうやって甲斐くんに身体を預けて話してると、いろんなことを素直になって話せそうだった。
「わたしは……母の事を淫乱な女だと思ってたの。だから、自分だけはそうならないようにって、ずっと思ってた。それなのに、初めてのとき、甲斐くんに触れられてすごく気持ちよくて……そんな自分が嫌なのに、あのときは自分でもわからないまま、甲斐くんを受け入れてしまった。そのことを後ですごく後悔したわ。自分がそんな無分別で快楽に弱い女だとは思いたくなかった。もっと理性的で、一生ひとりで生きていくと信じてたのに……やっぱりわたしは母のように淫乱で無分別で、最低の女なんだと思ったの」
何度も抱かれて、離れられなくなる自分が怖くて……好きだと気がついてからは逃げることばかり考えていた。思いを伝えても無駄だと諦めて、早く彼から離れて普段の自分を取り戻そうと必死だった。だけど、甲斐くんは何度もわたしを引き戻した……
「オレは、たぶん最初に抱いた時から、志奈子に惹かれてたんだと思う。でもなけりゃ、あんなところで、あんなシュチュエーションになったからといって、バージンの女を無理やり抱いたりしないよ?志奈子だって……オレの事嫌いじゃなかっただろ?でなきゃあのとき、いきなりオレに何もかも許したりしなかっただろ。あの時点で、おまえもオレも互いを欲しがっていたことに気付きもせず、そのあともずっと、言葉にせず、カラダだけを重ねてしまった」
だれとも付き合わず、一生ひとりで生きていくと決めていたわたしが、唯一気になって目で追っていたのは甲斐くんだった。たまに話ができるとなんとなく嬉しかったのも覚えている。自分は彼がつきあうようなタイプじゃないってわかっていたから、あえて態度にも出さずに、あんなことがなければ一生スルーして過ごしていたと思う。ただ、綺麗な顔してるけど、どこかみんなに馴染みきってない冷めたものを感じていた。自分と同質のものを……
「まじめな委員長みたいなタイプは、オレみたいなの相手にはしないと思ってたんだ。だけど、不意に手の中に落ちてきた志奈子の身体を貪ぼるようにして抱いた。すごくよくて、付き合ってるカノジョともうまくいってなかったから、そいつと別れて付き合ってもいいかなって思ってたのに『セフレでいい』なんていうもんだから、余計に身体ばかり求めてしまったんだ。いくら抱いても志奈子の心が見えなかった。今までの女みたいにちっともオレに夢中になってくれない。だから、手に入らないものだと思っていたんだ……志奈子の中にある拒絶を、揺るがないものだと勘違いしていた。それがなんだか嬉しかったんだ。周りにいる女たちみたいに、男に夢中になって堕落したりしないってたりしないって勝手に思い込んで、一旦手にすると必死で抱いて自分のものにしようとしてた。たぶん……簡単にオレを欲しがったり落ちたりしない志奈子の中に、オレを置いていなくなった母の姿を重ねてたのかもしれない。記憶のかけらもないのにな……だから、こんなに求め、奪い、縋り、依存していたんだと思う」
甲斐くんがそんなふうに思ってくれていたなんて、やっぱり口にしてくれなければわからないことばかりだった。話さなきゃいけないんだ、わたしも……もっと。
「わたしは……どんなに逃げても、離れようとしても、身体が言うことを聞いてくれなかった。とっくの昔に、身体で答えを出してたんだよね。甲斐くんが好きで、欲しくてたまらないって」
「ああ、オレも身体が先に答えを出していた。志奈子が好きで好きでたまらないってことを」
甲斐くんの指が、愛おしげにわたしの頬を、髪を何度も往復する。
「全部口に出してれば……よかったんだよね」
「ずいぶんと遠回りしてしまった。まさかあの時はもうピルを飲んでないなんて考えもしないで……おれは思いっきり志奈子を抱いた。だけど、出来てもいいって、本気で考えてたんだ。そうすればおまえはオレのものに出来るかもしれないって……卑怯な考え方だったよな」
「ううん、それをいうならわたしのほうが……酷いと思うよ。だって、もしかしたらってわかっいたのに、甲斐くんに避妊してっていわなかったんだもの……ごめんなさい」
「いいんだ、それは……オレも、悪いんだ。いや違う、オレもそう望んだんだ。だから、この子はオレたちがちゃんと欲しくて出来た子なんだ。そうだろ?」
そっと優しく下腹部を撫でてくれる。
「この子が……オレたちを繋いでくれたんだ。誤解ばっかりして、それぞれ別の人と結婚するって思い込んで……それも全部口に出して言わなかったからだよな?」
「うん、ちゃんと言わなきゃ……だよね?」
「ああ、とりあえず今は……お腹空いてないか?」
時間を見るとすでに9時を回っていた。ここに帰ってきたのが7時を回っていたから、2時間以上こうやって話してたっていうの?
