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27
「はぁ、はぁ……」
荒い呼吸音が耳元で聞こえる。
「あっ……ん、やぁ…はぁああ」
艶を帯びた女の喘ぎ声は自分のもの。
ぴちゃぴちゃと掻き回される愛液に濡れた自分の秘所。
ギシギシと、甲斐くんが腰を使うたびに軋むベッド。
朝まで甲斐くんの腕の中で眠れるのが嬉しかった。
顔を見られたくなくて背中向けても甲斐くんは背中を向けたりしない。わたしを後ろから抱え込んで眠るだけ。母親を知らずに育ったから温もりが欲しいのかも知れない。わたしも、あまり与えられなかった温もりを彼に求めていたのかも知れない。
愛情のないセックスなのに、こうやって一緒に暮らしているとまるで愛されているかのような錯覚を与えられる。不思議と満たされている自分に驚く。こんなに慣れてしまっていいのだろうか?本当に卒業するときに離れられるの?

大学4年になって少しだけ生活パターンが変化した。
甲斐くんも昨年からスーツを着てこまめに就職活動を続けていたけれども、そのせいか週末も説明会や面接がある日は帰ってくる事が多くなった。モデルのバイトも減らしたみたいだし、その分変則的な出掛け方をするようになった。普段の日に帰ってきても呼び出されて出て行ったり、急に『今日は帰らない』のメールだけが送られてきたり……
それでも就職が決まるまでは精力的に動き回ってるようだった。
「オレはアイツみたいになりたくないんだ。だからいいとこに就職して、普通のサラリーマンになりたいんだ」
この辺りはわたしとよく似た考え方だった。親が親だったから、せめて正反対の人生が送れるようにと、わたしは教員という公務員の職に就こうとしていた。彼は大手企業から中小企業まで回って、サラリーマン目指して就活を続けているようだったが、この不況時なかなか就職が決まらないようで、軽い焦りを彼から感じていた。
就活もかなり忙しいみたいなのに、バイトも減らしてここの家賃は大丈夫なのだろうか?
「ねえ、家賃の事なんだけれども……」
「志奈子が気にしなくてもいい。おまえだって4年になって、教育実習があるから家庭教師のバイト減らしてるだろ。教採の試験だって難しいっていうし……おまえなら大丈夫だろうけど、そのまま勉強してろよ」
「う、うん……」
彼はわたしの進路に対してすごく協力的だった。それはとてもうれしいことで、応援してくれる人がいれば頑張れた。わたしは相変わらず大学と家庭教師、その残りは勉強と集中出来る環境を与えられてひたすら勉強を進めていた。

だけど、甲斐くんが帰ってこない日が増えるほど不安が募る。いきなり出て行った日はカノジョに呼び出されたのかとか、急に帰らなくなった日はカノジョの所に泊まるのかとか……考えなくていいことまで考えて、いつの間にかその相手に嫉妬しているのだと気づかされた。嫉妬なんてしてもしょうがないのに……少しでも自分の中にそんな気持ちが存在したことに怖くなった。何か、期待してたんだろうか?自分が思われてるとか、特別だとか……考えちゃいけないのに、これ以上求めるときっとわたしの心が壊れてしまう。だから、このまま何にも気づかないふりして後一年、終わるまで冷静な自分でいられるようにしなければならないのに……


「志奈子、これやる」
「なに、これ?」
渡された包みの中にはきれいなパステルカラーの薄いシフォン生地のワンピース。
「今日撮影の時、モデルが着てたんだけど……」
自分が粗相して汚してしまったから買い取ったんだという。
「ちゃんとクリーニング出してあるから、それ」
だからといって、こんな服どこに着ていけというのだろう?出かける当てもないのに与えられたオシャレで高価そうなブランドの洋服。だけど……初めてかも知れない。彼からこうやって何かを渡されるのは。そういえば、今月はわたしの誕生日月。まさかね……甲斐くんはそんなの知らないはずだ。
「ありがとう……」
素直にお礼を言った。わたしにしては精一杯笑顔を見せたつもり……ホントは、嬉しくて泣き出しそうなのを堪えていたんだけど。だって、誕生日にしろ何にしろ、誰かから身につけるものをプレゼントされたのは初めてだったから。甲斐くんはわたしがその服を袋にしまうのを見ると、さっさと背を向けてバスルームに向かってしまった。
もっと大げさに喜んだ方がよかったのかな?でも、特別なプレゼントじゃないし、まさかモデルが着たものをカノジョにはあげられなかったからわたしの所に来ただけでしょ?

