<<事情バージョン>>
工藤家が、東京に住まいを移して初めてのクリスマスだった。
引っ越した先のここには愛華や椎奈にとっても懐かしい、家族同様の人たちがいる街だった。
クリスマスイブこそは家族で過ごしたものの、サンタからのプレゼントを朝から見つけた愛華は、それを圭太に見せたくて「早く永井家の食堂へ行く〜」とごねまくった。
最もその日は食堂でクリスマスパーティの予定だった。
大人達は店で飲み食いし、子供達は座敷で思い思いに遊びながらごちそうを口にする。
永井家は日向子に子供が出来てからは、なかなか大変そうだが、産休で自宅にいるため、やたら圭太が嬉しそうだった。
昨年、自分への愛情がなくなったらどうしようかと悩んだ圭太が工藤の家に家出して尋ねてきたのが懐かしく思える。一緒に来ていた菜月の熱い視線は相変わらずで、圭司はタジタジだったけれども。
「愛華ちゃんも和伊くんも寝ちゃったわね。」
「そうね、どうしましょう?連れて帰るにしても圭司も飲んじゃったしタクシーでも呼ばなきゃだわね。」
「そうね、運転手全滅。」
日向子と椎奈とサチ、女三人が寝入った子供達を前にしてため息をついた。
「いいですよ、泊めてあげましょうよ。どうせ明日はもう学校お休みなんだし、あたしもいますし、うちには義母もいますから。」
日向子がそう申し出た。
「そう、何だか悪いわね。」
サチも珍しく寝入った菜月と葉月を見て微笑んだ。菜月が無邪気に寝入るなんて滅多にないことだった。シャンパンで酔ったのだろうが、愛華の父親の圭司の膝の上でべったり寝込んだのには驚いていた。
「じゃあ、また明日迎えに来ますね。」
椎奈も可愛い寝顔の子供達に微笑みを残すと立ち上がった。
圭司も郁太郎も既に上着を手に店の出入り口で待っていた。まだご近所連中の宴会は続いているが、最後まで付き合うには惜しい時間だ。
子供がいない=夫婦水入らずなのだから。
郁太郎はサチの腰に手を回すと酔っぱらった真っ赤な顔して家路を急いだ。宗佑が小声で、酔っぱらってまた失敗するなよと告げた。
郁太郎が酔うと容赦ないのは翌日のサチの風情を見れば誰にだって判る。首筋手首、そこら中に赤い印を付けられまくってはタマラナイだろう。
圭司は久しぶりの二人っきりの夜に提案した。
「なあ、少し飲まないか?」
恋人らしい付き合いをしたことの無かった二人だった。
いつでも親友で、友人として居酒屋に飲みに行ったことは何度もある。だが、昔付き合っていた女達を連れていったようなお洒落な店には全く連れて行ったことがないことに圭司は気が付いていた。
「え、いいの?」
恋人期間も、婚約期間も、新婚期間もなく、いきなりの子持ち生活に入った二人だったから...
椎奈は遊びなれてるわけでもなく、ロマンチックを求めたりはしないが、そこは女性だ。クリスマスに特別に扱われて嬉しくないはずがない。
胸元には圭司が贈ったペンダントが揺れている。クリスマス、誕生日、結婚記念日、今まで何もしてやれなかったからこそ、贈り物を欠かしたことがない。今夜の圭司の洒落たカジュアルシャツは椎奈からのクリスマスプレゼントだった。スーツを着てこそ普通の会社員に見えるが、こんなシャツを着て、洒落たジャケットでいればどう見ても水商売系に見えてしまうのは彼の醸し出す男の色気のせいだろうか?