「ほんとだ。何か作るわ……先にお風呂にでも入ってて。明日は、仕事なんでしょ?」
「ああ、泊まっていいんだよな?」
「うん……だって、一緒にいてほしいから」
素直にそう言うと、ぎゅうって抱きしめられた。
「そんな可愛いこと言うなよ」
もしかして……って思ったけど、甲斐くんはわたしのこめかみに軽くキスすると身体を離して『欲しくなっちまうだろ』と小さくつぶやいて、バスルーム行ってしまった。

甲斐くんがお風呂に入っている間に簡単な料理を作ってテーブルに並べた。
「おまえの作った料理、久しぶりだな。もう一生食えねえって思ってた……」
甲斐くんは、口にしてすぐに言葉を詰まらせてしまった。一瞬泣いてるのかなと思ってしまったけど、すぐにばつの悪そうな顔をあげた。甲斐くんは見るなと言って、すこし拗ねた顔をして横を向いてしまったけれども、再び黙々と食べはじめた。相変わらず甲斐くんは美味しそうに食べてくれる。わたしも、久しぶりに美味しいと思って食事をすることができた。
わたしがお風呂を済ませて出てくると、Tシャツとボクサーパンツ姿の甲斐くんが上掛けを剥いでベッドに誘う。
「もう寝るだろ?」
「ええ、甲斐くんも明日は仕事なんでしょ?」
「ああ、ちょっと早く出ないと間に合わないな。志奈子も仕事だよな?」
「うん……」
「そっか、じゃあおやすみだな」
わたしの身体を気遣ってか、そう言って、ぎゅっと抱き込むだけでそれ以上の事をしようとしてこない。
もちろん無理できないことはわかっている。妊婦だし……甲斐くんも朝が早いのだから。わたしも月末まで仕事は休めない。卒業式の後片づけに、離職の準備。それに……日高先生も正岡先生も心配してると思うから、ちゃんと報告しないといけない。
「おやすみなさい……」
わかっている……だけど、身体を寄せ合っていると、わたしだって欲しくなってくる。
最後に抱かれてたから、どれぐらい経ってる?甲斐くんはその間……誰も抱いてない??
「……しない、の?」
思わず聞いてしまった、自分から……すごく恥ずかしいけれど、言わなきゃ伝わらないから。たぶん、今の甲斐くんは、昔みたいにわたしの意思など関係なく抱こうとしたりしないから。
「志奈子は……したい?」
そんなふうに聞いてくるなんてずるいと思う。わたしの下腹にあたる熱くて硬いものを押しあててくるくせに。
「……して」
思わずそう口にしていた。甲斐くんは驚いて聞き直してくる。だけど、欲しいんだもの。赤ちゃんがお腹の中にいるけれども、どうしても実感したかった。わたしが甲斐くんのモノで、甲斐くんはわたしのモノだってことを……

「壊しそうで……怖いよ」
彼も赤ちゃんのことを心配してくれるけど、取り敢えず安定期に入りつつあるので、気をつけてすれば大事丈夫だと本にも書いてあった。産婦人科でも『構いませんよ』と言われたけれども、そのときは相手がいないと思ってたから関係ない話だと思っていた。
「嫌かな……お腹とか出てきてるし、元々そんなにスタイルもよくないし……」
「違う!大事なんだ……志奈子も、子供も。だから……」
うん、それが本心だってわかるよ。だって、押しつけられた甲斐くんの下半身はずっとわたしを欲しがったままだから。
「志奈子……ほんとに、抱いていいのか?」
少し泣きそうにも見える、自信なさげな……でも熱くうるんだ眼をした甲斐くん。
「うん……お願い」
「大事に……抱くから」
まるで神様にでも誓うように、わたしの手のひらにキスしてくれた。
唇に、それから身体中に……お腹がぽっこりと出た身体を見せるのは恥ずかしかったけれども、そのお腹にもいっぱいキスをくれた。
