メイド編・5

病院から最寄りの駅まで雨の中歩いて20分、そこから乗り換えに継ぐ乗り換えで、約1時間。そして目的地の駅から少し離れた屋敷まで戻るのにバスを使っても30分はかかってしまった。
結構凄い雨。傘があってもそんなに変わらなかったんじゃないかなと思うぐらい。
もっとも持つ手も余ってなかったけど…。
だって、冷蔵庫の中空っぽだったから、駅の近くのスーパーで一応の食材を買い込んだんだよね。でないと今晩も明日の朝も何も食べるもの無しで過ごさなきゃならないだろうから。最初に来るときにチェックしてきたけど、このあたりってコンビニも無いんだよね。そりゃそんなもの必要ない高級住宅街だけれども、車も何も交通手段を持たないわたしは、駅前で買い物しないことにはどうしようもなかったわけ。だから重い荷物を抱えてバスに乗り、ひたすら雨の中歩いて帰ってき手、お屋敷にたどり着いた頃には全身びしょ濡れだった。

「どうしよう、まだどこに何があるかも判らないのに…」
玄関にたどり着いても途方に暮れてしまう。
帰ってきたら、いろいろとヤツに聞くつもりだった。それに車だともっと早くに帰って来れたのに…と、まあ、雇い主に送迎させるわけにも行かないのだからしかたない。
「それにしても、相変わらずなんだ、あいつ」
メイドなんかは見てないようで見てるんだからね。よくあるでしょ?サスペンスで『家政婦は見てる』あれほどじゃないけれども、どんな家でも裏側に回ると、見たくなくても見えてくるものはある。
そして、軽いセクハラもあるのが悩み…ああ、早くおばちゃんになりたいっていうのがわたしの一番の望み。そしたらどんな家に回されても大丈夫でしょ?
若すぎるとあまり需要がないのだ。この仕事…年齢とともに信用も手にいれられるのだったら、あたしは迷わず20歳は年老いたい。さして若いことで得られる幸せなんかとうに放棄してるのだから、さっさとベテランのメイドになって、穏やかにどこかの家庭を傍らで見守りながら暮らしていければいいと思ってる。
どちらにしろ、この調子じゃあいつもよろしくやってるようだから、この屋敷では問題はなさそうだけれどもね。
だけど、あの相手はヤバイと思うんだけど?
伯父の奥さんに手を出すほどえっちしたいって思うんだろうか?
そんなにいいもの?わたしには分からない。
酔って無理やりで、痛みと恐怖だけの記憶は今でもわたしを苦しめる。
悪阻に苦しむ身体には、それは必要な行為でなく、子供が出来たと分かったその後も夫との行為を受け入れることが出来なかった。だから浮気されて、離婚した理由も自分にあるから、多額の慰謝料は辞退したのだから。
えっちしたい気持ちなんてわたしにはわからない。わたしの場合は、一生このままでもいいけどね。

「さて、取りあえず一回りして、その間にお風呂使わせてもらおう…」
あたしは寂しいときそうするように、誰も居ない家の中で口に出しながら歩き回る。
「建物自体は凝ってるけど、中のつくりは普通の家と変わらないのね。亡くなった奥様一人でお掃除できるようにしてあったのかな?」
二階の客間とヤツの部屋の間にユニットバスとシャワールームがあったけど、何も置いてなくて全く使ってないようだった。
「こっちのお風呂使ってイイのかな?どっちにしろ、今夜はここ使わせてもらわないとしょうがないしね。」
メインのバスルームはやはり、あまり掃除してないようだった。
「じゃあ、掃除しながら入るとしましょ。」
洗剤をかけてお湯を張りながら、その間に台所へ向かう。
うう、身体がゾクゾクする。たっぷり雨に濡れたからなぁ。冷えてきたけどしょうがない。
「あ、こっちに保存食のストックはあったのね。でも他の食材は見事に何も入ってないわね。野菜とか牛乳とかタマゴ買ってきてよかった。」
買い物袋から、冷蔵庫の中にしまい込んでいく。当分どなたかの食事の用意するわけでもないから、自分用の軽食が出来ればいいかな?
まずは、この台所に慣れなきゃしょうがないし。
「庭にハーブがあったものね。それを使えばいいし、他の調味料とかは完璧に揃ってるわね…さすが奥様!へっ…くしゅん!」
亡くなった奥様を褒め称えながらくしゃみしてちゃいけないわ。
「うう、お先にお風呂失礼しますー!」
どうせ誰もいないだろうと、そのままお風呂場に直行。バスタオルは確認したから、まいっか。
ざぶんと浸からせて頂いたけれども、取りあえず浸かったままそこらのお掃除をさせていただく。シャンプーとかあるのをお借りして、お風呂場を出る頃にはお風呂はぴかぴか。拭き掃除まですませておいた。
「よし、この勢いでおトイレも…って、その前に服…あ、持ってくるの忘れた!まあいいや、誰もいないし。」
わたしはバスタオルを巻いてバスルームをそっと出た。