そのワンピースは今も部屋の隅に掛かっている。だけど着る当てなんてまるでない。学校と家庭教師のバイト先の往復しかないし、あとは買い物でスーパーに行くぐらいだ。元々あまり化粧もしないし、シンプルなブラウスとスカートがあればいい。普段はジーンズにTシャツで十分だ。こんな、肩とか膝とか丸出しの胸の開いた服は恥ずかしいし、それを身に付けて出かけるような所はどこにもない。合わせる靴だって持ってない……
それなのに、馬鹿みたいに着もしない服を隠れて眺めていた。
もし、最後にこの服を着て、甲斐くんとデートできたら……ううん、食事だけでも構わない。いつか、そう遠くない未来に別れる日が来たら、その前に一度だけ、思い切って誘ってみようかな、なんて考えていた。


あれは……甲斐くん?
大学を出てすぐの所に、以前見た派手なデザインの黒い車が停まっているのを見つけた。その運転席にいるのは確かに甲斐くんだった。それを見て一瞬わたしを迎えに来たのかと思い駆け寄りそうになる足を止めた。その車に近づく背のすらっと高いスレンダーな女性。着ているものも凄くオシャレで綺麗な人……モデルさんだろうか?
「あれ、英文科の氷室さんよ」
近くにいた女の子達がすぐに、それが誰なのか教えてくれた。やっぱり綺麗な人って学内でも有名なんだ。
「うわぁ、車の男……出てきてドア開けてるよぉ、まるでホストみたい」
「まさか氷室さんって言えばモデルもやってるし、親が会社社長で男なんて選び放題だよ?あの人だって、ほら、そんなに派手な格好じゃないじゃない?彼氏だよ、きっと」
「ほんとだ……あれ?なんか見たことあるような……あ、前に氷室さんと同じ雑誌に載ってたモデルの男の子だ!さっすが、モデルの彼氏はモデルですか!」
「比べない、ひがまない。わたしたちとはレベルが違うんだから」
そう、レベルが違う。
知らなかった。甲斐くんの彼女がこの大学にいたなんて……以前隣の男が言っていた綺麗な彼女って氷室さんだったの?それともまた別の人?どっちにしても敵いっこない相手だ。
なんだ、バカみたい……どこかで期待してた自分が惨めになる。あれだけわたしを抱く甲斐くんには、本当は特別な女の人はいないんじゃないかなって思っていた。そんなことあるはず無いのにね。
でも、こうやって身近で目の当たりにみたのは初めてかも知れない。それも、同じ大学なんて……学部が違うから出会うことはあまり無いだろうけれども噂が聞こえてくるぐらい有名な人。スタイルも良いし、モデルやるくらい美人だし、社長令嬢だし……自分と比べる事自体が間違っているけれども。甲斐くんの彼女ならこのぐらいの人じゃないと釣り合わないんだ、と一人納得していた。

その日の夜は甲斐くんは帰ってこなかった。
一緒に暮らしてるからって、期待したら駄目なんだと……再確認させられた夜だった。それ以降、構内で何度か見かける彼女の姿にわたしは思わず身を隠したくなる思いだった。実際そんな不自然な事は出来ないし、向こうはわたしの事なんて欠片も知らないのだから。それに、知らせてどうする?
甲斐くんにとってわたしは、誰にも抱かれることがないはずの身体を抱くのが物珍しかっただけ。避妊せずに抱けるのが便利で、おまけに身の周りの世話をさせて、どこで誰と何をしても文句を言わない、便利な女。あんな綺麗で素敵なカノジョがいればいつ捨ててもおかしくないはずなのだ。だけど、同じような境遇で育ったわたしに同情して捨てられないだけなんじゃないだろうか?だって最近は、呼び出されたら何時でも出て行く。以前はめんどくさがってケータイやメールも放置だったのにこまめになったし、帰ってきたら疲れてるみたいで、無理してる……今までの甲斐くんならあり得ないことだった。それがずっと続いているようならずいぶんと長く続いてるのだろう。ならば自分の存在に気付かれないよう、出来るだけカノジョに近づかないようにするしかわたしにはできなかった。



「あなた、船橋さん?」
学内でいきなり声をかけられた。あの氷室さんに……
「わたし氷室朱理、こんど教育実習で一緒なのよ、よろしくね」
間近で見ると凄く綺麗な人。自信たっぷりな笑顔でほほえみかけられて思わず息をのんでしまった。
「船橋、志奈子です……あの、教育実習で?」
「ええ、あなたもこの大学の指定校に行くんでしょう?わたしそこの卒業生なのよ。実習で一緒になるから挨拶しておこうと思って」
私立のお嬢様中学の卒業生……高校大学とエスカレーター式なのにここに来たって言うことは頭もいいんだ、この人。
「期間中、同じ大学からはわたしたちだけらしいわ。他からも来るだろうけれども、結構長い期間だからよろしくね」
「そう、なんですか……こちらこそ、よろしくおねがいします」
差し出された手は白くてすっとしてて、細くて綺麗だった。綺麗にネイルされて伸ばされた爪は炊事仕事なんてしないんだろうな……見栄えのしない自分の手を思わず引っ込めたくなった。ハンドクリームを塗るぐらいで、ネールも塗ったことがないわたし……
いつものように普通ににっこり笑えただろうか?顔が引きつってしまった気がする。
大学の4年になると、教職課程を取っているわたしは教育実習に行かなければならなかったのだけれども、まさかそこで甲斐くんのカノジョと一緒になるなんて思ってもみなかったけど……母校の中学を実習校に選ぶと実家に帰らないとだめなのが嫌で、思わず大学の指定校に実習を申しこんだのがこんな羽目になるなんて……
わたしは憂鬱な気分で教育実習期間を迎えなければならなかった。

