ん?なんだ...
携帯の着信音で目が覚める。
無機質な電信音は登録してない番号からのものだ。
 
「なぁに、電話?」
「まだいたのか。早く帰れ」
 
昨日は残業で遅くなって、ホテルに部屋を取った。バーで呑んでいたら、顔見知りの女が寄ってきたので、そのまま部屋に連れ込んで寝た。
 
「もう、相変わらず冷たいのね。でも、また呼んでね。」
 
手を出すので、タクシー代を渡しながら携帯の通話ボタンを押す。
朝の早い時間から、結構長く鳴らしてると言うことは、そこそこの用件だろう。
 
「はい」
『奎吾か?』
 
男の声だった。すこし力のない、だけどどこかで聞き覚えのある声。
 
「親父...?」
『ああ、携帯の番号、変えてなかったんだな。』
 
実の父親からの、何年ぶりかの電話だった。
父親、と呼んでいいのだろうか?
自分が生まれてすぐに母親が出て行き、その後続いて父親も出て行ったのだから。
 
――自分は捨てられたのだと思って育った。
 
祖父の告別式で、はじめて自分の父親だと名乗る男に話しかけられた。
その時の印象があまりにも強烈で、俺はその時話しかけられた言葉をよく覚えていなかった。
ただ、手渡された電話番号の書かれた紙切れを握りしめていたのだった。
その後、起業するのに大人の名前や立場が必要だったので、書類上だけの社長をしてもらっていたが、18歳になってそれが必要なくなってからは連絡すらしていない。
会うのは8年ぶり、いやもっとか?
そう思いながら、黙ってその後の言葉を待っていた。こちらから話す用件などまるでないのだから。
 
『奎吾、わたしはもう、長くないんだよ。癌だ...いまは延命治療を拒否して自宅で過ごしているが、あとどのくらい持つか...その前におまえに渡したいものがある。前にうちの店を教えたよな?そこに来てくれないか、出来れば、すぐにでも...』
 
彼らしくない、切羽詰まった物言いだった。
心の中では『行かなくていい』、『そんな義理はない』、『おまえはこの男にも捨てられたんだ』、『断ってしまえ』、そんな言葉が渦巻いていた。
 
『頼むよ、これが最後だから。聞いてくれ』
 
俺が判ったと告げると、電話は切れた。
女はとっくに服を着込んで部屋を出て行った。
時計を見ると、そろそろ準備する時間だった。そのままベッドから降りるとバスルームに向かいシャワーを浴びて仕事に出掛けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
「明日、私へ会いに人が来る・・・・」
 
そう力無く言った彼に、あたしは小さく頷くだけに留めた。
それは相手が誰だか判っているからとか、相手がどういう人か知っているからとかからではなく、何となくその相手を想像するのが怖かったから。
彼がこんな風に言うときには、必ず付いて回るモノがあるのだ。
 
「出かけていた方が、いい?」
「いや、傍に居てくれた方がいい」
 
その言葉に励まされ、また今度は少しだけ力を込めて頷けば、先ほどまでの緊張しているかのようなどこか強張りがありながらも力無かった彼の顔に、本来の笑みが戻ってきた。
その顔が少しだけ子供っぽくも感じられて、病気をしているはずなのにやっぱり安心させてくれる大人の笑みにも見える。
 
「明日――ココへ来るのは、随分と昔に手放してしまった息子だよ」
 
自嘲めいた笑いを少しと、どこを見ているのか判らない視線は柔らかくて優しいモノを感じさせながら言った告白は、もう言われなくても判っていたこと。
きっと、近々、彼のことだから呼び寄せるだろうと思っていたのだ。
よく、彼は昔話をするかのように、そのことを話してくれていた。
とても遠い目をしながら、寂しそうに・・・・だけど、それを悟らせないように優しい口調で・・・・。
それらはまるで懺悔しているかのような告白で、あたしは胸が締め付けられる思いがしたものだ。
けれど、彼がどうしてそんな話をしてくれたのか、それはあたしと出会ったからだと言われたときには、心のそこから喜びがあった。
誰かを愛しいと思ったとき、それを示すことも表現することもないままに手放してしまった子供のことを思い出したのだと、彼は後悔の念を全身から漲らせていた。
泣くことなど許されない――と、そう言いながら告白した言葉達に、あたしの方こそが泣いてしまいそうだった。
それを留めることが出来たのは、あたしが泣いてしまっては彼が本当の意味で涙することが出来ないと悟ったから。
本当は、その子を引き取るつもりでも居たのだと言ってくれたときには、彼の悲痛な気持ちが伝わってきて互いを抱きしめあっていた。
その人は、あたしよりも4つも上なのだと聞いて、自分も会ってみたいと思ったが、それが叶うことは無かった。
何しろ、相手はかなりの資産家で、後継ぎとして育てられているのだということだったから――その後には、こちらからは一切連絡を取れないでいるのだと言われ、あたしはただ彼から話されるコトしか知らないでいる。
その人が今、何をしているのか、どうしているのかは、きっと彼なら知っていることなのだろう。
それでも、あたしにはその事を話ししたがらないところをみると、それはそのままでいいのだと思っていた。
 
その彼が―――明日、来る。
 
何となく予想していたことだった。
だから驚くよりも、その息子と言う人と、彼が穏やかに過ごせるならそれで良いと思える。
そんな場所へ、この自分を置いてくれるというのも、真実喜んで良いのか判らないものだけれど―――。
 
「傍に――居てくれるね?」
「・・・・・・・・・・はい」
 
彼の問いかけに小さく返事をすれば、安心したような吐息が聞こえてくる。
きっと、これが一番気になっていたことなのだろう――いや、そうじゃない――もしかしたら、彼こそが息子に会うことの方が不安なのかも知れない。
彼がベッドに座っている横へ腰掛け、あたしは『大丈夫』と言いながら、そっと手を伸ばした。その手を彼が優しく抱きしめる。
互いの体温を感じ合い、そうして互いを思い遣る。こんな生活を始めて、もう何年が過ぎ去ったことだろう。
 
「明日、午後一番で来てくれると言ってくれた。悪いが、その時はココへ・・・私の傍に居て欲しい」
「うん、大丈夫。ずっと傍に居るから」
 
そう返事をして、あたしは繋いでいた手の上にもう片方の手を乗せて笑ってみせた。すると、心から安心したのだろう彼は、ゆっくりと息を吐き出し、そっと目を閉じ始める。
こうなると彼は少しの時間、眠りに就いてしまう。
きっと不安で仕方なかったのだろうけれど、緊張しすぎることは彼の体にとってあまり良いものじゃない。
そう思うと、このまま寝かせておくのが良いだろうと考え、あたしは彼の体を横たえさせ、眠りの姿勢を取らせてやった。
 
 
 
 

 

      
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