あんまり感じちゃいけないんだろうけど、甲斐くんが触れてくれるだけで身体も、心もふわふわと浮きあがり、そして与えられた指先の愛撫にびくりと現実の快感に引き戻される。
「ゴムないから……そのままだけど、いい?」
「んっ……いい、きて……」
用意してなかったんだと、甲斐くんは謝ってきた。いくらもう出来ないからといっても、あまりお腹の子に負担はかけられない。そのためにも避妊具は必要だと甲斐くんは言う。
「本当はナカに出したいよ……志奈子のナカ、全部オレのでいっぱいにしたい」
そんなこと言われて、わたしは思い出してしまう。何度も、何度も、満たされたあの頃の事を。
「わたしも……欲しい」
「志奈子っ!」
お腹を圧迫しないように気をつけて、何もつけていない甲斐くんが後ろから入ってくる。
忘れられなかった……ずっと。
「んっ……あぁん」
甲斐くんを身体の中に感じられた時、痺れるような至福感を味わう。幻でもなんでもない、甲斐くん。
「ああ、志奈子の……ナカだ……」
硬く張りつめた彼のモノがわたしの中にある。あまり動こうとしないソレにじれったさを感じながら、わたしは自然と腰を動かしてしまう。
「だめだ、激しくできないから……」
繋がっているだけで、もうおかしくなりそうなほど感じていた。お互いに……
「志奈子、好きだよ……ずっと、離れてて、苦しかった……」
何度も好きだと囁きながら、甲斐くんが狂おしげにキスを繰り返す。
「わたしも……ほんとは、ずっと一緒にいたかったの」
言葉よりも雄弁に、身体は求めあう。だけど、伝えたくてもどかしくて……舌をからめ合いながら、言葉にしていた。わたしからも、求めて吸いつき、繋がったまま泣きながらキスを繰り返していた。
「っく……我慢できそうにないよ」
甲斐くんがナカでドクンと跳ねる。そして緩やかに腰を動かしはじめる。
「わ……たしも」
深くはダメだと言われている。でも、欲しくてつい腰を動かそうとして止められてしまう。
「ダメだよ……ゆっくりだ。志奈子が動いたら、オレはすぐにいっちまうだろ?」
「でも……」
「すぐは嫌だろ?オレだって……久しぶりの志奈子のナカ、ずっといたいぐらいなんだ。そりゃ、滅茶苦茶に動きたいけど、我慢するから……」
緩やかな動きがかえって切なさを増してしまう。
「志奈子、志奈子……」
耳元で熱く名前を、何度も呼ばれる。
「甲斐くん……好き」
「ああ、オレも……」
そっと顔だけ近付けて口づける。
「んっ……んっあっ」
「志奈子……」
甲斐くんが何か言いたげに唇を動かす。
「愛してる……志奈子」
「甲斐くん、もう、離さないで……」
「離す、もんかっ!」
一瞬激しく腰を動かした彼は、引き抜くとわたしの腹部にたっぷりと白い欲望の証を吐き出した。その後も一度では終われずに擦りつけて来るのは相変わらずだった。
「志奈子……もうずっと一緒だから」
寝息とともに聞こえた甲斐くんの最後の言葉に、嬉しくて、抱きかかえられた彼の胸にあふれる涙を押しつけていた。何度も流した悲しみの涙ではなく、幸せすぎて溢れてくる涙だった。


「ごめんなさい、せっかく部屋まで用意してもらっていたのに……」
甲斐くんが帰ったその日の夜、わたしは母に電話で事情を話した。
夕方は本岡先生に呼び出されていたので少し遅くなってしまった。先生にはたっぷりとその後の一部始終を説明するまで解放してもらえなかったから……
母には、お腹の子供の父親が迎えに来てくれたこと、月末には彼のもとへ行くことになったとを順序立てて説明出来たと思う。まだ少し、面と向かって話すのはお互いにぎこちない。電話のほうがまだいくぶんましなような気がするけれども、『よかったね、おめでとう』を繰り返すのを聞いていると、やっぱり顔を見て話せばよかったなとも思う。でも、下手すれば先に甲斐くんの部屋に連れて行かれそうで……一旦実家に行くなんて言い出せそうになかった。