「甲斐くん、あの……来週の頭から教育実習なんだけど」
「ああ」
「期間中遅くなると思うし、わたしも食べて帰ってくるかも知れないから……」
「そのぐらい自分でするから、いい」
「うん、そうしてもらえると、助かる」
「それとも……帰って来ない方がいいか?」
「そんな、ここは甲斐くんの借りてる部屋なんだから……そんなことないよ」
「わかった。それじゃ、ゆっくり寝たかったら部屋に鍵かけて寝てろよ。食事とかオレのことは気にしなくていいから、頑張れよ」
「うん、そうさせてもらうね。あ……あのさ」
「なに?」
「教育実習ね、同じ大学の人が一緒なの。実習校の卒業生らしいんだけど……英文科の氷室さんって言って、綺麗な人なの。以前モデルしてたって……」
「氷室って……朱理?」
「うん、そう。朱理さん」
やっぱり……名前で呼び合う仲だったんだ。ううんきっとカノジョだよね?わざわざお父さんの車借りて迎えに来るぐらいだもの。
あの時、朱理さんを迎えに来た所をわたしが見てただなんて、そんなこと全然気付いてないんだね。甲斐くんにとって、バレてもそれは別にたいしたことじゃないだろうし、わたしが何か言える立場でもないだろうから……
「仲いいのか?」
「ううん、この間初めて挨拶してもらっただけ」
「そっか……まあ、あいつは結構頼りになるから、志奈子も困ったことがあったら相談するといいぜ」
相談って……いいの?自分のカノジョにだよ?わたしは、浮気相手なんでしょ?それに半同棲してるなんてこと、バレちゃまずいんじゃないの?関わらない方がいいはずなのに……
「志奈子?」
「ううん、わかった」
「で、今週はまだ何もないんだよな?」
「あした挨拶に行くけど、氷室さんと」
「明日、か……何時?」
「放課後だから3時頃だけど……」
「講義も明日は午後からだったよな?」
甲斐くんの手が腰に伸びてくる。彼に罪悪感とかはないんだろうか?本命のカノジョとわたしが出会ってるって言うのに……明日一緒に行動するって言うのに。
「無理させないから、な?」
そういって、無事で済んだことはないけれども、どこでスイッチが入ったのか甲斐くんはやる気満々っぽくって、食事の後、そのままベッドに連れ込まれた。
カノジョの名前を聞いたから?だからしたくなったのかな?
あんな綺麗な人……わたしじゃ替わりにならないだろうに。
その夜の甲斐くんは明け方までわたしを離さなかった。


「その格好で行くの?」
「はい、あの……いけませんか?」
「今時の子たちは結構ファッションチェックとか煩いわよ?」
挨拶に行く前、氷室さんにチェックされてしまった。
「でも、普通にスーツだし……」
「スーツは仕方ないとして……ちょっとだけ顔触らせて」
「え?」
「これでもわたしモデルやってたから、スタイリストのまねごとぐらい出来るから」
そういってメイクポーチを取り出して、わたしの顔をいじりはじめた。
「ひ、氷室さん??」
「ほら、動かないで。眉もこんな生やしっぱなしじゃ生徒に笑われるわよ?今時眉触ってない振りしてみんな整えてるんだから」
「そ、そうなんですか……」
手慣れた仕草でわたしの眉を整えていく。今までそんなことしたこともなかった。眉も目もそのまま、かろうじてファンデーションと薄い口紅だけだった。
「それと、肌はきれいだからファンデも薄くてもいいけど、ちょっとムラになってるわよ?こまめにパウダーで直して、後チーク入れたほうがいいわ。あなた色が白すぎて、かえって顔色悪く見えるわよ?ちゃんと元気そうに見せないと」
そういってあっという間に手直しされて……
「ほら、完成。スーツも挨拶直前に前のボタン締めて、普段はこうやって開けておくのよ」
そう言われても着ているスーツの質が違う。すごく綺麗なラインのスーツ、きっと高いんだろうな……
「あの、ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして。お互い頑張りましょう」
にっこり笑う笑顔がまぶしくて……完敗だ。綺麗で、優しくて、面倒見がよくて……わたしならこんな人の生徒になりたい。こんな人をカノジョにしたいと思う。
わたしがこの人に勝てる部分なんて一つもない……
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