「新しい部下になった女の子に聞いたんだ。すごく雰囲気のいい所があるって。彼氏といったらしいんだけど、そこのマスターがどうもオレと雰囲気が似てるっていいだして。一度いってみようかと場所だけ聞いてたんだ。美味しいカクテル飲ませてくれるらしいよ?」
「わぁ、カクテル?あんまり飲んだこと無いね。」
「ああ。」
それすらも自分の不甲斐なさのように思える。
今夜は美味しいカクテルを椎奈に味合わせて、そのあと彼女を美味しく戴こうと算段する圭司だった。
ドアを開けるとそこはクリスマスパーティの真っ最中のようだった。
「もしかして貸し切りかしら?」
「違いますよ、どうぞ。メリークリスマス」
背の高い青年がドアを開けて招き入れてくれた。テーブルは常連客で殆んど満席状態だった。
「どうぞ、カウンターで良ろしければ、マスターがオススメのカクテルをお作りしますよ。」
そんなにカクテルに詳しくない二人には大助かりだった。めんどくさがりやの圭司が女の為にカクテルの名前を覚えるわけでもなく、適当に頼んで美味しければまた頼む程度だった。
「コート、お預かりしますね。」
バーテンダー姿の女性がコートを預かってくれる。その優しい微笑みに椎奈は少しだけ緊張を緩めた。
「ありがとう。こういう所にあまり来たことがないものだから、緊張しちゃって。」
「あら、素敵な旦那様なのに?いつもお家で大事にしまい込まれてるんじゃないですか?奥様。」
揃いの指輪を確認したのか、その女性はニッコリ笑って椅子を勧める。圭司は少しだけ椎奈の腰を抱いて耳元で小さく囁いた。
「連れ回して酔った椎奈を誰彼無く見せたくないのは事実だけれども、ごめんな。オレは、椎奈にあまり恋人らしいことしてやれなかったから。」
「そんな、いいのよ。今は幸せだもの。」
仲むつまじく寄り添うそのカップルの姿に少々事情を感じ取った女性は言葉を続けた。
「どうぞ、美味しいカクテルで素敵なクリスマスの思い出をお作り下さい。」
距離を取らず、近づけられた椅子に二人は微笑みあって腰掛けた。
<<カクテル・バージョン/深里>>
カウンターに新しい客が着いたのは、店が一番込み合っている最中だった。
珍しく、今日は諒ちゃんがホールを担当してくれていて、けれど店内の忙しさは、さすがクリスマスならではのもの。
本来は休みの筈だった店を開けるという伊吹に、あたしも及ばずながらの手伝いを申し出たのは、先週の金曜日から昨日まで別荘に行っていて、店に出ていなかったから。
と言うのは、少しだけ言い訳かも知れない。
実は、一番忙しい時期にあたしと伊吹を二人して休ませてくれた、スタッフ達へ感謝の気持ちからというのが正解。
そのため、必死にクリスマス・イブを働いてくれたスタッフ達を休ませ、その日休んでいた半分のスタッフと自分たちとで25日を乗り切るつもりなのだ。
ただ、それでも人手が足りないのは致し方ないこと。
今日のようなイベント時、店が繁盛しなくては困りものだ。
カウンターの中はあたしと伊吹のみで賄い、ホールスタッフと普段はカウンターの中にいる諒ちゃんが、慣れた仕草で接客をしてくれている。
お蔭で、もっと大変だと思っていた仕事は、随分と効率良く出来ていると言えた。
「いらっしゃいませ」
いつもの笑みで客を迎え入れると、席に座った二人を検分する。
と言っても、ジロジロ見るのではなく、さり気ない視線で彼らを観察するのだ。
初めてのお客様の場合は、必ずと言って良いほど、こうして見つめている。
そして、その二人の左手を確認し、また雰囲気を確認した。
彼らの視線は泳ぐと言うよりも、店内を観察しているような節はあるものの、実に落ち着いていて、年齢的には三十代くらいだろうか、優しげな雰囲気を二人で醸し出している。
いつものように、カウンターへコースターを出してから、二人にゆっくりと適温に冷ましたオシボリを差し出す。
すると、女性の方がウットリとした顔付きでカウンターの中を見ていることに気付いた。
きっと、こういうお店には慣れていないのだろうことは、一目見て判ることだ。
「お飲み物は、お決まりですか?」
これもまた、いつものようにメニューを差し出しながら聞いてみる。
と、二人は一瞬だけお互いを見つめ合い、けれど次はあたしの方へと男性が振り向いて無表情のまま答えた。
「カクテルは得意じゃないので、お任せで」
その言葉に、女性が小さく頷いてみせる。
「では、お好みなどございましたら、お教え願いますか?」
「それも全てお任せ」
彼の言葉に一瞬だけ躊躇してしまったけれど、お客様に不安な気持ちや不信感を与えないため、小さく頷きながら「畏まりました」と返事をすると、あたしは彼女達のことを少しだけ観察する。
男性の方は辛口でもいけそうだけれど、少しお酒も入っているようだから、アルコール度は抑え目の方が良いだろう。