『しかたないわね、お義父さんにはわたしから言っておくから、気にしないで』
甲斐くんが迎えにきてくれたことは本当にうれしかった。だけど、母ともようやくわかりあえることができて、一緒に暮らそうと言ってもらえたことがどれほど嬉しかったか。義父も驚くほど喜んでくれて、家を出た自分の子供たちに声をかけてベビー用品をもってこさせたり、足りないものを買い込むので困ると母が愚痴るほどだった。それほど楽しみにしていてくれたことを考えると、すんなりと甲斐くんのもとに行っていいものか、少し迷っていた。
『何言ってるの、本当に好きな人が迎えに来てくれたんでしょ?それならなにも謝ることないじゃない』
「でも、せっかく部屋、用意してくれてるって……」
『あの人があんなに喜ぶなんて思わなかったものね。自分の子供たちはわたしに遠慮して、子供が出来ても帰ってこなかったから……孫を可愛がれると思って楽しみにしてたのね。予想以上に子供好きなのには驚いたけれど。あんたが頼ってきてくれたことも、すごく喜んでたから……ずっと、どう接していいかわからなかったって言ってたわ。あんたから母親を奪ったような気がしていたんだって。わたしは……とっくにあんたの母親の役を放棄していた情けない女だったというのにね』
母はあれから、昔の事も平気で口にするようになった。そのことで過去は変わらないけれども、わたしたちの関係は確実に変化した。わたしも母も思ったことを口にするようになった。
「あの、産後そっちに帰っても、いいかな……」
『いいに決まってるでしょ!しばらくは大変なんだから。仕事してる旦那さんはなかなか手伝ってくれないし、遅くに帰ってこられても困るのよ。だから落ち着くまでこっちに帰ってきなさいよね。そのあいだの面倒ぐらい見させてよ。今まで……なにもしてやれなかったんだから』
母の声が震える。すっかり涙もろくなった母はすぐに声を詰まらせて泣くのだ。
女としても、親としても弱い人だった。逃げること、見ないふりをすることで自分の平常を保とうとしていた。それでもわたしが無事育ったことを考えれば、最低限のことはしてもらえていたということだろうか?わたしがしっかりすればするほど、母は外に目を向けてしまった。自分の幸せと快楽を求めて……殴る蹴るをされなかっただけでも、本当にマシだったんだと思う。
「引っ越してからになるけど、甲斐くんが挨拶に行きたいって。お腹が大きいから、式とかは挙げたりしないけど、一緒に食事でもって言ってるわ」
『じゃあ、向こうの親御さんとは話しは出来てるんだね?』
「う、うん……両家じゃなくて、先に甲斐くんだけでも行くって」
『そうなの?こっちはいつでもいいわよ』
さすがに甲斐くんの義母がわたしたちと同い年だとは言っていない。朱里さんのお腹も大きいし、甲斐くんのお父さんと引きあわせるのはもっと後でもいいかなと思ってしまう。
きっと義父は驚くと思う。母とも15歳近く離れているのだから、60歳前の義父と40歳過ぎの甲斐くんのお父さん、そしてその奥さんである朱里さん……顔を合わせたときの母と義父の驚いた顔を想像すると申し訳ないと思いつつも、少しだけ楽しみだった。

「ふう、あとは引っ越すだけ……」
あと何日かは学校へ行かなければならないけれども、あとは退職の準備だけだ。引越しの荷物も、元々荷物が少ないのもあるけれども、大体は準備できている。引越しの日も、日高先生が実家から車を借りてきてくれることになっていたし、行き先がわたしの実家から甲斐くんの部屋に変わっただけだし。
彼は今時分どうしているだろうか?21時を回って、もう帰っているころだろうか?