「なにやってんだ?」
「えっ?」
振り向くとそこに…!
「きゃぁあああ!」
「ばっ、きゃあじゃないだろ!」
ムゴムゴと口を押さえられていた。
「ま、政弥様?なんでこんなとこにいるんですか?」
「はぁ?」
思いっきり呆れた顔をされてしまった。そりゃそうだ、ここはヤツの家なんだから。
「だって富美香様を送って行かれたんでしょう?お食事も一緒になさるって…」
ヤツのシャツからちょっとだけ甘い香りがした。コイツが今日連れだって行った女性をイメージさせる甘い、残り香…ふたりの仲はわたしの予想通りだったみたい。
「ああ、だから帰ってきちゃ悪いのか?」
「だって、てっきりお食事だけではすまないと…もしかしてマンションの方に帰られるのかと思っていたものですから。」
「おま、なに?」
食事だけだとこのぐらいの時間だろうけど、その後おふたりで楽しんだら、もっと遅くなるだろうと、いや、泊まりかなぁとすら思っていたのに。
「気をつけてくださいませね、あんなんじゃすぐバレますよ。」
「……どこで気がついた?」
ほら当たった。一遍に気温が下がるほどの低い声に変わる。バレないと思ってたんだ?そっちの方が不思議だわ。
「病院内で人妻の腰に手を回して歩くのはよくないですよ。お二人を知ってるものが見ればすぐにピンときますから。」
「へえ、おまえはピンと来たってわけか?野良にしちゃなかなかの勘のよさだな。」
褒められても嬉しくないわよ、こんなことで…。
「だからといって、ここに帰ってこないとは言ってなかったぞ。それより、なにか食えるものあるか?」
「あら、そちらの食事はされなかったんですか?信じられない…でも、この時間からですと、たいしたものはご用意出来ませんけど、よろしいですか?ほんとに、こんなに早く帰って来られると思ってませんでしたから。」
「ああ、約束しただろ?親父と…おまえにいろいろ教えるって。今日も帰ってきてから教えるつもりだったからな。で、その格好で台所に立つつもりか?なにしてたんだ?」
ああ、ヤバイ、バスタオル一枚なのを忘れて話し込んでどうする。
わたしはゆっくり後退りして、和室の方へ向かおうとしていた。
「え?あ、雨に濡れたんで、掃除ついでにお風呂を使わせて頂いたんです!次回より最後に入らせていただくよいうにいたしますから、ご安心下さい。お風呂に入られるのでしたら掃除は終わってますので、お湯をお張りしましょうか?」
「なるほど、で、おまえのその恰好は、一緒に入りたいのか?」
ニヤニヤ笑わないで欲しい!わたしもこの恰好で見つかるとは、不測の事態だったんだからね。
「ち、違います!着替えを部屋に…し、失礼いたしますー!」
急ぎ部屋に戻ろうとするのを、後ろから阻まれた。笑い声が聞こえるから、きっとからかってるつもりなんだわ。
「セ、セクハラですか?」
「裸で誘っておいて?」
ニヤニヤわらうなぁ!
「さっき済ませたとこでしょう?パスしてください。もう、旦那様に言いますよ?」
睨み付けて威嚇してやる。こっちだって弱み握ったら強いんだからね!
「…おまえな、そのこと、親父に言ってみろ、承知しないぞ?この家から追い出してやる。」
急に表情が険しくなって、脅し返された。
「い、言いませんとも!その代わりに、簡単にクビにしないで下さいね?手も出さないでください!でないと、言います!」
すぐに手が緩んだ。まだ父親が怖いのかね?いい年して。
「バレて困るならやらなきゃいいのに。」
ついつい本音。
「あんな奴の、女なんかどうでもいい。」
あんな奴の女?ってことは、あんな奴は、藤沢社長のこと?
「嫌いなんですか?社長のこと。伯父様なのに…それに、どっちかっていうと、気性の荒そうなとこ、政弥様は社長の方に似て…」
バンッ!と、壁が鳴った。ううん、ヤツが拳で叩いたんだ。
凄い、形相…こ、怖い。昔から知ってるけど、こんな怖い顔したとこ、見たことがなかった。
「その口塞いでやろうか?余計なことまでペラペラと…」
低い声が耳元で聞こえたそのあと、
「んっ!」
塞がれた…完璧に

ヤバイよ、こんな恰好で…

キツイ、全部飲み込まれそうな、キスだった。
舌が口中を這い回って、吸い取られていく。
口の中に、こんなにも感覚があるなんてしらなかった…
ざわざわと這い上がってくる奇妙な感覚。
だって、こんなキス、元夫だってしてきたことがない。っていうか、そんなにキスしたことも無いんだけど?悪阻の間はそれすら気分悪かったから…

「んんっ!」
バスタオルが床に落ちる。
わたしは何も身につけていない。
体中が火照るけど、足の力が抜け同時に悪寒がして、そして…目の前が真っ暗になった。

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<注意>こちらはハウスメイド・メイド編の試し読み版です。
8話まで読めますがそれ以降は電脳アルファポリスで有料になることをご了承下さい
久石ケイ