女性の方は、雰囲気的にも柔らかめだから、甘くスッキリしたモノが良いかも知れない。
そんなことを考えていると、隣に諒ちゃんがやってきて、耳打ちをしてきた。
「こちらの女性、こういうとこは初めてらしいの。だから、少し雰囲気があるものをオススメするといいかと思うよ」
「OK。で、男性は?」
「雰囲気見れば判るよね?」
「くす。そうだね、判った。二人の記念になりそうなものにしますか」
「うん」
そうこっそりと話し終えると、諒ちゃんはまたホールへと戻っていく。
そして、こっそり見ていたのだろう伊吹に視線を持っていけば、彼は何だか物知り顔でニコリと笑って返してきた。
初めてのBAR、初めてのカップル、そしてクリスマスときたら、雰囲気だけでも楽しませなくてはいけないだろう。
そう考えたあたしは、一旦その場を離れ、材料を持ち出した。
フレッシュのオレンジとシャンパン、そして、クレーム・ド・フランボワーズを用意した。
どちらがどちらのカクテルを飲んでも良いように、けれど、女性に出すのは、男性に出すのよりはずっと軽めのもので。
グラスは、シャンパン・ベースということもあり、お揃いのフルート型・シャンパングラス。
こちらは、しっかりと冷やしておいたものを使うことにして、まずはオレンジを搾っていく。
ジュースを使うこともあるこのカクテルだけれど、せっかく初めて経験するのであれば、より良い想い出にしてもらいたい、そう思ってのことから、フレッシュを使うことにしたのだ。
世界でも贅沢なオレンジジュースだと言われるこのカクテルは、フランスの上流貴族たちの間でずっと親しまれたモノで、日本名でギンヨウアカシアという花の色に似ていることから名づけられている。
もうひとつのカクテルは、木苺のリキュールを使ったもので、口当たりはスッキリしている、男性にも女性にも人気の高いもの。
この二つともは、フランスで人気の高いカクテルでもあるのだ。
手早く、一つ目のカクテルを作り上げ、もう一つも作り上げてしまう。
そして、二人の手元にあるコースターに、そっと差し出した。
「お待たせ致しました。こちらのカクテルは、ミモザという名前のシャンパンをベースとしたカクテルです」
そう言って女性に差し出すと、柔らかく素敵な笑みが零れた。
そして、もう一つのカクテルを男性の前に差し出すと、あたしは同じようにカクテルの名前を口にする。
「こちらは、キール・アンペリアルという、同じくシャンパンをベースにしたカクテルになります。どちらもクリスマス向けでございます」
あたしは、二人にそう言うとニッコリと笑って、一歩後ろに下がり待機した。
「ありがとう」
彼女はまた、素敵な優しい笑みを浮かべながらもあたしにそう言うと、男性の方へ体ごと向きを変え、グラスを乾杯するように掲げて口へ運んでいく。
一瞬、二人の顔に優しくも互いを癒すような微笑みを交わし、そしてあたしへと振り向いてもう一度、今度は二人でお礼の言葉を述べてくれた。
「美味しいわ。本当にありがとう」
「なかなかイケるね」
その言葉は、あたし達バーテンダーにとって最高の誉め言葉だけれど、それ以上にこの二人の持つ雰囲気がまた、作り手であるあたしに悦びを与えてくれた。
<<事情バージョン>>
圭司がバーテンダーのお姉さんにお任せでと頼んだカクテルが並ぶ。橙色の背の高いフルートグラスと、薄紅色の背の低いフルートグラスはどうやらペアのようだった。二人はグラスを持ち上げると軽くあわせた。
「椎奈、メリークリスマス。」
「メリ−クリスマス、今日はパパとママじゃなくて恋人同士でいいの?」
「ああ、ごめんな。オレ、結局椎奈には恋人同士のイベントとか全然だったもんな。結婚してからも子供が小さかったから家でしかできなかったし...」
圭司の脳裏には数々のクリスマスが思い出される。恋人達のクリスマス。クリスマスディナーにバーで雰囲気つくってホテルにしけ込んで...もう相手の顔も覚えていなかった。楽しい気分で過ごしたクリスマスはたぶんここ数年のファミリークリスマスだ。昔から欲しくって憧れていた本当のクリスマス。家族で飾るクリスマスツリーに手作りのクリスマスケーキ、手作りのごちそう。クリスマス・イブに枕元に置かれるソックスへサンタのプレゼント。何もかもが圭司の幼い頃から手に入らなかった思い出が手に出来た。椎奈が全て与えてくれた。なのに自分は何だ?散々他の女に現(うつつ)を抜かして、一番大事な人に素敵な思い出の一つも与えてやれなかった。その後悔の想いが未だに圭司を責めていた。
「え?なんで、昔みんなでやったじゃないクリスマスパーティとか。」
「それは恋人同士じゃねえだろ?」
「ん、でも結婚する前だし...」
