〜Prologue〜

 
 
 
優しい日差しに包まれた部屋で、その部屋の住人は少し溜息を吐きながら窓の外を見つめていた。
もう直ぐ迎える最期の時をまるで意識しているかのように見えるそれは、けれど決して何かを悔いているようには見えない。
それよりも、今から何かを楽しみにしているようにすら見える。
その人物をただ見守るしか出来ない者は、それでもやはりそのことを許すしかないのだろうと、心の中でひとりごちたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
「起きてる?」
 
部屋のドアをノックして中に入れば、彼は嬉しそうに自分を見つめてくれる。
こちらもニコリと笑って部屋の中へ進んでいくと、彼が気怠そうに体をこちらへと向け、返事をしてきた。
 
「たった今、起きたところだよ」
 
嘗ては力強く張りのあった声は、今では思い出す事も出来ないくらいに掠れてしまい、彼の弱々しさを突きつけられているようにすら思える。
けれど、そんなことを態度に出す事など出来もせず、あたしは彼の横になっているベッドに近づいていった。
 
「気分は?」
「うん、上々という感じかな」
 
病床とはいえ、それでもシッカリとした口調で返事をしてくれる彼に、少しだけ焦燥を感じずには居られないけれど、それを顔に出してしまえば間違いなく心配してしまうだろうその人に、あたしはいつものように明るく振舞うしか出来ない。

「少し、何か食べられそう?」
「ん・・・・今はまだ・・・いいかな?」
 
疑問系で返事をしてくるところを見ると、どうやら食欲がないのだろうことが見受けられる。
最近は、こうやって徐々に食欲が落ちているように思えるけれど、それは気のせいじゃないだろう。
彼が闘病生活に入ってまだ間もない頃には、普通の食事も口に出来ていたというのに、一年近くの月日を経た今では、もうすっかり身体つきまで変わってきてしまった。
自分でトイレに行くのすらやっとで、お風呂にも一人では安心して入ることが出来ない。
出会った当初から考えると、決して考える事が出来そうにない状態の彼を、今のあたしはどうやって見つめればいいのか。
そっとベッドの傍に寄っていけば、彼の手があたしの方へと伸ばされる。
 
「なに?」
「相変わらず・・・・綺麗だな」
 
近くに来てくれないか?と言う彼の言葉に素直に応じ、ベッドへ凭れるように座った。
すると、彼の手がスッと頭の方へ伸ばされてきて、あたしの髪の毛をそっと撫で下ろす。
その手は優しくて、昔から愛しいと感じているものであるものの、やはりどこか力がなくなってしまったせいで憧憬にも似た感傷を植え付けた。
もう少し・・・・もう少しだけでもいいから、こうして傍に居させて欲しい・・・・。
そう思っても、それはいつまでも保たない願いでしかないことは、自分達にも判っている事。
少しずつ、別れのときが近づいていることすら、お互いに気付いてしまっている。
悲しくて、ほんの少しだけ涙が出そうになった瞬間、その手が離れていくのが判った。
それはきっと、あたしの気持ちを察してしまったから――そう思えば、これ以上ココに留まることが苦しくなってしまう。
フッと気持ちを入れ替えると、あたしは彼のことをそっと見つめ、けれどその顔には決して悲しみなんて乗せたりせず、いつもの元気な笑顔を称えて見せた。
彼は、そんなあたしを眩しそうに目を細めて見ながら、そっと優しい笑みを顔に浮かべる。
この顔が、何よりも大好きだった。
いや、今でも、この人のこんな笑みは大好きなのだ。
どうして――?
そうは思っても、それを口にすることなどできるはずもなく、それ以上に彼の心を思えば、これ以上の無理をさせられるはずもない。
もう一度伸ばされてきた彼の手が、あたしの頬を捉えて何度となく撫で上げる仕草に、そっと目を伏せて応じた。
それはまるで、キスをされていると勘違いしてしまうかのように甘く、そして温かい所作。
その手が離れてしまうのを待つ間、あたしはずっと目を閉じて心の中だけで呟いてみせる。
 
まだ、そのままでもいいから、あたしから離れていかないで―――。
 
愛するが故に、互いをこれ以上求めすぎないよう、離されていく彼の手。
そうして離れてしまったのを寂しいと感じつつも、あたしはゆっくりと目を開けて彼のことを見つめていた。
お互いの視線が絡み合い、けれど二人には言葉など要らないかのようにも思え・・・・だけど、そろそろ彼を休ませてやら無くてはいけない、そう思うと寂しくて凍えそうになる心をどうにか奮い立たせて声をかけた。
 
「そう。じゃぁ、少しでも食べられそうになったら声をかけてね」
「判った」
 
まだまだ意識がハッキリしている分ある意味では良いのかも知れないけれど、あたしにしてみればそれすらも悲しく感じてしまうのだ。
この世でたった一人、大事に・・・そして大切にしたい人。
そんな人が苦しんでいるというのに、何もしてあげる事が出来ない・・・・それくらい悲しくて悔しいことはないのに・・・・・。
 
「華依。今日も仕事なんだから、私の事は気にしないで、無理せずに体を休めておきなさい」
 
優しく、けれど少しだけ強めの口調でそういう彼に、あたしは小さく頷き、そして部屋を後にしたのだった。
 
 
 
 

 

        

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