昨夜は、いっぱい話をして、ゆっくりとだけれども愛し合うことができた。足りなかった体の部分を深く埋められ、体は歓喜していた。これほどまで欲していたのかと思うほど、子供のいる体でありながらも、欲情し、乱れ、昇りつめてしまった。
「やだ……」
思い出すだけで、下肢がうずいてしまう。
「甲斐くん……」
思いだしてしまう、甲斐くんの匂い、ぬくもり……そして指先。
「もうっ」
これは毎夜電話してきては、抱きたいだの、こうしたいとか具体的なことを口にして、わたしを煽るからだ。
いろいろ話して決めなきゃいけないことがあるのに、すぐに艶っぽい声でわたしをその気にさせようとする……そういうところは相変わらず意地悪だと思う。
言葉が足りなかった分、これからは全部話そうと甲斐くんも言ってくれたし、喧嘩してもいいから、思ってることちゃんといってわかりあおうと言ってたのに、すぐに邪魔するのだ。
さっそく……電話越しで引越しの準備の話で喧嘩になりかけた。甲斐くんは引っ越し業者を呼べばいいと言けれども、前から日高先生にお世話になるつもりだったから、今更断れないと意見が対立した。
『あいつに頼むのは……あんまりうれしくないな』
感謝こそすれ、日高先生に妙なライバル心と引け目を感じているらしいけど、きっと正岡先生と一緒にいる日高先生をみれば考えを改めると思う。
だって、正岡先生のパワーにはきっと誰も勝てない。対抗できるとすれば朱里さんぐらいだと思うもの。

ふうとため息をつき、そのままベッドにゆっくりと横たわる。あれから日も経ち、シーツもとっくに変えたはずなのに、まだ甲斐くんの匂いがしているような気がする。
「甲斐くん……」
声に出したそのとき、ケータイが震えて鳴った。
『志奈子?まだ起きてた』
「うん、起きてたよ」
今仕事から帰ってきて着替えたところだという。
『早く志奈子がいる部屋に帰りたいな』
以前のわたしなら、家庭的な食事がしたいから言ってるだけなんだと思っていたところだ。今では、彼がわたしとふたりで家庭を作ろうとしていることが十分分かっている。
「晩御飯は?もう食べたの?」
『ああ、水嶋さんと食ってきた』
とりとめない今日あった自分の出来事や、引っ越してからどうする、なんて話しをするのが楽しい。今までじゃ考えられないほどお互いの事を口にしていた。
『あーあ、抱きたいな……志奈子のこと。早く、また抱きたい……』
甲斐くんの声が甘く掠れる。それだけで、わたしの身体は火がついてしまいそうになる。
「わたしも……」
欲しいと口にしていた。その声が少しだけ上ずる。
『……ほんとか?だけど、そんな声出してたら、今から迎えに行っちまうぞ』
冗談だとわかっていても身体が反応してしまう。
『あんまり煽るな。おまえはまだ大事な時期なんだから……オレ無理して壊してしまいそうで怖いよ』
それだけ溜まってるんだからなと、ちょっとふてくされた声で甲斐くんが電話口で拗ねていた。
あれから……甲斐くんの子供もみたいな部分もたくさん見れた。そして、反対に大人になった部分も。父親の事、前みたいに毛嫌いしてるのではないこともわかる。だって、すごくうれしそうな顔して話すんだもの。
わたしも、未だに母親になる自信なんてない。でもそれは朱里さんも同じだってこと、彼女からかかってきた電話で、不安で悩んでるってことを聞いて安心した。彼女ほど完ぺきな女性でも同じなんだと。それでも甲斐くんのおとうさんと結婚しちゃうあたり、朱里さんはすごいと思うけど。
『なあ、志奈子……』
「なに?」
急にその声が低くなる。
『ほんとに、帰ってきてくれるんだよな?』
「どうしたの?急に」
『ほんとはさ、おふくろさんのとこに帰りたいって、思ってるんじゃないのか?オレは……また無理強いしてないか?』
「甲斐くん?」
『いつだってオレは、おまえの事が欲しくて、欲しくて……求めるばっかりだった。オレがおまえにしてやれることってないのかって考えたら、やっぱりしばらくでも、結婚するまでおふくろさんのところにいた方がいいんじゃないかとか考えてさ』
やだ、なんの心配してるかと思えば……
「お母さんには、出産後お世話になりますって言ってあるわ。たぶん誰よりも……わたしや甲斐くんよりこの子が生まれてくることを楽しみにしてくれてるのは、お母さんだと思うの」
『志奈子……』
「わたしたちが子供時代をやり直せないように、お母さんも子育てをやり直せないのよね。だけど、わたしたちは今から自分たちの子供を育てていくことで、いっぱいやり直せると思うの。わたしたちが大きな失敗をしないことで、またお母さんも安心すると思うの。ううん、させてあげたいの」
『ああ、うちの親父は今からやり直す気満々だけどな』
思わず電話口でお互いに噴出した。
「だから、生まれてしばらくはわたしもちょっと無理できないし、しばらくは……その全然出来ないわけだから、実家に戻ってもいいでしょ?」
『あ、ああ。それは、もちろん構わないけど』
「だから、今は……すぐにでも甲斐くんのところに行きたい。わたしだって……甲斐くんが欲しいもの」
最後の言葉はすごく小さくなってしまったけれども、ちゃんと聞こえたかな?
『馬鹿野郎……我慢できなくなるだろ、ったく』
はぁと、甲斐くんが吐き出す吐息までもが甘く聞こえるほど、耳元に甘く囁かれる。
「早く……帰りたい」
『ああ、待ってる』
あと数日が待てなくて、毎夜お互いの声を聞いていないと安心できずにいるふたりだった。
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