必死で言ってくるのは圭司に気を使わせまいとしてるのだろう。椎奈の方も自分の思いこみで圭司の元を離れ、子供が生まれる瞬間もそれまでも体験させてあげられなかった。そのことが未だに悔やまれていて、圭司が言うような恋人同士の期間がなかったことは苦にはならなかった。昔の彼女とのことを考えると胸が痛んだが、今の圭司を見ていると自分への愛情を疑うことはなかった。
「椎奈、今日ぐらいは甘えろよ?」
圭司は空いた手で椎奈の手を握った。
「ん...あ、ねえ、これホントに美味しいよ?」
差し出した椎奈のグラスに口を付けると、口の中に爽やかな甘さが広がった。
「ホントだな、これならおまえでも何杯か飲めそうだな。」
椎奈の視線が圭司のグラスに向いていたのに気が付く。
「ん、これか?飲んでみるか。」
差し出した薄紅のカクテルを嬉しそうに口にするその姿が愛おしかった。過ぎたことは望まない、何かを欲しがったりもしない。学生時代からいつも与えてくれる暖かい存在だった。
「あ、さっぱりしてるね。でも何かいい香り...圭司あんまり甘いのダメだからちょうどいいかな?」
「ああ、散々飲んだ後なのにすんなり飲めるよ。」
圭司は椎奈から返されたグラスをくいっと空けてしまった。
その様子を見ていたのか、マスターらしき男性が近づいてきた。なかなか綺麗な顔をした男だ。きちんと髪を後ろに撫でつけて夜の香りを漂わせたその雰囲気は独特だった。先ほどの女性のバーテンダーは別の客にカクテルを作ってる最中のようだった。
「オレ、キール・ロワイヤルなら飲んだことあんだけど、どう違うの?」
圭司の質問にマスターはにっこり微笑むと、さっと手元であわせると目の前に先ほどと同じ型のグラスを差し出した。今度は緋色の液体がテーブルに影を揺らしていた。
「こちらがキール・ロワイヤルでございます。お連れ様とご一緒にどうぞ。こちらは当店からのクリスマスプレゼントということで、お召し上がり下さい。」
「へえ、ありがとう。試させてもらうよ。」
圭司が口を付けると先ほどより甘い癖のあるカシスの香りが飛び込んできた。
「なるほどね、違うな、比べてみると。」
「ほんと?」
椎奈が続いて飲んでみたが、微かに甘さと香りの違いに気づいた。
「あたしはこっちの方がいいかも...」
「オレはさっきの方が好きだな。」
「彼女が貴方を見てこちらのカクテルを選んだのですよ。メジャーなロワイヤルでなくアンペリアル、インペリアルと言った方がわかりやすいでしょうか?」
圭司の言葉ににっこりと微笑んだマスターが女性バーテンダーの方を優しく見つめながら嬉しそうに言った。
その視線はあくまでも優しく、キツイ切れ長の目が一気に愛情に溢れるものだった。圭司も椎奈も、彼があの女性を愛おしく思っていることにすぐに気が付いた。彼女のチョイスを誇らしげに肯定するカクテルを出したのがその現れなのだろう。
「やはり辛口がお好みでしたか?」
二人は差し出されたカクテルを、交互に味わい楽しんだ。だが、椎奈には少し強すぎたようで...
「ごめん、圭司。ちょっとお化粧室び行ってくるわ。顔が火照っちゃって...」
ふらふらと椎奈が立ち上がった。足取りはまだなんとか大丈夫そうなので圭司はそのまま行かせたのだが。
ふと思いついてマスターをくいっと指で読んで耳打ちした。
「あのさ、ちょっと強めの出来ない?」
「強めですか?」
「ああ、さっきのよりももっと強くて甘いヤツをさ。」
「はい。」
「うちのさ、しっかり者はいいんだけど、なかなか甘えてくれなくてな...」
圭司は酔った頭で愚痴り始めた。おそらくここの雰囲気だろう。落ち着いていて、自分たちをそのまま受け入れてくれるような…。
マスターの雰囲気もそうだ。黙って何でも聞いてくれる気がした。
圭司の懺悔と、今夜の目論みを...
「オレらね、親友同士だったんだよね。ずっと、学生時代から。」
マスターは黙ってグラスを拭きながら話を聞いてくれていた。
「勝手にオレに片思いして、オレ、アイツ無くすのが怖くて、気が付かない振りしてた。だけど、押さえきれなくって...オレはもう離さないつもりだったのに、アイツ勝手に消えやがってさ。」
圭司は残ったカクテルを一気に流し込んだ。
「オレの知らない間に、オレの子を産んで、育ててたんだ...昔オレがいた街で。」
自分が泣きそうな顔をしてるのかも知れないと圭司は思った。酔いに任せて自分はとんでもないことを行ってるのかも知れない。
「見つけ出して、夫婦になってからも、いい奥さん、いい母親で...家族のいなかったオレに家庭を作ってくれたんだけど。」
縋るような目でマスターを見る。マスターも正面からこちらを向いてくれていた。
「甘えてくれないんだ。しっかり者過ぎて...オレは、アイツを酔わせて訳わからなくさせてみたいんだ。」
ため息をついた圭司にマスターはにっこり微笑んで答えてくれた。
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